内容要旨 | | 高度経済成長期のわが国では,多くの農家労働力が農村地域から大都市地城へと移動しているが,賃金労働市場において競争力を持たない中高年農家労働力の多くは低所得や過酷な長期出稼ぎに耐えながらでも地域に滞留せざるをえなかった.1960年代後半以降,労働集約型工場の立地分散化が進み,道路整備やモータリゼーションの進展によって就業機会へのアクセスが改善されていっても,奥地山村や離島といった国土縁辺部ではなお賃金労働の就業機会に恵まれず,失業および低所得問題が残されることになった.このような地域では,これまで公共土木投資が傾斜的に配分され,土木雇用の創出を通じて社会政策的な役割を果たしてきた.本博士論文はこのような地域を縁辺地域を位置づけ,この縁辺地域における地域間所得再配分と地域変容との関係を,公共土木投資の社会政策的な意義,すなわち失業および低所得問題に対する雇用創出効果の意義の点からを明らかにしていくことを研究の目的としている. 1章では,既存研究の知見と問題点を整理,検討することによって,本論文における具体的な作業課題の導出を行った. 公共土木投資による雇用創出メカニズムについては既存研究より,縁辺地域において土木業者が分散的に立地し,近隣集落から労働力を編成していることが明らかにされている.しかし,なぜ土木業者が分散的に立地したのかについては十分に説明できていない.その原因は発注機関の指名行動と業者間調整の実態が明らかにされない,という公共土木事業の入札をめぐる調査技術上の問題に求められる. また地域労働市場論をはじめとした土木日雇雇用をめぐる既存の議論では,世代交代,とりわけコーホート人口の山をなす1921年〜1935年生まれの「農村団塊の世代」の引退が大きな影響を及ぼすことが指摘されている.しかし既存研究において,土木労働力をめぐる需給双方の実態に関する検討は不十分であった.その背景には既存の縁辺地域に関する研究において,主に人口総数や世帯/イエの動向に関心が向けられ,世代性に対する注目が少なかったことが考えられる.農山漁村調査における伝統的な集落調査では青年層の実態把握が困難である点も挙げられる. 以上の検討結果を踏まえて,本博士論文における2つの作業課題として,(1)縁辺地域における土木業者の分散的立地メカニズムの解明(第1の作業課題)と,(2)労働力需給関係の変化とそれに伴う土木業者再編の実態把握(第2の作業課題)を提示し,この作業課題の検討を通じて縁辺地域における公共土木投資の社会政策的意義を論じていくこととした. 2章では,公共土木投資と土木雇用の関係について,主に都道府県データに依拠しながら地域的特性と経年変化を分析した.1960年代後半以降,地域間所得再配分機能が強化されていくのに伴って建設業就業者比率も縁辺地域において特化が進んでいく.1980年代以降については,公共土木投資額の対GDP比,地域的な配分構造の両方においてあまり変化はみられない. 3章,4章では調査地域として島根県を取り上げ,第1の作業課題である,縁辺地域における土木業者の分散的立地メカニズムの解明を試みた.先に指摘した調査技術上の制約を克服すべく,この両章では公共土木事業の入札に関する指名業者および落札結果の資料を網羅的・体系的に収集・分析することで,発注機関と業者の行動様式を帰納的に解明することを試みている. わが国では,ほとんどの公共土木事業において指名競争入札によって受注業者を決定している.この際,縁辺地域の各発注機関は管轄域内の経済振興を優先させて,基本的に域内業者のみを指名している.業者も受注変動のリスクを回避するため,業者間調整によって管轄域単位で受注を調整している.その結果,各発注機関の管轄域毎に排他的な受注圏が形成され,町村単位で分散的な業者立地がもたらされることになった.また既存研究の中で指摘されたように,縁辺地域では各町村の内部においても土木業者が分散的に立地しており,都市地域と比較して零細元請業者群が卓越していることも明らかになった. 5章,6章,7章では第2の作業課題である,労働力需給関係の変化とそれに伴う土木業者再編の実態把握を試みた.2章での分析結果より,縁辺地域における公共土木投資の量は比較的安定的に推移しているものと考えられるため,5章,6章では労働力供給面について分析を進めた. まず,5章では国勢調査を用いて集計量による就業構造変化の実態把握を行った.コーホート分析より,世代交代に伴ってコーホート人口規模が縮小し,建設業就業者比率が低下していく傾向が認められた.公共土木投資の量が安定的に推移していく中で,青年層による建設業への労働力供給量が低下していったため,労働集約的な産業である建設業では著しく高齢労働力に偏った就業者数ピラミッドが形成されるようになる. 6章では岐阜県和良村における現地調査を通じて,村内各事業所の労働力編成と青年男子従業者の就業過程を分析した.土木業の青年労務職員は学歴面では高卒者が多く,現職就業年齢では新規学卒者を含む20歳代前半での就業が中心であった.男子型雇用の少ない縁辺地域において,土木業の労務職は農協職員や村一般行政職員に次ぐ労働条件を備えている.しかし量的に見ると,「農村団塊の世代」の引退部分を補うのには不十分であり,特に職場環境整備などに投資を行うことが難しい事業規模の小さな業者では労働力不足が深刻化している. 7章では1982年から1995年の間における土木業者の再編状況について分析し,さらに2005年時における縁辺地域の建設業就業者数の将来推計を行った.その結果,縁辺地域の土木業者では事業規模が零細であるにも関わらず倒産が少ない一方で,経営規模拡大の動きはほとんどみられていないことが明らかになった.建設業就業者数の将来推計の結果では,1995年以降,「農村団塊の世代」の引退の影響を受けて,縁辺地域の土木業者に対する労働力供給量は急速に減少していくことが予想された. 8章では前章までの分析結果を踏まえながら,縁辺地域における公共土木投資の社会政策的意義とその変質を,縁辺地域の土木業をめぐる3つのアクター間の関係変化として議論した. アクターのうちの2つは世代によって区別される2つの労働力集団である. まず,第1の労働力集団は高度経済成長期以前に新規学卒期を迎えた世代であり,その中心は「農村団塊の世代」である.彼らは高度経済成長期において,賃金労働市場における競争力を持っていなかったため,その多くが縁辺地域に滞留している.彼らは農作業や集落行事への参加など従来のライフスタイルの維持を志向し,それが満たされるのであれば,低賃金労働を甘受する存在であった. 第2の労働力集団は高度経済成長期以降に新規学卒期を迎えた世代であり,教育機会の地域間格差が縮小していったこともあって,賃金労働市場において高い競争力を持っており,彼らを対象として社会政策を実施する必要性は弱い.彼らは基本的にフルタイムの賃金雇用に従事し,自動車通勤により広域的な就業機会の中から就業先を選択している. 第3のアクターは縁辺地域の地元土木資本である.上記したように,縁辺地域では地域経済の活性化を目的として,公共土木事業の各発注機関が地元業者を優先的に指名したため,地元土木資本の成長が促されることになった.土木業は労働集約的な産業であり,受注の季節変動や気候変化が避けられないため,地元土木資本は安価でフレキシブルな労働力編成が可能な労務労働力を志向した. 1960年代後半以降の公共土木投資の拡大が社会政策的な意義を持ち得たのは,第1の労働力集団と地元土木資本の間で相互依存関係が確立されたためである.地元土木資本は,第1の労働力集団から安価でフレキシブルな労働力編成が可能な大量の労務労働力を利用することができ,第1の労働力集団は従来のライフスタイルを維持しながら賃金就業機会を得ることができるようになった.このような相互依存関係を最も効率的に確立するための手段が,地縁的な関係に基づいた近隣集落からの労働力編成であり,その結果として縁辺地域では分散的な土木業者立地がもたらされた.それゆえに土木日雇雇用をその低賃金性のみをもって問題視するのは必ずしも適切ではなく,第1の労働力集団にとって適合的な形で就業機会が供給されている,という点で肯定的に評価されるべき側面を持っている.その一方で,分散的な土木業者の立地は零細元請業者群を形成することになり,これらの業者では家族経営が卓越したため,高い賃金を支払って第2の労働者集団から労働力を調達する必要性は弱かった. このような第1の労働力集団と地元土木資本との相互依存関係は,1990年代以降,第1の労働力集団が土木業から引退を進めていくにつれて崩壊していく.第1の労働力集団の引退によって失われた労働力の穴を埋めるために,地元土木資本は第2の労働力集団から労働力を編成しなければならなくなる.しかし縁辺地域では,第2の労働力集団から労働力を調達するために必要な,職場環境整備や給与水準の引き上げが可能な業者は少数に限られる. 第1の労働力集団の引退によって,社会政策として公共土木投資を行う必要性は薄れ,将来的に投資額も減少していくものと考えられる.しかし,その一方で縁辺地域を維持,管理していく上で,今後も土木業者を縁辺地域内に張り付けておく必要性は高い.それゆえに,縁辺地域では社会政策的な役割を担うのに適合的な土木業システムから,縁辺地域に現在ある社会基盤や自然環境の管理において効率的で機能的な土木業システムに移行することが求められており,縁辺地域の土木業を適切な方向に再編していくためには,早急に政策的対応をとっていくことが必要である. |