内容要旨 | | ミャンマーの首都ヤンゴン市における小売・サービス活動及び消費者行動の空間構造を,小売・サービス活動に関する地区別データの因子分析及び現地調査の結果並びに住民の消費者行動に関する質問紙調査の集計結果に基づいて解明した。得られた知見は以下のように要約される。 1.小売・サービス活動 ミャンマーにおける1988年以来の市場経済志向型経済改革に伴って,ヤンゴン市における小売・サービス活動には著しい構造的変化が見られた。しかし、都心地区を核とする小売・サービス活動の伝統的な空間的・階層的構造の変化には至っていない。 すなわち、フォーマルセクターに関しては,市内全域の小売・サービス活動の業種別・地区別データ(21業種群・19地区)に基づく因子分析による主要な4因子の抽出及びそれに基づく各地区の機能的分類に基づいて,都心地区には高次の小売・サービス活動が集中していて,最近の経済改革に伴う新たな進展の中で依然としてヤンゴン市の中枢地区としての役割を果たしていること,都心地区に連なる人口密集地区においては都心地区に準じて小売機能が卓越していること,そしてその他の地区には,建設関連の小売・サービス機能及び仏教関連の文化的・伝統的な小売・サービス機能においてそれぞれ一定の集積が見られ,独自の空間的分布パターンを形成していることが明らかにされた。 また,インフォーマルセクターに関しても,市内全域の伝統的マーケットの現地調査の結果に基づいて,これらがフォーマルセクターに比べて,より住民の日常的生活に密着した空間的パータンを示すとはいえ,フォーマルセクターと複合的・補完的に共存しているとともに,フォーマルセクターと同様に,都心地区への集積が顕著であることが明らかにされた。 このような小売・サービス活動の空間的・階層的構造は,ヤンゴン市の自然的基盤(地形の起伏及び河川),都市的土地利用,道路・バス路線を中心とする交通ネットワーク,人口密度,都市化・郊外化の時期・段階,住民の社会経済的属性,そして住民の通勤などの日常的移動の空間的パターンを反映しているとともに,東洋的文化に基づく伝統的な社会経済的・空間的構造と西洋的・近代的経済発展の影響との複合の結果として説明することができる。 2.住民の消費者行動 住民の消費者行動に関する質問紙調査は,広範囲の一般的なデータを得るために市内の全域から抽出された518世帯及びインテンシブなデータを得るために郊外(ニュータウン)の事例地区から抽出された200世帯に対してそれぞれ実施され,住民の買物行動の実態(目的・買物先・頻度・交通手段など)及びその背景となる市内の小売・サービス業の空間的分布に関する認知度(情報圏)・選好度に関するデータを収集・解析した。 住民の買物行動の空間的パターンは,近隣型と都心型との両極を軸として説明できる。 近隣型は、小規模・分散型の小売店舗・マーケットにおける生鮮食料品などの低次財の購入を典型的事例とするもので,一般的に頻度が高い(たとえば毎日)が1回の購入額が少ない,徒歩・自転車の利用が中心,などの特徴を持つ。 これに対して都心型は,都心地区及びそれに準ずるショッピングセンターの大型店・商店街における衣料品・家具・電気機器などの高次財の購入を典型的事例とするもので,近隣型とは対照的に頻度が低く1回の購入額が多い,路線バスの利用が中心,マルチプルショッピングとして相対的低次財の購入をも兼ねることがある,などの特徴を持つ。 このようなパターンは,消費者行動に関する既存研究及び諸外国の事例でもしばしば言及されていることであり,本研究でのヤンゴン市の事例においてもその基本的・一般的パターンが実証されたといえる。ただし,さらに,冷蔵庫・自家用車の保有状況においてその水準が先進国に比べて低いとともに世帯間に差異が見られること,仏教社会の慣習的行動とも関連して,マーケットなどへの近隣型買物行動において朝の時間帯がピークとなることなど,ヤンゴン市に固有の社会経済的・文化的状況による影響をも明らかにすることができた。 市内の小売・サービス業の空間的分布に関する住民の認知度・選好度においては,実際の空間的分布に対して,都心地区に対する認知度・選好度がきわめて高いこと,市内南端に位置するこの都心地区への方向を中心とする南部に偏ること,住民の居住地からの路線バスによるアクセスや,障害としての河川の位置などが強く影響していることなどが明らかになった。このような認知度・選好度における空間的パターンは,既存研究及び諸外国の事例で言及されてきた内容と多くの要因を共有するとともに,実際の買物行動の空間的パターンにも一般的に反映している。それらを実証的に提示できたことが,本研究の主要な成果の一つであるといえる。 |
審査要旨 | | 本論文は,ミャンマーの首都ヤンゴン市における小売商業及び消費者行動の空間構造を,地区別データ及び実態調査の結果に基づいて解明したものである. 本論文は7章から成る. 第1章では,地理学における小売商業研究の位置付けに関する基本的な見解を示した上で,研究対象地域であるヤンゴン市の小売商業に関して,国民経済レベルでの政治的・経済的変化と共に,西洋的・近代的要素と伝統的要素との二重性に留意して解明するという,本論文の視点を提示した. 第2章では,研究対象地域の歴史的,自然的,社会経済的諸条件を整理すると共に,社会経済的諸指標に基づく因子分析によって,研究対象地域の基本的な空間構造を明らかにした. 第3章及び第4章では,研究対象地域における小売商業の基本的構造を,国民経済レベルでの変化に伴う小売商業の構造的変容,地区間の階層的関係,市内全域の小売・サービス活動の業種別・地区別データの因子分析に基づく空間構造,フォーマルセクターとインフォーマルセクターの併存,流通システムの機能的構造,小売商業に影響する社会経済的要因及び自然的要因などの詳細な分析によって,(1)最近の経済改革に伴う新たな進展の中で都心地区が依然として中心的な役割を果たしていること,(2)都心地区に連なる人口密集地区においては都心地区に準じて小売機能が卓越していること,(3)その他の地区には,建設関連の小売・サービス機能及び仏教関連の文化的・伝統的な小売・サービス機能においてそれぞれ一定の集積が見られ,独自の空間的分布パターンを形成していること,(4)マーケットが住民の日常的生活に密着した空間的パータンを示し,一般的な小売商業施設と複合的・補完的に共存していると共に,都心地区への集積が顕著であること,を明らかにした. 第5章及び第6章では,ヤンゴン市全域及び特定の住宅地を対象とする詳細な聞取り調査及びアンケート調査によって,住民の買物行動の実態及び市内の小売・サービス業の空間的分布に関する認知度・選好度を分析した.その結果,買物行動の実態に関しては,(1)近隣型の買物行動では,生鮮食料品などの低次財の購入,高い頻度,徒歩・自転車の利用などを特徴とすること,(2)都心型の買物行動では,都心地区及びそれに準ずるショッピングセンターの大型店・商店街における衣料品・家具・電気機器などの高次財の購入,低い頻度,路線バスの利用,マルチプルショッピング,などを特徴とすること,(3)冷蔵庫・自家用車の普及率が先進国に比べて低く,更に世帯間に差異が見られること,(4)仏教社会の慣習的行動とも関連して,マーケットなどへの近隣型買物行動において朝の時間帯がピークとなること,などを明らかにした.また認知度・選好度に関しては,(1)実際の空間的分布に対して,都心地区に対する認知度・選好度がきわめて高いこと,(2)市内南端に位置するこの都心地区への方向を中心とする南部に偏ること,(3)住民の居住地からの路線バスによるアクセスや,障害としての河川の位置などが強く影響していること,などを明らかにした. そして第7章では,上記の分析で得られた知見を整理した. 以上のように本論文は,研究対象地域の小売商業に対する詳細かつ包括的な分析によって,一般理論及び先進国の事例と整合する共通の特徴を明らかにすると共に,一般理論及び先進国の事例と比較可能な枠組によって,西洋的・近代的経済発展の影響と伝統的な社会経済的・空間的構造との複合という,研究対象地域に固有の特徴を明らかにした点において,地理学における小売商業研究に対して新たな知見を提供し,多大な寄与をなしたと評価出来る.なお第2章〜第4章の一部は谷内達との共同研究であるが,論文提出者が主体となって資料の収集・分析等を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する. よって,博士(学術)の学位を授与出来ると認める. |