学位論文要旨



No 114917
著者(漢字) 伊藤,高臣
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,タカオミ
標題(和) シリコン結晶内をチャネリングする相対論的重イオンの干渉性共鳴励起
標題(洋) Resonant coherent excitation of relativistic heavy ions channeled in a Si crystal
報告番号 114917
報告番号 甲14917
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第259号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 教授 小牧,研一郎
 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 助教授 久我,隆弘
内容要旨

 結晶中をチャネリングするイオンは、結晶の周期ポテンシャルを振動電磁場として感じ、その振動数がイオンの励起エネルギーと一致するとき共鳴的に励起される。この現象を干渉性共鳴励起(RCE)、またはオコロコフ効果と呼ぶ。チャネリングイオンには主に標的電子との衝突による励起・イオン化、あるいはX線放出を伴った脱励起などの原子過程が存在する。RCE条件下では、電子がn=2の状態に存在する確率が増加するため、n=2からのイオン化過程が優位となる。また、n=2からの脱励起過程も増加するので、脱励起X線測定からもRCEを観測できる。RCEの研究ははこれまで、透過イオンの荷電分布、コンボイ電子、および脱励起X線の測定を通じて行われているが、相対論的なエネルギー領域での研究は行われていなかった。本研究の目的は390MeV/uという相対論的エネルギーの水素様Ar17+イオンを用い、1sからn=2の状態への干渉性共鳴励起を観測し、チャネリングという特異な条件下にあるイオンの原子過程を明らかにすることにある。

 相対論的エネルギー領域のイオンを用いることによる利点としては、

 1)荷電変換(電子損失および電子捕獲)の確率が少ないため、結晶内で起きたRCEの情報が透過イオンの荷電状態に鮮明に反映される。

 2)比較的厚い透過型のSi検出器(SSD)を結晶として用いることができるので、SSDでのイオンのエネルギー損失との同時測定により衝突径数に依存したRCEの情報が得られる。

 3)励起確率の高い1次の共鳴励起が実現できる。

 などが挙げられる。また、n=2の励起状態はスピン・軌道相互作用、および結晶場によるStark効果で4つの準位(低エネルギー側からLevel1-4)に分裂している(図3)。それぞれの準位は2s、2px、2pyおよび2pzの混合状態であり、それらの混合割合が異なっている。2s状態は一光子放出で脱励起せず、また2p状態からの脱励起X線は異方性をもつため、X線によるRCEプロファイルからはそれぞれの励起準位のより詳細な情報が得られると期待できる。

 本研究では(20)面チャネリング条件下においてRCEの観測行った。(20)面チャネリングの場合のRCE条件は

 

 で与えられる。ここで、Etransはイオンの励起エネルギー、aは格子定数、はイオンの速度、、cは光速度、hはプランク定数、,は[110]軸からの角度である。本実験では、RCE条件付近で角度を回転させながら、透過イオンの荷電状態、コンボイ電子、および脱励起X線の測定を行った。

 図1に2 1mのSi結晶を用いた場合の荷電状態による共鳴プロファイルを示す。非共鳴条件においてはイオン化されたAr18+の割合が60%程度であるのに対し、共鳴条件において80%程度まで増加しているのが分かる。共鳴ピークは大きく2つに分かれているが、これはn=2の準位がスピン-軌道相互作用によってj=1/2(Level1とLevel2)とj=3/2(Level3とLevel4)の2つの準位に分裂しているからである。また、左のピークに見られるダブルピーク構造は、結晶場によるStark効果でさらにLevel1とLevel2に分裂していることを反映している。

図1.結晶透過後のイオン化されたAr18+の割合。横軸は(20)面内での[110]軸からの結晶の回転角度

 また、94.7mのSSDを結晶として使用し、イオンのエネルギー損失と荷電状態との同時測定を行った。図2にRCE過程を経由してイオン化する確率の2次元の等高線図を示す。横軸が結晶の回転角度(励起エネルギー)、縦軸がイオン軌道の振幅(イオンのエネルギー損失)である。測定結果はイオンの振幅が大きい程、RCEの確率が高いことを示している。図3はAr17+のn=2の励起準位をイオンの位置の関数として表したものである。図2のRCEの確率分布は励起状態の分裂の様子をよく反映している。

図表図2.RCE過程を経由したイオン化確率。横軸は(20)面内での[110]軸からの結晶の回転角度、縦軸はイオンのエネルギー損失。 / 図3.チャネル中央からの距離の関数として表したAr17+イオンのn=2への励起エネルギー

 図4にSi(Li)検出器を用いてビーム方向に対して41°の方向から測定した脱励起X線による共鳴プロファイルを示す。図1と同様に共鳴が2つのピークとして観測されているが、左のピークが右のピークに比べて低くなっている。これは左のピークはLevel1とLevel2からの脱励起X線に対応しており、これらのレベルには一光子放出で脱励起しない2s成分が多く含まれているからと考えられる。また、水平面内と垂直面内に置いた2つのSi(Li)検出器でX線の異方性は観測されなかった。これは脱励起X線を放出するのは主に軌道の振幅の小さいイオンであり、チャネル中心付近ではLevel1と2のそれぞれの準位に含まれる2px、2py、2pz成分の割合がほぼ等しいため左のピークに対応するX線は等方的に放出したからと考えられる。また、Level3-4間は分裂が小さいため両準位からのX線の和が右のピークとして観測される。両準位を合わせて考えると、チャネル中心付近での2px、2py、2pz成分の割合はほぼ等しくなるので、右のピークにも異方性が観測されなかったと考えられる。

図4.Si(Li)検出器で測定した脱励起X線強度。●は水平面内、○は鉛直面内にそれぞれ置かれた検出器での測定結果。

 また、RCE条件下におけるチャネリングイオンに起こる原子過程のモンテカルロ・シミュレーションを行った。その結果は、実験の透過イオンの荷電分布および荷電分布脱励起X線の共鳴プロファイルをよく再現した。

審査要旨

 本論文は5章からなり,第1章は導入説明,第2章は理論の解説,第3章はチャネリング実験の装置の説明,測定結果,及び考察,第4章は干渉性共鳴励起の実験の装置の説明,測定結果,及び考察が述べられている。そして,第5章に結論がまとめられている。

 高速のイオンが結晶内を結晶軸や結晶面に沿って進む現象をチャネリングという。本研究で論文提出者は,放射線医学研究所の重イオン加速器(HIMAC)を用いて,相対論的エネルギーを持つ平行性のよいイオンビームを作り,Si単結晶中のチャネリングの観測を行った。また,チャネリング中に起こる干渉性共鳴励起について詳しく調べた。これらの実験において,Si単結晶として半導体検出器を用いることにより,エネルギー損失との相関測定を行い,さまざまな知見を得た。

 最初に,290MeV/uのC6+と390MeV/uのAr17+について,Si結晶中をチャネリングして出射したイオンとSi単結晶中でのエネルギー損失の同時測定を行った。C6+を入射した場合はそのままの荷電で出てくるが,Ar17+を入射した場合は,イオンをAr17+のままのものとAr18+となるものがあるので,それらを分離した。それらのイオンの強度とSi単結晶中でのエネルギー損失の相関を,いくつかのチャネリング条件の下で調べ,シミュレーションによる結果と比較して,エネルギー損失の機構を理解することができた。

 本研究の主要部分は,Ar17+イオンの390MeV/uという相対論的エネルギーでのチャネリングに伴う干渉性共鳴励起(resonant coherent excitation,RCE)の実験である。RCEはオコロコフ効果とも呼ばれ,結晶中をチャネリングするイオンが,結晶の周期ポテンシャルを振動電磁場として感じ,その振動数に対応する量子のエネルギーがイオンの励起エネルギーと一致するとき,共鳴的に励起される現象である。

 本研究では,Si(220)面チャネリング条件下でのRCEを観測した。この場合のRCE条件は,

 114917f03.gif

 である。ここで,hはプランク定数,aは格子定数,はイオンの速度,また114917f04.gif(cは光速度),は<10>軸からの角度である。

 RCEをこのような高エネルギーで観測するのはこの研究が初めてである。従来行われていた,より低エネルギーでの実験に比べて,次のような利点がある。

 1)励起確率の高い1次共鳴励起が実現できる。

 2)イオンの荷電変換の確率が低いために,結晶内で起きたRCEの情報が透過イオンの荷電状態に反映される。

 3)比較的厚い透過型Si検出器(SSD)を結晶として用いることにより,イオンのエネルギー損失との相関測定が可能になる。

 RCEの検出は,励起によって電子がn=2の状態に存在する確率が増加することに由来する効果,すなわち,(i)Ar18+へのイオン化の増加,(ii)コンボイ電子の増加,(iii)脱励起X線の増加,によって行った。

 まず,Ar18+イオンの割合をの関数として測定すると,2つに分かれたピークが観測された。これは,n=2の準位がスピン・軌道相互作用によってj=1/2とj=3/2の2つの準位に分裂しているからである。また,j=1/2のピークについては,シュタルク効果による分裂も観測された。

 イオンのエネルギー損失と荷電状態の同時測定の結果,イオンのチャネリング振動の振幅が大きいほど,RCEの確率が高いことを確認した。さらに,エネルギー損失の小さい,チャネル中央を通り抜けたイオンを選び出して,(1)式で与えられる角度分布から,遷移エネルギーの値を精密に測定することができた。その結果から,n=3の準位への遷移も同時に測定することができればラムシフトの精密測定ができる可能性があることをを示唆した。

 コンボイ電子については,RCE条件を満たす場合の強度が,満たさない場合の2倍であった。このような違いは,これまでの低いエネルギーのイオンに関する研究では観測されていなかった。また,j=1/2の準位に対するダブルピークの片方が弱かったが,これは,コンボイ電子の強度はn=2の準位の構成に依存するという理論の予言を裏づけるものである。

 また,2個のSi(Li)検出器を用いて,チャネリング面に平行と垂直でビーム方向に対してはともに41°の2方向から脱励起X線の強度をの関数として測定した。その結果,2つの準位への分裂は観測されたが,j=1/2のピークの強度がj=3/2のピークの強度より低かった。これは,前者に,一光子放出では脱励起しない2S成分が多く含まれているという理論計算と一致する結果である。

 以上のように,本研究は相対論的なエネルギーのイオンを用いた干渉性共鳴励起を初めて観測して,その利点を生かしたエネルギー損失との同時測定を行ってさまざまな解析を行った,意義のある研究である。

 なお,本文中の第3,4章の一部は東俊行氏らとの共同研究であるが,論文の提出者が主体となって分析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって本論は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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