学位論文要旨



No 114918
著者(漢字) 片岡,直人
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,ナオト
標題(和) 自己参照関数方程式:自然言語の理解へ向けて
標題(洋) Function Dynamics:toward the understanding of natural language
報告番号 114918
報告番号 甲14918
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第260号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐々,真一
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 助教授 国場,敦夫
 京都大学 教授 高橋,陽一郎
内容要旨

 自然言語に動機し、自然言語を考えるためのモデルを提案し、その解析を数学的にまたコンピュータ・シミュレーションを用いて行った。ここで採られる姿勢は、現存する自然言語の発する時系列を模倣する形式でも、形式言語的厳密さを自然言語に科すものでもなく、認知機構としての側面を強調した形でのアプローチである。一つのエージェントの内部状態と、他のエージェントが存在した場合の状況を摺合わせ、それらが矛盾なく共存しどちら側からの解釈も可能にする構造が追求の対象とされる。

 自然言語の本質的理解のためには、それが存在するような構造についての考察が必要であるとの視点から、一つのエージェントの内部に他のエージェントを構成しうるような形でのモデルが試みられている。その際導入されたのは、関数と変数の混同という形式であり、具体的には関数の合成を持つような形での関数方程式の解析を行う。このように混同された形式をもつ関数方程式を、その混同とは別の視点から見ることにより、別の形での関数と変数の分離を調べていくことが方針である。

 ここで扱う関数方程式においては、関数の発展に対し、その関数自身がルールを決め、そのルールによって自分が発展するという形式での把握が可能である。その際、全体として発展する関数を、部分関数の寄せ集めとして捉えることにより、関数内部での階層を構成することを行った。そのような分解によって見えるものは、繰り返しにより安定なものとなる構造と、それを基礎にして時間依存して変化するような部分である。その時間依存する部分の運動は、繰り返しに対し不変な部分からそのルールが決められ、そのルールに従って発展する。ここで関数全体として自分の発展規則を決定するという性質は、その時間依存する部分にも引き継がれており、時間依存する運動を行う部分関数は、今度は時間依存するルールをつくり出し、他の部分関数の運動のルールとして働くことになる。そこで動かされる部分関数は再びルールをつくり出し、その他の部分を動かすことが可能である。この過程は再帰的に継続することができる。この性質により、関数方程式を1次元写像の階層的組み合わせととらえ、メタ・ルールの集合体として捉える視点が得られる。

 そこで生成される安定な要素の様式と、運動の類別が行われ、ルールとして可能なクラス、その階層化の様式などが初期条件の直接的構成から得られた。

 その類別により、ルールの階層のダイナミクスという視点が得られ、階層が変動するような運動が実現されることになる。この変動はルールを決めるということからの支配関係が時間逆転することも含む。そのため、ルールとして規定されるものと、ルールによって動かされるものが反転し、今まではルールに従っていたものが、それまでのルール部分の運動を決定するようになるといった運動が見出されることになる。

 数学的解析においては初期関数の直接構成という手段がとられていたため、そこで扱われていたのは関数の中でも扱いやすい、特殊な例であったにすぎない。関数が連続である場合には、非線形写像の性質が強く現れ、そこまでは扱ってこなかったような、入り組んだ構造を持った関数が対象となることになる。特に重要なのは折り畳みの性質であり、このことはカントール・セット上の力学系に近い状況を引き起こし、安定な要素の類別、周期構造の生成、支配関係の変動などに顕著な影響を与えることになる。

 シミュレーションではそれらの特徴をつかむと思われるものとして、初期関数の3つのクラスを調べ、それぞれにおいて、要素の弁別、周期構造の生成、支配関係の変動が調べられた。そこで見られているものは、複数の要素が基本的な構造に支えられながら、支配関係を激しく移りかわらせるという状況であり、ネットワークの動的構造という視点を提供する。

 また関数方程式の中に、他の関数方程式のダイナミクスを埋め込むことも行われ、ある関数方程式のクラスとしての特殊例が、その関数方程式のクラスに属するものをシミュレートできるような状況を示した。そこでは、関数方程式のクラスとして、そのようなシミュレートの様式の違いが検討され、自然にシミュレートが可能であるような状況、特殊な構成により自己のシミュレートが可能な状況、その中ではシミュレートが可能ではなく、関数方程式の発展の中でそれが可能な状況等の例が示された。このことは自己参照の階層と関数方程式の形式をつなぐものであると考えられる。

 これら、あるエージェントが自己を参照して発展することにより、それに固有な構造をつくりだし、その中に安定な部分と、ルール、そのルール、といった階層をつくり出すことと、他の関数の挙動を自己の中につくることができ、他の関数とのコミュニケートという状態を、自己の中で行いうることを連結させることが行われた。この種の構造を自然言語を捉えるための基本方針とし、そこから見出せる文法構造というものが目指されたものである。

 文法構造は、力学系の軌道としてのもの、区間の支配関係の時間変化としての時系列、その階層における安定な要素の参照の時系列等多数存在し、それらは互いが互いを限定しあう形で成り立っていることがわかっている。

 これらの知見を元に、自然言語に特徴的と思われる構造の動的側面を探り、自然言語を考える際に必要とされる思考を追うことが行われた。

審査要旨

 提出された片岡直人氏の博士論文は、自然言語に何らかの構造を見出そうとする知覚フィルターの閉じた時間発展を抽象化した自己参照関数方程式を提案し、その動力学性質を明らかにするものである。

 本論文は3部15章から成っている。第1部では、自然言語を数理的に研究する方法が考察される。自然言語を閉じた形式的体系としてとらえることの限界と自然言語の言語たる部分を言語の外側に求めていく方法の数学的記述の困難さが説明され、自然言語研究の新しい方向として、既にある自然言語に文法を見出していく過程そのものを閉じた形で記述することが提案される。

 第2部では、その提案の抽象化から議論がはじめられる。区間から区間への関数を何らかの構造を抽出しようとするフィルターだと考えることにより、区間上の関数が自然言語に対する知覚フィルターに対応づけられる。そして、このフィルターの時間発展もそのフィルターだけで決まるという閉じた記述の視点によって、フィルターの動力学が自己参照関数方程式として表される。本論文では、その中でもっとも簡単な発展方程式として、関数の時間発展をその関数の線形に依存する1次元写像で与えるモデルが考察される。

 次に、関数が時間変化しない状態で決まった構造がとりだせたとする解釈のもとで、固定関数に特別の意味が与えられる。それを踏まえ、関数の時間発展の自己参照性を積極的に用いて、ある領域で定義された固定関数によって、区間を再帰的にタイプによって分解し、その上での関数の時間発展が再帰的に構成される。その結果、固定関数が決める関数の時間発展は通常の1次元写像となり、周期解やカオス解をもつ例が構成される。より興味深いのは、高次のタイプ区間で定義される関数の時間発展である。時間発展が下位のレベルから再帰的に構成される結果として、その振舞いはカオスよりも強い軌道不安定性で特徴づけられる。本論文では、高次のタイプ区間で定義された関数の時間発展の写像がメタマップ、強い不安定性をもつ軌道の振る舞いがメタカオスと呼ばれる。

 タイプという見方で自己参照関数方程式の振舞を議論することの有効性は、数値計算によっても示されている。その一方、タイプによる分解の時間依存性やタイプが未定義になるような場合もありえるので、固定した階層化だけでなく、階層のいれかわりや循環を含めたより動的な理解が必要とされることが明らかにされる。また、固定関数への吸引と折り畳みが拮抗する場合には、タイプという考え方では理解できない現象が生じ、そのような場合を理解していく手がかりとして、数値上の終関数の相の分類が行なわれている。

 第3部では、複数のフィルターが互いに参照しあう状況をモデルした複数の関数の閉じた時間発展方程式が考察される。そこでは、他の関数を参照する関数方程式の動力学を自己参照関数方程式で再現できることが示され、自己シミュレーションの構造とよばれる。

 本論文は、研究の出発点からして独創的であり、既存の確立した研究との関連は希薄である。しかしながら、そのことは本論文の価値を下げるものではない。むしろ、本論文で見出されたメタマップやメタカオス、タイプという階層的な考え方とその入れ替わりや循環、自己シミュレーションの構造は、非線形動力学の新しい概念として位置付けられる。一方、自然言語の理解にむけて、という点での現段階での到達点を評価することは難しい。知覚フィルターの時間発展の研究を通して得られた本論文の成果を、自然言語の問題としてどう考えるべきかは、将来の発展を待たねばならないだろう。

 以上、当博士論文の研究は、自己参照関数方程式という新しい動力学のクラスの研究の出発点となるものである。本論文で見出された多くの刺激的な内容を基盤として、研究がさらに進展することにより、自然言語の理解のみならず、より広い文脈での認知機構の理解につながっていく可能性がある。さらには、力学系、計算論、形式言語、数学基礎論などの研究との関わりが深まってくれば、数学としての新しい可能性も期待できる。

 本研究は、言語学や哲学の教養を踏まえ、力学系の理解を基盤としつつ、独創的な視点でなされたものである。ここで挙げられた結果のいくつか(4、5、7、12章)は、3篇の論文として専門誌に投稿され、うち1篇は掲載が決定している。また、残りの章の内容についても、投稿準備中である。このように、論文提出者の研究は、動的な認知機構の理解に関して独創的かつ重要な寄与をなしていると考えられる。

 以上の点から本論文は博士(学術)の学位を与えるのにふさわしい内容であると審査委員会は全員一致で判定した。

UTokyo Repositoryリンク