学位論文要旨



No 114919
著者(漢字) 堺,和光
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,カズミツ
標題(和) 1次元可解模型に対する量子転送行列法の適用
標題(洋) Quantum Transfer Matrix Approach to One-Dimensional Solvable Models
報告番号 114919
報告番号 甲14919
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第261号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 国場,敦夫
 東京大学 教授 氷上,忍
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 教授 高橋,實
内容要旨

 低次元量子系の物理現象に対する興味の高まりから、近年1次元量子系の研究がめざましく進展している。こうした系においては量子ゆらぎが本質的であり、高次元の模型で威力を発揮してきた摂動論的手法や平均場近似が機能しなくなる。即ち、1次元量子系の物理現象の定量的理解には、量子ゆらぎの効果を正確に取り入れた、非摂動論的議論が重要となる。幸い、1次元量子系の中には、Heisenberg模型やHubbard模型といった、厳密に解ける模型(可積分系)の存在が知られており、こうした模型の解析は、臨界現象において広く期待されるuniversalityの概念通して、現実のより複雑な、解けない系に対しても重要な知見を与える。

 従来、可積分な1次元量子系の熱力学的研究には、ストリング仮説を用いた熱力学的Bethe仮説(Thermodynamic Bethe Ansatz,TBA)法が用いられてきた。この手法は、すべての固有状態の足し合わせの困難を克服する画期的なものであり、実際にさまざまな模型に対して広く適用され、自由エネルギーや比熱といった物理量の厳密計算に対して著しい成功を収めてきた。しかしながら、この枠組みにおいては、有限温度における相関関数などの物理量を計算することは難しい。さらに、より根本的な問題、即ち、完全性の問題(Bethe仮説により作られるBethe状態は、ハミルトニアンのすべての固有状態を尽くしているか?)が残されている。また、近年ストリング仮説自体に対する反例も報告されており、こうした観点からすれば、以上の成功にはあいまいさが残されている。

 近年、量子転送行列(Quantum Transfer Matrix,QTM)法と呼ばれるTBA法とは全く趣を異にする手法が提案され、伝統的なTBA法と並んで、1次元量子系の熱力学的研究において標準的な手法となりつつある。QTM法は大まかに以下のように述べることができる。まず、格子数Lの1次元量子スピン系をTrotter公式を用いて、N×L(N:Trotter数)の2次元古典系に変換し、サイズN(計算の最後でTrotter極限と呼ばれるN→∞の極限を取る)の仮想的な系に作用するQTMと呼ばれるある種の転送行列を定義する。この場合、模型がギャップレスであっても、QTMの固有値にはギャップが存在する。この著しい性質は、分配関数の計算をQTMのただ一つの最大固有値の計算に帰着させる。実際にこの最大固有値を計算するにあたり、模型の可積分性を利用して、異なる複素パラメーターに関して可換となるQTMを定義し、QTMそれ自身を含む補助関数の組を導入する。これら補助関数の組は一般的に関数方程式を満たすが、この組として、複素平面上のある領域において、「解析的、ゼロ点を持たない、無限達点において定数に漸近する」性質を持つものを選ぶことによって、関数方程式を非線形積分方程式に変換することができるようになる。この積分方程式のもとではTrotter極限は解析的に取ることができ、すべての温度領域における分配関数が非線形積分方程式で記述される。即ち、この方法により、すべての固有状態の足し合わせの問題が、適切に選ばれた補助関数の解析性の研究に帰着される。さらにこの方法の特長として、TBA法では求めることが困難な相関長が、QTMの最大固有値と他の固有値との比を取ることによって系統的に導出できることが挙げられる。

 この学位論文は、上で述べたQTM法を、いくつかの基本的な模型-スピン1/2ギャップレスXXZ模型、スピンレスフェルミオン模型、及びリー超代数osp(1|2)に付随するスピン模型-に適用し、それらの模型の熱力学的研究を行ったものである。

 第2章では、QTM法を用いてスピン1/2ギャップレスXXZ模型を解析した。この模型はqが1の冪根で表される量子群Uq((2))に付随する。模型のQTMの最大固有値(自由エネルギーを表す)を求めるにあたり、QTMをfusionすることによって得られるfusion hierarchyの中から、解析的に性質のよい補助関数の組(QTM自身も含まれる)を選び出し、これらの関数の組がなす関数方程式を導出した。補助関数の解析性の議論を行うことにより、得られた関数方程式から、模型の自由エネルギーを特徴づける有限の閉じた連立非線形積分方程式を導出した。この連立非線形積分方程式は、従来のストリング仮説に基づくTBA法によるTBA方程式と厳密に一致することが示された。さらに、QTMの最大固有値と絶対値の大きさが第二、第三固有値との比を取ることによって、それぞれ、縦及び横のスピン-スピン相関の相関長を与える連立非線形積分方程式(励起状態TBA方程式)を導出した。これら非線形積分方程式の数値的解析から、任意の温度の相関長を明確に決定し、特に低温極限では共形場理論からの予想と一致していることを示した。

 このXXZ模型は、いわゆるJordan-Wigner変換を通して、ギャップレスのスピンレスフェルミオン模型と結びついている。もちろん、得られるスピンレスフェルミオン模型の自由エネルギーや比熱といったバルクの物理量は、対応する元のXXZ模型と一致する。これに対して、フェルミオンとスピンの統計性の違いから、1粒子Green関数は対応するXXZ模型のスピン-スピン相関とは異なるものとなると予想される。絶対零度においては、共形場理論に従い、フェルミオンとスピンの量子数の選択則を適切に考慮することにより議論することができるが、有限温度においては、このように系統的に統計性を取り入れる手法はない。したがって、有限温度における1粒子Green関数の振る舞いを計算するには、Jordan-Wigner変換することなしに、直接的にフェルミオン系を扱う必要性が生じる。こうした観点から、第3章では、フェルミオン系に対するQTM法を確立する。最も簡単な模型として、スピンレスフェルミオン模型を扱った。フェルミオン的R-演算子と呼ばれる、フェルミオンのFock空間に直接作用する演算子および、その超転置演算子を導入することによりQTMを構成した。こうして作り出されたQTMは本来のフェルミオンの統計性がその代数構造に組み込まれることが明らかになる。この手法により、自由エネルギー及び1粒子Green関数の相関長を表す非線形積分方程式を導出した。実際、この方程式の数値解析から任意のフィリングにおける有限温度相関長を決定し、特に低温極限では共形場理論からの予想を再現していることを示した。また、QTMの第二固有値の位相因子を調べることにより、有限温度の1粒子Green関数の主要項が温度依存する振動現象を示すことが明確になった。これは絶対零度ではフェルミオン系特有の現象(kF振動と呼ばれる)として知られていたが、有限温度の場合においても同様の性質を持つかは明らかにされておらず、この手法によってその発現機構が定量的に議論される。

 第4章で、第3章で取り扱った模型に対して、QTM法とストリング仮説によるTBA法との関連を見い出した。QTMの補助関数の取り方は、物理的に実用的な取り方のほかに、模型に内在する数学的構造と関連付けた取り方ができることを明らかにし、第3章とは異なる補助関数として、QTMのfusion hierarchyを用いることにより、励起状態TBA方程式を導出した。フェルミオンの統計性が代数的に埋め込まれているこれらのfusion hierarchy、及び、それがなす関数方程式は、明らかに第2章で得られたものと異なる。結果として、この代数構造の違いが、fusion hierarchyの解析性に顕著な違いをもたらし、得られた励起状態TBA方程式は第2章のそれと、著しく異なることが明らかにされる。また、この励起状態TBA方程式の解は数値解析により、第3章で得られた非線形積分方程式の解と同一となることが示された。

 第5章では、超リー代数osp(1|2)に付随する、可積分なスピン模型に関する有限温度理論を確立した。この模型は数学的に定式化された模型であるが、osp(1|2)自身は高分子など広がりを持った物質の統計力学的研究で用いられ、また、N=2の超共形対称性との関連も見出されるなど物理的な模型と深い関わりを持つことが知られる。この超リー代数の対称性を持つスピン模型に関して、ストリング仮説を用いたTBA法により模型の自由エネルギーを記述するTBA方程式を導出した。さらに、osp(1|2)模型のfusion hierarchyを用いることによってQTMのなす関数方程式を導き、それらの解析性の議論により上記のTBA方程式が再導出されることを示した。さらに、模型の有限温度相関長を記述する励起状態TBA方程式を導出した。

審査要旨

 本論文は6章からなり、量子転送行列法による一次元量子可解模型の有限温度状態の研究が主題である。第1章は導入説明、第2章はギャップレスXXZ模型の解析、第3章と第4章ではスピンレスフェルミオン模型について量子転送行列法を二通りの仕方で適用している。第5章では超リー代数osp(1|2)に付随する可解スピン模型の解析を行っている。第6章は論文の全容の要約にあてられている。

 低次元量子系では様々な興味ある物理現象が知られているが、その理解には量子揺らぎの効果が本質的であり、非摂動論的扱いが重要である。このような問題に対するアプローチの一つは厳密解によるもので、幸いなことに1次元系においてはXXZ模型やハバード模型など、量子スピン、フェルミオン系の基本的な模型についてベーテ仮説法による厳密解が知られている。本論文の主題はこれら可解模型の有限温度状態を量子転送行列法により厳密に扱うことである。

 まず第1章に、動機として量子転送行列法とその背景が述べられている。従来可解模型の有限温度状態は熱的ベーテ仮説法とストリング仮説に基づく研究が主流であった。しかしながらストリング仮説自体は数値的にも立証が極めて困難で、素朴な解釈をすると、むしろ積極的に成立していない状況も知られている。いわゆる完全性の問題とストリングからのずれの問題である。このような問題は一般にはあまり意識されて来なかったが、専門家の間では、最終結果の真偽に関わる本質的な問題として認識されていた。

 これに対し量子転送行列は、元々の問題の転送行列に加えて補助関数を導入し、それら全体が満たす関数方程式と解析性の議論に帰着させるという、可解模型のアイデアを巧妙に用いるものである。その正しさは、補助関数の解析性を数値的に調べることにより疑う余地なく検証できる。これにより従来知られていた熱的ベーテ方程式はストリング仮説に依らずにより系統的に導かれ、厳密に確立される。また、既知の結果を再導出するだけでなく、補助関数の選択に自由度が派生するために磁場や化学ポテンシャルのある場合など、個々の問題に適合した熱的方程式をたてることが出来る。最も威力を発揮するのは有限温度での相関長の計算までを可能にする点で、これは熱的ベーテ仮説では事実上不可能なことであった。以下の章では幾つかの具体的な可解模型について量子転送行列法を実際に適用し、上記の有用性を実証している。

 第2章ではXXZ模型で非等方性を表すパラメータが-1<<1のギャップレスの領域を扱っている。これについては70年代はじめにTakahashi-Suzukiにより熱的ベーテ仮説をもちいて自由エネルギーなどが得られていた。論文提出者は量子転送行列T1を用いて問題を再定式化した後、T1を含む高次の量子転送行列Tn-1を導入した。そしてnがいわゆるTakahashi数に一致する{Tn-1}達のみで閉じる関数方程式を発見し、それらの解析性の議論からTakahashi-Suzukiの熱的ベーテ方程式を全く別のルートにより再導出した。さらに有限温度相関長を決定する積分方程式も得て、相関長を広い温度領域で決定した。特に低温で共形場理論と高精度で一致することを確認している。

 第3章ではスピンレスフェルミオンを扱った。これはジョルダンウイグナー変換により第2章で扱ったXXZ模型に等価である。但し境界条件の対応は非自明なので、この等価性からはバルクの物理量が一致することは従うがフェルミオンの粒子数変化を伴う物理量については両系で一般に異なる。この章の焦点はこの点にある。まずフェルミオンの統計性を組み込むべく、ジョルダンウイグナー変換を介さずに、フェルミオンフォック空間に直接作用する量子転送行列を構成した。次に自由エネルギー及び一粒子グリーン関数の相関長を表す非線型積分方程式を導出した。この方程式の数値解析から任意のフィリングにおける有限温度相関長を決定し、低温極限で共形場理論と整合することを確認した。また量子転送行列の第二固有値の位相因子を詳しく調べることにより、一粒子グリーン関数の主要項が温度依存する振動現象を起こすことを見出した。これは絶対零度の場合にはフェルミオン系に特有のF振動と呼ばれる現象に相当しており、その有限温度での定量的取り扱いは初めてのことである。

 第4章では第3章で取り扱ったスピンレスフェルミオン模型に対して、量子転送行列法とストリング仮説による熱的ベーテ仮説法との関連を見出した。一般に量子転送行列法での補助関数の取り方は、一意的でない。このことに着眼して第3章とは異なる補助関数としてフージョン階層を用いることにより、自由エネルギーや相関長について新たな非線型積分方程式を導いた。これはフージョン階層に含まれる高次量子転送行列の固有値の零点を数値的に丹念に追跡することによって得られる。結果的に従う方程式の構造は3章のものと著しく異なるが、その数値解析からは物理量に対して同じ結果を与えることを確認した。

 第5章では超リー代数osp(1|2)に付随する可解なスピン模型について、ストリング仮説と量子転送行列法の双方に基づき有限温度理論を展開した。osp(1|2)模型のフージョン階層を用いて自由エネルギーを記述する積分方程式を導き、ストリング仮説からの結果との一致を確認した。更に有限温度相関長に対応する方程式を導いている。

 上記のように本論文提出者は量子転送行列法を用いて可解模型の有限温度状態について様々なオリジナルな結果を得ている。また、その成果は一般の1次元量子系にも新たな知見を与えるものと考えられ、学位論文として十分な内容のものである。

結び

 なお、本論文第2章は、国場敦夫氏、鈴木淳史氏との共著論文に、第3章は城石正弘氏、鈴木淳史氏、梅野有希子氏との共著論文に、第5章は坪井禅吾氏との共著論文に基づくものであるが、論文提出者が主体となって分析を行ったものである。また第4章は論文提出者単独の研究成果によるものであり、その寄与は十分であると判断する。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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