内容要旨 | | 単磁区磁性体や極微小磁性体は応用工学の分野で重要である一方、メゾスコピック系特有な現象が現れることから、基礎科学の研究対象ともなっている。このような物質系の合成法としては、蒸発法などの物理的合成法が主流であるが、純粋な錯体化学合成によるクラスター作成も急速な進歩を遂げている。このような化学的手法で合成されたクラスターの中で、現在最もその磁気特性が注目を集めているのが12個のMnイオンから成る混合原子価クラスター、[Mn4+4Mn3+8O12(O2CR)16(H2O)4]・nA(R=CH3-,C2H5-,C6H5-,…;A=溶媒分子)である。分子内イオンのスピンが20K以下で秩序化して、極低温ではあたかもS=9〜10の1つの磁気モーメントのように振舞う。この磁気モーメントの挙動は、分子内の強い1軸異方性を反映した次のようなハミルトニアンH=DSz2-gBSzHz(1)で記述されるため、磁化容易軸に対して平行と反平行の状態間にエネルギー障壁が存在するような、2極小ポテンシャルモデルで説明される1)(図1)。ここには=0exp(E/BT)(2)に従う熱活性型の緩和、および量子トンネルによる緩和など、ナノスケール磁性体特有の現象が観測され、図1のモデルを用いてかなり詳細な定量的議論がなされてきた。Mn12を交流磁場中に置き、温度を10K以下に下げると、そのポテンシャル障壁のためS=9〜10の磁化の運動は外部磁場に追従できなくなる。これ故、交流磁化率の虚数部"が次第に現れる。さらに温度を下げ、いわゆるブロッキング温度TBを通過すると、磁化の運動は完全に凍結され、"は実数部’とともにゼロとなる。したがって磁化凍結過程では"は極大を見せることになるが、これまで報告されているほとんどのMn12誘導体で、"の温度依存性に2Kおよび5K付近に2つの極大が観測されている。これは単一組成のクラスター結晶中に2種類の緩和過程が存在していることを示している。式(1)による解析から、5Kの極大はESR/B〜60Kに従う遅い緩和過程(SR)、2Kの極大はEPR/B〜30Kに従う速い緩和過程(FR)に分類される2)。磁気モーメントの反転が凍結するブロッキング温度も、SRではTBSR〜3K、FRではTBFR〜1Kと異なっている。当初から最も盛んに研究されてきた酢酸配位の誘導体、[Mn12O12(O2CCH3)16(H2O)4]・2CH3CO2H・4H2O3)ではSRがメインとなり、数%存在するFRは不純物に由来するとみなされていた。本研究では、Mn12を含む2種類の超分子磁性体の研究により、FRがMn12に本質的であることを示すことができた。2種の緩和過程の由来を、分子論的に追求した。 図1 S=10のMn12のポテンシャル有機ラジカルによるMn12クラスターの緩和促進 Mn12に関しては、1電子還元状態も安定であることが知られている。1電子還元型クラスター[Mn12O12(O2CC6H5)16(H2O)4]-の対陽イオンを、安定有機ラジカルイオンm-MPYNN+、及び非磁性イオンP(C6H5)4+とした2種類の錯塩を作成し、多結晶試料の磁性測定を行った4)。1分子のみに由来するとされるクラスターの緩和機構が、周りの磁気的環境の変化によりどのような影響を受けるかを調べることは、ナノスケール磁性体の理解に非常に重要であるばかりか、将来的にクラスターを用いて新しい物性を示す超分子を構築するためのヒントを与える。m-MPYNN+塩のEPR測定は、有機ラジカルがもつ強いスピン格子相互作用がクロス緩和を介して[Mn12]-の緩和を促進すことを示唆していた。しかしこの両者の極低温における挙動を決定づけたのは、このクロス緩和の有無ではなくm-MPYNN+塩ではFRが、P(C6H5)4+塩ではSRが支配的になるという事実で、1.7Kで測定した磁化曲線には、P(C6H5)4+塩の場合大きなヒステリシスが現れるのに対して、m-MPYNN+塩ではヒステリシスは生じなかった(図2)。これまでSRは不純物の影響ともされてきたが、m-MPYNN+塩で支配的である以上、Mn12に本質的なものであるということが示された。 図2 "vs.T プロットSRとFRの分子論的起源 先の研究で、結晶溶媒に安息香酸を有する中性型クラスター[Mn12O12(O2CC6H5)16(H2O)4]・2C6H5CO2Hを偶然ではあるが得ることができた5。この誘導体が、SRとFRの由来を考える上で非常に有用であることがわかった。図3はこの誘導体の結晶構造のc軸投影図である。b軸(またはa軸)に対して2方向に配向した分子が存在する。実線の矢印は分子軸でそれぞれb軸に対して±9°傾いている。 図3 結晶構造のc軸投影。図中、実線の矢印は分子軸。破線の矢印はFR分子の容易軸 図4、5はあるパッチの結晶1個を用いて測定した、交流磁化率の温度依存性と1.7Kでの磁化曲線である。"には2つのピーク現れているが、その強度が同じオーダーになるという新奇性がある。交流磁化率のデータから式(1)を用いてSRおよびFRの緩和時間を見積もった結果は、SRについてはESR/B=66K、TBSR=2.7K、FRについてはESR/B=38K、TBFR=1.3Kとなった。一方、1.7Kの磁化曲線は、2段階に飽和する、非常に特徴的な形状をしている。そこで結晶内にSRとFRの2種類の緩和時間をもつ分子が共存していると仮定して、図5の磁化曲線を解釈した。測定温度1.7KではSRの分子は磁化の反転が凍結しているため、これに由来する磁化曲線MLSRはヒステリシスをもつ(図5中の点線)が、FRの分子は磁化が揺らいでいるために磁化曲線MLFRはヒステリシスをもたないと考えられる。さらに磁場に比例する垂直磁化MT(図5中実線(細))寄与を考慮した結果、実験データをよく再現することができた(図5中実線(太))。MLSR、MLFRそれぞれの飽和磁化の比MSSR:MSFR、および交流磁化率の実部’の’T vs.Tプロットにおける’Tの変化の大きさの比:’TFRは、ともに結晶内におけるSRとFRの分子の存在比に比例すると考えられる値であるが、両者はほぼ一致した。これはSRとFRの分子が単一の結晶内に共存している確たる証拠といえる。 図4(a)’T vs.T,(b)"vs.T図6 磁化曲線(1.7K)図7 磁化曲線の角度依存性(1.7K) 同じバッチの結晶を用いて、1.7Kにおいてab面内で回転させながらゆっくりとした磁場掃印速度で磁化曲線を測定した。この磁化曲線上には量子トンネル効果によりステップが観測された。このトンネル現象は1.7Kでヒステリシスの生じるSR分子のみに由来している。式(1)のハミルトニアンによれば、クラスターのエネルギーはE(m)=Dm2-gBmH2と表される。ゼロ磁場下では対称な2極小ポテンシャルが、磁場をかけていくに従い、ゼーマン項-gBmH2の影響で非対称になる。そしてある特定の磁場で両側の±mの準位が一致して、一致した準位間での量子トンネルにより磁化の急速な反転が起こる。これが磁化曲線上のステップの原因である。この共鳴磁場の角度依存性から、磁化容易軸はb軸から±50°傾いており、図3の分子軸に一致することがわかった。よってSR分子の容易軸は分子軸に平行であるといえる。 次に10Kにおいて、磁化のab面内で角度依存性測定を行った。この場合は結晶内で多数を占めるFR分子の磁気特性を見ることになる。詳しい理論解析の結果、FR分子の場合、その磁化容易軸が分子軸から約10°傾いている(図3中破線矢印)ことがわかった。熱的な緩和と量子的な緩和に支配されている磁化曲線の角度依存性を丹念に調べることにより、SR分子とFR分子の磁気異方性の違いを明かにすることに成功した。 さて、X線構造解析の結果にもどると、このデータもやはり結晶内で支配的なFR分子を反映しているといえる。多くのMn12誘導体では、各Mn3+でヤーンテラー変形により伸びた軸は分子軸に近い方向にあり(図3(a))、寄与を足し合わせると分子軸に対して完全に平行な方向で極大となる。ところがこの結晶では8つのMn3+のうち1サイトだけ分子軸から60°以上傾いた2つの軸が伸びて、分子軸に近い軸が短くなっていることが分かった(図3(b))。8つのMn3+の異方性di(i=1.2,…,8)から分子全体の容易軸Dを計算で見積もっところ、Dは分子軸から約10°傾いた方向に存在すると予想され、磁化の角度依存性の実験と一致する結果となった。 [Mn12O12(O2CC6H5)16(H2O)4]・2C6H5CO2Hの結晶は、容易軸が分子軸に平行なSR分子と、容易軸が分子軸から約10°傾いたFR分子とが共存するモザイク様の結晶になっている可能性が高い。これにより単一の結晶にも関わらず2種類の緩和過程が観測されるわけである。ここで興味深いのは、8つのMn3+のうち1つのサイトの歪み方が微妙に異なるだけで、緩和時間が大きく異なってしまうという事実である。単分子磁石としての性質を得るためには、各サイトの異方性をそろえることが重要であることがわかる。またFR分子のトンネル効果に関しては、現在盛んに研究されているSR分子のものよりも数段複雑な様相が予想され、今後の展開が期待できる。 引用文献1 R.Sessoli,D.Gatteschi,A.Caneschi,and M.A.Novak,nature 365,141(1993).2 H.J.Eppley,H.-L.Tsai,N.de Vries,Kirsten,G.Christou,and D.N.Hnedrickson,J.Am.Chem.Soc.117,301(1995).3 T.Lis,Acta Cryst.B 36,2042(1980).4 K.Takeda and K.Awaga,Phys.Rev.B 56,14560(1997).5 K.Takeda,K.Awaga and T.Inabe,Phys.Rev.B 57,11062(1998). |