学位論文要旨



No 114924
著者(漢字) 林,知宏
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,トモヒロ
標題(和) ライプニッツ数学思想の形成
標題(洋)
報告番号 114924
報告番号 甲14924
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第266号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,力
 東京大学 教授 村田,純一
 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 講師 岡本,拓司
 東京大学 教授 岡本,和夫
内容要旨

 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)は30年戦争(1618-48)末期に誕生した.前世紀からヨーロッパ内に続いた宗教的対立に根差した戦争状態が一応の終わりを迎え,相対的安定の訪れた時代に,彼は学問的活動を営んだのである.戦乱による国土の荒廃という現実を目の当たりにし,彼の胸に去来したものは,「対立から統一へ」をモットーとした思想形成に関する決意であったに違いない.なぜなら,10代後半から開始された彼の学問的貢献を見るならば,生涯を通じて一貫して統合の基礎となる「普遍性」への志向,追求がなされているからである.より現実的にはカトリック,プロテスタント両派の統一に結びつく,ヨーロッパ内での政治的安定を思想的に支える「普遍学」という名の統合的学問建設が彼の基本構想であったと考えられる.付随する百科全書の作成やアカデミーの建設といった夢の追求をすべく彼は生涯を賭けてヨーロッパを駆け巡った.そして「全てを見て,至る所で書いた」のだった.1

 ライプニッツがその研究活動初期の時期(1661-72)に取り組んだ分野の内,法学と自然学(運動学)は我々にとって重要である.この両者の研究を通じて,彼はより広い枠組の包括的学問構想と思想上の基本原理とを明確化させていった.中世以前からの既存の知識の蓄積と同時代人達の問題意識とを取り入れつつ,ライプニッツは彼自身の独自性を持とうとしていた.特に記号法に対する深い傾倒が注目される.彼が普遍性を志向する上での不可欠の道具であり,以降多くの局面で,その使用に関する工夫と新たなる創造が我々によって確認されるであろう(第1章).しかしながらこの段階では,ライプニッツの思想において極めて重要かつ本質的な側面が未だ十分には開拓されていなかった.それは数学である.前世紀に一通り,古典的(ギリシャ時代の)文献の原典からの信頼できる翻訳テキスト編纂が終わり,それらの受容に基づいて新しい成果が創造されつつあった.ライプニッツは無論,そうした動向に無縁ではなかったのだが,ただ彼が本格的な数学上の貢献を生み出すにはもう少しの時間としかるべき機会が必要であったのである.

 1Yvon Belaval,Leibniz Initiation a sa philosophie(7me ed.)(Paris:J.Vrin,1993),p.8.

 マインツ選帝侯の外交使節団員として,ルイ14世に謁見すべく,パリを訪れた(1672年3月)ことはライプニッツの生涯において決定的であった.ここで,彼はパリの王立科学アカデミーに属する多くの学者との交流を体験した.中でもホイヘンスによって数学の本格的研究に対する蒙を啓かれたことが,彼の思想の幅を大きく広げる契機となったのである.また丸4年にわたるパリ滞在の間ロンドンにも渡り,王立協会の秘書であったオルデンバーグを通じてイギリスの数学研究の実状にも触れたのだった.既に数学者として十二分に成果を上げていた終生のライヴァル,アイザック・ニュートンの名を知ったのもこの頃である.ライプニッツの数学的貢献は具体的には,無限小解析(微分積分),方程式論,数論,幾何学(位置解析),確率論等々多岐にわたるが,本質的なアイデア・構想はこのパリ滞在期中に得られたものである.特に彼の名を数学史上不朽のものとする,無限小解析における新記号法,計算のアルゴリズム化(形式化),応用範囲の拡大といった事々は,すぐさま論文の形で出版されたのではなく,それが公にされるにはまた幾年かの歳月を要した(本格的には1680年代半ばから).しかしながら現在我々が手にする1次資料(草稿,書簡類)によって基本的にこのパリ時代の成果であることが確認される.我々はどのような具体的問題への取り組みを通じて,ライプニッツ独自の数学が生まれていったのかを探ることになろう(第2章).

 ライプニッツはパリにそのまま滞在することを望んでいたが果たされなかった.1676年11月,ハノーファーの宮廷に迎えられたライプニッツは図書館の整備,アカデミー建設等々の夢の実現に向けて多忙な日々を送る.パリ時代に基礎を確立した無限小解析の成果は1682年以降,彼自身が創刊に係わった『学術紀要(Acta eruditorum)』誌上で公表されていく.また一方,それ以外にもユークリッド改革を含めた新幾何学構想としての位置解析や確率論(年金計算等の応用も含む)といった異なる数学的分野の研究にも着手し,彼の数学思想上の中心的課題である記号法の開発,洗練といったテーマが追求される.さらにパリ滞在期以前から取り組んできた自然学(運動学)への無限小解析の適用による成果も公表され,形式的運用度の高いライプニッツの数学がいよいよ本領を発揮する.

 論文の形でライプニッツの数学の姿が明らかにされた1680年代後半以降は,彼のスタイルを受容した者たちがある種の学派を形成するようになる.すなわちベルヌーイ兄弟,ロピタル,ヴァリニョン等である.彼らとの交流の中で受けた刺激をもとに,またライプニッツは新しい数学的結果を生み出していった.上で述べた応用範囲の拡大に支えられて,まさに一つの数学上の革新がパラダイムの形成へと移行する段階を担ったことになる.同じ頃,ニュートンは『プリンキピア』を著し(1687年),ライプニッツ等にもインパクトを与えた.ニュートンの記述スタイルは古典的なものに近く,以降大陸側の研究者はこの17世紀最大の著作をライプニッツ流の記号表現を使って書き換えるという作業に取り組むこととなる.その過程と同時に1690年代後半頃からイギリス対大陸における無限小解析の先取権論争が勃発し,結果的にはその後ライプニッツが生涯を閉じるまで両者の争いは続いていく.その一方,オランダの神学者ニーウェンタイトから無限小解析の基礎に関する批判を受ける(1695年).またパリのアカデミー内でもロル,ヴァリニョンによって同じテーマの論争が行われる.こうしたことをきっかけに,それまで必ずしも公には明確化されていなかった基本原理,つまり無限小そのものに対する考察がライプニッツ周辺において行われるようになる.我々はライプニッツの発想の中にパリ時代以前に獲得されていた原理(連続律)が一貫して保たれていること,新たに数学上の進展を受けて組み入れられるものがあること,両者が融合された様を見るだろう.本論文では以上のライプニッツにとって実りの多かった時期について詳細に検討する(第3章).この部分はライプニッツ数学思想について先行研究の関心が集まったところである.ライプニッツの発想は彼の学派を成した人々とは微妙に異なる.その点は必ずしも従来の研究は十分に明らかにしていないと考えられる.さらに加えてライプニッツの数学思想に対する考察の補足という観点からニュートン派との先取権論争へも目を向けたい.

 数学的成果を背景に初期の段階から抱いていた統合的学問構想がまた新たな輪郭を見せ始める.現在公刊されている1次資料によれば,1679年頃から盛んに「普遍学(scientia universalis)」をテーマにした草稿が多く書かれており,その時期がまたライプニッツにとって何かの節目であった可能性を我々に示唆する.既に指摘したようにこの時期は,パリ滞在中に抱いた数学的な構想が各分野(無限小解析,位置解析,確率論,方程式論等々)において一応の基本線が出揃った後である.我々はライプニッツの草稿上に現れる普遍数学概念の発展の経緯を整理しながら,ライプニッツの独自性を明らかにしなければならない.彼の普遍学思想は普遍数学を1つの不可欠な構成要素として持っているからである.またその普遍数学概念の変化が特に位置解析に研究の進展と軌を一にしていること,無限小量に関する論争とも時期的に関連することを確認したい.こうしたことも先行研究では十分指摘されてこなかったことである.

 加えて,ライプニッツの全般的な学問的方法論は生前は公刊されなかった晩年の著作『人間知性新論』(1704年頃執筆)中の記述に窺い知ることができる.そこで「論理学」の名称を与えられたものはライプニッツの総合的な学問のプランに対する1つの回答である.総合・解析概念を通じて,ライプニッツは自然学を含む一般的方法論に昇華させる発想を提示する.それは初期の『結合法論』以来のアイデアの反映でもある.我々のライプニッツの思想的変遷を追求する道のりもある首尾一貫した流れがあることを改めて確認できるはずである(第4章).

 以上のように本論文は多岐にわたるライプニッツの学問的貢献のうち,特に数学思想の形成,発展を時代順に追いながら,同時に彼にとってより大きな目標であった普遍学構想との係わりあいとを中心に論じる.一般的に学問的活動において,先行研究の受容と,その批判的発展を目指すこと,より高い一般性を追求することは,誰にとっても目標となることである.ライプニッツはこの点に関して非常に模範的である.彼は彼に先んずる研究について文字通り「あらゆる」方面にわたって取り込み,自分のものとしていく.2そして彼の独自性,すなわち記号法的洗練,形式化といった方向性を推し進めていくのである.さらに彼はハノーファーの宮廷の顧問官という地位にあったことから,現実的な問題(例えば選帝侯の家史の編纂,年金問題等々)への取り組みも合わせて,統合的な学問のプランを空疎でない内容が伴ったものと練り上げていった.従って本論文では,数学思想から膨らんだ部分についても適宜言及していくこととなろう.従来の先行研究において,数学史の方面からは無限小解析の形成や位置解析,確率論さらには自然学への応用といった個々の分野への貢献が論じられることが多かった.一方で20世紀初頭のクーチュラ,カッシーラー等に代表されるライプニッツの学問的構想への包括的研究も知られる.しかしながら,ライプニッツの数学研究の全体像についての視野を持ちつつ,彼のより大きなプランを評価することは未だ十分ではないと考えられる.例えば『人間知性新論』を数学思想の展開の結実として読み解く作業はほとんどなされてこなかった.ライプニッツの数学思想は資料上のいくつかの制約もあって全体像がつかみにくかった.しかし1990年代より数学,自然学に関する1次資料が新たに公刊され始めた.それらを利用しながら,ライプニッツ像をまたより精密にすることを本論文では目標としたい.

 2ベラヴァルに依れば,ライブニッツが係わった分野は,神学,形而上学,論理学,数学,自然学,科学,古生物学,生物学,歴史学,宗教学,市民論,政治学,法学,言語学等々である.まさに「彼にとって未知の学問などないのだ」ということになる(Belaval,Ibid.,p.7)またパリのアカデミーにおいてライブニッツへの弔辞を読んだ(1717年11月13日)フォントネルは「彼は,いわば前でつながれた8頭の馬を操る離れ業をやってのけた古代人のように,総ての学問を操ったのだ」と述べている(Gottfriend Wilhelm Leibniz Opera Omnia: Nune primum collecta,in classes distributa,praefationibus et indicibus exoruata,studio Ludovici Dutens(1768)(Hildesheim,Zurich,New York: Georg Olms Verlag,1989)(rep.),I,p.20).

審査要旨

 本論文は、17世紀ドイツの「万能」の学者ライプニッツの数学思想の発展の全容を解明し、その学問思想における位置を確認した画期的研究である。

 ライプニッツは、17世紀後半の西欧で、ニュートンと並ぶ数学者として著名であったが、その数字草稿がほんの一部だけ公刊されたにとどまったがゆえに、彼の数学思想がいかに形成されたかについてはよく知られていなかった。同時代の雑誌、18世紀のドゥーテンス版、19世紀のゲルハルト版、20世紀のアカデミー版、近年のベルリン工科大学のクノーブロッホ教授の編集作業などによって再構成するほかなかった。林氏はこれらの版本のほとんどすべてに目を通すだけではなく、二次研究文献をもほとんど網羅的に収集して分析し、新たな総合的知見に到達した。とくに、微分積分学の形成過程を克明に再構成した功績は大きい。林氏は、ライプニッツの記号の運用に巧みな数学が初期の普遍記号法というアイデアの一環として成立を見たという考えを提出し、17世紀の多様な学問の改革に邁進したライプニッツ学問思想の全体像の中に数学思想をはめ込むことにも成功している。そのことによって、近代数学の形成にとって枢要な17世紀西欧の無限小解析の実像と、その中でライプニッツが果たした役割がいかなるものであるのかを歴史的に示しえた。

 本論文の独創的貢献をもっと詳細に述べれば、以下のとおりである。

 (1)ライプニッツの数学、とくにその微分積分学の形成過程を年代史的に辿り直し、その全体像を明らかにしたこと。本研究によって、ライプニッツの数学の17世紀数学史における画期的意義は確定したと見なされうる。

 (2)ライプニッツは少年期より、人間の思想を普遍記号学の一環として表現しようとする構想をもっていた。この構想の一部としてデカルトらの普遍数学概念が大きな役割を果たした。ライプニッツのすぐれた記号法は、彼の微分積分学のスタイルをも規定し、ここにニュートンの直観的で厳密性を重視した数学との相違が認められる。

 (3)普遍数学概念の一環として構想された位置解析の数学史的意義を解明したこと。これまで位置解析は、師のホイヘンスが否定的であったこともあって、高く評価されることはなかった。しかし、林氏は、ライプニッツの数学思想の観点から見るとき、その数字がごく自然なものであったとした。

 本論文は、ライプニッツの数学思想に集中した論文である。その後のロピタルやベルヌーイ兄弟における数学の発展をも研究に射程に収めれば、もっと完全になったであろう。けれども、林氏はそのことを十分理解しており、また論文提出後、その研究に取り組んでいる。そして、分量的にそれを本論文に盛り込むことは不可能である。審査委員全員は、本論文をもって学位取得のためには十二分であると判断した。本論文は、林氏が世界的に第一線に立つ数学史家たる人材になりうることを示している。

 よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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