学位論文要旨



No 114928
著者(漢字) 谷田,聖
著者(英字)
著者(カナ) タニダ,キヨシ
標題(和) ハイパー核の線分光
標題(洋) Gamma-ray Spectroscopy of
報告番号 114928
報告番号 甲14928
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3692号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,正泰
 東京大学 教授 片山,一郎
 東京大学 教授 片山,武司
 東京大学 教授 森,義治
 東京大学 教授 釜江,常好
 国立天文台 助教授 梶野,敏貴
内容要旨

 粒子-核子(N)間の相互作用は、NN相互作用を越えて一般のバリオン間相互作用を理解するための第一歩であり、N相互作用が中間子交換模型によってNN相互作用と統一的に理解できるかどうかは非常に興味深い問題になっている。さらに、N相互作用は、NN相互作用が原子核物理の基礎となっているのと同様ハイパー核物理における基礎となるという点においても重要である。

 歴史的には、NN相互作用は散乱実験によって研究されたが、この方法をN相互作用に適用するには実験的に非常な困難が伴うため、N散乱は現在までにわずか数千イベントが観測されたのみであり、また、偏極観測量のデータは全くないのが現状である。これに代わるものとして、ハイパー核の構造はN間のスピン依存相互作用(スピン-スピン力、スピン-オービット力、テンソル力)を直接的に反映することが知られている。これは、N間の相互作用において1つの中間子を交換するダイアグラムが禁止されているために、相互作用がNN間のものと比べて弱くなることと、が核内においてパウリ効果を受けないことによるものである。このことから、ハイパー核の構造の研究からこれらの相互作用の強さを引き出すことができることが指摘されている[1]。

 線分光実験は、ゲルマニウム検出器を用いることで2keVという非常に良いエネルギー分解能が得られることから、ハイパー核の構造を研究する上で非常に強力な手段となることが期待される。特に、Nのスピン依存相互作用がハイパー核のエネルギー準位に与える影響は、ほとんどの場合1MeV以下であり、多くの場合には100keV以下であることが予想されているので、良い分解能は本質的に重要である。

 しかし、この利点にもかかわらず、現在までのところ、ハイパー核の線が同定された例はわずかに5例を数えるのみであり、そのいずれもがエネルギー分解能において劣るNaI検出器を用いたものであった。これは、以下に述べるような実験上の困難によるものである。ハイパー核の実験には通常+やK-のビームが使用されるが、これらのビーム中の粒子の崩壊などによって、ビームがゲルマニウム検出器に直接当たるということが頻繁に起こる。荷電粒子によってゲルマニウム検出器に与えられるエネルギー(〜50MeV)は、測定する7線のエネルギー(〜1MeV)よりも圧倒的に大きいため、ゲルマニウム検出器が誤動作を起こしてしまうのである。

 我々は、リセット型のプリアンプなどの特殊なエレクトロニクスの使用によってこの困難を克服し、ゲルマニウム検出器がハイパー核実験において使用可能なことを確認した。それをもとに、BGOアンチコンプトンサプレッサー付きのゲルマニウム検出器14台からなる、ハイパー核実験専用の検出器システム(Hyperball)を建設した。このHyperballを用いた最初の実験として、我々は線分光実験を行った。を選んだ理由は、N間のスピン-スピン相互作用の大きさを得るのに最適なハイパー核であるのと同時に、が核内に入ることによってハイパー核が縮む効果(の"glue-likerole")についても調べることができるからである。

 図1にのレベルスキームを示す。スピン-スピン相互作用の強さの情報を得るためには、基底状態2重項(1/2+,3/2+)間のスピン反転M1遷移のエネルギーを測定した。これは,6Liの基底状態(1+)がほぼ純粋な3S1状態を持つことから、この準位にが0s状態でつくことによって得られる基底状態2重項のエネルギー差が、ほぼN間のスピン-スピン相互作用によってのみ決定されることによるものである。

図1:の期待されるレベルスキームと遷移。対応する6Liのレベルをともに示す。

 一方で、の大きさを測定するには、励起状態(5/2+)から基底状態(1/2+)へのE2遷移を利用した。この遷移は基本的には6LiのE2(3+→1+)遷移によるものである。換算遷移確率B(E2)は原子核の大きさの4乗に比例するので、の大きさRは、

 

 という式によって与えられる[2]。6LiのB(E2)は、10.9±0.9e2fm4と知られている[3]ので、B(E2;5/2+→1/2+)を測定することによっての大きさを導き出すことができる。この実験においては、E2(5/2+→1/2+)遷移のピークの形から、Doppler shift attenuation法を用いて5/2+状態の寿命を測定し、それをB(E2)に換算した。

 実験は、KEK-PSのK6ビームラインにおいて、SKSスベクトロメーターとHyperballを用いて行われた。7Li(+,K+)反応によってを生成し、線を同時計測した。このとき、+とK+双方の運動量を測定し、に対する不変質量を組むことで、の束縛状態が生成したイベントを選び出した。

 実験によって得られた線のエネルギースペクトルを図2に示す。図2において、(a)と(b)はそれぞれの束縛状態の生成を選び出した場合と非束縛領域を選んだ場合に対応する。上段(a)でのみ見受けられる、690keVと2050keV近辺にある2つのピークがからの線によるピークであり、それぞれM1(3/2+→1/2+)遷移とE2(5/2+→1/2+)遷移と同定された。これは、ハイパー核の線をゲルマニウム検出器を使って観測・同定した例としては世界で最初のものである。なお、図2には示されていないが、ドップラーシフトを補正した解析の結果、さらに1/2+(T=1)状態から1/2+,3/2+状態への遷移に対応するピークの候補がそれぞれ3877±6keVと3182±3keVに見付かっている。

図2:7Li(+,K+)反応と同時計測された線のエネルギースペクトル。(a)は束縛状態の生成を選んだ場合、(b)は非束縛領域を選んだ場合に対応する。

 M1遷移のエネルギーは、691.7±0.6(statistical)±1.0(systematic)keVと決定された。この結果から、N間のスピン-スピン相互作用の強さを導き出すことができる。スピン-スピン相互作用については、これまで4体系のハイパー核()のデータがあったが[4]、の実験データ[5]がそれでは説明できないものとして議論を呼んでいた[6]。今回の結果は、4体系のデータから得られるスピン-スピン力とconsistentであり[7,8]、スピン-スピン力の大きさを実験的に確立したものと言える。

 E2遷移については、そのエネルギーが2050.4±0.4±0.7keVと求められた。これは、NaIを使って線を測ったBNLでの実験の結果(2034±23keV)と一致しており、なおかつエネルギーの決定精度は1桁以上良いものとなっている。実際、この精度は、ハイパー核実験における世界記録を1桁以上更新するものである。

 さらに、この遷移のピークの形の解析から5/2+準位の寿命が(statistical)±0.7(systematic)psと求められた。この値は、B(E2;5/2+→1/2+)=3.6±e2fm4に対応する。これは、が縮む効果を考慮に入れない時に期待される値(B(E2)=8.6±0.7e2fm4)よりも有意に小さく、従って、6Liよりも縮んでいることが示された。式(1)を使えば、今回の結果は、の大きさが6Liより約19±4%縮んでいることに対応する。

 これらの結果によって、我々は線分光がハイパー核の研究に有効な手段であることを証明した。今後我々はスピン-スピン力以外のNスピン依存相互作用や、N相互作用における荷電対称性の破れ、B(M1)を利用したハイパー核内中間子交換流などの研究をHyperballを用いて行っていく予定である。

参考文献[1]For example,D.J.Millener,A.Gal,C.B.Dover,R.H.Dalitz,Phys.Rev.C31(1985)499.[2]E.Hiyama,M.Kamimura,K.Miyazaki and T.Motoba,Phys.Rev.C59(1999)2351.[3]Table of Isotopes,8th edition,A Wiley-Interscience Publication.[4]M.Bedjidian et al.,Phys.Lett.62B(1976)467;M.Bedjidian et al.,Phys.Lett.83B(1979)252.[5]R.E.Chrien et al.,Phys.Rev.C41(1990)1062.[6]V.N.Fetisov,L.Majling,J.Zofka and R.A.Eramzhyan,Z.Phys.A339(1991)399.[7]D.J.Millener,Proc.APCTP workshop on Strangeness Nuclear Physics(SNP’99),ed.I.T.Cheon,S.W.Hong and T.Motoba,(World Scientific Publishing Singapore),in press.[8]E.Hiyama,M.Kamimura,T.Motoba,T.Yamada and Y.Yamamoto,Nucl.Phys.A639(1998)173c.
審査要旨

 本論文はKEKにおいて行われたハイパー核の線分光実験について述べたものである。線分光実験はゲルマニウム検出器を使うことで非常に良いエネルギー分解能が得られることから、通常核の場合と同じようにハイパー核の研究にとっても非常に有用な手段となることが期待されている。しかし、実験上の困難からこれまでにハイパー核の線が観測・同定された例はわずかに5例にすぎず、しかもそのすべてがエネルギー分解能においてゲルマニウム検出器に劣るNaIカウンターによってなされたものであった。本研究は世界で初めてゲルマニウム検出器を用いてハイパー核の線を観測・同定することに成功するなど大きな成果をあげている。

 本論文は7つの章から成り立っており、第1章では研究の背景および目的が述べられている。ハイパー核の研究の大きな目的はその基本となるN間の相互作用を調べることである。ゲルマニウム検出器を用いた高分解能線分光実験はハイパー核の準位構造を通じてN相互作用を調べる上で非常に重要な役割をはたすことが期待されている。この中で、の基底状態2重項(3/2+,1/2+)は、N間のスピン-スピン力を調べるのに最適な状態であり、そのエネルギー差を測定することが本研究の第一の目的である。また、粒子が核内でパウリ効果を受けないために核の中心に存在し、まわりの核子を引き付けることによってがコアの6Liより縮む効果が理論計算から指摘されているが、その効果の実験的検証がもう一つの目的となっている。

 第2章から第4章では、研究に使用された実験手法と実験装置、およびそれらを用いて得られたデータの解析方法について述べられている。実験は7Li(+,K+)反応によりを生成し、線を同時計測することによって行われた。7Li(+,K+)反応においては、+とK+の運動量をスペクトロメーターを使って測定することによって、の束縛状態の生成を選び出した。一方、線の測定のためには、ハイパー核実験専用に新しく建設されたゲルマニウム検出器システム(Hyperball)が用いられた。このHyperballは論文申請者が中心となって建設したものであり、ハイパー核実験での使用に耐え得るように工夫が凝らされている。即ち、ハイパー核実験においては、高エネルギーの荷電粒子が検出器に直接あたることが頻繁に起こるため、通常の抵抗放電型のプリアンプを使用したゲルマニウム検出器は正しく動作しないが、Hyperballではリセット型のプリアンプを使うことでこの問題が解決されている。

 第5章では、実験結果が示され、それをもとに第6章では物理的な議論がなされている。まず、の束縛状態を選んだときと選ばないときの線エネルギースペクトルの比較がら、遷移が2つ発見され、それぞれM1(3/2+→1/2+)遷移とE2(5/2+→1/2+)遷移と同定された。これらの線のエネルギーから、3/2+状態と5/2+状態の励起エネルギーがそれぞれ691.7±0.7±1.0keVと2050.4±0.4±0.7keVと決定された。このエネルギーの決定精度は、ハイパー核の実験における世界記録を1桁以上更新するものとなっている。

 3/2+状態の励起エネルギーは、N間のスピン-スピン力の強さに対する直接的な情報を与える。スピン-スピン力については、これまで4体系ハイパー核(,)のデータがあったが、の実験データがそれでは説明できないものとして議論を呼んでいた。本論文の結果は,のデータとコンシステントであり、スピン-スピン力の大きさが実験的に確立したものと言える。

 一方で、E2(5/2+→1/2+)遷移のピークの形の解析から、5/2+状態の寿命が±0.7psと得られた。この値を換算遷移確率[B(E2)]に直すと、3.6±e2fm4となる。B(E2)は、原子核のサイズの4乗に比例するが、今回得られた結果は、が縮む効果を考慮にいれないときの値(B(E2)=8.6±0.7e2fm4)よりも有意に小さく、従って、6Liよりも縮んでいることが示された。本論文の結果は原子核の大きさが19±4%縮んでいることに対応する。

 以上述べた結果はそれ自身非常に重要であるのと同時に、線分光によるハイパー核の高分解能測定の有用性を証明し、ハイパー核研究の新時代の幕開けを告げたという点でもその意義は大きい。なお、この研究はKEK-PS E419実験としての共同研究であるが、論文提出者が中心となってHyperballの建設、データの解析を行ったものであり、論文提出者の寄与は非常に大きい。従って、審査委員会は全員一致をもって論文提出者にたいして博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54122