内容要旨 | | 近年、軌道縮退のある系が実験の進歩とともに再び注目されている。マンガン化合物などの遷移金属酸化物、ヤーン・テラー分子系、重い電子系などがその例である。これらの物質では、スピンと軌道の自由度の競合(interplay)によって、豊かな物理的性質を我々に示している。磁気的秩序と軌道秩序の絡み合い、スピン液体や軌道液体と呼ばれる無秩序状態の1次元ばかりではなく高次元での存在など興味深い話題が理論的にも実験的にも豊富である。これらの軌道縮退のあるスピン系及び電子系について,特に強い電子相関による効果に注目し,いくつかの特徴的な性質を,明らかにするのが本論文の目的である。 この論文の構成は以下の通りである。まず、第二章では、二重縮退Hubbard模型について、特に、対称性について議論する。第三章で、二重縮退Hubbard模型の1/4-フィリングの有効ハミルトニアンであるスピンと軌道が結合した量子スピン模型の導出をレビューし、その特徴を議論する。第四章では、幾つかのスピン-軌道模型の厳密な基底状態を求め、これらの系の基底状態の性質について議論する。第五章では、軌道のexchangeがどのようにスピンに影響するかを調べるために、スピン-軌道模型をgraded permutationで記述する。超対称な可積分模型の解析を行ない、軌道の役割について考察する。以下、本論文の主要部及びその結果についてまとめる。 (I)軌道縮退を持つ量子スピン模型の厳密な基底状態。 まず、交換可能な二つの2サイト演算子の積から構成されるハミルトニアンがある特定の条件を満たしていれば、基底状態を厳密に求めることができることを示した。非負演算子を用い,基底状態エネルギーの下限を与え、それと固有エネルギーが等しい状態を見つけだすことによって、次の2種類の基底状態の存在の可能性が言える。 図1:左図:ハミルトニアンの厳密解が得られた領域(spin-orbital=|spin〉|orbital〉。=Si・Sj+3/4で、F,AFHはそれぞれ強磁性,及び反強磁性Heisenberg模型の基底状態。XY,IsingはXXZ模型のxy,ising相。右図:H=(i,j)(Ti・Tj+(Ti・Tj)2+)の得られた厳密な基底状態。ここで、Tはスピン1の演算子であり、|Tの状態〉×|Sの状態〉。SD,TD,FHはそれぞれsinglet dimer,triplet dimer,強磁性を表す。いずれも1次元の場合。 タイプI:二つの自由度に関して2サイト演算子の最低固有状態をボンドに対応させて格子全体を覆いつくした状態.これは、二つの自由度の相関から生じた"一般化されたバレンスボンド状態"と呼べるものである。 タイプII:自由度Aだけから基底状態を構成できるとき、ハミルトニアンにもう一方の自由度Bのみから構成される演算子をつけ加えると、基底状態は自由度Aの状態とつけ加えた自由度Bの演算子の最低固有状態の積になる。 以上の結果に基づいて、二重縮退Hubbard模型の1/4フィリングでの強結合での有効ハミルトニアンである大きさ1/2のスピンと擬スピンの積から構成される模型の基底状態をある特定の領域で求め、その性質を議論した。 (a)一次元で,周期境界条件を課し熱力学極限において,二重縮退し並進対称性が破れダイマー化した基底状態の存在を広い領域で示した。無限小のxy成分間の相互作用であっても系はスピンと擬スピンの大きさがゼロの無秩序状態になる。スピンと擬スピンの相互作用がフラストレーションとなり、量子揺らぎが極端に増大されるものと考えられる. (b)擬スピンが強磁性基底状態の場合、次のような重要な性質があることが分かった。一方の自由度の長距離秩序の存在はもう一方の自由度の様々な不安定性を導き、その結果としてスピン液体状態、スピンギャップ、磁気秩序状態などが誘起され易くなる。これは、次の(c)も同様である。 (c)スピンが強磁性基底状態の場合、電子が2つの縮退した軌道を交互に占有している状態である軌道長距離秩序が広い範囲で存在していることを示した。 次に、上記の模型を一般の大きさのスピンと擬スピンに拡張した。1次元ではsingletばかりでなくtripletのダイマー相の存在、一方の自由度のValence-Bond-Solid(VBS)状態に伴って、もう一方の自由度がギャップレス相になるなど、多彩な相が存在することが分かった。スピンと擬スピンの相関の結果として生じる1次元以上での新しい型のバレンスボンド状態の存在を提示し、これを基底状態として持つハミルトニアンを与えた。これはタイプIの状態に対応する。この状態は、熱力学極限で無限の縮退をもっており、RVB状態とも見なせる。 (II)1/4フィリング二重縮退Hubbard模型の強結合極限での2次摂動においてスピンに依存しない軌道間クーロン反発と軌道のexchangeから生じるスピンと軌道の相互作用: の役割について調べた。この相互作用は、電子のfermion的性質のためにスピンがsingletかtripletであるかに依存して軌道(擬スピン)のexchangeの符合が異なることを表している。ここで、(a=x,y,z)は擬スピン演算子である。Tz=1/2のスピンをボゾン、Tz=-1/2のスピンをフェルミオンとみなしたgraded permutationを用いて記述されるスピン-軌道模型 を考える。(ボゾンとフェルミオンがそれぞれ2種類ずつ存在する。)ここで、は軌道分裂パラメータである。Vi,jがボゾン-フェルミオン間、Wi,jがボゾン間、フェルミオン間のpermutationにそれぞれ対応している。系の性質を調べるために一次元において超対称な可積分模型(=1)の解析を行なった。この模型は,代数的にはEssler-Korepin-Schoutens模型と等価であり、代数的Bethe仮設法によって対角化できる。熱力学的Bethe仮設を適用し、温度ゼロの極限をとることによって基底状態の解析を行なった。磁場ゼロの基底状態は、軌道を分裂させるパラメータを変化させた時、完全分極した強磁性相、部分分極した強磁性相そして反強磁性的なsinglet相の3つの磁気的相が存在することが分かった。部分分極した相では、一方の軌道のスピンが完全分極しており、このスピンをホールとみなした超対称t-J模型の状態と同じであることが分かった.ここで,もう一方の軌道のスピンとは,超対称t-J模型のスピンと化学ポテンシャルにそれぞれ対応している。この対応関係を踏まえて低エネルギー励起について考えるとt-J模型のホロンと軌道の励起が対応していることが分かる。すなわち、t-J模型のスピン鎖の中をホールが動き回っているという描像と似た状況がこの系において軌道とスピンに関して成り立っていることが推測される。この結果は、1次元で特別な模型についてのものであるるが、スピンと軌道の相互作用(1)によって、軌道のexchangeが反強磁性的なスピンに対して量子揺らぎを大きくすることを示唆していて、t-J模型のホッピング項(U=∞単一バンドHubbard模型)の性質との類似性がうかがえる。 図2:可積分模型(=1)の自発磁化と3つの相のスピン配置の模式図。(a)0、(b)0<<c、(c)c。(a)は強磁性Heisenberg模型、(c)は反強磁性Heisenberg模型の基底状態とそれぞれ同じである。 フント相互作用によっても軌道のexchangeとスピンの結合した項が生じるが、これは(I)の結果からいつもスピンの量子揺らぎを抑えるように働くようである。これらの相反する作用の競合によって系の基底状態が決まるものと考えられる。 (III)二重縮退Hubbard模型の対称性を考察し、軌道内、軌道間のクーロン反発U,U’、フント結合JHがU=U’+JH、pair-hopping J’=0の時、電荷に関してSU(2)対称性が存在することを示した。その生成子は軌道間のsinglet pairの演算子であり、-paringとは異なったものである。また、JH=J’の時、結合(反結合)バンドに変換するunitary変換によって再び同じ形のハミルトニアンに変換でき、その性質を用いて、U’,JHに関して強結合領域と弱結合領域が対応ずけられることを示した。一次元でU=U’=JH=J’で軌道分裂が存在するとき、系はchain間ホッピング=2のHubbard梯子模型に変換できることが分かった。このとき、によってスピンギャップが開くことが予想される。 以上、軌道縮退を持つ強い電子相関がある系の特徴的な性質について、非常に限られた簡単化された模型について調べただけであるが、その一部を見ることができた。これらの系では、絶縁相だけを見ても豊かな物理的特性を含んでいることが分かった。特に、(II)で扱った相互作用(1)は、系が軌道の自由度を持ち、かつ、強相関系である場合において本質的なものと考えられる。2次元以上の系でこの相互作用がどのような性質を持つか調べることは非常に興味深い今後の問題である。 |
審査要旨 | | 近年遷移金属酸化物などにおいて軌道縮重の存在がもたらす様々な現象に対する研究が再び活発化してきている.本論文はそのような系で実現すると思われる,電子相関による絶縁体相(Mott絶縁体)に焦点を絞り,可能となる様々な形の基底状態と低エネルギーの励起状態に対して,厳密解を得るという立場で行った研究をまとめたものである. 本論文は6章からなる.第1章は導入として,研究の背景が述べられている.第2章では軌道縮退を持つ電子系のモデルとして2重縮退ハバード模型が提示され,その対称性が議論されている.第3章では強結合極限からの展開をおこない,以後の議論で用いる有効ハミルトニアンの導出が行われている.第4章以降では電子密度が各サイトに1個で,Mott絶縁体状態が実現する場合に限定して行われた本研究の成果が示される. 先ず,第4章ではハミルトニアンが非負演算子であり,かつ,固有値ゼロの固有状態が見つかれば,それがハミルトニアンの基底状態であるとの指摘が行われ,これに基づき,第3章で得られた有効ハミルトニアンの基底状態が調べられた.有効ハミルトニアンは数種類の結合定数を含んでいるが,それらのパラメターが適当な値を取るときに厳密な基底状態が得られることが示されたが,この基底状態に基づき,軌道の自由度と,スピンの自由度の絡まりあいについての議論が行われた.基底状態は主に1次元系について議論されているが,2次元以上においてもvalence bond状態が可能であることも示されている.本章で得られた多くの種類の基底状態は本研究によって初めて見出されたものであり,主要な成果であると認められる.この章で得られた結果はJounal of the Physical Society of Japan,Vol.68(1999)322に公表されている. 次に第5章においては,別の角度からスピン-軌道系の基底状態を調べるため,Bethe仮説法による研究が行われている.伊藤氏は第3章で得られた有効ハミルトニアン中で.このモデルに特徴的な軌道間の交換相互作用項の符号がスピン状態で符号を変えるという項に特に注目した.この項のみのハミルトニアンは可解ではないと思われるが,この項に別の項を加えることにより,モデルがEssler-Korepin-Schoutes模型と等価になることを用い,Essler-Korepinに習い,解析的Bethe仮説法,熱力学的Bethe仮説法により,基底状態及び,低エネルギー励起に対する方程式が導き出された.この結果を用いて,このモデルの基底状態として,2つの軌道間にエネルギー差がある場合には,3つの相があることが示され,その間の量子相転移の様子が調べられた.Bethe仮説による基底状態などの導出は既知の方法の適用に他ならないが,その結果を用いて相転移の様子を明かにしたことは本研究で初めて行われたことであり,評価できる. 最後の第6章では以上の結果のまとめが行われている. 以上述べてきたように,本論文はスピン-軌道系の絶縁相の研究を行い,基底状態の性質について新たな知見をもたらしたものであり,博士(理学)の学位請求論文として合格と認められる。 |