学位論文要旨



No 114936
著者(漢字) 川島,洋徳
著者(英字)
著者(カナ) カワシマ,ヒロノリ
標題(和) 超流動ヘリウム薄膜の第3音波を用いた弱局在の研究
標題(洋)
報告番号 114936
報告番号 甲14936
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3700号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 勝本,信吾
 東京大学 助教授 久保田,実
 東京大学 助教授 和田,信雄
 東京大学 助教授 甲元,眞人
 東京大学 助教授 福山,寛
内容要旨

 不規則なポテンシャル中を運動する電子が局在するという描像をP.W.Andersonが初めて理論的に指摘して以来、アンダーソン局在に関して様々な研究が行われてきている。

 アンダーソン局在は波の干渉による効果であるから、量子力学に特有の現象ではなく、局在の原因となる系の乱れが十分に強いならば全ての波動現象に起こりうる。マクロスコピックな系における古典的な波動の局在現象についての研究は、1980年代半ばから行なわれている。古典波動の場合は、電子系に存在するelectron-electron相互作用やelectron-phonon相互作用などに対応する効果を取り除くことができるため、局在現象のみにターゲットをしぼって実験を行うことができるという利点がある。

 特に古典波動の中でも、超流動ヘリウム薄膜上の表面波である第三音波には、1.減衰が十分低温で非常に小さいため無視できる。2.分散が線形である。3.非線形な成分を持たない。4.散乱体がマクロスコピックな大きさのため構造を制御しやすい。という特徴を持ち、散乱問題を扱うデバイスとして、非常に有用である。

 本研究は、アルミニウムを真空蒸着したガラス基板に、図1のような1次元ランダム格子をフォトリソグラフィーの手法を用いて作成した。このガラス基板に超流動ヘリウム薄膜を物理吸着させ、その薄膜表面上を伝播する第三音波の透過率を、温度0.73Kでヘリウム薄膜の厚さ3.2atomic layer(a.l.)から7.7a.l.まで変えて測定した。以前の実験[1]と比較してサンプル数を増やし(20種類のサンプルについて測定を行った。)、統計精度を向上させた。それによって、透過スペクトルと、そのゆらぎについて西口らのphonon transmission rateの理論[2]と定量的な、そして詳細な比較が可能になった。

 図1において、両端の細線は第三音波を励起するドライバー電極と、検出するディテクター電極である。また、四すみの正方形の部分はリード線をハンダづけする際のパッドになる。両端の電極の間に格子パターンが存在し、単位格子の大きさは、長さ8mm、幅80m、厚さ100nmであり、およそ8×8mm2の領域に50本程度の細線がランダムに配置されている。電極の大きさは同様に、長さ8mm、幅40m、厚さ100nmである。またランダムパターンが無く電極のみのブランク基板を伝播する第三音波を同時に測定し参照用に用いた。

 第三音波の励起は、図1の一方のアルミニウム細線に幅100nsec、大きさ200mV〜1Vの矩形波パルスを印加することで行った。細線において発生するジュール熱は、超流動ヘリウム薄膜を局所的に昇温させ、これを超流動流が緩和する過程で第三音波が発生する。第三音波の検出には、アルミニウム薄膜の超伝導ボロメーターを用いた。アルミニウム薄膜電極の状態を超伝導転移点付近におき、この細線の両端に生じる微小電圧を測定することにより第三音波の信号が得られる。これは第三音波の微小な温度振動により、細線の抵抗値が非常に敏感に変化することを利用している。

図1:1次元ランダム格子パターン。両端の線は電極である。

 図2は第三音波のTime of flight(TOF)波形で、S/N比を向上させるためにディジタル・ストレージ・オシロスコープで1000〜4000回積算平均をとったものである。ランダム格子上を伝播した波形にはテールの部分に明らかな微細構造が見られる。これは、格子で多重に散乱された第三音波が、遅れてディテクターに到着するためである。

図2:第三音波のTime of flight波形(0.6msec付近)。テールの部分に微細構造がみられる。

 このTOF波形をフーリエ変換し、パワースペクトルを求める。このパワースペクトルを同じ条件で得られたブランク基板のTOF波形のパワースペクトルと比較する事により、透過スペクトルを得た。

 図3(a)に、ランダム格子を伝播する第三音波の透過スペクトルを示す。超流動薄膜の膜厚は7.1a.l.である。kは第三音波の波数、dはランダム格子の格子1つあたりの幅である。透過スペクトルの性質として、kd/〜0で透過率がT〜1。kd/〜0.5、1.0付近でミニマムをとる。kd/〜1.0の前後で透過率は回復する。このように周期的に透過スペクトルが減少しており、ランダム格子を伝播した第三音波が局在している様子を示している。しかし媒質がランダムであるのにもかかわらず、kd/〜0、1.0の前後で透過率がおよそ1になっているのは、第三音波が共鳴透過しているためである。これは第三音波の波長の1/2が散乱体の大きさとマッチしたときに起こる。さらに透過スペクトルにアンダーソン弱局在に由来する多数のスパイク状のディップ構造(ゆらぎ)がみられる。これには試料依存性、再現性が見られた。

 図3(b)は、16個の透過スペクトルを重ね合わせたものである。縦軸は透過率Tのlogをとったものである。kd/〜0.5、1.0付近の透過率が落ちていて、kd/〜0と、1.0の前後がT〜1.0、(すなわちlog10T〜0)に透過率が回復している様子がみてとれる。透過率の大きなところではゆらぎが小さく、逆に透過率の小さなところでは、ゆらぎが大きくなっている。このことは、西口らが指摘していることと一致している。

図3:(a)第三音波の透過スペクトル。(b)16個の透過スペクトルの重ね合わせ。実線は理論式で最小2乗フィットしたもの。

 透過ゆらぎはサンプルが有限の長さであるために生じている。透過率とそのゆらぎの関係を調べるため、図3(b)のスペクトルを波数で20の領域に分割し、各波数領域中におけるlog10Tの分布を調べた。図4がそのヒストグラムである。図4(a)のような透過率が大きな領域ではゆらぎが小さく、逆に図4(b)のように透過率が減少している領域ではlog10Tの分布が広がり、ゆらぎが大きくなっていることが分かる。

 西口らは、透過スペクトルとそのゆらぎの間に普遍的な関係があることを解析的、数値的に示した[2]。この関係を確認するために、図4のような各ヒストグラムから得られる標準偏差log10Tを平均値〈-log10T〉に対してプロットしたものを図5に示した。実験値は16のパターン基板と4つの膜厚のデータを重ねており、これが理論曲線にそっているということは、透過スペクトルのゆらぎは膜厚、サンプルによらず、普遍的な曲線で表せることを示している。

図4:透過スペクトルのヒストグラムの例。横軸はlog10Tで縦軸はその分布を表す。面積は1になるように規格化してある。実線は分布関数の理論曲線である。超流動ヘリウムの膜厚は7.1a.l.

 図5からも、-log10Tが小さいとき、すなわち透過率が1に近いときはゆらぎが小さく、逆に-log10Tが大きいとき、すなわち透過率が小さいときはゆらぎが大きいことを表している。これが古典波動の透過ゆらぎの大きな特徴である。

図5:ゆらぎlog10Tと〈-log10T〉の関係。実線は数値計算から求めた理論曲線。

 この一連の実験から、1次元ランダム格子を伝播する第三音波の透過スペクトルには、アンダーソン弱局在の効果による、多数のスパイク状のディップ構造が見られた。これは電子系のコンダクタンスに現われるUniversal Conductance Fluctuationsに類似のもので、サンプルに固有な構造で再現性のあることを確認した。また、第三音波が局在しているために透過スペクトルが、周期的に減少する様子も観測された。ただし電子系のUniversal Conductance Fluctuationsと異なり古典波動の場合、ゆらぎの大きさは一定ではない。

 実験結果を統計的に処理することによって透過率の大きい領域ではゆらぎが小さく、逆に透過率の小さい局在領域ではゆらぎが大きいということを示すことができた。また測定結果から得られる透過スペクトルのゆらぎlog10Tは、サンプルであるランダム基板の格子配列、超流動ヘリウムの膜厚によらず西口らの理論で求められる普遍的な曲線で示すことができ、定量的によく一致したといえる。

 以上のことから、1次元ランダム格子を伝播する第三音波の透過スペクトルの測定によって、西口らのphonon transmissionの理論を定量的に検証できたことが結論される。

参考文献[1]H.Kawashima,K.Shirahama and K.Kono,Physica B,263-264,373,(1999)[2]N.Nishiguchi,S.Tamura and F.Nori,Phys.Rev.,B48,14426,(1993)
審査要旨

 この論文は,ガラス基板上にアルミニウムの薄膜で1次元のランダムパターンを形成して,超流動ヘリウムの薄膜を吸着し,伝播する第3音波に現れる弱局在効果を,特にその透過率のゆらぎについて研究したものである.第3音波は,古典波動の中でも,平均自由行程が長く,非常に広い波数領域での実験を行うことができ,これまでも,周期系や準周期系の研究対象となってきた.本論文では,これをランダム系に応用し,ポテンシャルパターンの異なる試料を多数用意して測定し,統計的な性質を調べたものである.

 本論文は5章から成る.第1章で研究の背景を述べた後,第2章で実験の比較対象となる理論について述べ,実験方法を第3章で紹介している.第4章で実験結果を呈示し,統計的手法を駆使して理論との詳細な比較と議論を行っている.第5章にて結論が示される.

 第1章では,まずアンダーソン局在,弱局在,特に古典波動を用いた実験についてのレビューを行い,この研究の位置づけ,実験に用いた系の利点について述べている.また,第3音波の物理についても一渡りの解説を行い,実験結果の解析に必要となる数式等の道具立てを行っている.最後に,この研究の目的が,特に,古典波動の弱局在領域のゆらぎに着目して理論の実験的検証を行うものであることを明らかにしている.

 続く第2章は,特に実験系に密接に関係のある西口らによる理論を,その物理的な意味について紹介している.続いて,実験結果の解析に必要な転送行列理論について詳述している.

 第3章では,試料のランダムパターンの計算方法,アルミニウム薄膜のパターニング法,試料の冷却法について明らかにしている.また,理想的な1次元的データを収集するためのパルスーフーリエ変換法について詳述している.

 第4章はこの論文の中心をなすもので,実験結果とその物理的帰結について述べている.時間ドメインでの信号波形を示し,フーリエ変換領域の決定,必要な信号の抽出法について詳述される.続いて,得られた信号の一例を,転送行列による計算結果と,実スペクトル,及び相関関数を用いて定量的に比較し,その一致が良く,理論モデルの物理的仮定がこの系では良く成立していることを結論している.次に,様々なヘリウム膜厚,計16個のランダムな試料についての実験結果を呈示し,その移動平均,単純平均について,理論と比較している.ここでも理論実験は良く一致し,統計的な性質を議論する上でも理想的な系であることを示している.

 続く解析が本論文の最もオリジナルで重要な部分である.各波数状態についての揺らぎを残したヒストグラムは,局在状態の波動関数の分布を直接反映したものである.ここでは,統計的検定でGauss分布とAbrikosovの分布とを比較し,90%以上の信頼度でAbrikosovの分布の方が実験を良く説明することを示している.西口理論の予言の重要な点は,ブロックを積み上げるような特異な乱れを持つような系でも,透過率の平均値と揺らぎとの間に一般的関係が成立することである.この点について実験との比較を行っているが,一定以下の平均透過率領域においては一致がみられるものの,それ以上では相違が現れた.その原因として,これまでの比較では問題とならなかった系統誤差があることを挙げている.更に,対数をとった空間では,一般的な揺らぎの性質が現れ,上記系統誤差の影響も小さくなる.この空間においては,単に一般的な傾向だけでなく,平均透過率と対数空間での揺らぎの相関のべきも理論と一致していることを見いだしている.

 第5章においては,1次元ランダム系でのゆらぎについて,古典波動を用いて初めての定量的な理論の検証に成功したことを結論している.

 以上,論文提出者は,古典波動系において,1次元ランダム系の弱局在領域での透過率揺らぎについて,系統的な実験を行い,実在の物理系としては初めて,分布関数などの詳細について理論との比較を行った.その結果,理論に定量的な支持を与えることに成功している.実験手法,データ解析法,統計手法を用いた議論のいずれも堅実なものであり,学術的にも一応の水準に達していると評価される.審査員一同協議の結果,本論文は博士(理学)の学位を与えるに足るものであると結論された.

 本論文の内容は,すでに学術雑誌(Physica B)に発表済みであり,これを本学位論文に使用することについては共同研究者から同意が得られており,論文の内容は提出者が主体となっての研究で,その寄与が十分であると判断された.

 以上より,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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