学位論文要旨



No 114939
著者(漢字) 中村,崇宏
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,タカヒロ
標題(和) 重力レンズ理論の波動光学的観点とその重力波天文学への応用
標題(洋) Gravitational lens theory from the viewpoint of wave optics and its application to gravitational wave astronomy
報告番号 114939
報告番号 甲14939
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3703号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,勝彦
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 助教授 牧野,淳一郎
 東京大学 教授 江里口,良治
 東京大学 助教授 坪野,公夫
内容要旨 第1章.

 重力波天文学はこれまでの電磁波領域での観測では得られなかった新たな宇宙像をもたらすものとして期待されている[1]。中性子星連星の合体は有望な波源の一つで、重力波を検出するためのレーザー干渉計が数多く建設されている。理論の面からは、観測波形から連星の情報を引出すための波形の理論計算[2]や、連星合体の頻度の見積もり[3]などが重要である。

 もし重力波が我々に届く前に途中で重力レンズされる場合を考慮すると、これら波形の計算や頻度の見積もりが変更を受ける可能性があることが以前に指摘された[4]。Wang et al.[5]は太陽質量程度のレンズ物体が宇宙空間に分布している状況を想定し、重力レンズ現象による重力波振幅の増幅度の確率分布を計算した。その結果、LIGO干渉計[6]の連星合体の検出頻度は、重力レンズ現象を考慮しない場合に比べて年間数回程度増加すると結論した。しかしながらWang et al.[5]は、重力レンズによる増幅度の計算に幾何光学近似を用いており、重力波のような長波長の波動に幾何光学近似が有効であるかどうかが疑問となる。

第2章.重力レンズ理論の波動光学的観点

 本章では、重力レンズ現象においてどのような条件のもとで波動効果が重要になるのか、幾何光学近似が有効になるのかを明確にするために、重力レンズ理論を波動光学の立場からレビューする[7]。従来の重力レンズ理論の定式化(例えば[8])ではこの条件が見えにくいため、ここで我々は新たに経路積分の手法[9]を用いた定式化を考案し、2.2節で弱い重力場による回折の公式を導出する。2.3節ではこの公式の短波長極限をとり、幾何光学近似の有効性を議論する。2.4節では回折公式を質点レンズと一次の火面にあてはめることにより波動効果の例を示す。2.5節では回折公式の数値計算法[10]を議論し、潮汐力外場中の質点レンズに対して波動の振幅を数値計算する。

 これらの議論から、重力レンズ現象において波動効果が重要になる条件は以下のようにまとめられる.(1)波長がレンズ物体の重力半径より長い場合は回折が重要になり、大きな増幅は起らない。(2)重力レンズの時間差が波動の周期より小さい場合は回折が重要。(3)(波源の大きさ)×(重力レンズの曲り角)が波長より大きい場合、回折と干渉は両方とも無視でき幾何光学近似は有効。(4)波動のコヒーレンス時間が重力レンズの時間差より小さい場合、幾何光学近似は有効。(5)波動の時間相関を観測すれば(4)の条件に拘らず干渉効果を観測することは可能である。

第3章.連星合体からの重力波の質点レンズによる重力レンズ

 前章の議論を受けて本章では、回折効果を正しく考慮に入れて重力波の重力レンズを議論する。LIGO干渉計による重力波観測の状況では回折効果が無視できないことを初めて指摘し、上述のWang et al.[5]の結果の再検証を行う[11]。

 一般相対論の連星合体重力波公式と前章の質点レンズ(星)による回折公式から重力レンズを受けた波形を求め、これとレーザー干渉計のノイズパワースペクトルを畳み込むことにより、重力レンズによるS/Nの増幅度を計算した。その結果、レンズ星の質量が太陽質量の百倍よりも軽い場合には回折効果が重要になり、重力波の増幅度は幾何光学を用いた計算よりも大きく下回ることを明らかにした。したがって、Wang et al.[5]の幾何光学を用いた重力波観測頻度の見積もりは過大評価であり、彼等は年間2〜3回の重力レンズを受けた重力波がかかると見積もったが、我々が回折の効果を正しく考慮して重力レンズの確率を計算すると、5〜8年に一回という結論が得られた。

 しかしながらひとたび重力波が重力レンズを受けた場合、その波形を重力レンズを受けていない波形と区別することは可能であることを我々は指摘する。なぜなら幾何光学の場合と異って波動光学では増幅度が周波数に依存し、また連星合体からの重力波の周波数は時間とともに増加するからである。このため重力レンズの二重像の間の時間差に応じて異なる振動数の波が重ね合わされる結果、重力波のうなり現象が生じることを我々は予言した。

第4章.宇宙空間干渉計LISAによる大質量ブラックホール合体の検出の頻度

 LIGOのような地上の干渉計は10-1000Hzの重力波を検出するのに対して、10-3Hzという低周波重力波の検出を目指すLISAなどの宇宙空間干渉計が計画ざれている[12]。この波長での重力波源としては、インフレーションによって作られる重力波背景放射や銀河中心での大質量ブラックホール合体が期待されている[13]。本章では、LISAがどのくらいの頻度で大質量ブラックホール合体からの重力波を検出するのかを、階層的宇宙構造形成シナリオのもとで見積る[14]。

 この見積もりにおける前提として、(1)観測されている銀河質量と中心ブラックホール質量の経験的関係は、ブラックホール質量〜103まで外挿できること、(2)形成時に温度が104K以上であるダークハローはすべて中心にブラックホールをもっこと、(3)ダークハローの合体後すみやかに中心ブラックホールが合体することを仮定した。ダークハローの合体頻度をプレスシェヒター理論[15]から求め、LISAのノイズスペクトルとアンテナ指向性を考慮に入れて、LISAの検出頻度をS/Nの関数として計算した。その結果S/Nが5以上の検出は年間170回程度、一年間の観測で最大のS/Nは数千程度という結論を得た。また検出されるブラックホールの最尤質量は〜103-4,最尤赤方偏移は〜3であった。高赤方偏移に数多く存在すると思われる小型銀河[16]のために、質量と赤方偏移には負の相関があることを我々は予言した。

参考文献[1]K.S.Thorne.In S.W.Hawking and W.Israel,editors,300 years of gravitation,page 330.Cambridge University Press,Cambridge,1987.[2]C.M.Will.In M.Sasaki,editor,Relativistic Cosmology.Academic Press,1993.[3]E.S,Phinney.Astrophys.J.,380:L17,1991.[4]D.Markovic.Phys.Rev.,D48:4738,1993.[5]Y.Wang,A.Stebbins,and E.L.Turner.Phys.Rev.Lett,77:2875,1999.[6]A.Abramowici et al.Science,256:325,1992.[7]T.T.Nakamura and S.Deguchi.Prog.Theor.Phys.Suppl.,133:137,1999.[8]P.Schneider,J.Ehlers,and E.E.Falco.Gravitational Lenses.Springer-Verlag,Berlin,1992.[9]R.P.Feynmann.Rev.Mod.Phys.,20:267,1948.[10]A.Ulmer and J.Goodman.Astrophys.J.,442:67,1995.[11]T.T.Nakamura.Phys,Rev.Lett,80:1138,1998.[12]P.Bender et al.Lisa pre-phase a report 2nd edition.Technical report[13]B.F.Schutz,In A.Wilson,editor,Proceedings of the 1997 Alpbach Summer School on Fundamental Physics in Space.[14]M.G.Haehnelt.Mon.Not.R.Astron.Soc.,269:199,1994.[15]W.H.Press and P.Schechter.Astrophys.J.,187:425,1974.[16]M.J.Rees.Mon.Not.R.Astron.Soc.,218:25,1986.
審査要旨

 重力波天文学はこれまでの電磁波領域での観測では得られなかった新たな宇宙像をもたらすものとして期待されている。現在、日本の「TAMA」、米国の「LIGO」をはじめとして、重力波を検出するためのレーザー干渉計が数多く建設されている。

 中性子星連星の合体は有望な重力波源の一つと考えられている。この観測を考えたとき、合体による重力波の検出頻度の見積もりや、観測波形から連星の情報を引出す波形の理論計算などが不可欠である。一方、近年、遠方の天体を観測するとき、光線の経路上にある銀河などの重力によって像が多重になったり、明るさが強められる効果、重力レンズ効果が頻繁に観測されるようになった。当然、重力波も我々に届く前に、重力レンズ効果を受けるはずであり、この効果を考慮するなら波形の計算や検出頻度の見積もりは変更を受けるはずである。Wang等は、太陽質量程度のレンズ物体が宇宙空間に分布している状況を想定し、重力レンズ現象による重力波振幅の増幅度の確率分布を計算し、LIGO干渉計の連星合体の検出頻度は、重力レンズ現象を考慮しない場合に比べて、年間数回程度に増加すると推定している。しかしながらこの推定では、重力レンズによる増幅度の計算に幾何光学近似を用いている。連星中性子星合体の際の重力波のような長波長の波動に幾何光学近似が有効であるか疑問である。この論文は、幾何光学近似を用いず、重力波を波動として取り扱い、重力レンズ効果を厳密に調べ、観測される重力波の頻度や波形を世界で初めて明らかにしている。

 まずこの論文の第2章では、重力レンズ現象においてどのような条件のもとで波動効果が重要になるのか、幾何光学近似が有効になるのかを明確にするために、重力レンズ理論を少し曲がった時空中の波動の伝播の立場から定式化している。従来の重力レンズ理論の定式化ではこの条件が見えにくいため、論文提出者は新たに経路積分の手法を用いた定式化を考案し、弱い重力場による回折の公式を導出している。これらの導かれた式を用い、重力レンズ現象において波動効果が重要になる条件を以下のように明らかにしている。(1)波長がレンズ物体の重力半径より長い場合は回折が重要になり、大きな増幅は起らない。(2)重力レンズの時間差が波動の周期より小さい場合は回折が重要。(3)(波源の大きさ)×(重力レンズの曲り角)が波長より大きい場合、回折と干渉は両方とも無視でき幾何光学近似は有効。(4)波動のコヒーレンス時間が重力レンズの時間差より小さい場合、幾何光学近似は有効。(5)波動の時間相関を観測すれば(4)の条件に拘らず干渉効果を観測することは可能である。

 第3章では、一般相対論の連星合体重力波公式と前章の質点レンズ(星)による回折公式から重力レンズを受けた波形を求め、これとレーザー干渉計のノイズパワースペクトルを畳み込むことにより、重力レンズによるS/Nの増幅度を計算している。その結果、レンズ星の質量が太陽質量の百倍よりも軽い場合には回折効果が重要になり、重力波の増幅度は幾何光学を用いた計算よりも大きく下回ることを明らかにしている。論文提出者は従来の、1年間に2〜3回の重力レンズを受けた重力波がかかるという見積は過大でであり、回折の効果を正しく考慮して重力レンズの確率を計算すると、5〜8年に一回であることを明らかにしている。この結果は、観測が難しくなるという否定的側面を持つが、論文提出者は同時に重力波が重力レンズを受けた場合と受けていない波形とを区別することが可能であるという興味深い予言を行っている。波動光学では増幅度が周波数に依存し、また連星合体からの重力波の周波数は時間とともに増加するため、重力レンズの二重像の間の時間差に応じて異なる振動数の波が重ね合わされることになる。論文提出者はこのために重力波にうなり現象が生じることを明らかにし、それが原理的には観測できることを指摘している。

 TAMAのような地上の干渉計は10-1000Hzの重力波を検出するのに対して、10-3Hzという低周波重力波の検出を目指すLISAなどの宇宙空間干渉計が計画されている。この波長での重力波源としては、インフレーションによって作られる重力波背景放射や、銀河中心での大質量ブラックホール合体が期待されている。第4章では、LISAがどのくらいの頻度で大質量ブラックホール合体からの重力波を検出するのかを、階層的宇宙構造形成シナリオのもとで見積っている。その結果S/Nが5以上の検出は年間170回程度、一年間の観測で最大のS/Nは数千程度という結論を得ている。また検出されるブラックホールの最尤質量は〜103-4、最尤赤方偏移は〜3であることを示している。高赤方偏移に数多く存在すると思われる小型銀河のために、質量と赤方偏移には負の相関があることをも予言されている。

 この様に論文提出者は、重力波の重力レンズ効果を波動光学的観点から、経路積分法を用い厳密に定式化を行い、重力波天文学へと応用している。その結果、従来の重力波検出の頻度推定は過大評価されていたことを明らかにした。また連星合体による重力波ではレンズ効果により、従来知られていなかった、うねりが生じることを世界に先駆けて明らかにしている。さらにそれが原理的に観測可能な物理量であることもはじめて指摘している。

 この論文の主な成果は論文提出者が単独で行ったものであり、単著論文として発表されている。また一部の成果は出口修至氏との共著論文として発表されている。しかしその部分においても論文提出者が主体となって計算、解析をおこなったもので,論文提出者の寄与は十分おおきかったものと判断した。したがって博士(理学)の学位を授与できると認める。

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