学位論文要旨



No 114941
著者(漢字) 安部,淳一
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ジュンイチ
標題(和) 高速発光ダイオードを用いた広帯域サブポアソン光の発生
標題(洋)
報告番号 114941
報告番号 甲14941
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3705号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 助教授 清水,明
内容要旨

 サブポアソン光は光子数スクイージングされた光で、通常のレーザーから発するようなコヒーレント光のもつ揺らぎの大きさよりも光子数揺らぎが小さい光である。そのため、近年の飛躍的に進歩した光計測・光通信システムへの応用をめざし研究が行われている。スクイーズド光やサブポアソン光などの非古典光の発生方法には、主に非線形光学過程によるものと、電流注入型の半導体発光素子によるものがある。これら二つの方法のうち、前者によるものは、理論的な体系付けが比較的容易であり、実験との対応もよく調べられているといえる。一方、後者によるものは、非線形光学過程によるものと比べ、エネルギー効率がよく、デバイスの構造や電子系を変化させることによるシステムの制御性がよいため、応用上非常に有利な点をもっている。また、光子数増幅などの応用が可能であることも魅力の一つである。しかしながら、量子力学的な理論が未整備であり、実験も強度ゆらぎを測定したものしかないといった、未解明の部分が多く残っている。そのような理由から、本論文では、半導体発光素子、特に発光ダイオード(LED)を用いて研究を行っている。LEDを使う理由としては半導体レーザー(LD)を用いた場合に比べ、光強度の弱い領域でサブポアソン光の発生が行えるためである。

 優れたサブポアソン光に求められる条件は主に以下の三つがあげられる。i)サブポアソン化が広帯域にわたること、ii)揺らぎの抑圧が大きいこと、iii)光強度が微弱であることである。このうちi)については、通常の定電流駆動による方法では、LEDが自然放出光を用いた発光素子であるため、キャリアの発光再結合寿命によってその上限が決定されると考えられる。しかし、実際には本研究でも議論される、いわゆる巨視的クーロンブロッケイドによる効果を考えなければならない。この効果はポンプ電流比例する形で、サブポアソン化の起こる帯域を制限する。したがって、スクイージング帯域のポンプ電流依存性は、iii)の要請と相容れないものとなる。次に、揺らぎの圧縮量については、素子の発光効率に比例したサブポアソン化が得られる。しかしこれに関しても、非発光課程のえいきょうによりiii)の要請と両立させることが困難である。このように、i)、ii)、iii)全ての条件を満たしたサブポアソン光を作り出すことは非常に困難であるが、本研究では、市販の高速・高効率LEDを用いることにより、広帯域・高雑音抑圧サブポアソン光の発生を可能にしている。さらに、素子を冷却することにより、より広帯域・高雑音抑圧が可能となり、従来に比べ、サブポアソン化帯域で2桁広帯域の〜200MHzで、光強度で2〜3桁微弱な数W領域で、非常に安定にサブポアソン光発生させることに成功している。また、本研究ではサブポアソン化が起こる周波数帯域に関する議論を通じ、発光素子内でのサブポアソン光メカニズムについて多くの知見が得られている。さらに、そのようにして得られた広帯域サブポアソン光の応用として、光量子リピーターの実験(一種の量子非破壊測定、QND測定)を行った。これに関しても、これまでに比べ、2桁以上広帯域な数10MHz帯での実現に成功した。

1.広帯域サブポアソン光の発生

 図1は実験配置図である。サブポアソン光の発生は高抵抗(インピーダンス)を定電圧源に接続し、LED(Hitachi HE8812SG)を定電流駆動することにより容易に実現できる。用いるLEDはGaAlAsダブルヘテロ構造をもつ高速・高効率LEDである。LED1は金属皮膜抵抗Rsを通して定電圧源につながれている。LED1からの光はフォトダイオード(PD,Hamamatsu S6040,量子効率〜0.95)で受光される。また、LED1はLED1-PD間の集光効率を上げるためPDのすぐ正面に殆ど隙間がないよう取り付けてある。PDからの信号はスペクトラムアナライザーを用いて雑音レベルが測定される。雑音の大きさはファノ因子F(=<n2>/)を用いて表される。ショット雑音レベルにある光に対してはF=1、サアブポアソン光に対してはF<1となる。ショット雑音レベル(SNL)の校正は、PDとのカップリング効率を落としたLED2から光(<1%)を同じPDで受光することで行っている。LED1からの来た光の雑音レベルをLED2から来た光の雑音レベルで規格化したものがファノ因子に相当する。

図1 実験配置図。サブポアソン光発生用(LED1)、ショット雑音レベル校正用(LED2)。

 図2はそのようにして得られたファノ因子の例でおる。上側が室温でのデータ(注入電流ILED=5.7mA)、下側が低温(48K)でのデータ(ILED=4.1mA)である。スクイージングの量が半分になる帯域fcは室温でfc=79MHz、低温でfc=165MHzと見積もられる。この帯域はほぼ発光(活性層)領域におけるキャリア電子の発光再結合寿命rad(frad=1/2rad)によって決まっていると考えられる。しかしながら、ILEDが弱い領域ではサブポアソン化の帯域はいわゆる巨視的クーロンブロンケイド効果の影響でp-n接合部の空乏層領域における熱電子放出時間te(=kBTCdep/eILED,Cdep:接合容量)によって制限されるようになる。従って、ILEDが小さい領域では、サブポアソン化の帯域はfte=1/2te(ILEDに比例)で制限されるようになる。

図2 広帯域サブポアソン光。上側:室温(297 K),fc=79MHz 下側:48K,fc=165MHz。

 図3に低温でILEDを変化させたときのサブポアソン化帯域の変化の様子を示す。ILEDが小さい領域ではfteでサブポアソン化帯域が決定されILEDに比例して帯域が拡大する様子が分かる。一方、ILEDが大きい領域では、fradで決定される一定値に漸近していく。fteとfradがどのようにサブポアソン化帯域に影響を与えるかについての議論は、小林・山西らよって、空乏層バリア領域での熱電子放出過程と活性領域でのキャリア電子の再結合過程の間のダイナミクスを考えた、統一モデルが提案されている。特に低温では、統一モデルの熱電子放出極限(thermionic emission limit)と呼ばれる極限でのファノ因子Ftの理論式

 

 に従うことが予想される。ここで、fは観測周波数である。図中の実線は(1)式からサブポアソン化帯域が半分になる帯域fc,thermionicを求め、フィッティングを行ったものであり、実験データとよく一致している。

図3 ILEDを変化させたときのサブポアソン化帯域の変化の様子。実線は熱電子放出極限における理論曲線。
2.光量子リピーターの実現

 光量子リピーターは一種の量子非破壊測定(QND測定)である。この技術を用いれば、信号の伝送において、信号対雑音比(SNR)を劣化させることなく信号の情報を得ることが出来るようになる。通常、光信号を分岐あるいは増幅(位相鈍感な増幅,PIA)を行った場合、真空場の影響により必ず信号に雑音が重畳される。したがって、光信号からビームスプリッターなどを用いて情報を取り出す場合、情報が取り出された後の信号のSNRは必ず劣化することになる。これは信号を取り出す前にPIAを行ったとしても、免れることの出来ない問題でおる。ところが、もし|n>→|Gn>(G>1は正の整数)という光子数増幅(PNA)が実現されると、PNAと情報取り出しを組み合わせることにより、信号光のSNRの劣化を防ぐことが可能になる。半導体発光素子を用いれば、光を電気信号にかえ電気的に信号を増幅することでPNAが実現できる。

 図4に実験配置図を示す。PD1で受光した入力信号はAmp1で電気的に増幅される。増幅された信号は情報とりだしI1(メーター)と信号再生用信号に分岐されLEDgを用いて信号が再生される。

図4 光量子リピーター実験装置。PD:量子効率d、LEDg:信号再生用LED,量子効率g、Att:減衰器。

 図5は入力信号に35MHzの変調信号を加えたときの出力信号とメーター信号のSNRを示したものである。図中のSNRmはメーターのSNRを、SNRoは出力信号のSNRをそれぞれ表している。Amp1の増幅率A1が2倍ではSNRの劣化が9dBほどみられるが、A1=35にするとほとんどSNRの劣化を確認出来ないほどになる。

図5 10MHz変調時における出力信号のSNRo増幅率A1の増大とともにSNRoが改善される様子が分かる。

 図6は10,35,50,100MHz変調時の入力信号のSNRiで規格化した出力信号のTs(=SNRo/SNRi)を縦軸に、増幅率を横軸にとったグラフである。PD1の量子効率をd、LEDgの量子効率をgとすれば、増幅が全くない場合(G=1)、TsはTsdgで与えられる。また、Tm(=SNRm/SNRi)はPD1の量子効率のみによって決まり、Tmdとなる。一方、増幅率が大きくなるとTsはLEDgでの損失が無視できるようになりTsdとなる。図では増幅率が大きくなるに従い、Ts/d,が1に近づいていく様子が分かる。変調周波数によって漸近の様子が異なるのは、周波数によってLEDgから発生するサブポアソン光のファノ因子の大きさが異なるためである。通常の雑音のないビームスプリッターで情報を取り出した場合、Ts+Tmの限界は1である。今回得られた実験結果では、10MHz変調時でTs+Tm=1.90±0.05、50MHz変調時でTs+Tm=1.79±0.05、100MHz変調でTs+Tm=1.41±0.05を実現している。これは光量子リピーターの条件Ts+Tm>1を大きく上回る結果である。

図6 増幅率の変化に伴うTsの変化の様子。
審査要旨

 サブポアソン光は光子数スクイージングされた光で、光子数揺らぎが通常レーザーから発するようなコヒーレント光のもつ揺らぎの大きさよりも小さい光である。そのため、近年の飛躍的に進歩した光計測・光通信システムへの応用をめざし、研究が行われている。優れたサブポアソン光に求められる条件は主に以下の三つがあげられる。i)サブポアソン化が広帯域にわたること、ii)揺らぎの抑圧が大きいこと、iii)光強度が微弱であることである。i)、ii)、iii)全ての条件を満たしたサブポアソン光を作り出すことは非常に困難であるが、本研究では、市販の高速・高効率LEDを用いることにより、広帯域・高雑音抑圧サブポアソン光を、非常に安定に発生させることに成功した。更に、広帯域サブポアソン光の応用として、量子光リピーターの実験(一種の量子非破壊測定、QND測定)の実験を行っている。

 論文の構成は以下のとおりである。まず第2章では光の量子論について簡単にまとめ、第3章で高インピーダンス(抵抗)を用いた半導体発光素子によるサブポアソン光の発生について、その原理について説明を行い、サブポアソン光が発生するための用いるべき高抵抗の条件について考察し、第4章では広帯域サブポアソン光の発生について述べている。第5章では第6章で必要となる光子数増幅(PNA)と量子非破壊(QND)測定について説明し、第6章ではこれまでに得られた広帯域・高雑音抑圧サブポアソン光の応用として、光量子リピーターの実験結果について記述している。以下では内容的に1.広帯域サブポアソン光の発生、2.光量子リピーターの実現とに分けて要約する。

1.広帯域サブポアソン光の発生

 サブポアソン光の発生は高抵抗(インピーダンス)を定電圧源に接続し、LED(Hitachi HE8812SG)を定電流駆動することにより実現した。フォトダイオード(PD,Hamamatsu S6040,量子効率〜0.95)からの信号の雑音レベルを、スペクトラムアナライザーを用いて測定した。雑音の大きさはファノ因子F(=<nn>/)を用いて表される。ショット雑音レベルにある光に対してはF=1、サアブポアソン光に対してはF<1となる。

 スクイージングの量が半分になる帯域fcは室温でfc=79MHz、低温(48K)でfc=165MHzと見積もられる。この帯域はほぼ発光(活性層)領域におけるキャリア電子の発光再結合寿命rad(frad=1/2rad)によって決まっていると考えられる。しかしながら、ポンプ電流値ILEDが低い領域ではサブポアソン化の帯域は、いわゆる巨視的クーロンブロッケイド効果の影響でp-n接合部の空乏層領域における熱電子放出時間te(fte=1/2te)によって制限され、、サブポアソン化帯域が制限される。

 つまり、低温においてILEDが小さい領域ではfteでサブポアソン化帯域が決定されILEDに比例して帯域が拡大する。一方、ILEDが大きい領域では、fradで決定される一定値に漸近していく。fteとfradがどのようにサブポアソン化帯域に影響を与えるかについての議論は、小林・山西らよって、空乏層バリア領域での熱電子放出と活性領域でのキャリア電子の再結合のダイナミクスを取り入れた統一モデルが提案されている。特に低温では、統一モデルのthermionic emission limitと呼ばれる極限でのファノ因子Ftの理論式に従うことが予想され、実際本実験データとよく一致した。

2.光量子リピーターの実現

 光量子リピーターは一種の量子非破壊測定(QND測定)で、これを用いれば、信号の伝送において、信号対雑音比(SNR)を劣化させることなく信号の情報を得ることが出来る。通常、光信号を分岐あるいは増幅(位相鈍感な増幅,PIA)を行った場合、真空場の影響により必ず信号に雑音が重畳される。したがって、光信号からビームスプリッターなどを用いて情報を取り出す場合、情報が取り出された後の信号のSNRは必ず劣化する。ところが、もし光子数増幅が実現されると、それと情報取り出しを組み合わせることにより、SNRの劣化を防ぐことが可能になる。半導体発光素子を用いれば、光を電気信号に変え電気的に信号を増幅することでPNAが実現できる。本博士論文ではPDで受光した入力を増幅した信号は情報取り出しと信号再生用信号に分岐されLEDを用いて信号を再生する装置を用いて実験し、その結果光量子リピーターの条件を満たす結果を得た。

 なお、本論文は久我隆弘、小林正英、篠崎元、山西正道、平野琢也氏等との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、本人の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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