学位論文要旨



No 114944
著者(漢字) 内山,隆
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,タカシ
標題(和) 重力波レーザー干渉計用低温鏡の研究
標題(洋)
報告番号 114944
報告番号 甲14944
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3708号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坪野,公夫
 東京大学 助教授 関口,真木
 東京大学 助教授 手嶋,政廣
 国立天文台 助教授 川村,静児
 東京大学 助教授 江尻,晶
内容要旨

 重力の直接検出を目指している。重力波の直接検出は一般相対性理論の実験的検証のみならず、重力波天文学としての始まりにつながる。それは、現在の「光」の天文学とは異なる、重力波によってのみ知ることの出来る新たな宇宙像を提示するものと期待されている。

 重力波は1916年のA.Einsteinの一般相対性理論において初めて予言された。そして、1974年のR.HulseとJ.Taylorによる連星中性子星の発見と観測は、重力波の間接的な検出へと導いた。重力波は明らかに存在する。しかし、直接検出の試みは1969年のJ.Weberを皮切りに、世界各地で取り組まれてきたが未だに成功していない。そのような状況のもと、検出器の主力はWeberの始めた共鳴型から、レーザー干渉計へとシフトしている。そして、感度向上の努力が続けられている。

 干渉計は基線長数十mのプロトタイプから始まり、本格的に検出を目指した数kmの大型干渉計へと移行しつつある。干渉計の感度は大きさに比例するので、約二桁の感度向上が期待できることになる。この大きさの改革は2002年のLIGO計画(基線長4km)の第一次観測の開始で一つの山場を迎え、大型干渉計を作り、動作させるという方法が確立されると考えられる。しかし、逆に言えば大型化による感度向上はこれ以上望めない。

 さらに重力波レーザー干渉計の感度を向上させるには、「地面振動」「熱雑音」「ショットノイズ」等の様々な雑音を抑えていく必要がある。そのために地面振動には低周波防振装置、ショットノイズに対しては高出力、高安定レーザーやPower recycling等の先進的な方法が提案、研究されている。本研究では熱雑音を改善する全く新しい方法である「低温鏡」を提案する。具体的には、重力波レーザー干渉計の鏡を含む懸架装置全体を極低温に冷却し、熱雑音の低減をはかる。この研究は1997年度より、LCGT(Large-scall Cryogenic Cravitational wave Telescope)を実現するための基礎技術として、東京大学宇宙線研究所と高エネルギー加速器研究機構低温工学センターとの共同開発研究として始まった。

 重力波レーザー干渉計はレーザー光を反射する鏡を振り子状に懸架している。熱雑音とは、熱的にその鏡や懸架装置に対して、「振り子運動」「懸架ファイバーの弾性振動」「鏡自身の弾性振動」が励起され干渉計の光路長に重力波と区別できない変化をもたらされることを言う。

 熱振動振幅と、系のQ値Qと温度Tの間には

 

 の関係がある。しかし、現在の干渉計は室温での動作が前提となっているため、Q値の大きい鏡や懸架装置の開発が熱雑音対策として採られてきた。さらなる、熱雑音の改善のため、もう一つのパラメータである温度も積極的に下げることを考えた。これが低温鏡の考えである。

 検出器を極低温に冷却して熱雑音を下げ、感度の向上を図るという方法は決して真新しいものではない。実際に、共鳴型の重力波検出器では積極的に行われてきた。それでも、干渉計に低温技術を導入するという試みは今までなされなかった。その主な理由として、

 ・レーザー光を吸収して発熱する鏡を冷却する方法がない。(発熱問題)

 ・鏡を冷却するとクライオポンプの効果で鏡面が汚染される。

 等の困難な課題が予想されたからである。

 本研究では上で挙げた最初の課題である、発熱問題の解決に取り組み、次に示す低温鏡懸架装置を考案した。それは「単結晶サファイアシリンダーを基材とする鏡」を「単結晶サファイアファイバー」で懸架する方法である。ファイバーの熱伝導で鏡を冷却し、かつ、サファイアの低温でQ値が増大する性質を生かして熱雑音の低減をはかる。これが低温鏡懸架装置のねらいである。

 その低温鏡懸架装置に関して、「鏡を冷却できるか」、「冷却によって重力波レーザー干渉計の熱雑音の改善が望めるか」を評価した。具体的には以下にリストする三種類の実験を行った。

 ・低温鏡懸架装置で吊したサファイアシリンダーの加熱時の平衡温度。

 ・低温鏡懸架装置で吊したサファイアシリンダーのQ値の温度依存性。

 ・サファイアファイバーの低温でのQ値。

 熱雑音の改善を調べるには、懸架装置の熱振動を測定するのが望ましい。しかし、振動レベルがあまりに小さいため現実的で無い。そこで鏡の基材となるシリンダーのQ値とファイバーのQ値を測定し,それをもって評価することにした。

 低温鏡懸架装置の冷却性能を調べる実験では、二本のサファイアファイバー(直径250m)で吊したサファイアシリンダー(直径100mm、長さ60mm)にヒーターを取り付け加熱し、シリンダーの「平衡温度」を調べた。それとは独立にファイバーのみの「熱伝導」の測定も行いファイバーとシリンダーの間にある、「熱接触抵抗」の大きさを評価した。この実験の成果を使って低温干渉計の鏡の温度を概算することが出来る。図1に結果を示す。この結果からは300Wの実効パワーを持つ干渉計において、鏡の温度は約30Kまで冷却することが出来る。低温鏡懸架装置で鏡の冷却は可能であることが分かった。

図1:鏡の温度。縦軸が鏡の平衡温度、下横軸が鏡の発熱量、上横軸が実効レーザーパワーを表す。30Wの実効レーザーパワーを仮定したとき、発熱量が2.1mWで、鏡の温度が15K程度になることが分かる。逆に鏡の温度を限界値30Kまで上げることを考えると、実効レーザーパワーで300W程度まで許されることになる。

 次に、サファイアシリンダー(直径100mm、長さ60mm)を重力波干渉計の鏡と同じように低温鏡懸架システムで吊し、そのシリンダーのQ値の温度依存性を測定した。室温時と冷却時のQ値を比較し、冷却による鏡の熱雑音の改善を評価した。重力波干渉計の熱雑音に最も寄与すると考えられる低次の軸対象モード二つに関して測定を行った。最も低周波なのがfundamental mode(51kHz)、その次がlongitudinal mode(68kHz)である。Q値の評価方法としては、振動を励起してその振幅の自由減衰の時間変化を測定した。図2に測定結果を示す。この測定結果から明らかに冷却によってサファイアシリンダーのQ値は大幅に改善され、低温鏡によって鏡の熱雑音の低減が期待できることが明らかになった。

図2:サファイアシリンダーのQ値の温度依存性の測定結果。

 最後に、低温(78Kと6K)でのサファイアファイバーのQ値測定を行った。実は、室温でのサファイアファイバーのQ値はすでに測定されていて、200Hzで約5×103という値がでている。同じ文献で測定されている溶融石英ファイバーが105から106前半の値を出していることに比べるとこの値は決してよい値ではない。しかしこの測定結果は周波数依存性からサファイアファイバーの熱弾性効果によることが分かっている。この効果はヘリウム温度付近では無視できるほどに小さくなる(1/Q=10-15程度)ため、極低温では高いQ値をサファイアファイバーに期待することができる。低温でのサファイアファイバーのQ値測定は初めての試みである。室温の溶融石英ファイバーのQ値106と6Kで測定したサファイアファイバーのQ値を比較して冷却による熱雑音低減の評価をする。

 ファイバーはその片端のみをクランプで固定し横振動の最低次のモード(bending motion)のQ値を測定した。このモードの共振周波数はファイバーの長さに依存する。そこで、Q値を測定するごとにファイバーの自由端を少しづつカットし、同じモードの周波数依存性を調べた。Q値の間方法は、シリンダーの場合と同じで、励起した振動振幅の自由減衰の時間変化から求めた。図3に6Kでの測定結果を示す。この測定結果から明らかなように、6KのQ値の測定結果は全ての測定点で106を越えた。この測定値から低温鏡懸架装置によってファイバーの散逸に依存した熱雑音の低減が期待できる。

図3:6KでのQbの周波数依存性。

 以上の実験結果を受け、

 ・サファイアファイバーの熱伝導で、加熱した鏡を冷やすことに成功した。

 ・実際に低温鏡懸架装置で吊したサファイアシリンダーのQ値を測定し、冷却によってQ値が一桁以上増大し、108に達することを確認した。低温化と合わせて、鏡の熱雑音は振幅にして一桁以上の改善がみこめる。

 ・低温でのサファイアファイバーのQ値の測定を行い、最高で107を越える値を測定した。室温の溶融石英ファイバーと比べても優れた値で、低温化と合わせ、振り子の熱雑音、バイオリンモードの熱雑音など、ファイバーの散逸に依存した熱雑音の低減が期待できる。

 以上により、低温化による熱雑音改善の目処が立ち、LCGT等の低温重力波レーザー干渉計実現の為の基礎を確立できた。本研究は、日本のみならず世界の重力波レーザー干渉計の高感度化と重力波の直接検出に貢献するだろう。

審査要旨

 本論文では、レーザー干渉計重力波検出器の感度を向上するために、干渉計に用いるミラーを冷却する技術を考案し、実際に冷却可能であることを実験的に示した.

 現在、レーザー干渉計を用いた重力波検出器の建設が世界各地で進み、「重力波検出」の実現が近づいている.しかし、「重力波天文学」として成立させるためには、さらに検出器の高感度化が不可欠である.レーザー干渉計の感度を決めている主な雑音源は、「ショット雑音」、「熱雑音」、「地面振動雑音」の3つである.

 レーザー干渉計重力波検出器ではミラーを振り子状に懸架しているため、問題となるのは「懸架ファイバーからの熱雑音」と「ミラー自身の熱雑音」の2つである.いずれの雑音も、系の散逸1/Qと温度Tによって支配される.熱振動振幅をxとすると、Q,Tとの間に

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 の関係がある.現在の干渉計は室温での動作が前提であるため、散逸の少ないミラーや懸架法の開発が主な対策法であった.ここではもうひとつのパラメータである温度を積極的に下げ、熱雑音を低減することを考えている.

 レーザー干渉計に低温技術を導入するとき、

 ・レーザー光の吸収による発熱をともなうミラーを冷却する方法がない

 ・ミラーを冷却するとクライオポンプの効果で鏡面が汚染される

 などの困難な課題が予想されていた.

 本研究では熱雑音を改善する一つの方法として、干渉計のミラーを含む懸架装置全体を極低温に冷却する「低温ミラー」を提案している.そして、これによって「ミラーを冷却できるか」、「冷却によって重力波検出器の熱雑音の改善が可能か」の2点を評価した.具体的には、次の3つの実験を行った.

 ・低温ミラー懸架装置で吊るしたサファイアシリンダーの加熱時の平衡温度測定.2本のサファイアファイバーで吊るしたサファイアシリンダーにヒーターを取り付けて加熱し、シリンダーの平衡温度を調べた.この結果、300Wの実効レーザーパワーをもつ干渉計において、ミラーの温度を30Kまで冷却できることを示した.

 ・低温ミラー懸架装置で吊るしたサファイアシリンダーのQ値の温度依存性測定.冷却によってミラーのQ値が改善し、低温ミラーによって熱雑音の低減が期待できることが明らかになった.

 ・サファイアファイバーの低温でのQ値測定.6KでのファイバーのQ値は106を越え、これより、ファイバーの散逸による熱雑音の低減が期待できることがわかった.

 以上の実験結果により、熱発生のあるミラーをサファイアファイバーによって冷却できることが実証された.また、ミラーおよび懸架ファイバーの素材であるサファイアのQ値が低温で向上し、熱雑音の低減が見込めることが確認された.

 このような形でのミラー冷却は初めての試みであり、冷却可能であることを示した意義は大きい.これにより、低温ミラー使用のレーザー干渉計の実現可能性が拓かれ、干渉計の熱雑音低減の目処が立った.これは将来のレーザー干渉計の高感度化に大きく貢献すると思われる.

 なお本論文は、東京大学宇宙線研究所と高エネルギー加速器研究機構低温工学センターの共同研究として進められたが、論文提出者が主体となって開発、研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される.

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54757