学位論文要旨



No 114948
著者(漢字) 大橋,政司
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,マサシ
標題(和) Tmモノカルコゲナイドにおける圧力誘起転移相の物性研究
標題(洋)
報告番号 114948
報告番号 甲14948
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3712号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加倉井,和久
 東京大学 教授 寿栄松,宏仁
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 上田,和夫
内容要旨 1序論

 f電子が存在する化合物の中で、少数キャリア系と呼ばれる物質群はキャリアの数が1原子あたり数%以下しか存在せず、系のフェルミエネルギーが小さい。つまり電子の運動エネルギーが小さいので、これと磁性を含めた各種相互作用の大きさが拮抗している。圧力・温度・磁場といった外場に対してきわめて敏感で、多彩な物性が展開される。

 Tmモノカルコゲナイド(TmX;X=O,S,Se,Te)は、NaCl型の少数キャリア系物質群に属する。価電子帯であるカルコゲンp軌道と伝導帯である稀土類5d軌道が数eVほど離れているため、4f軌道と5d軌道の位置関係が重要となり、わかりやすくいえば、4f軌道と5d軌道が離れていれば絶縁体、4f軌道と5d軌道を近づけていって、接触したところでキャリアの少ない金属になることが予想される。理論的にも取り扱いやすく、実験結果と理論とを比較しながら現象を深く掘り下げていくことのできる物質群であり、古くから多くの研究の積み重ねがある。

 TmTeは格子定数が比較的大きく、Tm+2価、逆にTmSは格子定数が小さいグループに属しておりTm+3価、TmSeはその中間の物質であると考えられている。Tm化合物における価数揺動では、4f12と4f13の両方が磁性状態であるため、片方が磁性状態であるCeやYb化合物における価数揺動と比べて問題が複雑で、1970年代後半から価数揺動物質TmSeを中心にして、盛んに研究されてきたが、未解決のまま現在に至っている。

 この物質系において、4f準位と伝導帯との距離を制御することは、局在、遍歴の中間領域にある電子が生み出す多彩な現象を調べる上で有意義なことである。そのために圧力で格子状数を直接変化させることは非常に有効な実験手段である。この論文では、圧力によって格子定数を制御し、Tmの価数を変化させることによって2価から3価に至るまでにあらわれる様々な金属相、非金属相、磁気秩序相の物性を調べる。

 本研究の最終的な目標は、Tmモノカルコゲナイドにおける価数揺動状態と、そこでの様々な磁性と伝導の性質がどのようにして起きるのかを、実験的に明らかにしていくことにある。すなわち、2価の磁性半導体であるTmTeに始まって、価数揺動状態のTmSe、ほとんど3価ではあるが依然として異常な金属であるTmSを経て、最後は普通の3価金属に至るまでの過程を実験的に観測することが最終目標である。

 まず、TmX全般の圧力効果を調べるうえで基礎となるべき圧力-温度相図を作成する。それによって、TmXで現れる多彩な物性と、加圧にともなう格子定数変化との関連を調べる。次に、これら一連の研究のスタート地点であるTmTeについての圧力・磁場効果を調べる。それによって、2価の磁性半導体から価数揺動状態に至るまでの物性、価数揺動状態において見られる強磁性相の物性を調べ、常圧ですでに価数揺動状態にあるTmSe,TmSとの比較をおこなう。

2実験方法

 低温高圧下において、温度変化をさせながら測定する実験で特に問題となることは、圧力伝達機構をはじめ、高圧容器、圧力媒体なども温度変化に伴って熱収縮、あるいは熱膨張を起こし、試料に加わる圧力が温度とともに変化するばかりでなく、静水圧性が損なわれてしまうことである。このような困難をさけるためには、低温でも圧力の加減が可能な高圧用クライオスタットを用い、常に一定荷重が圧力発生、及び伝達機構に測定温度領域全てにわたり、油圧系統をコントロールすることによって温度の変化分を補償することである。このような工夫を凝らした装置が定荷重直接加圧型の低温高圧装置である。

 我々の研究室では長年にわたり、定荷重直接加圧型の低温高圧装置による、精密測定技術の蓄積があり、本研究においてもその成果を十分に利用させていただいた。TmXは低温、高圧、強磁場といった外場に対して敏感なので、その物性を調べるためにの測定系を整備した。

 加圧はブリッジマンタイプに代表される、2つの向かい合ったアンビルの間に試料と圧力媒体を挟んで押しつぶす方法をとった。この方式は小型かつ構造が単純で、物性測定などを簡易的に行うことができるので、市販の超伝導マグネットと組み合わせることによって、磁場中高圧下での測定が可能となった。

 この装置をTmXに対して用い、2K,6GPa,5T程度までの環境下で主に電気抵抗、磁気抵抗、ホール係数の測定をおこなった。

 なお、本研究で用いられた単結晶(TmTe,TmSe,TmS,SmS)は、すべて東北大学理学部磁気物理研究室の鈴木孝先生のグループによって育成されたものである。

3TmX圧力-温度相図

 圧力-温度相図作成は、おもに電気抵抗測定によっておこなわれた。本研究において、TmTe,TmSe,TmSの3試料全てに対して圧力下における電気抵抗率の温度依存性が系統的に測定され、これらの示す特徴が明らかとなった。

 第一の特徴は、低温における抵抗率の圧力依存性に極大が見られることである。TmTeは加圧によって、Tm+2価の磁性半導体から価数揺動状態にあると思われる強磁性金属に転移することが知られているが、さらに加圧していくと、Tcの減少とともに半導体的ふるまいが出はじめ、ついにはTmSeとよく似た、磁場に対して非常に敏感な半導体に変化することがわかった。半導体的ふるまいが強くなる傾向は6GPa付近の構造相転移相直前の圧力まで続き、構造相転移がおこるとまた金属的な伝導を示すようになった。

 同様な傾向はTmSe,TmSでも見られ、低温での電気抵抗率を圧力に対してプロットすると、TmXすべてにおいてP曲線に極大が見られた。

 第二の特徴は、加圧にともなって多彩な磁気秩序相が現れることである。本研究においては、主に抵抗率に見られる異常から相境界を見積もっているが、得られた相図は帯磁率や中性子散乱実験によって求められたものともよい一致を見せる。それぞれの磁気秩序相は磁場に対しても敏感であるが、磁場中での測定においても全ての物質に共通な特徴が見られ、この物質群を統一的に理解する法則の存在をうかがわせる。

 この現象をより深く理解するために、圧力誘起によって出現したTmTe価数揺動状態についてさらに詳しく調べることにより、常圧で価数揺動状態にあり、古くから多くの研究者による研究の蓄積があるTmSeや、TmSとの比較検討を行った。

4TmTe

 磁性半導体であるTmTeのエネルギーギャップは、加圧とともに単調に減少していくことが電気抵抗率、ホール係数の温度依存性測定からわかった。Teの欠損による不純物伝導を考慮に入れることにより、低圧絶縁体相で見られた輸送現象を理解することができた。

 価数揺動状態にあると思われるTmTe高圧下強磁性相においては、強磁性物質に一般的に見られるホール電圧の磁場依存性が見られた。正常ホール効果と異常ホール効果の寄与を分離し、キャリア数を見積もった。キャリア数は加圧とともに増大し、その増加量は、Link等の中性子散乱実験で得られた強磁性磁気モーメントの加圧にともなう減少と、ほぼ対応している。この結果は、4f準位と5dバンドが接触することにより、5dバンドに電子が導入されたぶんがキャリア数に、残った分が強磁性秩序の交換相互作用の大きさに関係していることを示唆する。

5高圧下TmTeと、TmSe,TmSとの比較

 高圧下TmTeホール係数の温度依存性のふるまいは極大をもち、高温側はキュリーワイス的、低温側では急激に減少した。これはTmSe,TmSにも同様に見られる現象である。そこで、正常ホール効果と異常ホール効果の寄与を分離による解析をおこない、同様な現象を見せる重い電子系物質との比較をおこなった。

 高温側のホール係数のふるまいからskew散乱の位相シフトが見積もられ、TmXで見積もられた2=0.15〜0.71は、一般的な重い電子系物質であるCe化合物の値より幾分大きいものの、あり得ない値ではない。しかしその一方で、低温側では、一般の重い電子系物質でも見られない現象が見られる。すなわち、6.1GPaのTmTe電気抵抗率は、磁気秩序を示唆させる異常を見せた後、低温で増大する。同様な現象はTmSe,TmSにおいても見られている。この結果と、加圧にともなってキャリア数が増大するというホール効果測定の結果とは互いに矛盾している。

 そこで,TmX価数揺動状態において、磁場に対して敏感なエネルギーギャップを仮定し、電気抵抗や磁気抵抗、ホール効果の解析を試みた。その際、ホール効果の特異なふるまいは異常ホール効果によるものだけではなく、キャリア数の変化にもよるものであるという仮定を用いた。それによって、TmXにおける測定結果がある程度再現できた。このことは、TmX価数揺動状態において、何らかのギャップが生じていることを示唆する。

6まとめ

 TmX全般について低温高圧下での電気抵抗測定が精密におこなわれ、圧力-温度相図が作成された。その際、新たな相もいくつか観測された。これは、今後この物質系をより詳しく調べていく上で有意義な結果である。

 TmX価数揺動状態において、エネルギーギャップの存在の可能性が示唆された。ギャップの大きさはTmX全般において数meV程度と大差なく、圧力依存性もあまり見られない。今後、近藤半導体と呼ばれるYbB12やSmB6との比較などにより、さらに深く掘り下げていく必要がある。

審査要旨

 磁性物質におけるキャリア濃度の変化は交換相互作用の性格及び強さに大きな影響を及ぼすことが知られている。ドーピング効果により金属-絶縁体転移を示すEuモノカルコゲナイドや巨大磁気抵抗効果を示すLaマンガナイトが顕著な例である。これらの系におけるキャリア濃度の変化は異なる価数を持つ希土類イオンで置換することにより実現される。しかしこの様な置換は局所的電荷特異状態を起こし、例えば不純物状態やバウンド磁気ポラロン状態の発生原因となりうる。より均一なキャリア濃度の変化は全磁気的原子の価数揺動状態を制御することにより実現できると思われる。論文提出者はTmモノカルコゲナイドにおける価数揺動状態に着目し、圧力による価数揺動状態の制御により、この一連の物質の磁性と伝導を系統的に研究した。Tm価数が2価の磁性半導体のTmTeから、2+と3+の間の値を示す価数揺動物質として知られているTmSeを経て、ほぼ3価のキューリー定数を持つが依然として異常な金属であるTmSに移行する際の電子物性の変化の過程を圧力をパラメターとして実験的に明らかにすることが本論文の主題である。

 論文提出者はこの目的を達成するために磁場中における低温、高圧下の測定環境(T=2K〜300K;P=0〜7GPa;H=最高15T)を整備し、TmTe,TmSe,TmSの圧力下における電気抵抗、磁気抵抗、ホール効果の温度依存性を詳細に測定し、その膨大なデータから圧力下におけるこの少数キャリア系の相図及び系統的な物性の変化を抽出した。

 本論文の構成は第1章で物理的背景及びこれまで研究されてきたTmモノカルコゲナイドの物性について概観した後、第2章で実験装置及び測定方法を記述してある。第3章では磁性体における電気抵抗、ホール効果の理論の結果を簡単に纏めてある。第4章ではTmTe,TmSe,TmSの実験結果を記述してある。第5章では前章の実験結果からTmTe,TmSe,TmSの圧力-温度相図を導き、その考察を行っている。第6章ではTmTeの絶縁体相における実験結果の考察、そして第7章ではTmTe,TmSe,TmSの価数揺動状態における実験結果の考察を、重い電子系物質との比較等により、行っている。

 これ等の測定の結果及びその考察からTmモノカルコゲナイド系に関する以下のような主な新しい知見が得られた。

 1)この一連のTmモノカルコゲナイドの圧力-温度相図が作成された。

 2)カルコゲンの違いにかかわらず各圧力下における単位格子体積の変化に伴って磁気構造や転移温度が系統的に変化する様子が明らかにされた。

 3)同じように高温側の電気抵抗率の温度依存性に関してもカルコゲンの違いにかかわらず単位格子体積の変化に伴って系統的に変化する事が明らかにされた。

 4)しかし低温における電気抵抗率は単位格子体積の変化だけでは系統化出来ない事も明らかになり、磁気秩序との関連が示唆された。

 5)TmTeの高圧下(6.1GPa)において、常圧のTmSeで見られる特異な半導体的振る舞いが観測された。これは少数キャリア金属から半導体へ移行する過程が圧力により連続的に制御されたと解釈できる。

 本論文で新たに発見されたこれ等のTmモノカルコゲナイドにおける圧力-温度相図及び価数揺動状態の圧力変化はこの少数キャリア系物質群の研究に新しい知見を提供するもので、この後行われた、または将来行われるであろうTmモノカルコゲナイドの微視的研究の基盤をなすものであり、学位論文として十分な内容を持っている。

 なお、本論文の一部は、複数の研究者との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析及び考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。したがって審査員全員により博士(理学)の学位を授与できると認めた。

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