学位論文要旨



No 114950
著者(漢字) 岡本,淳
著者(英字)
著者(カナ) オカモト,ジュン
標題(和) Ru酸化物の光電子分光及び磁気円二色性による研究
標題(洋) Photoemission and magnetic circular dichroism studies of Ru oxides
報告番号 114950
報告番号 甲14950
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3714号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,征靖
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 神谷,幸秀
 東京大学 助教授 福山,寛
 東京大学 教授 高木,英典
内容要旨 1.

 強相関電子系においては電子-電子相互作用が強く、その電子構造をHartree-Fock近似のバンド理論の範囲内で説明することは難しい。電子相関はHartree-Fock近似に取り込まれていない効果で、強相関電子系の物性において重要な役割を担っている。3d遷移金属酸化物は典型的な強相関電子系であり、金属-絶縁体転移、高温超伝導、強磁性、反強磁性と多彩な電気的・磁気的性質を示す。3d遷移金属酸化物の電子状態はここ20年以上にわたって活発に研究されている。金属相から絶縁体相への転移はHubbardによって提案された電子間のCoulomb斥力Uとバンド幅Wの比をパラメータとするHubbardモデルに基づいて研究され、電子相関の影響は有効質量比の増大に最も顕著に現れている。4d遷移金属酸化物については、その電子構造は3d遷移金属ほどには研究されては来なかった。4d軌道が3d軌道より拡がっていてCoulomb斥力の影響もより弱いことから、一電子描像のバンド理論の範囲内でその電子状態はかなり説明できると思われていたためである。しかし、近年、4d遷移金属酸化物、とくにRu酸化物においてp波超伝導体や金属-半導体転移、反強磁性Mott絶縁体といった興味深い物性を示すことが報告され、電子相関が4d軌道内でどのように多彩な物性と関連しているのか研究することが、電気的・磁気的性質のメカニズムを考える上でも重要な問題となっている。

 光電子分光は強相関電子系の電子状態を調べるうえで強力な手法である。光電子放出の過程では系の電子数が変化するため、光電子スペクトルは電子相関の影響を強く反映する。そのため、輸送特性と光電子分光により観測された電子状態の比較は重要な情報を提供する。磁気円二色性(MCD)は、巨視的な磁化を持つ物質の左右円偏光に対する応答の違いを観測し、電子構造と磁気的性質の関係を調べるうえで効果的な手法である。特に、内殻吸収分光(XAS)におけるX線磁気円二色性(MCXD)は、TholeやCarra等によって発見された磁気光学総和則を適応することで、物質を構成する各元素での軌道磁気モーメントとスピン磁気モーメントを得ることができる。

 本論文ではRuO6八面体を構造単位としたRu酸化物の電子状態を研究する。光電子スペクトルとバンド計算から求めた状態密度との比較を通して、4d遷移金属酸化物の電子構造における電子相関の影響を考察し、磁気円二色性を用いて各元素での磁気モーメントの情報を得て磁気的性質と電子構造の関係について研究を進める。

2.SrRuO3の光電子分光、逆光電子分光

 強磁性金属であるSrRuO3の電子状態を高分解能紫外線光電子分光と逆光電子分光を用いて調べた。Fermi準位の上下で観察されたRu 4d伝導バンドは局所スピン密度近似で得られたバンド計算結果と比較してエネルギー幅が拡がっており、またFermi準位上の強度もバンド計算のそれと比較して減少していた。バンド状態密度をFermi流体論に基づいて現象論的に導入した自己エネルギーを用いて補正し、スペクトル状態密度を求め、測定スペクトルと比較した。その際、測定で得られた電子比熱係数の示す有効質量を満たすように補正した。有効質量比は〜4.4とやや大きかったが、規格化定数Zは0.08と非常に小さかった。このことから、SrRuO3においては自己エネルギーの波数依存性が非常に大きいこと、非常にインコヒーレントな金属であることが示された。

 また、強磁性転移温度(Tc〜160K)での電気抵抗の異常を調べるため、Tcの上下の温度での状態密度を光電子分光と逆光電子分光を用いて測定したが、有意な変化は見られなかった。

3.Tl2Ru2O7の光電子分光、逆光電子分光

 120Kにて金属-半導体遷移を示すpyrochlore型Ru酸化物Tl2Ru2O7の電子構造を高分解能紫外線光電子分光および逆光電子分光にて測定した。pyrochloreは、perovskiteの160°-180°に対して135°と小さいRu-O-Ru結合角を持ち、配位子O2p軌道を介したRu 4d軌道の重なりが小さく電子相関の寄与が大きいことが予想される。LDA近似によるバンド計算との比較から、SrRuO3の場合と同様Ru4dt2g軌道での電子相関が大きいことを示した。金属-半導体転移温度の上下の電子状態を、高分解能紫外線光電子分光と逆光電子分光で測定した。Fermi準位付近の電子状態を主として構成するRu 4d t2g状態は転移点の上下にて電気抵抗率や磁気感受率の温度依存性に対応する大きな状態密度の変化を見せた。LDAバンド計算等でFermi準位に存在が予想されるTl6s非占有状態は、逆光電子分光スペクトルの結果では有意な温度依存性は見られなかった。以上から、Tl2Ru2O7の輸送現象は主としてFermi準位近傍のRu 4d t2g状態で決まっていることを結論した。

4.SrRuO3の光電子放出磁気円二色性

 強磁性金属SrRuO3の光電子放出磁気円二色性を、真空紫外線領域の円偏光放射光を用いて測定し、得られた磁気円二色性スペクトルを非制限Hartree-Fock法で計算した理論曲線と比較した。SrRuO3の占有状態における磁気的性質と電子状態の関連を調べた。磁気円二色性の構造は主としてFermi準位近傍のRu 4d軌道がメインの領域で見られた。このことから、Ru 4d軌道内の強いスピン軌道相互作用のため、Ru 4dの軌道角運動量の分布に偏りが生じていることが示唆された。

5.SrRuO3のX線吸収磁気円二色性

 強磁性金属SrRuO3のRu 3p,4p,及びO1s内殼準位に対し、X線吸収磁気円二色性の測定を行った。Ru 3p内殻X線吸収磁気円二色性スペクトルを磁気光学総和則を用いて解析し、Ru 4d状態の軌道磁気モーメントMorb及びスピン磁気モーメントMspinを各々<|0.05|R/Ru、0.65±0.10B/Ruと見積った。|Morb|/Mspinは〜0.07と非常に小さく、軌道角運動量がRu 4d軌道内で非常に小さいことを示した。上記の磁気モーメントは同試料の磁化測定から得た値(1.05±0.04B/Ru)に比べて小さく、スピン総和則の補正(〜1/0.9)を考慮しても有意な差が生じる。原因としてはRu 4d軌道との混成によって配位子のO 2p軌道が電荷移動を行い、磁気モーメントが誘起されたことが考えられる。

 O1s内殻準位に対して、X線吸収磁気円二色性の測定を行い、Ru 4d t2g,eg状態及びRu 5sp状態と混成している領域にて有意の磁気円二色性を得た。この結果は上記のRu 4d軌道との混成を通じ、電荷移動によって酸素位置にも磁気モーメントが誘起されていることを支持する。軌道総和則をO1s内殻X線吸収磁気円二色性スペクトルに適用することでO 2p軌道での軌道磁気モーメントがRu 4d軌道のスピン磁気モーメントと平行であることを示した。

6.結論

 4d遷移金属酸化物においても電子相関の影響は、3d遷移金属酸化物に匹敵するほど大きいことが分かった。ただし、4d軌道が3d軌道と比較して拡がっていることから、配位子のO 2p軌道を介したRu 4d軌道の重なりが大きいために、電気的磁気的性質を考える上で、配位子O 2p軌道からの電荷移動による影響を考慮する必要がある。

審査要旨

 電子間相互作用の強い強相関電子系物質の電子構造は現在でもバンド理論の範囲内での説明は難しいことは良く知られている。チタンやバナジウムなど3d遷移金属の酸化物は典型的な強相関電子系物質で、金属-絶縁体転移、高温超伝導、巨大磁気抵抗など多彩な電気的・磁気的性質を示すことが知られており、最近盛んに研究されている。ところが4d遷移金属酸化物については、4d軌道が3d軌道より空間的に広がっているためクーロン斥力の効果が弱いと予想されることから、これまで3d遷移金属酸化物ほどには研究されて来なかった。しかし最近4d遷移金属ルテニウム酸化物において、超伝導や金属-絶縁体転移、反強磁性モット絶縁状態など興味深い物性を示す化合物が報告され、これらの多彩な物性を4d軌道内の電子相関で解釈できるかどうかが、最近の重要な課題となっている。本論文では、4d遷移金属ルテニウム酸化物、SrRuO3とTl2Ru2O7の光電子分光スペクトルとその磁気円二色性を調べることによって4d遷移金属酸化物の電子構造における電子相関の影響を考察し、電子構造と磁気的性質を明らかにすることを目指している。

 本論文は8章からなり、第1章は、序論、第2章は、光電子分光と磁気円二色性の説明と実験結果の解析方法、第3章は、実験装置および試料作成法、第4章は、SrRuO3の光電子分光と逆光電子分光の実験結果と解釈、第5章は、Tl2Ru2O7の光電子分光と逆光電子分光の実験結果と解釈、第6章は、SrRuO3の光電子分光スペクトルの磁気円二色性に関する研究結果、第7章は、SrRuO3のX線磁気円二色性に関する研究結果、第8章は、結論と今後の展望に当てられている。

 第1章では、遷移金属酸化物における強相関電子系の一般的性質について概観し、約160Kにキュリー点を持つ強磁性金属SrRuO3と約120Kにて金属-半導体転移を示すTl2Ru2O7の基本的性質が述べられている。第2章では、まず光電子分光の一般原理について述べ、現象論的に導入した自己エネルギー表式を用いて、実験から得られた光電子スペクトルに補正を施して質量増強因子を求める方法が詳しく紹介されている。それから磁気円二色性の原理を述べ、X線磁気円二色性スペクトルを磁気光学総和則を用いてスピン磁気モーメントと軌道磁気モーメントに分離する解析法について述べられている。第3章では、本研究で用いられた光電子分光と磁気円二色性測定装置およびSrRuO3とTl2Ru2O7の試料作成法が述べられている。第4章では、SrRuO3の光電子分光と逆光電子分光の実験結果と自己エネルギー補正による解析結果に当てられている。高分解能紫外線光電子分光で求めたスペクトルは、バンド計算結果と比較してフェルミ準位近傍でのRu 4d伝導バンドのエネルギー幅が広がり、状態密度も大幅に減少していた。このようなフェルミ準位近傍での光電子分光スペクトルに対して自己エネルギー補正を行った結果、約4.5という大きな有効質量比と非常に小さい(〜0.08)規格化定数が得られた。3d遷移金属酸化物強相関電子系の値との比較から、SrRuO3は中程度の強相関電子系で、自己エネルギーの波数依存性の大きい、インコヒーレントな金属であることが示された。また、キュリー点での電気抵抗の異常を調べるために、キュリー点の上下での状態密度の変化を光電子分光と逆光電子分光で測定したが、有意な変化は確認できなかった。第5章では、Tl2Ru2O7の高分解能紫外線光電子分光と逆光電子分光の実験結果でも、SrRuO3の場合と同様にバンド計算結果との差が見られたことからRu4dt2g軌道での電子相関が大きいことを推論している。また金属-半導体転移温度の上下の電子状態を調べるために光電子分光と逆光電子分光のスペクトルの温度変化を測定した。フェルミ準位近傍でのRu4dt2g状態が転移温度の上下で、電気抵抗率や磁化率の温度依存性に対応する大きな状態密度の変化が観測されたことから、Tl2Ru2O7の輸送現象は主としてフェルミ準位近傍のRu4dt2g状態で決まっていると結論している。第6章では、真空紫外線領域の円偏光放射光を用いてSrRuO3の光電子放出磁気円二色性を測定し、得られた磁気円二色性スペクトルを非制限ハートリー・フォック法で計算した理論曲線と比較してSrRuO3の磁気的性質と電子状態の関連を調べている。第7章では、SrRuO3のRu 3p,4pおよびO1s内殼準位に対し、X線吸収磁気円二色性の測定を行い、磁気光学総和則を用いて解析したところ、Ru 4d軌道との混成を通じ、O2p軌道の電荷移動によって酸素位置にも磁気モーメントが誘起されていることを支持する結果が得られた。

 本研究の結果から、4d遷移金属酸化物の電子構造においても電子相関の効果は、3d遷移金属酸化物に匹敵するほど大きいことが分かった。しかし、4d軌道が3d軌道より空間的に広がっていることから、その電気的・磁気的性質を考察する上で、配位子のO2p軌道からRu 4d軌道への電荷移動による影響を考慮する必要があることが明らかになった。

 本研究は、SrRuO3とTl2Ru2O7における電子相関に関する重要な知見がえられただけでなく、光電子放出磁気円二色性を測定するなど学位論文として評価に値するものであることが審査員全員によって認められた。なお、本論文は、藤森淳氏をはじめ試料提供者など数名との共同研究であるが、論文提出者が主体となって測定及び測定結果の解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であったものと認め、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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