学位論文要旨



No 114954
著者(漢字) 加藤,真由美
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マユミ
標題(和) 空間変調磁場下のGaAs/AlGaAsヘテロ界面2次元電子系における電子輸送
標題(洋) Electron Transport in a Two-Dimensional Electron Gas at GaAs/AlGaAs Heterointerface under a Spatially Modulated Magnetic Field
報告番号 114954
報告番号 甲14954
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3718号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,恒也
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 助教授 河野,公俊
 東京大学 助教授 福山,寛
内容要旨 1.はじめに

 GaAs/AlGaAs半導体ヘテロ接合界面の2次元電子系は人工ポテンシャル中の電子のふるまいを実験的に調べるのに最適な系である。それはこの系が(1)単純な自由電子モデルがよく成立する(2)同一試料で電子密度を変化させることができる(3)固体中の伝導電子のうちで最もきれいな系である、といった特徴をもつことによる。

 Brillouinゾーンの中心の「点の周りの放物線型バンドにより、フェルミ面は等方的な丸い形をしている。又、試料表面のゲート電極にバイアスを加えたり光を照射することで、同じ試料で電子密度を変えることができる。又、分子線エピタキシ法をはじめとする高度の結晶成長技術により、液体ヘリウム温度における電子の平均自由行程が数mから、最高品質の試料では100m程度のものが手に入る。

 このような特徴をもつGaAs/AlGaAs2次元電子系はまだ何も描かれていない画用紙のようなもので、本研究ではそこに1次元の周期的磁場変調を加え、電子のふるまいを実験的に研究した。

2.試料と測定

 図1のようにGaAs/AlGaAs半導体ヘテロ接合試料をホールバー状に加工し、表面にすだれ状ゲート電極をのせた試料を作成した。ゲート電極に強磁性体(Ni,Co)を用いることで、磁化した強磁性体の周辺にできる磁場を利用して変調磁場を加える。

図 1 試料概念図

 2次元電子面に平行な十分強い磁場B//=5Tを印加することで、2次元電子の軌道運動に影響を与えることなく強磁牲体の磁化を飽和させることができる。一方、系の磁気抵坑を測定するために系に垂直な磁場Bも同時に独立に印加することが可能である。

3.変調の制御

 図2は平行磁場を印加する角度を変えて磁場変調による整合振動(0.4T以下)を観測した結果である。これはサイクロトロン半径と変調周期の整合性に起因するもので、磁気ワイス振動とよばれている。挿入図はこの振動の解析から2次元電子系における磁場変調を求めた結果であるが、B0∝cosという予想通りのふるまいを示している。

図 2 水平磁場の方位角を変えて磁気抵抗を測定した結果。挿入図は変調磁場の依存性を示している。
4.電子-電子散乱の効果

 このように制御可能となった空間変調磁場を用いて我々は2次元電子系における電子-電子散乱の効果を調べた。電子-電子散乱によるT2の温度依存性は重い電子系や有機伝導体など強相関系とよばれる物質で議論されている。良く知られているように連続並進対称を有する系では2つの電子の衝突を考えた場合全運動量は保存されなければいけないので、電子電子散乱は電気抵抗に寄予しない。格子によるUmklapp散乱など連続並進対称が破れた時に初めてこの効果が抵抗に寄与する。しかしながら上記の物質系でそれらを定量的に評価することは難しい。本研究で得られる系は、周期的磁場変調により連続並進対称が壊れているので、電子-電子散乱の効果が電気抵抗に現れることが期待される。又、この系は他の散乱過程が良く分かっている上に、変調の大きさを定量的に制御することが可能であること、変調の大きさを変えても電子密度は一定であるといった点で、この効果を定量的に調べるのに最適の系であると言える。

 図3の挿入図は垂直磁場はゼロの条件で、平行磁場による抵抗の変化を表しており、方位角=0°(変調最大)と=90°(変調ゼロ)について示してある。平行磁場そのものは2次元電子系の軌道運動に影響を与えないので、抵抗の増加は変調磁場の印加によるものである。約0.3Tの磁場で磁性体の磁化は飽和しておりそれ以上で抵抗は一定である。この値と、変調がゼロの時の抵抗の差をと定義する。つまり変調磁場により生じた散乱による抵抗の増加分に着目する。

 主図はの方位角依存性を示したもので∝cos2でフィットできる。先ほど図2で見たように磁場変調の大きさはB0∝cosであるので∝B02となることが分かった。これは、散乱確率が変調振幅の2乗に比例することから理解できる。

図 3 挿入図は磁場変調の印加による2次元電子系の抵抗変化を示したもの。主図は抵抗変化の方位角依存性。

 図4の挿入図は、方位角=0°(B0=52mT)と=90°(B0=0)の抵抗の温度変化を示したもので、B0=0では音響フォノン散乱によるTに比例する振る舞いが観測されている。

図 4 変調磁場の印加による抵抗の増加分の温度依存性。

 2つのデータの差が先ほど定義したに対応するが、主図はの温度変化をT2に対してプロットしたものである。様々な変調磁場において=AT2+Cという振る無いが観測された。T2に比例する項は電子-電子散乱によるものである。又、電子-電子散乱の散乱確率に対応するT2の係数Aと定数項Cは佐々木・福山らによる磁場変調を摂動として計算した結果と定量的に良い一致を示すことが分かった。

5.T2項が電子-電子散乱に起因することを裏付ける実験

 実験で得られたT2項が電子-電子散乱に起因するものであるかどうが確かめるために2つの実験を行った。一つはホットエレクトロンの効果を用いた実験である。試料そのものを最低温度に保ったまま測定電流を増加させていくと、格子温度は変わらずに電子温度だけ上昇することが知られている。図5の挿入図は試料の温度は1.25Kに保ち測定電流密度Jに対する抵抗の変化をB0=52mTとB0=0について示したものである。変調がゼロの場合、測定電流に対して抵抗の変化は見られない。これは格子系の温度は上昇していないことを示唆している。又、変調磁場下(B0=52mT)において測定電流の増大に伴い抵抗も増加する傾向が見られる。主図はシュブニコフ・ド・ハース振動の解析より測定電流Jから電子温度Teを見積もりを電子温度の2乗に対してプロットしたものである。が電子温度の2乗に比例すること、図4で見たの試料温度依存性(□)と定量的に良い一致を示していることは、抵抗の増加が電子-電子散乱の効果であるという証拠である。

図 5 挿入図はB0=52mTと0の場合の測定電流密度Jに対する抵抗の変化。主図はの電子温度依存性。

 次に、変調方向と測定電流方向の関係、つまりUmklappベクトルの方向がどのように抵抗に寄与するか調べるために図6の左上挿入図の様なすだれ状電極を45度傾けた試料を作成した。この様な試料ではUmklappベクトルも電流方向に対して45度の角度をなす。

図 6 変調磁場が測定電流に対して45度傾いた試料におけるxx,xyの温度依存性。

 右下挿入図はB0=52mTとB0=0の抵抗の温度変化を示したものである。主図はxxxyをT2に対してプロットしたもので、xx=|xy|=AT2+Cという関係が見られた。垂直磁場はゼロなので通常xyはゼロであるが、変調方向が45度傾いているためにUmklapp散乱がxx,xyに同じ大きさの寄与を与えると考えられる。また、この結果は両者が同じ後方散乱のプロセスによって生じたことを示唆している。

6.まとめ

 われわれはGaAs/AlGaAs2次元電子系に対して周期的磁場変調を加えた場合の電子の輸送現象、なかでも電子-電子散乱の効果に注目して研究を行った。

 電子-電子散乱の効果は重い電子系や有機伝導体など強相関系とよばれる物質系で多く報告があるが、これらの物質系では周期ポテンシャルの大きさを見積もるために第一原理から計算しないとならない。又、同一試料内で電子密度や変調の大きさを定量的に変化させることは難しい。

 一方、本研究で手にした系は(1)変調磁場の大きさを定量的に制御できる(2)変調磁場の大きさを変えてに電子密度は一定である(3)電子-電子散乱と他の散乱の効果を実験的に分離することができるという特徴を持ち、電子-電子散乱の効果を定量的に評価することが可能である。

 この系において変調による抵抗の増加分が=AT2+Cという振る無いを示すことを観測した。このT2項は電子-電子散乱に起因するものであり、そのことを確かめるためにホットエレクトロンの実験を行ったところ、この抵抗の増大が電子温度に起因することが確かめられた。又、変調方向を電流に対して45度傾けた試料を用いた実験結果よりが電子-電子Umklappベクトルに直結していることが確認できた。

審査要旨

 分子線エピタクシー法や有機金属気相成長法などの超薄膜結晶成長技術を駆使して作製されるAlCaAs/GaAsヘテロ構造では,平均自由行程が0.1mmにも達するほぼ理想的な2次元電子系が実現される.このような2次元系の上を微細加工することにより,平面超格子,量子細線,量子ドット,アンチドットなどさまざまな構造が人工的に作られている.この論文では,磁場が周期的に変化する平面磁気超格子を作製し,その輸送現象を観測することにより,超格子を特徴づけるパラメータを決定するとともに,電子間散乱のウムクラップ過程が電気伝導率に及ぼす効果を実験的に明らかにした.

 2次元電子系に周期的な静電ポテンシャルを導入し,平面超格子を実現する試みはこれまでに数多く報告されている.そこで観測された最も特徴的な現象が磁気抵抗振動である.このWeiss振動は,古典的なサイクロトロン軌道の大きさとポテンシャル周期が幾何学的に整合したときに起き,磁気抵抗のサイズ効果や超音波吸収などで観測されている共鳴と類似の現象である.2次元電子系の上に磁性物質の格子を作製し周期的な磁場変調を作り出す試みも行われてきた.磁場変調は電子に有効的な周期ポテンシャル変調が加わる点では静電ポテンシャル変調と類似しているが,ベクトルポテンシャルであるため電子濃度が変化しないなどいくつか重要な違いがある.

 この論文では,2次元電子系の上に磁性体縞状構造を作製し平面磁気超格子を実現した.変調磁場の大きさはWeiss振動の詳細な解析で決定した.さらに,磁気抵抗の温度依存性の測定から,温度の平方に比例する抵抗成分を導出し,その変調磁場強度依存性と温度依存性から,それが電子間ウムクラップ散乱の効果であることを明らかにした.

 この論文は5章よりなる.第1章ではこの論文の研究の動機と目的を述べ,第2章では平面超格子におけるWeiss振動と磁気変調平面超格子についてのこれまでの研究について詳しく解説している.第3章では,磁気変調平面超格子に磁場を面平行に印加して,静電ポテンシャルの変調と変調磁場の位相が90°ずれた場合のWeiss振動の実験結果とその解析を行っている.第4章では,磁気変調平面超格子の抵抗の温度変化を変調磁場強度を変えて詳細に測定し,電子間ウムクラップ散乱である温度の平方に比例する抵抗成分を決定し,その解析を行った.第5章は全体のまとめである.以下はこの論文の主たる業績と考えられる第3章と第4章の概要である.

 2次元電子系の上に磁性体NiあるいはCoの縞状構造を作製し,磁性体の磁化を飽和させるほど十分大きな外部磁場を2次元面内に印加する.このとき磁化の超格子の周期方向の成分が2次元電子に面垂直方向の変調磁場を引き起こす.一方,磁化の周期垂直方向成分は磁性体と離れた2次元電子にはほとんど影響を与えない.これを利用して,2次元電子に及ぼす変調磁場の大きさを外部磁場の方向により自由にコントロールすることができる.

 しかしながら,半導体と磁性体の膨張率の違いのため,磁性体の縞状構造は必然的に周期的な格子変位を半導体に誘起する.この格子変位は変形ポテンシャルやピエゾ効果を通して,2次元電子系に磁場変調と90°位相がずれた静電的な周期ポテンシャルを発生する.AlGaAs/GaAsの場合には,この中でピエゾ効果が大部分を占める.そのためこの論文ではピエゾ効果が最小となる面方位に磁気超格子を配置した.第3章では,残った変形ポテンシャルによる静電ポテンシャル変調の大きさを,変調磁場のない場合のWeiss振動の測定とその解析から実験的に決定した.Weiss振動の解析から磁場変調の大きさ自身も求めることができるが,それは期待どおり,外部磁場の周期方向成分に比例することが示された.さらに,縞状のゲートに電圧をかけて静電ポテンシャルを新たに誘起し,それによる静電ポテンシャルの変調強度の絶対値をWeiss振動と変調磁場の大きさから決定することに成功した.

 第4章では,磁気変調が十分大きい場合に電気伝導率の変調方向依存性と温度変化の詳細な測定を行った.その結果,変調ポテンシャルの周期方向とその垂直方向で電気抵抗の値と温度変化に大きな差を観測した.電気抵抗の温度変化のうち,温度に比例するフォノンによる散乱の寄与を除くと,周期垂直方向の抵抗率はほとんど温度変化しないが,周期方向の抵抗率にほぼ温度の平方に比例する寄与が現れる.また,絶対ゼロ度に外挿した抵抗値自身も周期方向の方が大きい.これらの詳細な実験を磁気変調の大きさを変えて行い,これらの変調磁場強度依存性を求めた.その結果,絶対ゼロ度での抵抗の異方性と抵抗率の温度の平方に比例する成分は変調磁場強度が弱い領域でその2乗に比例することを示した.これらは,変調磁場中での電子間のウムクラップ散乱の効果を考察した理論と比較してほぼ矛盾なく説明することができる.さらに,強電界を印加し電子系をホットな状態にした場合にも,電子温度の平方に比例する抵抗成分が純粋に温度を増加したときとほぼ同じになることを示した.

 以上,この論文では,GaAs/AlGaAsヘテロ構造に磁気変調平面超格子を作製し,変調磁場の大きさを自由にコントロールする方法を確立するとともに,抵抗の温度変化の詳細な測定により,電子間ウムクラップ散乱が引き起こす抵抗成分を実験的に明確に分離することに成功した.このように,本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして審査員全員が合格と判定した.

 なお,本論文の主たる業績は,家泰弘教授,勝本信吾助教授らとの共著の形ですでに公表され,また公表予定であるが,実際の実験の遂行や結果の解析などにおいて学位申請者の寄与が重要であると認められた.

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