審査要旨 | | 分子線エピタクシー法や有機金属気相成長法などの超薄膜結晶成長技術を駆使して作製されるAlCaAs/GaAsヘテロ構造では,平均自由行程が0.1mmにも達するほぼ理想的な2次元電子系が実現される.このような2次元系の上を微細加工することにより,平面超格子,量子細線,量子ドット,アンチドットなどさまざまな構造が人工的に作られている.この論文では,磁場が周期的に変化する平面磁気超格子を作製し,その輸送現象を観測することにより,超格子を特徴づけるパラメータを決定するとともに,電子間散乱のウムクラップ過程が電気伝導率に及ぼす効果を実験的に明らかにした. 2次元電子系に周期的な静電ポテンシャルを導入し,平面超格子を実現する試みはこれまでに数多く報告されている.そこで観測された最も特徴的な現象が磁気抵抗振動である.このWeiss振動は,古典的なサイクロトロン軌道の大きさとポテンシャル周期が幾何学的に整合したときに起き,磁気抵抗のサイズ効果や超音波吸収などで観測されている共鳴と類似の現象である.2次元電子系の上に磁性物質の格子を作製し周期的な磁場変調を作り出す試みも行われてきた.磁場変調は電子に有効的な周期ポテンシャル変調が加わる点では静電ポテンシャル変調と類似しているが,ベクトルポテンシャルであるため電子濃度が変化しないなどいくつか重要な違いがある. この論文では,2次元電子系の上に磁性体縞状構造を作製し平面磁気超格子を実現した.変調磁場の大きさはWeiss振動の詳細な解析で決定した.さらに,磁気抵抗の温度依存性の測定から,温度の平方に比例する抵抗成分を導出し,その変調磁場強度依存性と温度依存性から,それが電子間ウムクラップ散乱の効果であることを明らかにした. この論文は5章よりなる.第1章ではこの論文の研究の動機と目的を述べ,第2章では平面超格子におけるWeiss振動と磁気変調平面超格子についてのこれまでの研究について詳しく解説している.第3章では,磁気変調平面超格子に磁場を面平行に印加して,静電ポテンシャルの変調と変調磁場の位相が90°ずれた場合のWeiss振動の実験結果とその解析を行っている.第4章では,磁気変調平面超格子の抵抗の温度変化を変調磁場強度を変えて詳細に測定し,電子間ウムクラップ散乱である温度の平方に比例する抵抗成分を決定し,その解析を行った.第5章は全体のまとめである.以下はこの論文の主たる業績と考えられる第3章と第4章の概要である. 2次元電子系の上に磁性体NiあるいはCoの縞状構造を作製し,磁性体の磁化を飽和させるほど十分大きな外部磁場を2次元面内に印加する.このとき磁化の超格子の周期方向の成分が2次元電子に面垂直方向の変調磁場を引き起こす.一方,磁化の周期垂直方向成分は磁性体と離れた2次元電子にはほとんど影響を与えない.これを利用して,2次元電子に及ぼす変調磁場の大きさを外部磁場の方向により自由にコントロールすることができる. しかしながら,半導体と磁性体の膨張率の違いのため,磁性体の縞状構造は必然的に周期的な格子変位を半導体に誘起する.この格子変位は変形ポテンシャルやピエゾ効果を通して,2次元電子系に磁場変調と90°位相がずれた静電的な周期ポテンシャルを発生する.AlGaAs/GaAsの場合には,この中でピエゾ効果が大部分を占める.そのためこの論文ではピエゾ効果が最小となる面方位に磁気超格子を配置した.第3章では,残った変形ポテンシャルによる静電ポテンシャル変調の大きさを,変調磁場のない場合のWeiss振動の測定とその解析から実験的に決定した.Weiss振動の解析から磁場変調の大きさ自身も求めることができるが,それは期待どおり,外部磁場の周期方向成分に比例することが示された.さらに,縞状のゲートに電圧をかけて静電ポテンシャルを新たに誘起し,それによる静電ポテンシャルの変調強度の絶対値をWeiss振動と変調磁場の大きさから決定することに成功した. 第4章では,磁気変調が十分大きい場合に電気伝導率の変調方向依存性と温度変化の詳細な測定を行った.その結果,変調ポテンシャルの周期方向とその垂直方向で電気抵抗の値と温度変化に大きな差を観測した.電気抵抗の温度変化のうち,温度に比例するフォノンによる散乱の寄与を除くと,周期垂直方向の抵抗率はほとんど温度変化しないが,周期方向の抵抗率にほぼ温度の平方に比例する寄与が現れる.また,絶対ゼロ度に外挿した抵抗値自身も周期方向の方が大きい.これらの詳細な実験を磁気変調の大きさを変えて行い,これらの変調磁場強度依存性を求めた.その結果,絶対ゼロ度での抵抗の異方性と抵抗率の温度の平方に比例する成分は変調磁場強度が弱い領域でその2乗に比例することを示した.これらは,変調磁場中での電子間のウムクラップ散乱の効果を考察した理論と比較してほぼ矛盾なく説明することができる.さらに,強電界を印加し電子系をホットな状態にした場合にも,電子温度の平方に比例する抵抗成分が純粋に温度を増加したときとほぼ同じになることを示した. 以上,この論文では,GaAs/AlGaAsヘテロ構造に磁気変調平面超格子を作製し,変調磁場の大きさを自由にコントロールする方法を確立するとともに,抵抗の温度変化の詳細な測定により,電子間ウムクラップ散乱が引き起こす抵抗成分を実験的に明確に分離することに成功した.このように,本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして審査員全員が合格と判定した. なお,本論文の主たる業績は,家泰弘教授,勝本信吾助教授らとの共著の形ですでに公表され,また公表予定であるが,実際の実験の遂行や結果の解析などにおいて学位申請者の寄与が重要であると認められた. |