学位論文要旨



No 114955
著者(漢字) 鎌倉,望
著者(英字)
著者(カナ) カマクラ,ノゾム
標題(和) スピン分解光電子分光によるFe薄膜の磁性と電子状態の研究
標題(洋)
報告番号 114955
報告番号 甲14955
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3719号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 溝川,貴司
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 助教授 高橋,敏男
 東京大学 助教授 吉信,淳
 東京大学 助教授 長谷川,修司
内容要旨

 本論文ではCo(001)上に成長させたFe薄膜の表面磁性および電子状態について研究を行っている。3d遷移金属薄膜は、薄膜と下地との組み合わせや試料作成条件あるいはその膜厚によって多様な物性を示すことが知られている。薄膜と下地との界面では軌道の混成によって磁気モーメントの増大・減少が起こったり、下地との組み合わせによってはバルクでは実現しない構造を示す薄膜が成長する場合がある。膜厚の薄い磁性体薄膜ではキュリー温度の減少、磁気モーメントの増大といった擬二次元的な振る舞いを示すこともある。

 本研究で取り上げたFe/Co(001)はFe-Co界面付近では両者の3d軌道が混成することによってFeの磁気モーメントが増大することが報告されている。また、Feはバルクではbcc構造となるのに対して、Fe/Co(001)でのFe薄膜は膜厚によってはfct(face centered tetragonal)構造を示すことが知られている。fcc Fe自体は理論的に古くから研究が行われており、格子定数によって極めて敏感に磁性が変わることが予想されている。それによると、反強磁性状態、非磁性状態、high spin強磁性状態、low spin強磁性状態の解が得られおり、下地となっているfcc Coの格子定数付近ではそれらの全エネルギーが錯綜している。fcc Coの単結晶上に成長させたFe薄膜についてのこれまでの研究では、Fe薄膜は11MLまではfct構造を示し、それ以上になるとバルクの構造であるbcc構造に変わることが分かっている。本研究ではFe/Co(001)について(1)Fe薄膜の膜厚に依存した表面磁化を測定し、その膜厚依存性の起源について調べること、(2)(1)で測定されたFe薄膜のうち特定の膜厚の試料についてその電子状態および磁性についてより詳しく研究を行い、Feの磁性が構造によってどのように変わるのかを調べることを目的として、特にfct構造を示す11ML以下のFe薄膜について研究を行った。

 測定は主にスピン分解光電子分光を用いており、Fe薄膜の表面磁化の測定は内殻光電子スペクトルに見られる磁気線二色性の観測によって行った。光電子分光は表面敏感な測定手法であることと、スピン分解光電子分光ではさらに試料から放出した光電子のスピンを分離して検出できるために、磁性体薄膜の電子状態の研究では有力な研究手段である。また、磁気線二色性の観測では内殻光電子スペクトルを用いているので成分を分離した磁化の評価を行うことができる。

 磁気線二色性の観測結果は5ML以下のFe薄膜でほぼ一定の表面磁化を示しており、Fe膜厚5MLにおいて明確な表面磁化の減少が観測された。fct構造を示す11ML以下のFe薄膜の中でも5ML以下と以上とではFe層間の距離が異なることが分かっており、構造と表面磁化の間に密接な関係があるものと思われる。Fe膜厚が5ML以上になるとFe薄膜の表面磁化は減少するが、室温でも有限の表面磁化が観測された。Fe/Co(001)のFe薄膜の膜厚に依存した磁化について既に報告されている研究では、5-11ML Fe/Co(001)の磁化はFeとCoの界面においてのみ生じていると考えられていたが、今回の測定ではこれまでに観測されなかった5-11ML Fe/Co(001)の表面磁化が室温で生じていることを示している。また、スピン分解3s光電子スペクトルと二次電子のスピン偏極度の考察から、5-11MLFe/Co(001)では表面での磁化がFe薄膜のうち深い部分に比べて大きくなっていることが分かった。Fe薄膜がFe/Co(001)の場合と類似した構造を膜厚と共に示すと言われているFe/Cu(001)では、5-11MLにおいて表面1,2層のみが強磁性を示すことが分かっており、強磁性の示す層が減少することによってキュリー温度が低下すると報告されている。今回測定を行った5-11ML Fe/Co(001)についても強磁性を示す層が5ML以下の試料に比べて減少し、キュリー温度が低下した結果、室温で観測された表面磁化が5ML以上で小さくなっているものと考えられる。

 このように室温で測定された表面磁化は5MLにおいて劇的な変化が認められた。磁気線二色性の観測を行った試料の中で、5ML以下の試料(領域I)として3.9ML Fe、5ML-11ML Feの試料(領域II)として6.6ML Fe(130Kに冷却)についてスピン分解3s光電子分光を行い、得られたスペクトルをクラスターモデルによって解析した。その結果3.9ML Fe/Co(001)と6.6ML Fe/Co(001)の一原子あたりのスピン磁気モーメントには大きな違いがなく共に約2Bであることが分かった。これはfcc Feについてのバンド計算では強磁性のhigh spin相に相当するものであると思われる。しかしながら、バンド計算のhigh spin相で予想されているfcc Fe一原子あたりの磁気モーメントは2.5Bと見積もられており、それに比べるとやや小さな値である。価電子帯スピン分解光電子分光による結果でもやはり、領域IとIIとのバンド構造は類似しており、共にhigh spin相のバンド計算に近い分散を示している。つまり、領域IIでの強磁性は主に表面近傍のものであるが、強磁性を示している表面近傍の低温での電子状態およびFe一原子あたりの磁気モーメントは領域Iのものと極めて類似している。

 実験から得られたエネルギーバンドを計算によるものと詳しく比較すると、fct Fe/Co(001)での5軌道のエネルギーバンドは全体的に計算に比べて高結合エネルギー側にシフトしており、5軌道を占める電子数が計算で見積もられているよりも増加している傾向を示している。fcc Feのhigh spin相のバンド計算ではフェルミ・レベル直上に主に5↓軌道からなる下向きスピンの大きな状態密度が存在しているため、5軌道を占める電子数が増加した場合には磁気モーメントの減少が生じることになる。

 論文ではFe/Co(001)について既に行われている研究結果やfct構造を示す他のFe薄膜の知見と比較しながらFe/Co(001)の磁性と電子状態について、より詳しく議論する。

審査要旨

 本論文は、光電子スペクトルの磁気線二色性とスピン分解光電子分光を用いて、Co(100)上に成長させたFe薄膜の表面磁性と電子状態を研究している。11ML以下のFe薄膜はバルクと異なるfct構造を持ち、その表面磁性を光電子分光によって研究することは極めて重要である。

 本論文の前半では、Fe 3p内殻光電子スペクトルの磁気線二色性、Fe3s内殻スピン分解光電子分光を用いて、Co(100)上Fe薄膜の表面磁化の膜厚依存性が詳細に調べられている。膜厚が5ML以下の薄膜は室温で大きな磁化を示し、スピン分解光電子スペクトルの解析よりモーメントを2Bと見積もっている。一方、5ML以上の薄膜の場合、室温では磁化が減少しているが、150K付近では2B程度の大きな磁化を観測している。さらに、5ML以上の薄膜では表面の数層のみが大きな磁化を持ち、より深い層では磁化が著しく減少していることを実験的に明らかにしている。

 論文の後半では、価電子帯のスピン・角度分解光電子分光により、薄膜表面での交換分裂、バンド分散を調べている。5ML以下のFe薄膜、5ML以上の薄膜表面が同程度の交換分裂、同様のバンド分散を示し、両者は極めて近い電子状態にあることを明らかにしている。さらに、実験的に得られたバンド分散をバンド計算による予測と比較することによって、これらのfct構造を持つFe薄膜はhigh spin相にあることを結論している。

 本論文は、原沢あゆみ、木村昭夫、Oliver Rader、柿崎明人、林慶、各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって試料の作成、光電子スペクトルの測定、解析を行ったものであり、論文提出者の寄与は十分である。

 本論文は、Co(100)上Fe薄膜の興味深い表面磁性、電子状態を光電子分光によって見事に解明しており、論文提出者に博士〔理学〕の学位を授与できることを認める。

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