一次元の非相対論的量子多体系のハミルトニアンは一般に運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和であり、前者は粒子の座標についての2次の微分である。そのようなハミルトニアンの対角化を解析的に実行することは一般には不可能であるが、ポテンシャルがある特別な系についてはそれが可能である。調和振動子が距離の逆2乗で相互作用するCalogero模型やそれに類似のCalogero-Sutherland模型はその典型的な例であり、固有値、固有ベクトルなどについて詳しい研究がなされている。このような系は量子可積分系として知られ、その特徴的な性質としてハミルトニアンを含め、それと同時対角化可能な可換微分作用素が粒子数だけ存在することが知られている。 本論文の主題は、アフィンワイル群という数学的構造を用いてこのような量子可積分系の系統的な構成法を与えることである。より具体的には、論文提出者は任意のアフィンルート系に付随してルート代数という構造を導入し、それを用いて可換な差分作用素の族を構成することに成功した。差分が微分に移行するある極限において、ルート系が最も単純な場合、その結果はCalogero-Sutherland模型に帰着する。また、差分作用素にブーストと呼ばれる演算子を付加することにより、1+1次元のポアンカレ代数の実現を与えることもできる。この意味で本論文の主結果は、Calogero-Sutherland模型の相対論的な拡張として任意のアフィンルート系に付随する量子可積分系、即ち可換差分作用素の系統的構成法を与えたことである。また、ある条件のもとでルート代数の表現の分類に成功し、パラメータが特殊な場合には差分作用素の表現がアフィンリー環の正整数レベルの既約指標の張る空間に制限できることも証明している。更に微分・差分作用素の自己共役性についても幾つかの結果を確立している。 本論文で新たに構成された微分・差分作用素は、量子多体問題としてはポテンシャルが楕円テータ関数を用いて表される複雑で特殊な系に相当しており、現実の物理的系に応用できるか直ちには明らかではないが、量子可積分系の数理構造という観点からは、それまで知られていた結果の広範な一般化と統一的理解を初めて達成しており、直交関数の理論等にも新たな知見を提供するもので、学位論文として十分な内容を持っている。 第1章では導入として、問題の背景、特に関連する楕円型Ruijsenaars模型に関するこれまでの研究の問題点等が説明され、本論文の主結果、その位置づけ等が述べられている。 第2章ではまず楕円型Ruijsenaars模型について考察している。これはアフィンルート系で言うとA型に相当する。そこでの主結果は、高階の可換差分作用素が、Yang-Baxter方程式を満たすより基本的な作用素からダイアグラム的手法によって簡明に構成されるという主張である。更に反射方程式を導入して同様な構成をすることによりBC型に対応する拡張もしている。これらは後にルート代数を用いたより一般的な構成法を発見する基礎となった成果である。 第3章では前章で用いたYang-Baxter方程式、反射方程式の解をパラメータkで変形したものが有限次元のテータ関数の空間を保存すること、特にBelavinのZk対称R行列を与えることを示している。このことは第5章のA型の場合に相当する。 第4章ではルート代数を導入し、任意のアフィンルート系に付随する可換差分作用素の構成法を与えている。これにより第2章では発見法的に導かれた差分作用素の可換性が、アフィンワイル群に含まれる平行移動のなす可換部分群に由来することが明らかにされる。 第5章では可換差分作用がアフィンリー環の既約指標の空間に作用することを証明している。 第6章ではルート代数の有理型関数空間上における表現を構成する際に現れる非線型連立関数方程式について、物理的に興味があると考えられる制限の下に解の分類をしている。 第7章では摂動法により、楕円型Calogero-Sutherland模型と楕円型Ruijsenaars模型の自己共役性について議論している。特にの場合に後者は本質的に自己共役な演算子であって点スペクトルのみを持つことを証明している。 なお、本論文第2章、3章は、樋上和弘氏との共著論文に基づくものであるが、4章以降は全て論文提出者単独の研究成果によるものである。よってその寄与は十分であると判断する。 以上のことから、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |