学位論文要旨



No 114958
著者(漢字) 小森,靖
著者(英字)
著者(カナ) コモリ,ヤスシ
標題(和) 一次元量子多体系の代数的解析
標題(洋) Algebraic Analysis of One-dimensional Quantum Many-body Systems
報告番号 114958
報告番号 甲14958
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3722号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 国場,敦夫
 東京大学 教授 神部,勉
 東京大学 教授 加倉井,和久
 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 助教授 白石,潤一
内容要旨

 近年、1次元量子多体系が大きな注目を集め、また活発に研究されている。それらの中で特にCalogero-Moser模型やCalogero-Sutherland模型が物理的側面からだけでなく、数学的側面からも非常によく研究されている。Calogero-Moser模型は調和井戸型ポテンシャル中での、距離の逆二乗に比例する2体相互作用を持つ長距離相互作用系であり、Calogero-Sutherland模型は円上で逆二乗三角関数型長距離相互作用を持つ量子多体系である。これら2つの模型は退化した二重アフィンヘッケ代数と密接に関連しており、表現論という強力な手段によって解析が進められた。現在までに固有関数は真空状態を取り除くと残りの波動関数はそれぞれJack多項式、Hi-Jack多項式となること、および、ハミルトニアンとの同時観測可能量や固有関数の体系的な構成法などが確立されている。また、Calogero-Sutherland模型の相対論的変形、すなわち、ポアンカレ不変な模型も考えられている。この模型はRuijsenaars模型と呼ばれており、ゲージ変換によってq直交多項式の理論に現れるMacdonald作用素に変換されることから、固有関数はMacdonald多項式となることがわかっている。非相対論的な場合と同様に、二重アフィンヘッケ代数という代数構造が発見されており、現在、この代数を用いて、任意のルート系に対する拡張と固有関数の構成法の研究が進められている。一方、楕円関数型相互作用を持つRuijsenaars模型についての研究が最近多くなされてきているが、三角関数型の模型で得られた多くの結果が適用できず、またアフィンヘッケ代数に代わる理論が整っていないなどの理由により、総合的な理解におよんでいない状態にある。以上の点を考慮し、この学位論文では主に楕円型Ruijsenaars模型を代数的観点から研究した成果を発表する。以下この論文で主に扱った3つの問題と成果を述べる。

 まず最初はBC型ルート系および、一般のルート系に付随する楕円型Ruijsenaars模型に対して同時観測可能量を構成する問題、すなわち、ハミルトニアンを含む可換な作用素系の存在の問題である。ここでルート系に付随するというのは対応するワイル群対称性をもった自然な拡張という意味である。この意味では、もととなったRuijsenaars模型はA型ルート系の場合に相当し、原論文中で既にその高階の差分作用素が構成され、肯定的に解かれている。しかし、BC型ルート系に対しては10個のパラメータを含む模型が提出されたが、可換な作用素の存在は2体の場合を除き予想にとどまっている。また、A型の楕円型Ruijsenaars模型はSklyanin代数の表現や楕円型量子群の中心として捉えられることが知られているが、BC型は発見的に構成されて以来再現する代数は見つかっておらず、また一般のルート系に拡張できる代数も知られていない。本論ではこの問題に対してルート代数による構成法という一つの解をはじめて与えた。ルート代数とは任意のアフィンルート系に対して定義される有限生成無限次元代数であり、楕円型Ruijsenaars模型は、有理型関数空間上に作用する表現によって再構成される。この見方によればAl型、BCl型はむしろそのアフィン化である型と見なした方が自然であり、型に依存しない構成法であるためツイスト型に対応した模型も自然に構成される。この代数は二重アフィンヘッケ代数的であり、楕円型量子群的構成法とはある意味では双対的であると考えられる。

 次は指標空間上の作用に関する問題である。三角関数型の場合、固有関数はMacdonald理論によってMacdonald多項式であることが示されている。この多項式は有限次元単純リー代数の指標のある種の変形であり、特にA型はSchur関数の2変数変形である。したがって、楕円型の場合にも同様な捉え方が可能かという問題が自然に起こってくる。この問いに対しフェイス模型の研究を通して部分的な解答が与えられている。それによれば、結合定数が特別な場合のA型楕円型模型は有限次元のテータ関数からなる不変部分空間を持つこと、およびそれがA(1)型アフィンリー代数の既約表現の指標からなる空間に他ならず、結合定数は表現のレベルを示していること、などが証明される。この不変部分空間の存在は楕円型模型を対角化する上で非常に重要な事実であり、実際、固有ベクトルのうちいくつかはその固有値とともに具体的に求められる。このフェイス模型による考察は、方法論的にはヘッケ代数的というより量子群的アプローチに近く、一般ルート系への適用が難しいと考えられる。本論ではルート代数による方法を用いて、任意のアフィンルート系に付随する楕円型Ruijsenaars模型は、対応するアフィンリー代数の指標空間に作用することを明らかにした。つまりこれは、有理型関数の中で多項式に対応する部分空間を決定したことになる。これによって一部ではあるが具体的な固有関数を求めることが可能となる。

 最後に自己共役性の問題を議論する。量子力学系のハミルトニアンやその他の観測量はヒルベルト空間上の自己共役作用素でなくてはならない。しかし、有限次元ヒルベルト空間上でのエルミート性という概念は無限次元ヒルベルト空間ではエルミート・対称・本質的自己共役・自己共役という4つの概念に分類され、この順番で条件が厳しくなる。実際にある作用素が自己共役であることを示すのは非常に困難であり、そのためさまざまな方法が考えられてきた。特に離散スペクトルのみからなる場合は、自己共役性は固有関数の完全性と等価であるため、直接対角化しその完全性を示す方法が考えられる。しかし、一般に直接に対角化することは難しく、また連続スペクトルを含む場合や、完全性の証明などはさらに困難である。実際、楕円型Ruijsenaars模型の2体問題の場合、無限個の正規直交系を成す固有ベクトルの組は構成されているが、それらは超越方程式で決定されるものであり、完全性の証明ができていない。一方、対極的な方法として摂動法がある。摂動法は、自己共役であることが既に知られている被摂動項に対し、摂動項が作用素として相対的に小さい場合に適用され、主に運動項がラブラシアンからなる系を対象に発展してきた。したがって差分作用素で記述される運動項を持つ楕円型Ruijsenaars模型には適用できないと考えられてきた。本論ではまず、この摂動法を用いて非相対論的極限である楕円型Calogero-Sutherland模型が自己共役であることを示した。この議論によって楕円型模型のエネルギースペクトルは三角関数型のものから一様に変化することが示される。次に楕円型Ruijsenaars模型において、対称作用素性及び自己共役への拡張について議論した。特に2体問題の場合において新たな判定法を導入し、その自己共役性を示した。これらによってRuijsenaarsが構成した固有ベクトルの完全性についての判定や三角関数模型からのエネルギースペクトルの変化が議論できると考えられる。また前問題で具体的に得られた固有関数がどのエネルギー順位に属すかを決定する問題等、幅広い応用が考えられる。

 この学位論文は以下の8章から構成される。

 第1章では、導入として楕円型Ruijsenaars模型に対するこれまでの研究と問題点およびこの学位論文において議論される内容を述べる。第2章では、まずもととなった相対論的量子系である楕円型Ruijsenaars模型について考察する。これは先にも述べたようにA型ルート系に対応する。この系に対し、Yang-Baxter方程式と呼ばれる作用素に関する方程式の解を用いて構成できることを示す。この方法によれば高階の可換な作用素の存在が"railway argument"と呼ばれる図式を用いる方法で簡単に示される。さらにBC型の場合においても反射方程式を導入することにより同様な構成法を適用できることを示す。これらの構成法はルート代数による構成法を発見するきっかけとなった。第3章では前章で用いたYang-Baxter方程式と反射方程式の解を一つのパラメータkで変形し、それらが有限次元のテータ関数からなる空間を保存することを示す。これらの行列要素はおのおのBelavinのZk対祢R行列と呼ばれるある一次元量子系の散乱行列と、それに付随する境界K行列と一致する。この事は楕円型Ruijsenaars模型と二次元古典スピン系との等価性を示唆していることを第5章で明らかにする。第4章では、ルート代数という任意のアフィンルート系に付随する代数によって、第1章の構成法を再定式化する。第1章において与えた構成は、A型やBC型については完全な解を与えることができたが、おのおののルート系に特有の性質を用いており、拡張を議論するには一般性を欠いているという問題があった。また、なぜ可換なものが構成できるのかという根本的な問題も残る。ルート代数的構成法によれば、可換性はアフィンワイル群に含まれる平行移動からなる可換部分群に由来しているということ、つまり、幾何学的に2つの平行移動は可換であるという極めて直感的な事実に帰着されることが示される。第5章では、任意のアフィンルート系に付随する楕円型Ruijsenaars模型において、任意の階数の保存量は、対応するアフィンリー代数の既約表現の指標空間に作用することを示す。この事実は、保存量はいくつかの作用素の積に表されること、また、これら一つ一つの作用素が指標空間に働くこと、という2つの段階を経て証明される。この証明においてもルート代数による構成法が非常に重要な役割を果たしていることが分かる。第6章では、ルート代数の有理型関数空間上における表現を構成する際現れる多未知関数非線形連立関数方程式について、物理的に興味があると考えられる制限の下に解を分類する。第7章では、摂動法による楕円型Carogero-Sutherlend模型と楕円型Ruijsenaars模型の自己共役性について議論する。前者には古典的な結果である加藤-Rellichの定理を適用し、後者にはその差分的類似と考えられる定理を考案し適用した。そして最後に第8章では、まとめと今後の発展について議論する。

 以上のように、楕円型Ruijsenaars模型について代数的な観点からこれまで未解決であった問題について研究を進め、肯定的に解いてきた。主な成果を列挙すると、BC型、及び他のルート系に付随する楕円型Ruijsenaars模型に対する同時観測可能量の体系的な構成、それらの指標空間への作用、ルート代数の表現に現れる関数方程式の解の決定、及び対称作用素性と自己共役作用素への拡張可能性、特に2体問題の自己共役性の確立、となる。これらがこの学位論文で示された成果であり、一次元量子多体系の研究に新しい知見を与えている。

審査要旨

 一次元の非相対論的量子多体系のハミルトニアンは一般に運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和であり、前者は粒子の座標についての2次の微分である。そのようなハミルトニアンの対角化を解析的に実行することは一般には不可能であるが、ポテンシャルがある特別な系についてはそれが可能である。調和振動子が距離の逆2乗で相互作用するCalogero模型やそれに類似のCalogero-Sutherland模型はその典型的な例であり、固有値、固有ベクトルなどについて詳しい研究がなされている。このような系は量子可積分系として知られ、その特徴的な性質としてハミルトニアンを含め、それと同時対角化可能な可換微分作用素が粒子数だけ存在することが知られている。

 本論文の主題は、アフィンワイル群という数学的構造を用いてこのような量子可積分系の系統的な構成法を与えることである。より具体的には、論文提出者は任意のアフィンルート系に付随してルート代数という構造を導入し、それを用いて可換な差分作用素の族を構成することに成功した。差分が微分に移行するある極限において、ルート系が最も単純な場合、その結果はCalogero-Sutherland模型に帰着する。また、差分作用素にブーストと呼ばれる演算子を付加することにより、1+1次元のポアンカレ代数の実現を与えることもできる。この意味で本論文の主結果は、Calogero-Sutherland模型の相対論的な拡張として任意のアフィンルート系に付随する量子可積分系、即ち可換差分作用素の系統的構成法を与えたことである。また、ある条件のもとでルート代数の表現の分類に成功し、パラメータが特殊な場合には差分作用素の表現がアフィンリー環の正整数レベルの既約指標の張る空間に制限できることも証明している。更に微分・差分作用素の自己共役性についても幾つかの結果を確立している。

 本論文で新たに構成された微分・差分作用素は、量子多体問題としてはポテンシャルが楕円テータ関数を用いて表される複雑で特殊な系に相当しており、現実の物理的系に応用できるか直ちには明らかではないが、量子可積分系の数理構造という観点からは、それまで知られていた結果の広範な一般化と統一的理解を初めて達成しており、直交関数の理論等にも新たな知見を提供するもので、学位論文として十分な内容を持っている。

 第1章では導入として、問題の背景、特に関連する楕円型Ruijsenaars模型に関するこれまでの研究の問題点等が説明され、本論文の主結果、その位置づけ等が述べられている。

 第2章ではまず楕円型Ruijsenaars模型について考察している。これはアフィンルート系で言うとA型に相当する。そこでの主結果は、高階の可換差分作用素が、Yang-Baxter方程式を満たすより基本的な作用素からダイアグラム的手法によって簡明に構成されるという主張である。更に反射方程式を導入して同様な構成をすることによりBC型に対応する拡張もしている。これらは後にルート代数を用いたより一般的な構成法を発見する基礎となった成果である。

 第3章では前章で用いたYang-Baxter方程式、反射方程式の解をパラメータkで変形したものが有限次元のテータ関数の空間を保存すること、特にBelavinのZk対称R行列を与えることを示している。このことは第5章のA型の場合に相当する。

 第4章ではルート代数を導入し、任意のアフィンルート系に付随する可換差分作用素の構成法を与えている。これにより第2章では発見法的に導かれた差分作用素の可換性が、アフィンワイル群に含まれる平行移動のなす可換部分群に由来することが明らかにされる。

 第5章では可換差分作用がアフィンリー環の既約指標の空間に作用することを証明している。

 第6章ではルート代数の有理型関数空間上における表現を構成する際に現れる非線型連立関数方程式について、物理的に興味があると考えられる制限の下に解の分類をしている。

 第7章では摂動法により、楕円型Calogero-Sutherland模型と楕円型Ruijsenaars模型の自己共役性について議論している。特にの場合に後者は本質的に自己共役な演算子であって点スペクトルのみを持つことを証明している。

 なお、本論文第2章、3章は、樋上和弘氏との共著論文に基づくものであるが、4章以降は全て論文提出者単独の研究成果によるものである。よってその寄与は十分であると判断する。

 以上のことから、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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