本論文は、「高Q値光微小共振器による単一原子の観察と運動制御」についての実験的研究を、5章からなる和文でまとめたものである。 実験の概要は、磁気光学トラップ・偏光勾配冷却によって捕獲・冷却されたルビジウム原子を、Fabry-Perot型高Q値光微小共振器の内部に原子噴泉によって打ち込み、その際に原子-光子のコヒーレント相互作用によってラビ分裂をおこし変化した共振器の周波数特性を、プローブ透過光強度のヘテロダイン検波により検出するというものである。とくに、この手法を用いた応用実験につなげるために、世界的に初めて、TEM01モードの光を用いたトラップの手法を新たに提案し、かつ、TEM01モードの光プローブを用いて実験を行ったものである。 本論文第1章では、序論として、研究の目的と意義や背景が述べられている。物質と光との相互作用を考える上で、最も単純で教科書的なモデルは単一二準位原子と単一光子との結合系であり、このような系の持つ物理情報を実時間で観測し、これを制御することは、シュレディンガー猫状態の生成のような量子力学の根本原理にかかわる実験や、量子計算や量子通信などの量子情報分野への応用につながる可能性を秘めている。またこのようなミクロな系の量子情報を観測・制御することは、最近盛んに行われるようになったボーズ・アインシュタイン凝縮相にある原子集団を用いた数々の研究の対極としても位置付けることができ、これと相補的な立場にある研究としても非常に興味深い。 本論文第2章では、この論文の実験で使用されたファブリーペロー共振器の基礎理論と実際についての説明がなされている。この論文の実験で使用されたファブリーペロー共振器は、特別に低損失で非常に反射率の高い誘電体多層膜蒸着ミラーを必要とする。そのため、設計は本人らが行い、作製を日本航空電子(株)に依頼して行い、かつ、その評価も本人らが行ったものである。ミラーは、中心波長780nm、反射率99.9980%、透過率8ppm、損失12ppmのものが得られ、ファブリペロー共振器は共振器長0.1mmでフィネスが1.5×105、共振線幅10MHzという性能が実現された。 本論文第3章では、実験の基礎となる光と原子との相互作用についての説明がなされ、本実験がクリアすべき実験条件が示されている。 単一光子によって単一原子を実時間で検出することの可否を定量的に議論するためには、以下に示すような4つのパラメータを導入して考えると分かり易い。一つは1原子と1光子のコヒーレントな時間発展のレートを決めるいわゆる真空ラビ周波数であるg_0、二つ目に原子のインコヒーレントな減衰を決める自然放出レート、三つ目に光子のインコヒーレントな減衰を決める共振器の損失レート、最後に原子-光子の相互作用時間の逆数1/Tである。これら四つのパラメーターがg_0>,≫1/Tといった関係を満たす条件下で実験を行うことができれば、原子-光子間のコヒーレントな相互作用を、系に固有なインコヒーレントな減衰に邪魔されることなく、十分長時間にわたって観測することができる。 本論文第4章では、単一原子の実時間計測の実験の装置、方法および結果の説明がなされ、第5章でそのまとめがなされている。実際の実験には、レーザーの周波数制御、原子の冷却および打ち上げ、高Q値光微小共振器、バランストヘテロダイン検波を用いた微弱光検出系が、要素技術として重要である。ルビジウム原子を0.7m/s程度にまで遅くして高Q値光微小共振器に打ち込み、80マイクロ秒程度の相互作用時間を得て、中心周波数88MHz、帯域100-300kHzのヘテロダイン検出系でショットノイズリミットの微弱光検出を行い、単一原子と数個のレベルの光子との相互作用を実時間で検出した。TEM00モードの光をプローブとした実験のみならず、運動制御やトラップ、その先の応用実験に向けてTEM01モードの光をプローブとした実験も行い、単一原子の検出に成功した。 同種の実験は、本研究の他には、世界的にみて、キンブルらのグループと、マイクロ波領域においてハロウシュらのグループにて進められているのみであり、高い技術とオリジナリティーが認められる。とくに、TEM01モードの光を用いた新しいトラップ方法の提案と、運動制御にむけてTEM01モードの光を用いて単一原子の観察とに成功したのは本研究が始めてであり、大いに評価できる。 なお、本研究は指導教官らとの共同研究の形で行われているが、測定装置の開発、実験の遂行、結果の解析、など本人の寄与が本質的であることが認められた。 よって、本論文をもって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |