学位論文要旨



No 114963
著者(漢字) 妹尾,仁嗣
著者(英字)
著者(カナ) セオ,ヒトシ
標題(和) 有機導体(ET)2Xにおける電荷整列
標題(洋) Charge Ordering in Organic Conductors(ET)2X
報告番号 114963
報告番号 甲14963
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3727号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 助教授 鹿野田,一司
内容要旨

 擬2次元有機導体(ET)2X(ET=BEDT-TTF)は多様な電子状態をとることが知られている。閉殻なX-の層に挟まれたET層は平均価数が1/2+であり全てのET分子が等価ならば1/4充填のバンドをもつ。ET分子は面内で非常に多様な配列をとり(この配列の違いはpolytypeと呼ばれ等のギリシャ文字で分類される)、それに起因する分子間遷移積分の異方性における多様性と、さらに強い電子間クーロン相互作用によりこの系は様々な基底状態を示す。この物質群のうち、最近電荷整列を起こすものが2つ見つかった:-(ET)2I3-(ET)2RbZn(SCN)4である。

 電子相関による1/4充填系の絶縁状態には二つの極限が考えられる。一つは遷移積分の二量体化が大きい時にサイト上クーロン斥力Uの働きによるモット絶縁体であり、この時各二量体に一つずつキャリアが局在する。この場合二量体化により実際バンドは1/2充填となっている。もう一つはサイト間クーロン斥力Vi,jの効果によるウィグナー結晶的な電荷整列である。これらの状態の1次元系での研究は進んでおり、例えば(TMTTF)2XにおいてはTMTTF鎖上の二量体化およびU、Vi,jの競合により両者のの共存状態が提案され、実験的にも最近その存在が確かめられた。

 木野・福山は2次元ET系における二量化とUの効果を拡張ヒュッケル法によるET分子間の遷移積分を導入しUを平均場近似で取り扱うことによって系統的に調べる方法を確立し、二量体化が強い型塩の構造を調べた結果モット絶縁体と解釈できる二量体間の反強磁性絶縁状態がUの値が大きい時に安定化することを示した。さらに上記の-(ET)2I3の構造(図1(a))に対するハバード模型の計算でも電荷整列の傾向をもつことが示されたが、上記の様に電荷整列の研究にはVi,jが重要であり、実際遷移金属酸化物NaV2O5の電荷整列現象の研究においてもVi,jの2次元系での重要性が認識された。よってVi,jをも含めた研究が(ET)2Xにおける電荷整列を理解する上では不可欠となる。そこで本論文では上記の型、型のET系の物性を、木野・福山の枠組みにサイト間クーロン斥力を含めて拡張し、基底状態を調べることにより実験事実の解明を目指す。さらに型塩も含めて(ET)2X系の統一的理解を得たい。

 -(ET)2I3はTMI=135Kで金属絶縁体転移を起こし、TMI直下から磁化率は急激に落ちこみスピンギャップの存在が示唆されており最近の13C-NMRの実験でTMI以下で電荷整列が直接観測された。木野・福山の計算による電荷整列のパターンは図1(a)のII鎖上にホールが多いものであったが、この物質の金属絶縁体転移の起源および電荷整列状態における電荷分布のパターンは明らかにされていない。電荷整列が観測されたもうひとつの物質-(ET)2RbZn(SCN)4は、一連の型塩、-(ET)2MM’(SCN)4(以後MM’塩と省略する)の一員である。-(ET)2Xは物質によって図2に示すようにいわゆる型と呼ばれている構造(b)とET分子の積層方向に二量化を起こした構造(c)(ここではこれをd型構造と呼ぶ)を持つ二種類の錯体が存在し、それぞれの物性は相異なる。相では、温度50K〜100Kで電気抵抗が最小値をとり低温では絶縁体的な振る舞いを見せ、磁化率もその温度付近から低温に向かってCurie則的に増加していく。一方d相では、絶縁体的な電気抵抗を示し、磁化率はBonner-Fisher曲線に従うが10K付近以下でスピンギャップ的振る舞いを見せる。電荷整列が発見されたRbZn塩では290Kで型からd型に構造相転移を起こし、それとともに電荷の不均衡が、すなわち電荷整列がET分子間で起きていることが13C-NMR実験によって明らかにされた。

図1:型(a)、型(b)、d型(c)の(ET)2XにおけるET面内の模式的な構造。楕円と矢印はET分子と遷移積分をそれぞれ表している。(d)は簡易化された(ET)2Xの模型。

 ここでは、それぞれの物質の遷移積分の異方性を取り入れた2次元拡張ハバード模型を考え、UおよびVi,jを平均場近似によって取り扱う。サイト間クーロン斥力Vi,jとしては隣接分子間のものを考慮し、得られた解のエネルギーを比較することにより基底状態を決定する。その結果ET系に適切なU=0.7eV、Vi,j=0.15〜0.35eVにおいてストライプ状の電荷整列状態が安定化することが示され、上記の物質の電気抵抗の絶縁体的振る舞いはこの状態の出現によると考えられる。またその電荷分布のパターンは模型のパラメータ、すなわち遷移積分の異方性とVi,jの値に敏感に依ることがわかった。以下にそれぞれの構造すなわちd型における平均場計算の結果を示し、またそれに基き平均場近似において取り入れられていなかった磁気的量子効果をスピン1/2ハイゼンベルグ模型に電荷整列状態をマップすることにより考慮することにより実際の物質中で実現している電荷パターンを議論する。この際局在スピン間の交換相互作用の大きさJi,jを遷移積分ti,jを用いて関係式Ji,j/Uで見積もる。

 型の構造に対する計算結果では、傾向としてVi,jが小さい領域では図2(a)に示すverticalストライプ型の電荷整列状態が、またVi,jが大きい領域では図2(b)に示すdiagonalストライプ型の電荷整列状態が安定化した。実験で観測された磁化率の局在スピン的振る舞いは前者のverticalストライプ型の電荷整列状態の実現に起因していると考えられる。すなわち、1次元ハイゼンベルグ模型を与えるこのストライプ上での交換相互作用の大きさは,Jc/U=10K程度と見積もられ、この小さい値がCurie的な磁化率の原因であると推測できる。さらにこの振る舞いの一因としてNMRの実験より示唆されている大きい電荷揺らぎも考えられる。また光学伝導度の測定もverticalストライプ型の電荷パターンの実現を支持している。

 d型の構造ではVi,jが等方的な場合図2(c)に示すverticalストライプ型の電荷整列状態が安定化する。しかしVi,jの異方性を数%導入すると図2(d)に示すdiagonalストライプ型や図2(e)に示す遷移積分tp4に沿ったhorizontalストライプ型の電荷整列状態のエネルギーがより低くなる。この最後の状態はスピン間の交換相互作用がJp4/U=450Kで与えられる1次元ハイゼンベルグ模型にマップでき、磁化率のBonner-Fisher的振る舞いと合致するので、このtp4に沿ったhorizontalストライプ型の電荷パターンがd相では実現していると演繹できる。13C-NMR実験の解析および光学伝導度の測定もこの電荷パターンを示唆している。すると、10K以下で観測されているスピンギャップはこの1次元ハイゼンベルグ鎖上でのスピンパイエルス転移と理解できる。

 -(ET)2I3の構造に対する計算結果では、Vi,jを増加させていくと図2(f)に示すカラムII上のverticalストライプ型の電荷整列状態から図2(g)に示すカラムI上のverticalストライプ型の電荷整列状態へと基底状態は変化し、さらに図2(h)に示す遷移積分tp2とtp3に沿ったhorizontalストライプ型の電荷パターンの状態が最も低いエネルギーを持つ。このhorizontalストライプ型の電荷整列状態をハイゼンベルグ模型にマップすると、上記の相やd相と異なり、1次元鎖上の交換相互作用においてJp2/U=1100KとJp3/U=220Kの交替が存在する。-(ET)2I3の磁化率のTMI直下からのスピンギャップ的振る舞いはこの交換相互作用の交替により理解できる。

 さらに、これらET系の統一的理解の為、図2(d)に示す構造をもつ模型を調べた。この模型はtp1とtp4を変化させることにより二量体化とバンド間の重なりの度合いをそれぞれ変化させることができ、(ET)2Xの簡易な有効模型として木野・福山が導入したものである。前者によって二量体化が強い型と弱いd型の間を、後者によってバンド間の重なりが小さい-(ET)2I3と大きい-(ET)2MHg(SCN)4の間の関係が調べられる。型はtp=tp1=tp4の場合に当る。この模型の計算においてもVi,jの導入によってストライプ型の電荷整列相が安定化した。V/U=0.25に保ち、U、tp1、tp4を変化させて得られた結果を基にそれぞれの物質の位置を示した相図が図3である。tp1もtp4も小さいほど電荷整列相がより安定となることが明らかとなった。

図2:型(a)〜(b)、d型(c)〜(e)、型(f)〜(h)の(ET)2Xに対する平均場計算により得られたストライプ型の電荷整列状態の模式図。図3:(ET)2Xの統一的相図。PM、dimerAF、COはそれぞれ常磁性金属相、二量体間反強磁性相、電荷整列相を表している。圧力効果も矢印で示されている。

 以上、擬2次元有機導体(ET)2Xにおける電荷整列現象をサイト上クーロン斥力Uおよびサイト間クーロン斥力Vi,jを平均場近似によって取り扱い調べた。実際の型、d型、型物質における遷移積分の異方性を取り入れて計算した結果Vi,jが電荷整列を引き起こすことがわかった。その電荷パターンは遷移積分およびVi,jの異方性によって変化し、型塩ではverticalストライプ状の、d型塩ではtp4に沿ったhorizontalストライプ状の、-(ET)2I3ではtp2とtp3に沿ったhorizontalストライプ状の電荷整列が実現していると提案した。これらの結果をもとに量子効果を適切なS=1/2ハイゼンベルグ模型に移行して考慮することにより実験結果を理解できた。

審査要旨

 有機導体は、銅酸化物高温超伝導体,重い電子系とならんで強相関電子系の典型例として盛んな研究が続いている。構成要素である有機分子の大きさが大きいことから低次元性が顕著な場合が多く、有機分子、陰イオン、さらには側鎖等の組合せによってさまざまな特徴を持った低次元系を系統的に調べることが出来るところにその面白さがある。(ET)2X(ET=BEDT-TTF)と総称される一群の有機導体は擬二次元系で、その基底状態は反強磁性絶縁相、反強磁性金属相、超伝導相など実に多様である。この論文では、(ET)2Xにおける電荷整列について研究することを目的としている。

 (ET)2Xの重要な特徴として、X-イオンの層にはさまれたET層は平均価数が114963f01.gif+であり、HOMO(highest occupied molecular orbital)は対称性の破れがなければ、114963f02.gif占有されている。FT分子の配列には様々なパターン(polytype)がありその配列の違いは,,,などのギリシャ文字で区別される。型では、二つのET分子が強く対をなしていてその間の遷移行列要素が大きい。この場合には、二つのET分子のHOMO軌道は、結合軌道と反結合軌道にわかれ、実効的に結合軌道が半分詰まった系と考えることが出来る。この場合については、木野・福山の平均場近似に始まり、FLEX近似を用いてスピンの揺らぎの効果を取り入れた研究など多くの理論的研究がなされている。これに対して、型や、型では、二量体化の度合は必ずしも大きいとはいえない。こうした場合の絶縁相はどのように特徴づけられるかが問題となる。

 無機物質における最初のスピンパイエルス系として注目を集めたNaV2O5の相転移の性質について、当学位論文申請者は福山氏と共同で電荷整列が相転移の支配的機構となっていることを提案した。この場合はバナジウム当たり平均として114963f03.gif個の電子があるが、それがサイト間のクーロン反発の効果で電荷秩序を起こしている。したがって、(ET)2Xについても、二量体化に比べてサイト間のクーロン反発力の方が大きい場合には、電荷整列を起こして絶縁体化していると考えるのが自然である。

 当論文では、一つのサイト上でのクーロン反発Uに加え、サイト間クーロンVijを取り入れた一般化されたハバードモデルを考える。運動エネルギーについては分子軌道の重なり積分の大きさから期待される飛び移り積分の値を用いる。このモデルをスピン分極および電荷整列の自由度を考慮した非制限ハートレーフォック近似で扱っている。電荷整列については、いくつか可能性が高いと考えられる構造を仮定して、各状態のエネルギーを比較することによって起こり得る状態を議論している。

 以上の仮定のもとで、型、型、d型の(ET)2Xの電荷整列のパターンについて当論文で具体的な提案をしている。-(ET)2Xでは、TMI=135Kで金属絶縁体転移を示し、最近のNMRの実験ではTMI以下の温度で電荷整列が確認されている。今後、各polytypeに対して、電荷整列に対する理論的予測と実験結果との詳細な検討が期待される。ここで見い出された電荷整列のパターンはいずれも一次元的構造を持ち、電荷整列した後の絶縁相における磁気的性質は、一次元ハイゼンベルグ模型で定性的には整理できると考えられる。飛び移り積分の大きさとUから見積もった超交換相互作用は、これら三種類の(ET)2Xの帯磁率の温度依存性の顕著な差を定性的には記述していることが議論されている。

 以上見てきたように、本論文の研究内容は有機導体(ET)2Xの電荷整列について具体的なパターンの提案をし今後の実験の指針を与えており、その成果は高く評価される。一方理論研究としてみた場合、ハートレーフォック近似というもっとも素朴な理論形式に留まっている点、非制限ハートレーフォック近似の範囲でも可能な状態を尽くすような計算が実行されてない点など、今後に残されている課題は多いと考えられる。特に、磁気的性質を議論するのにいきなり一次元ハイゼンベルグ模型に飛躍するのを理論的に正当化することは困難と考えられる。しかし、当論文での提案はすでに多くの実験家を刺激するところとなっていて、今後の理論と実験の建設的な協力関係の中において、当論文に見られる理論的限界は克服されていくものと期待される。

 よって論文審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認める。

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