学位論文要旨



No 114964
著者(漢字) 関口,武治
著者(英字)
著者(カナ) セキグチ,タケハル
標題(和) アルカリ土類金属原子が吸着したシリコン表面の構造と電子状態
標題(洋)
報告番号 114964
報告番号 甲14964
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3728号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 助教授 福山,寛
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 助教授 渡邉,聡
内容要旨

 Si(111)表面は加熱によって清浄表面を得ることができ、ドメインサイズが大きいことから、表面研究の対象として盛んに用いられてきた。清浄表面の7×7構造の原子配列はDAS(Dimer-Adatom-Stacking fault)モデルとして知られているが、この表面上に1原子層程度の金属を吸着させた系に対しては、学問的な観点からのみならずデバイスへの応用といった観点からも、さまざま実験的・理論的手法による研究がなされている。しかし、金属吸着によって形成される表面超構造には多種多様のものが知られているが、その原子配列まで完全に解明されているものは数少ない。その物性を評価する上で構造に関する情報は欠かせない。これらのうち、アルカリ金属原子は価電子としてs電子が1個しかないことから、金属吸着系のプロトタイプとして広く研究されているが、アルカリ土類金属原子を吸着させたSi表面の研究はあまりなかった。価数の違いによって、形成される表面超構造にどのような違いが現れるのか、2価であることに起因する特殊な物性が無いか、などは大変興味深い問題である。(実際、アルカリ金属原子吸着系に共通な3×1構造に対してアルカリ土類金属原子吸着系には3×2構造が共通して現れること、一連の一次元的な超構造が現れることなどが、徐々に明らかになってきた。)

 そこで、本研究では、Si(111)表面上にアルカリ土類金属原子を吸着させたときに現れる表面構造に関して、その原子配列、電子状態、成長過程を解明することを目的とし、次のような実験を行った。

 1.表面構造の相図(各表面相が現れる温度範囲と金属蒸着量を示す図)を作成するためにRHEED(反射高速電子回折)観察を行った。

 2.表面構造の原子配列を調べるために室温STM(走査トンネル顕微鏡)観察を行った。

 3.高温での吸着過程、脱離過程における構造変化を調べるために高温STM観察を行った。

 4.表面構造による電子状態を調べるために、ARPES(角度分解光電子分光)及びCLPES(内殻準位光電子分光)測定を行った。

 これらのうち 3.の実験を行うために、RHEED及び高温STMを備えた超高真空槽実験装置の立ち上げを行った。これにより、金属原子を蒸着しながら高温で同一ステージ上でRHEED・STM観察することを可能にした。

 これらの実験により得られた成果を以下にまとめる。

 1.Caを吸着させたSi(111)表面の超構造の相図を作成した。

 1.1.Caの被覆率が1原子層程度以下の場合、被覆率の低い方から3×1(1/3原子層Ca)→5×1→7×1→2×1(1原子層Ca)構造が現れる。

 1.2.3×1構造は約300℃以下で3×2構造に相転移する。

 1.3.500℃以下では7×7構造を保ったままCaが吸着する。

 1.4.3×1構造は約830℃まで安定に存在し、それ以上では7×7構造に変化する。

 1.5.最適な被覆率以外では、いくつかの構造が共存する。

 1.6.他の2価金属原子が吸着したSi(111)表面の超構造との類似性から、3×2構造の2倍周期と一連の一次元的な縞状構造は、吸着原子が2価であることに起因したものである可能性が高いことを指摘した。

 2.Ca/Si(111)系の一連の表面超構造に関しての詳細なSTM観察:

 2.1.すべて1次元的な縞状構造である。

 2.2.3×2構造は、3倍周期で列が並んだ縞状構造をしているが、列に沿った2倍周期の位相が隣接する列の間でランダムである。このためにRHEEDパターンでは、2倍周期を示すスポットではなくストリークとなる。

 2.3.3×2構造の占有状態像は、2価金属原子吸着による構造としても、本研究で初めて得られたものである。占有状態像は、アルカリ金属原子の吸着した3×1構造と同様に、列に沿った1倍周期のジグザグ鎖が観察されるが、Caの場合にはそれに2倍周期の変調がかかって見える。また、ジグザグ鎖を形成する2本の列は、アルカリ金属原子の吸着した3×1構造では等価であるが、Caの場合には非等価であり高さが異なる。高い方の列では高さに2倍周期の変調があり、低い方の列では列に沿った方向に2倍周期の変調がある。また、ジグザグ鎖を構成する2本の列と暗い溝の配列順はSi(111)基板の結晶方位により決まっており180°回転したような構造は存在しない。

 2.4.3×2構造の非占有状態像は、アルカリ金属原子の吸着した3×1構造と同様な帯状の列に、2倍周期でこぶが並んでいるように観察される。

 2.5.3×2構造の占有状態像と非占有状態像では暗く見える溝の位置が一致することもわかった。

 2.6.5×1、7×1構造のSTM像はは、それぞれ2本、3本の列が5倍、7倍周期で並んだ縞状構造として観察された。STM占有状態像と非占有状態像では各列の高さが異なるように見える。3×2構造と2×1構造を基本構造としてそれらが超周期配列した構造であると考えられる。

 2.7.2×1構造のSTM像は、2倍周期で列が並んだ縞状構造として観察された。この構造はRHEEDパターンでは2×2周期か2×1周期か判別することは難しかったが、STM像により2×1周期構造であることを明らかにした。

 2.8.一連の表面構造は、3×1構造及び2×1構造を基本構造として説明できる可能性を指摘した。

 3.Ca吸着・脱離過程の高温STM観察

 一連の一次元的超構造の変化を高温STMを用いて観察した。2価金属原子吸着によりSi(111)表面上に形成される一連の縞状構造(n×1構造)の高温での動的変化を実空間観察したのは、本研究が初めてである。その結果、以下のことを明らかにした。

 3.1.吸着過程では被覆率の小さい3×1構造から順次現れるが、1つの相が完成する前により被覆率の大きな構造が現れ始め、2つの構造の共存状態においては相分離するのではなく、混じり合う傾向が強い。

 3.2.縞状構造の列に沿った方向は成長速度が速く、ドメインの形もその方向に長い。特定の条件下では、列方向がステップに沿ったドメインが、列方向とステップが120°の角をなすドメインによって侵食されやすい。この現象(ダブルドメイン構造形成)および微斜面基板上で形成されるシングルドメイン構造を、超構造自身の成長速度の異方性、ステップの上側と下側で核形成される縞状構造ドメインの縞方向の違い、ステップの方向・形状・間隔、エレクトロマイグレーション効果、基板温度や蒸着速度の違い、などにより説明した。

 3.3.構造間相転移にステップの移動が伴う。その原因は、各構造に含まれるSi原子数密度が異なることにある。7×7→3×1の変化では、ステップの移動距離から3×1構造に含まれるSi原子の数は4/3MLであることがわかった。

 3.4.脱離過程(5×1→3×1)において、5×1構造の単位列の揺らぎ、移動、減少が見られた。この際に3×1構造にドメイン境界を生じないことから、Ca原子は列の端、つまりステップあるいは他方向のドメインとの境界から脱離していると考えられる。

 3.5.脱離過程では、5×1→3×1構造変化の過程で原子の列間ホッピング現象が起こる。その頻度は局所的なCa被覆率(5×1構造の単位列の密度)に依存する。ただし、各構造に含まれるSi原子数密度が異なるので、これにはSi原子の再配列が伴わねばならない。

 4.シングルドメイン構造の作成:

 4.1.微斜面基板を用いると、上述の一連の一次元的超構造をシングルドメインで作成できることがわかった。このときの超構造の列方向はステップに沿った方向である。これは、アルカリ金属原子吸着3×1構造、2価金属原子による一連の縞状構造としても、初めて得られた結果である。

 5.シングルドメイン-3×2-Ca表面のARPES及びCLPES測定:

 5.1.3×2-Ca 表面の表面電子バンドは少なくとも3つあり、それらはいずれもフェルミ準位を横切っていないため半導体的である。

 5.2.結合エネルギーの最も低いS1状態は、縞状構造の列に沿った方向[110]では分散が大きい(約0.8eV)が、それに垂直な方向[112]では分散がほとんど無いので、縞状構造の列内に局在している一次元的電子状態であるといえる。

 5.3.3×2-Ca 表面からのSi2p準位には、バルク成分に対して束縛エネルギーの高い側と低い側に1つずつ表面成分がある。

 6.3×2-Ca 構造を他のSi(111)表面上の3×1-M構造と比べると(M=Li,Na,K,Cs,Rb,Mg,Sr,Ba,Yb,Sm)、以下の点が明らかになった。

 6.1.Si原子の数密度が4/3原子層であり他の系と一致すること、表面電子状態のバンド分散及びSi2p準位が他の系のものとよく似ていることがわかった。この結果ならびにすでに報告されている他の研究結果から、これら3×1(2)構造は、基本的には同じ原子配列を有する構造であると考えられる。その原子配列として、これまでに提唱されたモデルのうちで様々な実験結果を最もよく説明できるのは、HCC(Honeycomb Chain-Channel)モデルである。

 6.2.2倍周期に関してSTM像や電子回折パターンが他の2価金属原子の系のものと一致することから、この2倍周期は吸着子が(基本的に)2価であることに起因した、表面構造(原子配列あるいは電子状態あるいはその両方)の変調によるものであると考えられる。2価の場合、エレクトロンカウンティングモデルに基づくと、3×1周期では金属的電子状態を持つはずであるが、1次元金属の不安定性により2倍周期の変調を生じて3×2構造を形成していると考えられる。高温でのRHEEDパターンの変化もこのことを示唆しており、高温(3×1)では金属的になっている可能性が高い。

 6.3.Ca系の特徴として、表面電子状態のS1バンドの分散がアルカリ系に比べて非常に大きいことが挙げられる。他の2価金属原子吸着による3×2構造に対しても同様なバンドがあることが期待される。

 以上、Ca原子が吸着したSi(111)表面について、RHEED、STM、(AR)PESを用いて、一連の表面構造の形成過程、原子配列の詳細、表面電子バンドの分散について、系統的に調べ、1価金属(アルカリ及び貴金属)原子や他の2価金属(アルカリ土類及び希土類金属)原子が吸着したSi(111)表面と比較しながら、その特徴を明らかにすることができた。

審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章導入、第2章実験手法の原理の後、第3章で実験装置、実験方法が記述され、第4章で様々な実験結果が述べられる。第5章で表面超構造について考察がなされ、第6章で結論が述べられている。

 金属原子の吸着したSi(111)表面の構造はきわめて多種多様であるが、原子配置構造まで確定されたものはそれほど多くなく、これら表面系の系統的な研究は学術的にも応用的にも重要な意義をもっている。とくにSi(111)表面のアルカリ土類吸着系は、アルカリ金属吸着系に比べて研究例は少なく、2価であることの特徴がどのように現れ、アルカリ金属とはどのように異なるかなど、興味ある問題が未解決のまま残されている。

 本研究の主要な成果は、アルカリ土類金属、特にCaを吸着させたSi(111)表面の原子配列構造、電子状態、生成過程を明らかにしたことである。すなわちCa吸着Si(111)表面について、反射高速電子回折(RHEED)による観察を行い、温度-被覆度()空間での相図を決定した。の低い方から3×1→5×1→7×1→2×1(完全な単原子吸着層)となること、3×1構造は300℃以下で3×2構造に相転移することなどを明らかにした。これら一連の構造について詳細なSTM観察を行い、以下の性質を見い出した。すなわち上記の各構造は1次元的な島状構造になっている。3×2構造では列の並びは3倍周期であるが、列にそって現れる2倍周期は列ごとにランダムな関係にある。さらに5×1、7×1構造ではそれぞれ2本、3本の列が5倍と7倍の周期で並んでおり、一連の表面構造は3×1構造と2×1構造を基本にして構成されている。

 Caの吸脱着過程でのSTM観察を行い、以下の性質を明らかにした。すなわち吸着が進むにつれ、3×1構造から順次現れるが、相境界では被覆度の高い隣の相の構造が混在する。構造間の相転移では、異なる相の間のSi原子密度の相違によってステップの移動が伴う。3×1構造に含まれるSi原子密度は4/3原子層に相当する。さらに脱離による5×1→3×1構造変化過程で、原子が列間をホッピングするためと思われる吸着原子列の不連続な揺らぎが観察された。さらに微斜面基板を用いたシングルドメイン3×2構造について、角度分解光電子分光(ARPES)の実験を行い、以下の結果を得た。3×2構造表面は、フェルミ準位を横切らない表面状態は3つある。これらのバンドは列に平行方向で分散が大きいが、これと直交する方向での分散は小さく、1次元的な電子状態の特徴を示す。

 本研究でのSi(111)3×2-Ca表面と他のSi(111)3×1-M表面(M=Li,Na,K,Cs,Rb,Mg,Sr,Ba,Yb,Sm)とを比べると、次の類似点と相違点が認められた。すなわちSiの原子数が原子層あたり4/3であることは、これら一連の系と一致し、また表面状態のバンド分散の特徴も同じである。このことからSi(111)3×2-Ca表面系は、他のSi(111)3×1-M表面系と類似した原子配列をとることが推測される。STMやRHEEDで観察されたSi(111)3×2(1)-Ca表面の列内2倍周期は、他の2価金属吸着系での特徴と同じであり、これは吸着子が2価であることに起因すると考えられる。すなわち1次元系の特徴として金属バンドのできる3×1構造は不安定で、2倍周期のパイエルス変調によって安定化すると推定される。一方、アルカリ吸着系と異なるCa吸着系での特徴として、S1表面状態のバンド分散がかなり大きいことがあげられる。これはSiと金属原子間の結合が、アルカリ吸着系に比べて大きいためと思われる。

 以上のように本研究はCa原子の吸着したSi(111)表面の構造、形成過程および表面電子状態について、RHEED,STMおよびARPESを駆使して、詳細かつ系統的に明らかにしたものである。これはこの表面の複雑な具体的原子配列構造の確定に向けて重要な基礎になるばかりでなく、列構造の形成、移動、揺らぎなど表面物理に一般的な新しいコンセプトを見い出している。よって審査員全員は本研究の表面物理分野への寄与は大きいと考え、博士(理学)の学位を授与できると認めた。

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