筋収縮は、交互に並んだ太いフィラメント(ミオシンフィラメント)と細いフィラメント(アクチンフィラメント)が、お互いの間に滑り込む事によって生じる。この時、ミオシンの頭部が加水分解したATPのエネルギーが収縮に利用される。骨格筋の場合、カルシウムがトロポニンとトロポミオシンの複合体に結合することによって、収縮が制御されている。ATP濃度とカルシウム濃度が十分にあるとき、ミオシン頭部が太いフィラメントから離れ、細いフィラメントに結合すると筋収縮が始まる。ミオシン頭部は双頭構造であり、それぞれの頭部はミオシンS1(ミオシンサブフィラメント1と呼ばれる分子重量約140kDaのドメイン)と呼ばれている。ミオシンS1だけで力を発生できる。ミオシンS1によるATPの加水分解は細いフィラメントを構成するアクチンによって促進される。ATPの加水分解による化学的エネルギーが、どのようにして力学的エネルギーに変換されるのであろうか。このメカニズムはATPを加水分解する際のミオシンS1の構造変化と密接に関係していると考えられている。現在、このメカニズムを説明する最も有力なモデルはレバーアーム説である。このモデルはLymn-Taylorモデルがベースとなっている。本来のLymn-TaylorモデルはミオシンS1の細いフィラメントに対する結合角度が変化するとされていたが、レバーアーム説は、そこから改良され、結合角度は変わらないで、軽鎖結合部位がレバーアームとして角度を変えるとされた。ADP.Pi型(無機リン酸(Pi)放出前)ミオシンの立体構造を明らかにする事は重要な意味をもつ。なぜなら、レバーアーム説は無機リン酸の放出前後で構造変化が起きる事を予想しているからである。放出前のADP.Pi型のミオシンの立体構造はADP.Pi型に近いと考えられているATPアナログの構造でしか解かれていないので不完全である。本研究の大きな目標はクライオ電子顕微鏡法を利用したADP.Pi型ミオシンの構造研究である。ミオシンとアクチンが相互作用しない弛緩状態では、ミオシン頭部は太いフィラメント上に規則正しく配列し、ヌクレオチドの状態はADP.Pi型であることが知られている。この時、ミオシンはらせん対称性をもって配列する。この対称性を利用して電子顕微鏡法で構造解析を行うと、ミオシンS1の立体構造を解く事ができる。レバーアームの動きの検出、ミオシンS1の配置を決定したい。 太いフィラメントの構造はコイルド・コイルの長いミオシン尾部が集合してできたバックボーンと、バックボーン表面に突き出たミオシン頭部からなる。脊椎動物の太いフィラメントは3重らせんで、フィラメント軸方向に43nmの規則正しい周期構造を繰り返し、それぞれのらせんに沿う、1ユニットの周期は14.3nmである事が知られている。過去に様々な方法で、様々な種の太いフィラメントの構造研究が行われてきた。太いフィラメントの構造は脊椎動物と無脊椎動物の間で大きく違う。無脊椎動物の太いフィラメントは4重または7重らせんであることが知られている。それらの中で特に脊椎動物の太いフィラメントは良く調べられてきた。筋繊維のX線回折法でカエルの太いフィラメントや魚、ウサギの太いフィラメントも調べられている。電子顕微鏡法でもカエルについて多く研究されてきたが高分解能での研究は進んでいない。 これらの研究ではミオシン頭部中の二つのミオシンS1の向きが議論されてきた。弛緩状態(筋収縮が始まる前)のミオシンS1の向きを知ることは、筋収縮メカニズムを知る上で重要なことである。なぜなら、弛緩状態のミオシンS1は細いフィラメントと結合していないがわずか数nmしか離れていないので、弛緩状態から次のステップに移るときに、弛緩状態と同じ向きで細いフィラメントに結合する事が十分に起こりうるからである。また、このような構造研究は筋繊維のX線回折パターンを解釈するときにも重要な意味を持つ。なぜならX線回折パターンの解釈はモデル依存性が高いため、電子顕微鏡法によって解かれた信頼性の高い太いフィラメントのモデルをもちいると、より深い解釈が進み、同時に間違った解釈に陥る危険性も減る。ミオシン頭部中の二つのミオシンS1はほぼ同じ方向を向き、その向きはZ線方向だった。この結果からレバーアーム仮説を改良した新しい筋収縮メカニズムを提唱した。それは初期のLymn-Taylor仮説のようにミオシンS1全体もレバーアームになる説である。 太いフィラメントのバックボーンを構成するミオシン尾部は、どのようにバックボーンを形成するのだろうか。バックボーン自身は筋収縮には直接的に関係ないと考えられているが、バックボーン・パッキングの方法がミオシン頭部の配置のベースになるので重要である。さらにパッキング法は分子集合のメカニズムを知る上でも重要である。高い分解能のバックボーン構造を得るため様々な方法で困難の克服が図られてきた。再構成像のバックボーンにはサブフィラメントの束が3本あることが示された。サブフィラメントの束はフィラメント軸に対してわずかに傾き、軸方向に43nm進むごとに円周方向にオーバーツイストした。バックボーンの周期は43nmx3=129nmで右巻きであった 太いフィラメントの付属タンパク質(accessory proteins)の一つであるCタンパク質(別名MyBP-C:ミオシン結合タンパク質C、分子重量140kDa)は太いフィラメントの形成に影響を与えたり、太いフィラメントの構造を安定化させたり、太いフィラメントの長さを制御したり、アクチンとミオシンの相互作用に影響を及ぼしたりする事が知られている。だが、太いフィラメント上でのCタンパク質の立体構造は殆ど解っていないため、これらの機能のメカニズムも殆どわかっていない。また、Cタンパク質と太いフィラメントの結合様式について、様々な説が提唱されている。例えば、Cタンパク質は太いフィラメント上でリングを作る、Cタンパク質はバックボーン表面にあるというよりも表面のくぼ地に埋もれている、Cタンパク質は太いフィラメントと平行に結合するなどである。本論文で太いフィラメント上でのCタンパク質の立体構造が初めて示された。Cタンパク質はバックボーン中心から表面にかけて動径方向に幅広く分布し、リングを形成している可能性がある。 筋繊維または太いフィラメントの回折パターンには「理想的ならせん」からでは予想できない反射が子午線に見られる。この反射は「禁じられた子午線反射」と呼ばれている。「理想的ならせん」は43nmの周期中に14.3nmの間隔でミオシン頭部が配置される。43nmの周期内に規則正しい変位があると「禁じられた反射」生じる。この反射の由来はミオシン頭部からだけだと考えられて来た。なぜなら、弛緩から収縮に移ると「禁じられた子午線反射」は殆ど消えてしまうからである。同時にCタンパク質の反射も収縮状態になると消える事が知られている。「禁じられた子午線反射」は脊椎動物だけに見られる。そして脊椎動物にだけにCタンパク質が存在するので、Cタンパク質が「禁じられた子午線反射」になんらかの関与をしていると考えられている。Cタンパク質がサブフィラメントの束をオーバーツイストさせバックボーンを規則正しく変位させた事と、Cタンパク質自身がバックボーン中心でミオシン尾部に強く結合した事が「禁じられた子午線反射」の由来になったと考えられる。 「禁じられた子午線反射」が存在するためには、らせん対称性は「理想的ならせん」より複雑な「規則正しい変位のあるらせん対称性」を仮定しなければならない。対称性が複雑だと太いフィラメントのフーリエ変換の同一層線に多数のベッセル関数が重なる。三次元再構成を行うには重なったベッセル関数を分離しなければならない。今までは最小自乗法でベッセル関数分離が行われてきたが、新たに反復法によるベッセル関数分離法を開発した。 |