学位論文要旨



No 114969
著者(漢字) 羽柴,次郎
著者(英字)
著者(カナ) ハシバ,ジロウ
標題(和) 幾何学とN=2超対称ゲージ理論
標題(洋) Geometry and N=2 Supersymmetric Gauge Theories
報告番号 114969
報告番号 甲14969
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3733号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 教授 江口,徹
 東京大学 教授 風間,洋一
 東京大学 助教授 加藤,光裕
 東京大学 助教授 森,俊則
内容要旨

 素粒子の標準模型は、電磁相互作用、弱い相互作用、そして強い相互作用を包含するゲージ場の理論であり、その正しさは数多くの実験結果によって検証されている。この標準模型を超えて、重力相互作用まで含めた統一理論を構築しようという試みこそ、素粒子物理学者の最大の目標である。

 実は、標準模型は重力を除いた3種類の相互作用を完全に統一したものではない。しかし、いずれにしても電磁、弱、強の相互作用を統一する大統一理論はやはりゲージ場の理論で有効に記述できると期待されている。一般に、現象論的に満足のいく場の理論の模型を作る際に避けて通れない関門として、ヒエラルキー問題と呼ばれるものがある。これは、PlanckスケールMP1〜1019GeVと電弱スケールMew〜102GeVが著しく異なるために生ずる数々の困難を指す。具体例としては、繰り込まれたHiggs場の質量がMew程度となるためには、裸の質量の値に対して不自然ともいえるほどのファインチューニングが必要であるという事情が存在する。これは一般に、Higgs場の2乗質量は1ループ近似で2次発散の繰り込みを受けることに起因している。この問題に対する1つの解決を与えるのが、超対称性である。

 超対称性を持つ場の理論においては、ボソンとフェルミオンは必ず対となって存在しているため、Higgs場の質量に対する繰り込みは対数発散までとなり、上述のようなファインチューニングは不要である。実は、超対称性の効用はこればかりではない。弦理論に超対称性を持たせたいわゆる超弦理論には、一般の弦理論の多くには含まれていたタキオンが存在しないのである。

 タキオンが存在しないということは、真空が安定であり、少なくとも理論を摂動論的には定式化できることを意味している。これはまことに歓迎すべき事態である。なぜならば、超弦理論こそ、重力まで含めた究極の統一理論を記述する、現在のところでは最有力な候補だからである。

 以上を要約しよう。まず、超対称ゲージ理論は重力を除いた3種類の相互作用を統一する理論の有効な記述を与える。さらに、重力まで含めた全ての相互作用を包含する理論として最も有力なものに、超弦理論がある。このことはすなわち、超対称性を持つ理論を調べることが、相互作用の統一理論へと近付く際の重要な足掛かりとなることを示唆している。

 最近の10年間における、超弦理論と超対称ゲージ理論に関する研究から生まれた最も著しい成果をここで挙げておく。まず超弦理論においては、双対性と呼ばれる概念についての研究が盛んに行われた。双対性とは、一見まったく異なるようにみえる2つの理論が、実は同一の理論の異なる記述に過ぎないということを意味する用語である。例えば、強結合の理論と弱結合の理論の間に双対性が成立していれば、解析が困難な前者の理論を解析が比較的易しい後者の理論にすり替えて議論することが可能になる。IIA型理論とIIB型理論との間のミラー対称性は、双対性の典型例である。この双対性についての研究の発展のなか、実はある1つの統一的な記述が存在し、それが幾つかの超弦理論を互いに結びつけているのだという解釈が主流となってきた。その「統一的な記述」をわれわれはM理論と呼んでいる。M理論は、11次元上の超膜理論、あるいは行列模型によって記述されるのではないかという幾つかの議論があるが、その真の定式化については謎がまだ残されている。

 超対称ゲージ理論の非摂動的性質についてのわれわれの理解もまた、飛躍的な進歩を見せている。その中でも最も注目に値するものの一つは、SeibergとWittenによって研究された、4次元においてN=2の超対称性を持った理論の厳密解に関するものであろう。一般に、N=2超対称ゲージ理論の真空は、Coulomb相およびHiggs相と呼ばれる2つの相から構成されている。そのうち、Coulomb相の形状は、量子論的な効果によって、その古典的な形状から大きく変形を受けてしまう。場の理論においてその量子論的効果を厳密に計算することは一般には極めて困難である。ところが、ここではN=2超対称性という非常に制限の強い状況のおかげで、量子効果まで含めたCoulomb相の厳密な形状が予想できるのである。SeibergとWittenの具体的な主張は、N=2 SU(2)超対称Yang-Mills理論のCoulomb相上の計量が、ある複素1次元の曲線によって完全に決定されるというものである。これを一般のゲージ群および物質場を入れた理論へと拡張する試みが、それ以降盛んに行われてきた。そこでもやはり、Coulomb相上の計量は、一般には複素1次元とは限らない何らかの幾何学的物体により決定されているという予想がなされている。N=2超対称ゲージ理論を支配するこの幾何学的物体を、以下ではSeiberg-Witten幾何と呼ぶことにしよう。われわれは、Seiberg-Witten幾何がゲージ理論の厳密解を求める際に有効な単なる数学的手段であるのか、あるいは実際に対応する物理的実体が存在するのか、という疑問を当然ながら抱くのである。

 あるゲージ理論に対応するSeiberg-Witten幾何を発見する手法は幾つか存在する。無論、純粋な場の理論による方法が最も代表的なものであるが、それは目下のところ発見法的であると言わざるを得ない。その他の強力な手法としては、超弦理論の中にゲージ理論を埋め込み、Seiberg-Witten幾何の起源を探るというものがある。埋め込む方法もまた種々存在するのであるが、われわれは本論文においては、IIAおよびIIB型超弦理論をCalabi-Yau多様体にコンパクト化し、その低エネルギー有効理論の一部としてゲージ理論を実現することにする。この方法では、Seiberg-Witten幾何はIIB型超弦理論の側でのCalabi-Yau多様体そのものに同定される。つまり、Seiberg-Witten幾何は紛れもない物理的実体なのである。この手法では、欲しいゲージ理論を再現するようなCalabi-Yau多様体を作る手続きがある程度確立しているため、Seiberg-Witten幾何を得る方法としては幾分系統的であると言える。

 われわれが本論文において具体的に調べた模型は、ゲージ群としてE6あるいはE7を持ち、さらに基本表現に属する物質場を入れた、4次元のN=2超対称ゲージ理論である。そのうち、E6ゲージ理論においては、上記のようなCalabi-Yau多様体を用いる手法を採用した。その結果得られたSeiberg-Witten幾何は次のように与えられる。

 

 ただし

 

 これは、以前にN=1閉じ込め相スーパーポテンシャルの方法から予想されたものと完全に一致している。また、E7ゲージ理論については、ゲージ群としてE6またはSO(12)を持つ理論のSeiberg-Witten幾何が既に知られていることを利用した。すなわち、E7をE6またはSO(12)に破ったときに既知の結果が再現されるように、E7ゲージ理論の幾何の形を決定したのである。結果は

 

 ただし

 

 これもまた、Calabi-Yau多様体を用いた以前の解析の結果と一致した。

 以上のように、全く異なる幾つかの手法から同一のSeiberg-Witten幾何が得られたことは、4次元のN=2超対称ゲージ理論のCoulomb相はある種の幾何学的物体によって支配されているという当初からの予想を強く支持するものである。また、われわれが本論文で行った解析は、厳密な証明が与えられてはいない種々の予想を基にしていることを忘れてはならない。N=1閉じ込め相スーパーポテンシャルの方法やミラー対称性などがその例である。上述のような極めて非自明な一致は、これらの予想の正当性をも示しているといえる。

 以上のように、超弦理論の中に超対称ゲージ理論を埋め込んで解析するという方法によって、同時に双方の性質を理解することが可能となる。今後も類似の研究により、超弦理論と超対称ゲージ理論の力学的性質に関する知見が一層広がることを期待している。

審査要旨

 超対称性は、ゲージ場の量子論の非摂動的な構造に関する近年の研究の進展において著しい役割を果たしている。超対称性とはボース粒子の場とフェルミ粒子の場を入れ替える対称演算を含む対称性のことである。場の量子論ではよく知られているように、ボース粒子とフェルミ粒子は量子的揺らぎが互いに打ち消しあう傾向があり、超対称性によりその打ち消しが相互作用の強さに独立に起こり、場の力学の取り扱いが超対称性がない場合に比べて困難さが軽減する。しかし、超対称性があっても4次元の相互作用がある場の量子論を解くことは、一般的に極めて難しいことは変わらない。

 数年前、SeibergとWittenは、4次元のN=2の超対称Yang-Mills理論の低エネルギーのクーロンブランチと呼ばれる相を正確に記述すると信ぜられるある厳密解を提案した。超対称性からくる低エネルギー有効理論に対する制限と、理論の高エネルギー領域における漸近自由性を巧妙に組み合わせることによってほぼ一意的と考えてよい解を導出することに成功したのである。彼らの解法の特徴は、超対称性と漸近自由性からくる条件を理論の可能な真空を記述する空間(モジュライ空間,moduli spaceと呼ばれる)における複素幾何学的条件に置き換えることによって、低エネルギー有効作用をモジュライ空間座標をパラメタとして持つあるリーマン面(hyperelliptic curve、以下ではSeiberg-Witten curveと呼ぶ)から決定するところにある。この結果により、従来よりの懸案であった4次元におけるカラー自由度の閉じ込め相の解析的な導出が初めて行われた。その後、彼らの方法論を応用・拡張して同様な解が多くの超対称ゲージ場の理論に対して得られている。

 一方、超対称ゲージ理論の研究の進展と平行して超弦理論においても極めて重要な進展がここ数年なされている。超弦理論は重力を含めたすべての相互作用の統一理論に至ると期待されているが、摂動的な定義が知られているだけで、その背景にあるべき原理は未だ解明されていない。近年の発展は、いくつかの可能な摂動的超弦理論のお互いの双対的な関係が明らかになったことにある。

 ところで、超弦理論は、通常10次元時空の理論であるが、時空の一部を小さな曲率半径を持った空間にコンパクト化することにより低エネルギー極限では4次元の理論として振る舞うようにすることができる。また、10次元に埋め込まれた様々の次元のDブレーンを低エネルギーで記述する場の理論を考えることもできる。このような意味で、様々なゲージ理論を超弦理論の特別な極限として導くことが可能である。こうした方法により、ゲージ場の理論や超重力の場の理論の関係についての新しい知見が超弦理論の立場から数多く導かれている。そこでは上に述べた超弦理論自身のなかでの発展も重要な役割を果たしている。このような意味で、超弦理論の研究とゲージ場の理論の研究が互いに密接に関係しうるということは、最近の超弦理論が、統一理論としての意義は別にしても、場の理論研究に対してもたらした重要な進展の一つである。

 そのようななかでの驚くべき結果の一つとして、上記のSeiberg-Wittenの超対称ゲージ理論の解に現れるモジュライ空間を記述するリーマン面が、ゲージ理論を超弦理論に埋め込んだときコンパクト化される空間自身の幾何学構造として解釈できることが判明している。その理由はまだ解明されていないが、ゲージ理論と超弦理論の関係を考える上で極めて興味深い性質と言える。すでにゲージ群がSU(N)の場合を含むいくつかの場合にこの例が与えられているが、本論文では、この現象をゲージ群が例外群E6の場合に詳しく分析し、さらにゲージ群がE7で基本表現に従う物質場を取り入れた場合の解析を行った。

 次に本論文の構成を述べる。序論において超弦理論の最近の進展と、それがゲージ理論にもたらした意義などについて説明された後、第2、3章では、以下の議論に必要な事項に関するレビューがなされている。まず、N=2超対称理論のSeiberg-Witten解の概略、N=1への超対称性の破れの取り扱い、が説明され、続いて3章で超弦理論のCalabi-Yau空間でのコンパクト化が議論される。ここでは、本論文にとって重要な点である、コンパクト化によるゲージ群の出現についてその概略が述べられている。本論文では、いわゆるType II理論のコンパクト化に基づいてゲージ理論を埋め込む方法が取られている。この場合、非可換ゲージ群はCalabi-Yau多様体が特異性を示すときに現れるため、特異点のADE分類が説明され、その分類に応じていかにしてゲージ群や物質場が実際に現れるかが論じられる。さらに、Type II理論のコンパクト化の特徴としてよく知られているIIA理論とIIB理論との間のミラー対称性が論じられている。ゲージ群や場の同定にはIIA理論による表示のほうが明確であるが、一方、IIB理論の表示では、場の理論を導くときに必要な量子補正を正しく取り入れることができる利点がある。従って、本論文ではType IIA理論によってゲージ理論の埋め込みを行った後、ミラー対称性に基づいてType IIB理論に移行するという方法をとってゲージ理論の分析を行うという方法を用いる。この方法においてSeiberg-Witten curveは、実6次元のCalabi-Yau空間を、実4次元のK3空間をファイバー空間とするファイバーバンドルとして表現したときの実2次元基底空間とみなすことにより実現される。より正確には、K3ファイバー空間はノンコンパクトで特異点を持つALE空間によって近似される。ミラー対称変換に対してこの近似は保存されることを用いてType IIA、IIB理論の間の関係を具体的に調べることができる。このとき、Seiberg-Witten curveはCalabi-Yau空間の複素4次元の射影空間への埋め込みを規定する方程式として定義できる。すなわち、この埋め込み方程式がちょうどゲージ理論においてモジュライ空間の座標をパラメタとするリーマン面を決める2次方程式にほかならないと同定される。最後に、重力相互作用や弦の励起モードを分離して超弦理論からゲージ理論を求めるゼロスロープ極限の取り方が論じられ、さらにすでにこの方法で導かれているSU(N)ゲージ群の場合が例示されている。第4章では、以上の準備によって示された方法論に基づき、まず、ゲージ群がE6のときの2次方程式の導出の詳細が与えられる。結果は、超弦理論への埋め込みにはよらない方法によって導かれたものと完全に一致することが示されている。第5章では、ゲージ群がE7の場合が考察される。この場合、物質場の質量がゼロのときにはすでに同様な研究が成されているので、ゼロでない質量への拡張が論じられる。E7の場合から、モジュライパラメターに適当に真空期待値を与えればE6に帰着することに着目して、E7の場合の2次方程式の形を制限できる。この条件により後者の形が完全に決定できることが示されている。質量ゼロの極限ではすでに知られている結果と一致する。

 以上のように、本論文では超弦理論にゲージ理論を埋め込むという手法により、ミラー対称性などの超弦理論に特有な性質に基づいて、4次元超対称ゲージ理論の構造を詳細に分析した。それにより、超弦理論のコンパクト化の幾何学とSeiberg-Wittenによって見出された4次元超対称ゲージ理論の解空間としてのモジュライ空間の複素幾何学的構造との間に存在する密接な関係について、これまでに指摘された結果をさらに補強するのに有用な新たな例を提出した。また、E7ゲージ群の場合には物質場質量がゼロでない場合に関して新しい結果を導いた。

 よって、審査委員会は全員一致で本論文が博士(理学)の学位を授与するのにふさわしいものであると判定した。

 なお本論文の第4、5章は寺島靖治氏との共同研究に基づいているが、論文提出者が主体となって分析および計算を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

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