学位論文要旨



No 114971
著者(漢字) 濱元,信州
著者(英字) Hamamoto,Nobukuni
著者(カナ) ハマモト,ノブクニ
標題(和) 強磁性クラスターを用いたStern-Gerlach実験の解析について
標題(洋) Analysis of Stern-Gerlach experiment for the ferromagnetic clusters
報告番号 114971
報告番号 甲14971
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3735号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 助教授 小林,紘一
 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 永田,敬
 東京大学 教授 早野,龍五
内容要旨

 1983年100個程度の原子クラスターを生成可能なソースがKnight達によって開発され、原子クラスターの殻構造が見つかるとともに、原子、原子核と並ぶ有限系として「原子クラスター」が注目されるようになった。クラスターの磁性に関する研究は微小磁気メモリの開発のような応用物理の観点からも重要である。1989年には、de Heer達によって、磁性クラスターにおけるStern-Gerlach実験が鉄クラスターに対して行われた。この実験では原子のStern-Gerlach実験で見られた中心対称の屈折とは大きく異なり、図1左に示すような一方向に屈折するガウス型の屈折のプロファイルが得られた。このような傾向は他の元素のクラスターにもみられたが、ガドリニウムでは様子が異なり、図1右に示すように鉄クラスターに比べて広がりを持ち、粒子数によってプロファイルが大きく変わり、図のように中心付近にピークを持つものもあった。このような奇妙な振舞が得られたため、その解釈、解析法について「超常磁性」「Locked moment」という模型が提唱された。

図1:右はFe120-140のStern-Gerlach実験によるプロファイル、左はGd21のプロファイル。

 クラスター、超微粒子のような小さな磁性体は単磁区構造をしていると考えられる。このため磁性に関与する電子のスピンは一方向に揃っていて一つの巨大なスピンと置き換えることができ、クラスターは巨大な磁気モーメントを持つ。このスピンを超スピンと呼び大きさをSとする。実験では、クラスター源で作られたクラスターの集団は適当な時間の後には熱平衡状態になると思われている。クラスター源を出たクラスターは磁石に入るが、このときには回転周期に比べ磁場の変化が遅いため、断熱的に磁場が増加していくと考えて良い。磁場が入る際に状態間の遷移が起こらず、磁場の中と外では同じ対応する量子状態にあると仮定する。磁場の方向をz方向とすると、各クラスターは磁場中で磁場の勾配とz方向の磁化に比例する力を受け、軌道が曲がり屈折を起こす。クラスターの平均回転周期はクラスターが磁石を通過する時間に比べて十分短いので、屈折は磁場中での磁化の時間平均で決まると考えて良い。量子力学的に言えば、屈折量は各状態の〈Sz〉期待値で決まる。磁気モーメントが他の自由度と結合しない場合には、スピンのz方向成分は保存する。最初はスピンの方向は等方的であるから、結合のないときのプロファイルは中心対称の2S+1個の同じ高さの狭い山を持つ。しかし実験はそうなってはいない。実験のように非対称なプロファイルを得るためには、磁気モーメントが他の自由度と結合し、そのz成分を移行する角運動量の担い手がなくてはならない。

 Locked moment模型ではクラスターは磁気モーメントに凍り付いていて動かないという仮定をおく。クラスター自身が回転することにより磁気モーメントの方向も変化するため、この模型では磁気モーメントは回転と強く結合している。この模型はガドリニウムクラスターのプロファイルを説明するために導入され、成功を修めた。Gd21クラスターでは超常磁性ピークと呼ばれている屈折しない山が見られる。矢花達によるLocked moment模型の量子論的取扱では、角運動量が小さいために超常磁性ピークを説明できなかったが、我々による追試によって、大きな角運動量では超常磁性ピークが得られることが確認できた。この結果は大西達によるLocked moment模型の古典論的取扱によっても得られており、両者のプロファイルは一致する。さらに我々は超常磁性ピークを作る山を構成する成分を古典的に調べ、山が磁場方向と逆向きに動く原因を明らかにした。

 超常磁性模型では、孤立したクラスターに対して「何か弱い結合」を通じて磁場中で熱平衡状態が実現するという仮定を置く。このためクラスターの磁場に対する応答はLangevin関数で記述でき、実際にコロイド中の超微粒子の集合体ではこの振舞いが観測されている。現在鉄などのガウス型の屈折のプロファイルをもつクラスターは超常磁性と思われており、ガウス曲線のピーク位置から求められる磁化を平均の磁化とし、これとLangevin関数を比べることによって磁気モーメントが見積もられている。結果はバルクと比べても尤もらしい値を示し、結合の起源は不明だが現象論的に成功を修めている。

 しかしながら、超常磁性ではガウス型の屈折のプロファイルを説明することは不可能であるし、Locked moment模型には、本来あるべき磁気モーメントの角運動量を考えていないという欠点がある。

 本論文で提唱される中間結合模型は、磁気異方性により、クラスターの磁気モーメントがクラスターに対して特定の方向を好むという模型である。この結合のためクラスターが回転すると磁気モーメントの方向が乱され、磁気モーメントは回転と結合する。振動との結合は低励起のものでもエネルギーは実験での温度より高いため考えない。原子が振動せず、回転だけを考えるため、クラスターの構成原子全体を一つの剛体コマとすることが出来る。バルクで磁気異方性が弱い鉄クラスターを考えた場合でも、ソースを出たクラスターが磁場に入るときには、異方性結合に対して磁場の変化は遅いため、磁場の変化は断熱的として良い。我々の模型では異方性結合の大きさに応じて超常磁性のような結合の弱い状況から、Locked moment模型のような結合の強い状況まで記述可能である。Locked moment模型、超常磁性の場合と違い、この模型では磁気モーメントの角運動量が考慮され、磁気モーメントの結合の起源も明白である。磁気異方性エネルギーの対称性として、立方対称と、軸対称を考えたが、軸対称は既にBertsch等により議論された部分があるので、解析は主に立方対称を中心に行った。実際、鉄の結晶などではこの対称性の磁気異方性が観測されている。また、我々の計算では3つの主軸のまわりの慣性能率は同じと仮定した。

 実験結果では磁化が磁場に対して比例するため、我々は磁化率について議論した。弱結合、強結合の極限では解析的に磁化率を求めた。強結合では磁気モーメントは磁化容易軸に固定されると考えられる。そこで、強結合での固有状態はスピンが磁化容易軸に揃ったものを仮定し、全角運動量Iが保存することからコマの波動関数は関数とする。このときのエネルギー準位は全角運動量の回転バンドとなる。以上の仮定を用いて摂動論により磁化率を計算した結果、強結合極限での磁化率はLocked moment模型よりも小さくなった。これはLocked moment模型では無視されていた磁気モーメントの角運動量によるコリオリ項に由来するという結論を得た。

 弱結合極限では、弱い結合があるために、クラスターの回転と磁気モーメントは独立でなくなり、全角運動量を保存しながら回転していると考えられる。このためクラスターの固有状態は、クラスターの磁気モーメントを作る電子スピンとコマの角運動量を全角運動量で組んだ状態になり、エネルギーはコマの回転バンドに、弱い異方性結合による分裂が加わったものとなる。摂動によって導入された磁場は異方性結合よりも更に弱いため、コマの角運動量は近似的に良い量子状態となっている。摂動論により求められた磁化率は、異方性結合の対称性に依らずに、クラスターの3つの主軸の周りの慣性能率が一致するときにはLocked moment模型と一致した。これは一見奇妙に思われるが、軸対称変形を考えた時には両者は一致しないことから、クラスターの特殊な対称性に起因する性質であることが判明した。

 磁化率を異方性結合の関数として計算すると一つの山が現れる。この山は温度で決まる典型的な角運動量でのコリオリ項による分裂幅と異方性結合による分裂幅がほぼ等しいところで起こることが分かった。この山では磁化率は最大だが、それでも我々の得た値は超常磁性の値よりも小さかった。我々は中間結合模型の古典論的方程式を数値的に解くことにより、この山の解釈を試みた。上で述べたような異方性結合のところでは、古典的に見ると磁気モーメントが異方性結合に固定されるか否かの境界にあり、このような状態の磁化率が大きいことが極大の原因となることが分かった。

 次に中間結合模型を用いて計算したプロファイルについて議論した。我々の計算は、図2に示すように、原子のプロファイルとは違う一方向へ屈折を再現した。これは回転と磁気モーメントの結合により、磁気モーメントの反跳を受ける相手が出来たことによる結果と考えられる。今の計算では強結合極限においてもlocked moment模型で見られた超常磁性ピークは現れなかった。これは、我々の計算が計算機の性能上の問題で全角運動量と電子スピンがほとんど同じとなる低温度領域のみを計算していることに原因がある。この領域ではコリオリ項による効果が著しい。実際、対称性を軸対称に落した高角運動量を含む計算では、高温になるに従い超常磁性ピークが現れた。

 さらに、我々は、平均と幅をみることによって、中間結合模型で実験のプロファイルを再現する事に成功した。我々の模型の利点は、磁気モーメントの他に磁気異方性による結合定数を求められることである。この論文では、超常磁性的な振舞いをするクラスターの代表として鉄クラスター、粒子数に依ってLocked momentや中間結合の振舞いをする可能性があるガドリニウムの解析を行った。

 我々の結果ではlocked moment模型にくらべ実験のプロファイルを良く再現することが出来た。Bloomfield達は彼らの実験結果から、Gd23は典型的なlocked monentの振舞であり、Gd17はGd23に比べると結合が弱いと述べている。我々の解析の結果(表1)もこれを支持するものとなった。また、結合の大きさによらず異方性結合の大きさは似たようになった。表では一見大きく異なって見えるが、これはパラメータの定義の仕方のせいである。Locked moment模型による解析はGd23で1.42B/atom、Gd17で1.1B/atomである。Gd17の解析結果は中間的な結合を反映してlocked momentによる解析に対する補正がGd23に比べ大きくなった。

図表図2:中間結合模型によって得られたプロファイル、u’が結合の大きさを表す。 / 表1:中間結合模型を用いた解析の結果

 鉄クラスターに対しても同様な解析を行った。鉄クラスターの超常磁性を用いた解析では磁気モーメントはバルクと似た値になる。我々はバルクの磁気モーメントと異方性結合を使いプロファイルを計算した。我々の解析はバルクのプロファイルに比べて実験と良い一致を得た。

審査要旨

 本論文では、Analysis of Stern-Gerlach Experiment for the Ferromagnetic Clusters(強磁性クラスターを用いたStern-Gerlach実験の解析について)という題のもと、鉄やガドリニウムなどのマイクロクラスターに対するStern-Gerlach実験の理論的解析を行い、それらのマイクロクラスターの磁気モーメントなどを得る試みを展開している。マイクロクラスターに対するStern-Gerlach実験というのは、場所によって強さが異なる磁場の中をマイクロクラスターが飛行すると磁気モーメントの向きによって軌道が変わるのを検出する実験である。もともとの歴史的なStern-Gerlach実験ではスピン1/2に対応して、二山が現れたのであるが、マイクロクラスターの場合にはそのようにはならず、分布に中央がずれたり、分布が中央の両側で対称でなくなったりする。さらに、マイクロクラスターを変えると分布の形状も変化する。このような実験的状況に対して、これまで動力学的な側面を取り入れた理論はなかったと言ってよい。

 これまでの理論としては、Locked Moment模型、及び、超常磁性模型がある。Locked Moment模型では、マイクロクラスターは磁気モーメントと互いに固定されている、という描像をとる。マイクロクラスター自身が回転するために磁気モーメントの方向も変化する。この模型はガドリニウムなどのマイクロクラスターに適用されてそれなりの成功を収めた。

 超常磁性模型では、孤立したマイクロクラスターにおいても何かわからない弱い結合が働いて磁場中で熱平衡状態が実現していると考える。鉄のマイクロクラスターなどでうまく行っている。

 本論文では、これまでの理論では考慮されなかった、マイクロクラスターの磁気モーメントと異方性との結合を取り入れた中間結合模型を提唱し、用いている。実際、これまでの理論では、動力学的な側面はほとんど考慮されてきていないので、この種の研究としては先駆的なものである。この模型の基本的な描像は次のようなものである。マイクロクラスター内にはイオンが配置されており、磁気モーメントにとって全く等方的になっている訳ではない。磁気モーメントから見ての方向性に関する起伏、すなわち、異方性を、マイクロクラスターの電子系のスピンSとマイクロクラスターの内部座標の適当な結合で表す。この結合自身も興味のあるところであるが、この研究では現象論的に扱い、適当な低次の結合にしている。また、マイクロクラスターの回転運動は量子力学的に扱い、磁気モーメントと磁場の結合も当然入っている。

 このようにして磁場を通過して出てくるマイクロクラスターの軌道のプロファイルを計算した。磁気モーメントの大きさや、異方性結合の強さをパラメーターとして変えていくと、実験で求められるプロファイルと比較し、合わせられる。プロファイルの平均と幅を合わせることによって、それらの値を決定した。このような試みも初めてのものであり、意欲的なものであるといえる。それによって得られた、例えば、磁気モーメントはバルクの値に比べてかなり小さくなることがあり、その物理的意義などは今後の課題として大変興味深い。一方、異方性結合の強さはあまりバルクの値と変わらない、という傾向である。

 この中間結合模型はLocked Moment模型がよく機能しているガドリニウムのマイクロクラスター、及び、超常磁性模型がよいとされる鉄のマイクロクラスター、という違った状況に柔軟に対応できることも示されている。現象論的な模型の下に隠されている物理的な基礎を予感させるものではあるが、より一層の深化が必要である。いずれにせよ、この分野に新しい方法論を持ちこんだオリジナリティのある研究と評価された。

 これらの結果の一部は論文として、レフェリーのある学術雑誌に既に発表されている。その論文は指導教官である大西直毅、及び、G.F.Bertschとの共同研究であるが、主要部分は論文提出者の手になるものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54766