非レセプター型チロシンキナーゼのSrcスーパーファミリーは、Srcファミリー、Cskファミリー、Ablファミリー、Btkファミリーの四つのサブファミリーからなり、それらのチロシンキナーゼは細胞の増殖・分化、生存など多様な働きを担っていることが知られている。Btkファミリーはこれら四つのサブファミリーのうち、PHドメインとTHドメインを持つ唯一のファミリーで、哺乳類におけるこのファミリーに属するキナーゼはそれぞれ限局された場所でのみ発現し、特異的な機能を果たしていることが示唆されている。ショウジョウバエのDsrc29Aは10年程前にSimonらによって発見された非レセプター型チロシンキナーゼで、明確なPH・THドメインを持たないものの、その全体的な構造の類似性からショウジョウバエにおける唯一のBtkファミリーのメンバーではないかと考えられてきた。しかしながらこれまでその機能については明らかにされていなかった。 fickleP(ficP)系統はトランスポゾンの一つであるP因子の挿入によって誘発された変異系統の1つで、そのP因子は第二染色体左腕上29Aの位置に挿入していた。ficP系統のそのP因子の挿入点近傍に転写単位を見い出し、cDNAライブラリ中より対応する複数のcDNAクローンを得た。それらのcDNAのシーケンシングを行った結果、転写開始点が異なり後半部分を共有する2種類のcDNAに分類された。これらの2種類のcDNAは択一的スプライシングにより生じ、どちらも非レセプター型チロシンキナーゼをコードすると予想される。一方は、既に報告のあったDsrc29A遺伝子であったが、他方はこのDsrc29A遺伝子の未報告のサブタイプであり、前者をtype 1、後者をtype 2と名付けた。新規に見いだしたtype 2 cDNAの配列は、ヒトの重篤な遺伝性免疫疾患である無ガンマグロブリン血症の原因遺伝子とされる Bruton’s tyrosine kinase(Btk)遺伝子と相同性が高く、Btk遺伝子のホモログであると考えられたので、以降この遺伝子をBtk/Dsrc29A遺伝子と呼ぶ。またBtk遺伝子が属するBtkファミリーの遺伝子としてもショウジョウバエにおける初めて報告となった。 このficP系統の示す異常な表現型としては、野生型のオスとメスの交尾ではほぼ一定に保たれている交尾の持続時間がficP系統のオスと野生型のメスとの交尾では不規則になり、特に非常に短い交尾時間が多く見られるという表現型を示した(図1)。またオスの生殖器構造には形態異常が見られ(図2)、さらに野生型に比べて羽化後の寿命が著しく短いという表現型(図3)も観察された。 ノーザンブロット解析によりBtk/Dsrc29A遺伝子のmRNAの発現を調べたところ、頭部・胸腹部のどちらにも両方のタイプのmRNAが発現しており、さらにtype 2に関しては頭部にのみ特異的なフォームと思われる長さの異なるmRNAが検出された。ficP変異体においてはtype 1のmRNAの発現に違いは見られなかったが、type 2のmRNAは頭部・胸腹部どちらにおいても長さが短くなっており、RT-PCRの結果とその産物のシーケンシングから、ficP変異体では、type 2の転写産物がスプライシングの際に、イントロンに挿入しているP因子ベクター内のマーカー遺伝子のエクソンにつながるようにスプライスされており、機能的なタンパク質をコードするmRNAが形成できなくなっていることがわかった。ficP変異体からP因子のみを欠失したficR系統ではtype 2のmRNAが正常に作られており、オスの交尾行動(図1)、生殖器の構造(図2)、成虫の寿命(図3)のいずれも正常であった。クローニングした遺伝子を熱ショックタンパクのプロモーターの下流につないだ人工遺伝子を導入した形質転換体を作成し、ficP変異の背景において正常なBtk/Dsrc29A遺伝子を三齢幼虫期後期から羽化するまでの間に熱ショックにより強制発現することによって交尾時間、生殖器の構造、成虫の寿命の全ての異常を回復することができたことから、Btk/Dsrc29A遺伝子がこれらの表現型の原因遺伝子であることが示された(図1-3)。Btk/Dsrc29A遺伝子の発現部位を調べると、三齢幼虫期と蛹期前期・後期の中枢神経系では弱い発現が全体的に見られ、さらにBtk/Dsrc29A mRNAの強い局在が、三齢幼虫期には複眼原基の一部に、蛹期の前期にはキノコ体の一部や胸腹部神経節のmidline gliaに、蛹期の中・後期には触角葉の細胞体の一部にと、それぞれ時期特異的にみられることが分かった。また三齢幼虫期から蛹期のいろいろな成虫原基にも発現が見られ、その発現場所の多様さからBtk/Dsrc29A遺伝子が広範な機能を持っていることが予想された。 図1 各遺伝子型のオスの野生型のメスとの交尾持続時間の分布 ficP変異体のオスの生殖器構造の異常は、具体的にはオスの外部生殖器の中のapodemeというクチクラ構造が二つに分かれるというものであった(図2)。生殖器のapodemeという構造はオスの外部生殖器の運動を行う筋肉の支持体であり、この異常は交尾行動の異常との密接な関連性が予想される。これを検証するために、これらの表現型を正常Btk/Dsrc29A遺伝子の異所発現により回復させることのできる時期を特定したところ、蛹期の前半の狭い期間に限定されておりしかもこの二つの表現型で完全に一致したことから、生殖器構造における変異が交尾行動の直接の原因になっている可能性が強く示唆された。生殖器の成虫原基でBtk/Dsrc29A遺伝子が確認されたことから、その発現異常が生殖器の構造の異常を引き起こし、そしてそれが交尾行動の異常を引き起こしているものと考えられる。またficP変異体のオスの妊性がほとんどないが、ficP変異体のオスでも野生型と同程度の交尾持続時間を示す個体もある程度観察されたため、交尾行動の異常以外にも妊性を低下させる要因の存在が予想された。精巣中の精子の観察からは精子形成における異常は認められなかったが、ficP変異体のオスでは内部生殖器の一部、sperm pumpとpenisをつなぐposterior ejaculatory ductが著しく萎縮していた。このposterior ejaculatory ductの萎縮はやはり正常Btk/Dsrc29A遺伝子の異所発現により回復し、この表現型が妊性の低下の一要因となっている可能性も充分に考えられる。以上の結果から、これらapodeme及びposterior ejaculatory ductの生殖器における表現型はBtk/Dsrc29A遺伝子type 2の発現異常によって引き起こされており、その結果として交尾行動に関する異常が生じていると結論づけられた。 図2 オスの外部生殖器A wild-type,B ficP,C ficR,D ficP;hs-type2(HS+)スケールバー:50m 羽化後の寿命が著しく短い表現型についてもやはり正常Btk/Dsrc29A遺伝子の異所発現によって少なくとも部分的に回復がみられたため、Btk/Dsrc29A遺伝子の発現異常が短寿命の表現型を引き起こしていることが示され(図3)、さらに興味深いことに短寿命の表現型の回復可能時期は、交尾持続時間の異常及び生殖器の構造異常の表現型とは多少のずれが見られた。このことからBtk/Dsrc29A遺伝子が少なくとも二つの異なった局面で重要な働きをしていることが示唆された。 図3 成虫の生存曲線 上述のようにficP変異はBtk/Dsrc29A遺伝子の二つの転写産物のうちtype 2のみを選択的に欠損させるが、本研究で行ったBtk/Dsrc29A遺伝子の正常なcDNAの異所発現による全ての表現型の回復実験でtype 1とtype 2の間に定性的な違いはなく同様の回復効果が認められた。このことからtype 1とtype 2はドメイン構成の異なる別の非レセプター型チロシンキナーゼをコードするが、それらの産物には機能的な重複があることが示唆される。しかしながら二つの産物の作用機序や機能分担の理解には更なる詳細な研究が必要である。そのような研究における遺伝的解析の手がかりとして、哺乳類で発見されたBtkと直接会合してBtkの活性を調節するSH3-domain binding protein associated preferentially with Btk(Sab)のショウジョウバエにおけるホモログと考えられる配列の断片をデータベース検索により二つ見いだし、それらの遺伝子の染色体上へのマッピングを行い、シーケンスを決定したので併せて報告する。これらの二つのSabホモログがBtk/Dsrc29Aと実際に相互作用するかどうかについては更なる検討が必要である。 |