学位論文要旨



No 114975
著者(漢字) 發知,英明
著者(英字)
著者(カナ) ホッチ,ヒデアキ
標題(和) (+,K+)反応を用いた中重ハイパー核の分光学的研究
標題(洋) Spectroscopy of medium-heavy hypernuclei via the(+,K+)reaction
報告番号 114975
報告番号 甲14975
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3739号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
 東京大学 助教授 久保野,茂
 東京大学 教授 太田,浩一
 東京大学 教授 酒井,英行
 東京大学 助教授 蓑輪,眞
内容要旨

 ハイパー核は、通常の原子核に粒子を1個含む自然には存在しない新しい特徴的なバリオン多体系を形成する。その分光学的研究は、原子核の深部を探る有効な手段の一つである。通常の原子核では、深い空孔状態を作っても、その状態は非常に不安定で原子核の深部に関する分光学的情報を実験的に得ることは難しい。一方、ハイパー核では、原子核中の粒子は核子からのパウリ原理の効果を受けないので、原子核中を自由に動くことができ、安定した束縛状態を形成する。その基底状態は、弱い相互作用によって崩壊し、その状態幅は非常に狭い。-核子相互作用は、核子-核子相互作用に比べて弱いことが知られているので、励起状態でさえも、その状態幅は100keV以下と見積もられる。

 一方、ハイパー核分光のもう一つの側面としては、その構造研究から-核子間の2体の相互作用の特徴を導き出すという点が挙げられる。原子核を構成する核子間に働く核力は、中心力、スピン-スピン力、スピン-軌道力、テンソル力などから成る。しかし、その起源に関しては、強い相互作用を記述する量子色力学を基に説明されるに至っていないのが現状である。-核子相互作用の研究は、この核力の問題をSU(3)に拡張したバリオン-バリオン相互作用として扱い直し、新たな核力の描像を確立するための一歩となるものである。

 軽い質量領域のハイパー核では、2体の-核子相互作用の中で、粒子のスピンに依存した、スピン-スピン力、スピン-軌道力、テンソル力等が微細なレベル構造に反映される。即ち、それらのスピン依存力によって引き起こされるレベル分離を測定することにより、-核子相互作用を定量的に議論することが可能である。しかしながら、-核子相互作用のスピン依存部分は、核子-核子相互作用と比べて非常に小さいことがわかってきており、そのレベル分離を測定するには、数百keV以下のエネルギー分解能が必要とされている。これに関しては、現在、ガンマ線分光の手法を取り入れることにより数keV〜数百keVの高エネルギー分解能での測定が行われつつある。

 一方、重いハイパー核では、スピン-スピン力等は平均化され、ハイパー核の構造にはあまり反映されず、核中の粒子の振舞は一体場で近似される。重いハイパー核ほど高い角運動量を持つ軌道が束縛されるので、スピン-軌道力の存在は、そのレベル構造に強く反映されるはずである。これは、スピン軌道分離の大きさが、通常核の場合と同様に(2l+1)A-2/3に比例することが予想されるからである。Woods-Saxon型ポテンシャルを用いた計算によれば、丁度、-軌道での分離が、までの束縛状態の中で最大となることが期待される。たとえ、p殻ハイパー核のスピン軌道分離が1MeV以下であっても、-軌道では1.5MeV以上の分離が予想され、十分観測にかかるような大きさになる可能性がある。また、重いハイパー核ほど深い束縛状態を形成するので、核物質中でのハイペロンの振舞を研究する上で有効である。特に最近では、中性子星中心付近における高密度核物質中に混在するハイペロンが、中性子星の最大質量や超新星爆発後の冷却過程等を研究する上で、重大な役目を持っていることが議論されている。重いハイパー核から得られる粒子の一体ポテンシャルの深さや核物質中での有効質量などのパラメータは、このような中性子星の諸性質に関する議論をより現実的なものにする可能性がある。

 しかしながら、これまでの重いハイパー核の分光学的研究は、実験的困難のために進展してこなかった。その理由の一つは、ハイパー核の生成に用いられてきた(K-,-)反応や静止(K-,-)反応では、重いハイパー核の深い束縛状態を効率良く生成できないことであった。これらに比べて、本研究で用いた(+,K+)反応は、反応時の運動量移行が大きく、深い束縛状態まで強く励起する。このことは、米国ブルックヘブン研究所(BNL)や高エネルギー加速器研究機構(KEK)での以前の実験において実証されている。しかしながら、以前の(+,K+)反応のデータは、エネルギー分解能や統計精度の点で不十分であり、細かなレベル分離の観測は不可能であった。また、これらの反応では、ハイパー核の質量をミッシングマスとして測定するので、絶対値にどうしてもある程度の不定性が生じてしまう。この意味でも、精度の良い測定データが待ち望まれていた。

 本研究(KEK-PS E369)では、KEKの陽子シンクロトロン(12 GeV-PS)のK6ビームラインから供給される1.05 GeV/cの+ビームを用いて、(+,K+)反応により生成される中重ハイパー核、の励起準位を高分解能スペクトロメータSKSを用いて測定した。SKSは、1GeV/c領域で2MeV(FWHM)以下のエネルギー分解能と100msrの大立体角を合わせ持つ世界最高性能のスペクトロメータである。これまでに得られた最高分解能は、0.9g/cm2厚の12C標的を用いた12C(+,K+)反応で記録された1.9MeV(FWHM)である。今回の実験では、SKSの出入口にドリフトチェンバーを新たに設置して散乱K中間子の飛跡検出器系を強化した結果、エネルギー分解能を飛躍的に向上させることに成功した。本実験では、以前と同様の12C標的に対して、1.45MeV(FWHM)のエネルギー分解能を達成した(図1参照)。,に関しても、これまでにない高質のスペクトルを得ることができた。特に、スペクトルについては、エネルギー分解能が1.65MeV(FWHM)で、束縛領域に7000個の統計量を誇るこれまでで最高質のデータを取得した。

 図1に示されるの励起スペクトルにみられる2つの大きなピーク(#1,#5)は、最外殻の中性子空孔状態と軌道及び軌道の粒子が結合した状態であり、過去の様々な実験ですでに観測されている。本実験では、この他に、11C芯核の励起準位に軌道及び軌道の粒子が結合した芯核励起状態(#2,#3,#4,#6)をきれいに分離観測することにはじめて成功した。中性子ピックアップ反応では、11Cの1/2-(2.0MeV)と3/2-(4.8MeV)状態が基底状態の10〜20%の強度で励起される。これまでの理論計算では、の正パリティー状態を計算する際、上述のような11C芯核の負パリティー状態と状態との結合のみが考慮されていた。しかし、このモデルでは、(+,K+)反応における#4ピークの出現を説明することができない。今回のスペクトルを再現するには、11C芯核のモデルスペースを拡張して、11C芯核の1/2+(6.34MeV),5/2+(6.90MeV),3/2+(7.50MeV)のような正パリティー1励起状態と状態との結合状態も考慮する必要があることが指摘されている。今回のスペクトルは、このように、軌道間の遷移()を通じて、芯核のパリティーの異なる状態が混合することの重要性を初めて示すものとなった。また、これらの束縛エネルギーは、-核子相互作用のスピン依存部分に強く依存することが、これまでの理論的研究で明らかにされており、-核子間のスピン依存力に関する有効な情報を提供している。

 上述したように、(+,K+)反応におけるの励起スペクトルは、既に、BNL、KEKで観測されている。3.0MeVの分解能で観測されたBNLのスペクトルは、深く束縛した粒子が独立粒子的に振舞っていることをはじめて明らかにした。KEKのスペクトルでは、各粒子軌道に対応するピーク幅が、2.2MeVの実験分解能から予想されるよりも広く、粒子軌道におけるレベル分離を示唆する特徴的な構造がはじめて観測された。しかしながら、統計精度の点でこれを結論づけるに至らなかった。図2に本実験で観測したの励起スペクトルを示す。4つのピーク構造は、最外殻の中性子空孔状態()と軌道(l=0〜3)が結合した束縛状態に対応づけることができる。各軌道のピーク幅は、エネルギー分解能から予想されるよりも有意に広く、軌道角運動量が大きくなるにつれてその幅が広がっていることが見てとれる。特に、-軌道においては、2本のピークに分離していることがはっきりと示された。このスペクトルに寄与する中性子空孔状態としては、状態以外に、より深い状態等も考えられる。事実、中性子ピックアップ90Zr(p,d)89Zr反応では、5/2-(3.3MeV)と7/2-(10.3MeV)状態が基底状態の〜70%の強度で励起されることが知られている。しかしながら、これらの深い中性子空孔状態の状態幅は、非常に広い(3〜7MeV)ことが予想され、観測した各ピークの頂上付近のエネルギー領域のみを選べば、その寄与は非常に小さく、単に平坦で連続的なバックグラウンドを形成するにすぎない。それゆえ、各励起準位のエネルギーは、各ピークの頂上付近を、実験上のエネルギー分解能と同じ輻を持つ2つの(基底状態に対しては1つの)ガウス型ピークを用いてフィットすることにより求められた(図2参照)。各束縛エネルギーの大きさは、実験標的の直前に設置されたシンチレーションカウンター中で生成され、データ収集中に同時に得られたスペクトルの基底状態の束縛エネルギーを参照することにより絶対値として、±0.10(stat.)±0.23(syst.)MeV以下の精度で得られた。重いハイパー核の20MeV以上の広いエネルギーレンジにおける一連の一粒子エネルギーをこの様な高精度で決定したのは、今回の実験がはじめてである。これらの束縛エネルギーから、粒子の一体ポテンシャルの深さ(=30MeV)と原子核中での粒子の有効質量(/=0.80)がこれまでにない精度で得られた。これらの量は、理論的なモデルに依存するが、実験データからの誤差は非常に小さい。

図表図1: スペクトル / 図2: スペクトル

 また、各軌道のピーク間隔は、1.37±0.20±0.10MeV(-軌道)、1.63±0.15±0.10MeV(-軌道)、1.70±0.10±0.10MeV(-軌道)と得られ、軌道角運動量が大きくなるにつれてエネルギー間隔も大きくなることが示された。これは、スピン-軌道分離に特有の特徴であるが、各軌道に仮定した2つのピークの右側のピークが、とは異った中性子空孔状態からの寄与と考えることもできる。この仮定では、その2つの中性子空孔状態間のエネルギー差と強度比は、各軌道間で等しくなると予想されるが、今回の解析結果は、それらの予想と相反するものである。また、右側のピークの強度は、左側のピークの70〜99%と得られたが、90Zr(p,d)89Zr反応では、最外殻中性子空孔状態から1.5MeV程度離れた位置に、そのような大きな強度で励起される中性子空孔状態はないことが知られている。以上のように、今回観測されたピーク構造は、2つの異った中性子空孔状態から形成されるという仮定のみでは、説明することはできない。また、と同様のピーク構造は、につても観測された。今回観測された重いハイパー核における特徴的なピーク構造の正確な解釈を得るには、スピン-軌道分離の寄与の可能性を含め、今後のより精密な理論的研究を待たねばならない。

審査要旨

 ハイパー核とは、通常の原子核に粒子を1個加えた系であるが、粒子が核子からのパウリ排他原理の効果を受けずに深い束縛状態を形成することができるため、その分光学的研究は原子核の深部を探る有効な手段の一つと考えられる。-核子相互作用の研究は、核力をSU(3)に拡張したバリオン-バリオン相互作用として扱い直し、新たな核力の描像を確立することを目指すものであるが、ハイパー核分光は、-核子間の2体相互作用の研究にとっても重要である。-核子相互作用を研究する直接的な方法である、-核子散乱実験が、必ずしも容易ではないためである。

 本研究(KEK-PS E369)は、KEKの陽子シンクロトロン(12 GeV-PS)のK6ビームラインから供給される1.05GeV/cの+ビームを用いて、(+,K+)反応により生成される中重ハイパー核、の励起準位を、SKS超伝導磁気スペクトロメータを用いて測定したものである。

 今回の実験では以下のような高品質のデータを取得することができた。

 ・これまでに得られた最高分解能は、0.9g/cm2厚の12C標的を用いた12C(+,K+)反応で記録された1.9MeV(FWHM)であったが、今回の実験では、散乱K中間子の飛跡検出器系を強化した結果、12C標的に対して、1.45MeV(FWHM)のエネルギー分解能を達成した。

 ・に関して、これまでにない高質のスペクトルを得ることができた。特に、スペクトルについては、エネルギー分解能が1.65MeV(FWHM)で、束縛領域に7000個の統計量を誇るこれまでで最高質のデータを取得した。

 これらの高品質なデータから、以下のような新しい知見が得られた。

 ・25MeVという広い範囲にわたる励起エネルギースペクトルが得られ、一粒子準位を±0.1MeVの精度で決定することができた。

 ・1.45MeVの高いエネルギー分解能のおかげで、11C芯核の励起状態にs-及びp-軌道の粒子が結合した芯核励起状態を初めてはっきりと分離観測することに成功した。

 ・このようにして分離された状態のうち、軌道間の遷移()を通じて、芯核の異なるパリティーの混合する状態(parity-mixing intershell coupling)が示唆された。

 ・について、最外殻の中性子空孔状態()と軌道(l=0〜3)が結合した4つのピーク構造が観測された。

 ・各軌道のピーク幅(l=1〜3)は、エネルギー分解能から予想されるよりも有意に広く、軌道角運動量が大きくなるにつれてその幅が広がっていることが示された。特にf-軌道においては、2本のピークに分離していることがはっきりと示された。

 ・においても、と同様のピーク構造を持つスペクトルが観測された。

 これらのデータは次のような重要な意味をもつと考えられる。

 ・求められた束縛エネルギーから、粒子の一体ポテンシャルの深さ(=30MeV)と原子核中での粒子の有効質量(/=0.80)が高精度で決定された。これらは、中性子星内部で粒子の果たす役割を議論する上で非常に重要なパラメータであり、その理論計算を定量化するという意義は大きい。

 ・の各一粒子軌道のピーク間隔は、それぞれ1.37±0.20±0.10MeV(-軌道)、1.63±0.15±0.10MeV(-軌道)、1.70±0.10±0.10MeV(-軌道)となり、軌道角運動量が大きくなるにつれてエネルギー間隔も大きくなる。このことは、ピーク構造がスピン-軌道力によるものであるという解釈と矛盾しない。

 ・今回観測されたピーク構造の正確な解釈を得るには、スピン-軌道分離の寄与の可能性を含め、今後のより精密な理論的研究を待たねばならないが、本論文のデータはその為の貴重な基礎データである。

 なお、本論文は、複数名との共同研究に基づくが、論文提出者である発知さんは、本論文の基になった実験においてデータ収集システムを開発し、SKSスペクトロメータの分解能向上のためのドリフトチェンバーの改造に携わり、又、論文に用いられているデータの解析、まとめを行なっており、その寄与は十分であると判断した。

 したがって、審査員全員一致で、博士(理学)の学位を授与できるもとと判断した。

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