学位論文要旨



No 114976
著者(漢字) 細道,和夫
著者(英字)
著者(カナ) ホソミチ,カズオ
標題(和) AdS3空間上の弦理論と境界上のCFT
標題(洋) String Theory on AdS3 and CFT on the Boundary
報告番号 114976
報告番号 甲14976
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3740号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 風間,洋一
 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 教授 柳田,勉
 東京大学 助教授 筒井,泉
 東京大学 助教授 加藤,晃史
内容要旨

 この論文では3次元AdS空間上の重力理論と2次元CFTの間の対応について包括的に議論する。

 まず、負の宇宙定数=-2l-2を持った3次元重力理論のBTZブラックホール解の性質を見る。これは質量M,角運動量Jの2つの保存量を持つ。このブラックホールに関して興味深いのは、地平線の面積から算出したエントロピーが、2次元CFTの状態数の漸近公式のような表式を持つことである。この類似性をより詳しく見ると、ブラックホールのエントロピーがある2次元CFTで説明されるとした場合、その中心電荷は3l/2G3、左右のセクターのレベルは質量と角運動量から次のように読み取れる。

 

 この性質はAdS3/CFT2対応の一つの具現化と理解できる。3次元ブラックホールのエントロピーに関するこのような解釈はStromingerによって提唱されたものであるが、この方法はBTZブラックホールを一部に含むような高次元のブラックホールについても適用できる。その一例として、type IIB超重力理論のD1/D5-brane解がある。Maldacenaの極限、あるいは元々漸近平坦な解の事象の地平線付近に着目する近似において、この解はBTZブラックホールと3次元球面との直積であらわされるが、上の方法に倣ってこのソリトンを3次元のBTZブラックホールと見なしてエントロピーを正しく再現することができる。

 次にChern-Simons形式による3次元重力理論の解析を概観する。3次元の負の宇宙定数を持つ重力理論はChern-Simonsゲージ理論と等価であり、この理論には空間全体を伝搬する物理的な自由度がないことが知られている。より詳しくはこの理論は3次元時空の境界上のSL(2,R)WZNW理論、さらに中心電荷3l/2G3のLiouville理論にまで帰着することができる。この形式において、BTZブラックホールやより一般のブラックホール解がどのようにあらわされるかを調べ、さらにそれらの解の集合の上に作用するビラソロ代数をChern-Simons形式で導く。このビラソロ代数はBrown,Henneauxによって発見されたものであるが、それは古典論のレベルで中心電荷が非零(上の値)になる。Liouville理論はこのようにブラックホールのエントロピーを説明するCFTの候補として正しい中心電荷を持ってはいるけれども、基底状態が非零のエネルギーを持っているために通常のCardyの状態数公式が適用できず、ブラックホールの微視的状態を完全に内包しているとは言えない。

 ブラックホールの微視的記述についてはStrominger,Vafaにより初めて行われたように、超弦理論のソリトン、特にD-braneの上の場の理論を考えることで得られると考えられる。これにのっとって、M4(K3あるいはT4)にコンパクト化したtype IIB超弦理論のD1/D5brane(black string)複合体の微視的記述がM4上のインスタントンモジュライ空間上の2次元シグマ模型であらわされることを導く。さらに3次元AdS空間上の超重力理論がこのシグマ模型と双対であることの幾つかの根拠を示す。M4=K3の場合を議論することにして、まず二つの理論のモジュライについて考えると、シグマ模型の方では標的空間の2次のコホモロジー群がR3,20で与えられることから、モジュライ空間は次の商空間で与えられることが示される。

 

 一方超重力側では、スカラー多様体は元々はつぎの商空間であるが、

 

 AdS3×S3背景上ではこのうちの丁度21個のスカラーが質量を持つため残ったモジュライはCFTのモジュライと一致することが分かる。次にBPSスペクトルの対応についてみる。CFT側ではカイラルプライマリ状態が標的空間のコホモロジー代数に対応してあらわれ、特にコホモロジ-代数の生成元を1粒子状態と見なす。この1粒子状態は超重力理論のKKモードの解析から正しく再現されることがわかる。

 AdS3空間上の弦理論と2次元のシグマ模型との対応を次に考える。このために元々のD1/D5-brane背景のS-双対をとってNS1/NS5-brane背景に移って考える。まずこの背景上の弦理論がよく知られた超対称WZNW理論で記述されることを導き、自由場近似を用いてこの系を解析する手法を定式化する。この手法を用いてAdS3/CFT2対応がどの程度よくなり立っているかの解析をする。境界上のシグマ模型にはビラソロ代数の生成子やカイラルプライマリ場など、特徴的な代数関係に従う演算子があるが、それらがAdS3弦の世界面上の自由度から再構築できることを見る。

 Giveon,Kutasov,Seibergによって調べられたように、AdS3弦の世界面上の自由度からつくられたビラソロ代数は、次の仮定のもとでBrown-Henneauxのビラソロ代数の中心電荷を正しく再現する。

 

 ここではAdS3の座標の一つであり、AdS3が次の計量であらわされるとする。

 

 上の条件はの巻き付き数が背景の持つNS1-brane電荷と等しくなるべしと言う条件として自然なものである。境界上のCFTはN=4超共形対称性を持っているので、Brown-Henneauxのビラソロ代数も超共形代数に拡張されるはずである。そのために存在すべき超対称電荷が、世界面上のスピン場からつくられることを見る。

 シグマ模型のカイラルプライマリ場に対応する演算子を、同様にAdS3弦理論の世界面上の自由度から構成できることを見る。ただしスペクトルの対応を見ると、シグマ模型の方ではカイラルプライマリの持つR-chargeの上限がQ1Q5のオーダーであるのに対し、世界面上の自由度から構成できるのはR-chargeがQ5のオーダーのものまでである。この上限の不一致はMatrix String Theoryの枠内で議論することによって解消できることを後に示す。

 また、これらの演算子が正しく作用する"基底状態"がAdS3弦理論の物理的状態のHilbert空間の中に存在するかを考察する。Q1=1のときは実際にそのような基底状態があらわに構成できるが、それ以外のときは構成できないことが分かる。

 このようにAdS3上の弦理論と境界上のシグマ模型の対応がQ1=1のとき以外にうまく行かないのは弦理論が一つの弦の量子論に対応しているためで、完全な対応はMatrix String Theoryの枠内ではじめてみることができるのではないかと考える。これにしたがって5-braneの存在のもとでのMatrix String Theoryの解析を行う。

 まず5-braneの存在を考慮して適当なハイパー多重項を導入したMatrix String Theoryのクーロンブランチの解析を行う。その結果得られる有効作用はAdS3上の複数の弦の作用と同じ物理的自由度を持つことが確かめられる。またMatrix Stringの世界面上のU(1)ゲージ場の存在に着目し、これが非零の電束を持つか否かで二つのセクターがあらわれることを見る。この2つにセクターはAdS3上の弦理論にあらわれる2種類の弦、すなわち通常のようにAdS3上を伝搬するいわゆる"short string"と、境界に巻き付いて背景の持っBNSの電荷を担ういわゆる"long string"の2つに対応していることを見る。

 またMatrix String Theoryのもつtwistedセクターが、弦の1体の系の解析では再現できなかったカイラルプライマリをほぼ完全に再現することを見る。これは任意のCFTの対称積(オービフォルド)を考えると、Zm-twistedセクターでは世界面上のカレント代数のレベルやビラソロ代数の中心電荷がm倍になるという性質など、オービフォルドCFTの性質から説明できる。

 以上のようにAdS3/CFT2対応はAdS3上の弦理論を考えても同様に成り立つことが分かる。超重力理論を考えることとの相違点の一つは、超重力理論ではKKモードのスペクトルに上限がないのに対して、弦理論(あるいはMatrix String Theory)ではスペクトルが有限で、境界上にシグマ模型のBPSスペクトルとよく一致するという点である。

審査要旨

 自然界の統一理論の最有力候補である超弦理論の理解は、近年「双対性」と呼ばれる性質の解明を契機にその非摂動的な性質を議論することが可能となり、画期的な進展を見せてきている。この「双対性」には幾つかの種類があるが、特に1997年末にMaldacenaによって提唱されたいわゆる"AdS/CFT対応"は、anti-de-Sitter(AdS)空間上の重力理論(あるいは弦理論)とその空間の境界上で定義される共形不変理論(CFT)との間に密接な対応関係があることを主張するもので、非常に興味深い。この対応を認めれば、たとえば4次元の超対称ヤン・ミルズゲージ理論の強結合領域の性質をAdS5空間上の古典超重力理論を用いて調べることができるなど、これまでの手法では解析不可能であった諸問題を論ずることが可能になる。しかしながら、様々な傍証の存在にもかかわらず、これまでのところAdS/CFT対応の根元的なメカニズムは分かっておらず、その解明は超弦理論の喫緊な課題の一つとなっている。

 論文提出者は本論文において、このAdS/CFT対応のひとつであるAdS3/CFT2対応を詳しく調べ、幾つかの新たな知見を得た。AdS3/CFT2の研究は少なくとも次の二つの意味で非常に興味深い。その一つは、AdS3上の重力理論及びCFT2双方ともそれを具体的に調べる手段が存在するため詳細な解析が可能であることであり、今ひとつは、この問題があるクラスのブラックホールの物理、特にそのエントロピーの起源の問題、と密接に関係していることである。

 本論文は7章からなり、まずはじめの5章において研究の動機、その背景及びこれまでに知られている結果がまとめられている。BrownとHenneauxによって既に1986年に指摘されたようにAdS3時空の境界における計量は古典的な段階ですでに無限次元の共形代数の作用に対する不変性を持ち、その背後には2次元の量子論的な共形不変理論(インスタントンモジュライ空間上のシグマモデル)があると考えられている。以下これをspace-time CFTと呼ぶ。この共形代数の持つcentral chargeは、AdS3空間と局所的に同等の構造を持つ"BTZブラックホール"の持つエントロピーと密接に関係する。一方AdS3空間上の超重力理論はタイプIIB弦理論をAdS3×S3×T4にコンパクト化した理論に埋め込まれていると考えることができるが、その超弦理論を記述する世界面上の共形不変理論をworldsheet CFTと呼ぶことにする。この二つのCFTはIIB理論におけるk枚のD5-braneとp本のD1-braneとの束縛状態の異なる記述を考えることにより予想されるものであり、その間の対応を表すものがAdS3/CFT2であると考えられる。この対応を検証するひとつの方法は、worldsheet CFTを用いてspace-time CFTが構成できることを示すことである。この試みはKutasov及びSeibergによって始められ、以後幾つかの研究がなされたが、不完全及び不整合な点が幾つか残っている。

 本論文提出者は第6章及び第7章において、これらの未解決の問題に対する新たな視点を提案し、その要の部分を解決することに成功した。5項目にわたる新たな結果が得られているが、そのうちの最も顕著な貢献は、worldsheet CFTから構成されるchiral primary statesと呼ばれる状態の数がspace-time CFTの立場から要求される数より遥かに少ないように見えるという重大なパズルのほぼ満足のいく解答を与えたことである。その基本的アイデアは、足りないと思われていた状態が実はAdS3空間の境界に巻き付いた「長い弦」の状態から生ずることをMatrix String理論と呼ばれる手法を用いて示すという着眼にある。ごく一部の状態についてはまだ完全な一致をみるには至っていないが、大筋において懸案を解決したことは高く評価される。またこの他にも、worldsheet CFTによるspace-time CFTの対称性の生成子の完全な構成を与えたこと、space-time CFT側のchiral primary statesのスペクトルの完全な解析を行ったこと、上述した「長い弦」と通常の「短い弦」を区別する物理量を提案したこと等、新たな知見が得られている。

 以上述べてきたように、本論文は超弦理論における重要な問題に対して新たな知見を与えており、審査員一同博士(理学)の学位を与えるに十分なものと判断した。

 尚、本論文の一部は共同研究に基づくが、その部分に関しても論文提出者が十分な寄与をしたことを確認した。

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