学位論文要旨



No 114978
著者(漢字) 前野,忠嗣
著者(英字)
著者(カナ) マエノ,タダシ
標題(和) 宇宙反陽子線スペクトラムの精密測定
標題(洋) Precision Measurement of Cosmic-Ray Antiproton Spectrum
報告番号 114978
報告番号 甲14978
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3742号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梶田,隆章
 東京大学(併) 教授 杉本,章二郎
 東京大学 助教授 森,俊則
 東京大学 教授 駒宮,幸男
 東京大学 教授 戸塚,洋二
内容要旨

 BESS測定器は、超伝導ソレノイド・飛跡検出器・高性能粒子識別装置・並列処理型高速データ収集システムで構成され、大面積立体角を有し、0.2〜100GeVの広いエネルギー領域を同時に高精度に測定できるという、これまでの飛翔体観測器にない特長を備えている。この特長を生かして、陽子・ヘリウム・電子等の、各種宇宙粒子線を精密に測定すると同時に、反陽子・反ヘリウム等の反粒子を極微量まで探索している。

 宇宙反陽子は、その大部分が宇宙線と星間物質の衝突によって二次的に生成されると考えられているが、このような衝突反応から生成される反陽子のスペクトルは、2GeV付近にピークを持つ特徴的な形をしていると予想される。特に、1GeV以下の低エネルギー領域での流束は、相対論的運動学により抑制される。このような特色を持つため、宇宙反陽子は「宇宙における諸現象」を研究する際に有用であり、長年強い関心を引いてきたが、その期待される流束は微小であり、又電子等のバックグラウンドが極めて多いため、測定は困難を極めていた。

 しかしながら我々は、大面積かつ高感度なBESS測定器を用いて、1993,94年に質量の同定という確実な方法で8例の反陽子を検出することに成功し、低エネルギー宇宙反陽子の存在を世界で初めて確認した。1995年には飛行時間分解能の向上により0.2〜1.4GeVのエネルギー領域で43例の反陽子を明瞭に観測し、この領域で反陽子のエネルギースペクトルを初めて測定した。

 更に1997年には、データ収集システムの高速化、およびエアロジェル(屈折率1.03)を輻射体に用いたチェレンコフカウンターを搭載したことによる粒子識別能力の飛躍的改善によって、0.18〜3.56GeVのエネルギー領域で415例の反陽子を検出した(図1)。それをもとに算出した、大気上での反陽子スペクトルが、図2である。

図1:1997年に測定された反陽子

 95年のデータと97年のデータは、矛盾しないことが確認されたので、統計精度を上げるために、まとめられている。

 主要な系統誤差は、高エネルギー領域では、大気により生成される反陽子バックグラウンドの計算の不定性から、また低エネルギー領域では、反陽子が物質との相互作用により失われる効率の見積りの不定性から生じる。

 測定されたスペクトルは、これまでの実験に比較して、圧倒的に優れた精度を持ち、「衝突起源の反陽子」に期待される2GeV付近のピークを検出することに成功した。これにより宇宙反陽子の大部分は、宇宙線と星間物質の衝突によって生成されるということを確認した。図2に示されているように、「衝突起源の反陽子」について予測されるスペクトルは、特にピーク付近で我々のデータとの極めて良い一致を見せている。一方で、低エネルギー領域では若干の過剰を示している。これを説明する要因として、「統計のふらつき」,「計算に用いたモデルに修正を加えるもの」等の事柄が考えられるが、「原始ブラックホールの蒸発のような、未知の反陽子生成源の兆候」である可能性も否定できない。

 一般に太陽系に入射した宇宙線は、太陽風などの影響を受けるが、その影響は低エネルギーの宇宙線ほど大きい。したがって、太陽活動の活発化に伴う、反陽子スペクトルの変化を追跡することによって、図2の低エネルギー領域に見られる若干の過剰が、何に起因しているのか決定できる可能性がある。

図2:1995,97年に測定された反陽子スペクトル。曲線は「衝突起源の反陽子」について予測されるスペクトル。
審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章は物理的背景、第2章はBESSと呼ばれる気球搭載実験装置、第3章はデータを取得した気球フライトの状況、第4章は反陽子の選別方法とバックグラウンドの考察、第5章は反陽子フラックスの決定が述べられている。そして第6章では得られた反陽子フラックスに関する議論と結論が述べられている。

 宇宙線反陽子は宇宙における原始ブラックホールの蒸発のような未知の現象を調べる上で都合良いプローブである。しかし宇宙線反陽子の多くは宇宙線と星間物質の衝突によって生成されると考えられている。このような衝突反応から生成される反陽子のスペクトルは2GeV付近にフラックスのピークがあると予言されている。従って、宇宙線反陽子の測定において、まず上記の2GeVのピークをしっかり同定することが重要である。しかし、期待される反陽子のフラックスが微小であり、また電子等のバックグラウンドが極めて多いため、測定は困難を極め、上記の2GeVのフラックスのピークの観測に成功した実験は今までなかった。

 論文提出者は、本論文の目的のために高精度の気球搭載実験装置BESSの改良を行った。特にエアロジェル・チェレンコフ検出器を用いることにより、約3.5GeVまでの反陽子と電子やミューオンとの効率的な識別が可能になった。そして地磁気の効果の小さいカナダにおいて気球を用いてフライトを行い、大気上空に入射する宇宙線のデータを取得した。このデータを慎重に解析することにより、測定器に入射してくる宇宙線陽子、ヘリウム、電子、ミューオンなどを取り除き、0.18から3.56GeVのエネルギー範囲で、415例の反陽子を観測した。このデータと以前のBESS測定器で観測されていた0.2から1.4GeV領域の43例の反陽子と合わせ、また、少ないが他の粒子のバックグラウンドを取り除いて宇宙線反陽子のエネルギースペクトルを求めた。

 この結果、宇宙線と星間物質の衝突によって生成される場合にほぼモデルによらず期待される2GeV付近の反陽子フラックスのピークを世界で始めて明確に示した。また、その分布の形もおおよそ上記の過程で生成される場合のモデルとあうことも示した。これにより宇宙線反陽子の大部分は宇宙線と星間物質の衝突によって生成されているということが初めて明確になった。更に論文提出者は、低エネルギー領域で反陽子のフラックスが期待されるフラックスより多少多いことに注目し、原始ブラックホールの蒸発のような未知の現象により生成される反陽子の寄与の可能性を議論している。特に、今後の太陽活動の変化と共に、宇宙線と星間物質の衝突によって生成される反陽子のフラックスと、未知の現象により生成される反陽子のフラックスの変化の違いを議論し、今後の研究の方向を示唆している。

 なお、本論文はBESS共同実験による共同研究であるが、論文提出者がデータ解析を主体的に行ったものであり、また、この実験におけるハードウエアへの寄与も十分大きいと判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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