学位論文要旨



No 114979
著者(漢字) 間明,宏充
著者(英字)
著者(カナ) マギラ,ヒロミツ
標題(和) 遠方天体の二点統計量に対する宇宙論的赤方偏移効果
標題(洋) The cosmological redshift-space distortion on two-point statistics of high-z objects
報告番号 114979
報告番号 甲14979
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3743号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 教授 岡村,定矩
 東京大学 助教授 関口,真木
 宇宙科学研究所 教授 松本,敏雄
内容要旨

 現在、世界各国でSloan Digital Sky Survey(SDSS)、2-degree Field(2dF)surveyといった大規模天体サーベイが進行しつつある。こうした観測によって、従来の観測では不可能だった、非常に遠方かつ大スケールにわたる天体分布の情報が得られ、宇宙の構造形成に関する多くの知見が得られるものと期待されている。しかしながら、観測から得られる天体の分布は、不可避的に種々の効果によって、実際の分布から大きく歪められている事が知られている。したがって、これらの歪みの原因を特定し、その影響を除去することなくしては、宇宙についての正確な情報を得る事はできない。こうした歪みの原因として、次のようなものが挙げられる。

 ・線形特異速度場:密度ゆらぎの重力進化に伴い、それに対応する特異速度場が生じる。我々は天体までの距離を、天体の後退速度(赤方偏移)から見積もる。しかし特異速度場が存在するため、見かけの空間(赤方偏移空間)における天体分布は、実際の分布に比べ視線方向に対して歪められる事になる。この効果により、赤方偏移空間では、天体間の大スケールの相関が強く観測される。

 ・非線形特異速度場:ビリアル化した天体は、等方的かつ大きな特異速度場を持つ。この非線形特異速度場により、赤方偏移空間では、小スケールの相関は弱く観測される。

 ・宇宙の幾何学的効果:我々の近傍の宇宙は、ユークリッド空間で非常に良く近似される。しかし、非常に遠方まで大局的に記述するためには、一般相対論を用いる必要がある。我々は、天体の位置関係を、おのおのの天体の見かけの角度の差、および赤方偏移の差によってのみ知る事が出来る。天体の実空間上での位置関係が、見かけの空間上でどの程度の角度の差、赤方偏移の差となるかは、宇宙の幾何学、すなわち、宇宙の密度パラメータ、宇宙定数に依存する。そして、この幾何学的効果は、視線方向に対して平行な方向、垂直な方向で異なる振る舞いをするため、たとえ天体が実空間上で等方的に分布していたとしても、見かけの空間上では非等方的な分布として観測される事になる。

 ・バイアス:我々が観測可能な明るい天体は、宇宙全体の質量の大部分を占める暗黒物質の分布と異なる分布をしている事が観測的に知られている。この明るい天体の分布と暗黒物質の分布の差異をバイアスと呼ぶ。

 ・光円錐効果:あらゆる天体観測は、光円錐上、すなわちヌル超平面上でなされる。したがって、一つの観測領域の中には、進化の程度が異なった、さまざまな天体が含まれる事になる。これらの天体を同時に解析するためには、適切な平均化が必要となる。

 これまで、それぞれの歪み効果について、個別に又はいくつかの効果を組み合わせた形で、理論面からの定式化、モデル化がなされてきている。

 この論文では、特に今後の観測によって多くの情報が得られる大スケールに焦点を置き、実際の天体分布を再現したN体シミュレーションを用いて、これらの特異速度場、幾何学的効果、バイアス、そして光円錐効果の各歪み効果により、代表的な統計量である二点関数がどのような影響を受けるかを確かめつつ、各モデルの妥当性を幅広く検証する。

 N体シミュレーションは、非線形領域における物理を知るためには、非常に重要なツールである。ここでは、P3M法で計算された暗黒物質のN体シミュレーションを用いる。我々は代表的な3つのCDM宇宙論モデルを仮定した。それぞれのシミュレーションは、1辺が300h-1Mpcの立方体中に2563個の暗黒物質粒子を含んだ構成となっている。

 まず、暗黒物質の分布を再現したシミュレーションを用い、線形特異速度場、非線形特異速度場、幾何学的効果により、天体分布のパワースペクトラムがどのように歪められるかを確認する。同時に、各歪み効果のモデルの予言可能性の検証を行う。z=2.2の物質分布を再現したシミュレーションを用いた場合、見かけのパワースペクトラムの振幅は幾何学的効果により10倍程度増幅される。さらに、二次元パワースペクトラムについては、視線方向に対して大きく押し縮められる事が確認された。次に、線形・非線形特異速度場、幾何学的効果に対するモデル、非線形重力効果が考慮されたマススペクトラム、特異速度分散のモデルを組み合わせ、新たなモデルの定式化、精密化を行った。そして、我々のモデル予言とシミュレーションから得られた結果とを比較したところ、大スケールにおいては、我々のモデルはシミュレーションを正確に予言している事が分かった。このように、非常に遠方にある天体の見かけの分布は、特に幾何学的効果により大きく歪められる。この事から、幾何学的効果は、クエーサーなどの天体が宇宙論的天体であるか否かを検出する有効な手段と言える。

 更に、カイ2乗法を用いて、幾何学的効果による宇宙論パラメータの推定可能性を検証した。その結果、シミュレーションに用いた宇宙論パラメータをほぼ正しく再現することができた。しかしながら、他の観測、解析においても一般的であるように、各宇宙論パラメータが一意に決定されるのではなく、宇宙論パラメータ間の縮退した関係づけがなされるに留まった。X線によるクラスター数密度やType Ia超新星の観測など、他の観測結果と組み合わせる事により、この縮退が解消され、我々の宇宙の宇宙論パラメータに、より強い制限をつける事が可能となるであろう。

 続いて、バイアスについて考察する。前述のように、実際に観測される天体の分布は、暗黒物質の分布と全く同一なのではなく、バイアスされていることが観測的に知られている。しかも、バイアスは一般的にスケール依存性を持ち、非線形かつ確率論的である。先に用いた特異速度場、幾何学的効果に対するモデルは、バイアスについて、スケール非依存、線形かつ決定論的近似が良く成り立つ条件のもとでのみ、そのまま利用する事が出来る。そこで、どのような条件であれば、スケール非依存、線形かつ決定論的近似が成り立ちうるのかを検証する必要がある。また、先に述べたように、我々は観測からは、特異速度場によって歪められた天体分布(赤方偏移空間における分布)のみを知り得ることから、特異速度場によって見かけのバイアスがどのような振る舞いを示すかをも併せて検証する必要がある。

 ここでは、N体シミュレーションに対して、典型的なバイアスモデルである、ピークモデル、ダークハローモデルを適用し、各々について、スケール依存性、赤方偏移空間上での振る舞いを検証し、両バイアスモデルで共通に見られる特徴を精査した。その結果、大スケール(>5h-1Mpc)においては、スケール非依存、線形かつ決定論的近似が、バイアスを良く記述していることが分かった。そして、これらの特徴は、実空間上、赤方偏移空間上を問わず、両バイアスモデルで共通に見出すことができた。更に、これまで線形理論を用いてなされてきた、実空間上でのバイアスの理論予言に加え、我々が拡張した赤方偏移空間上でのバイアスモデルの予言可能性を、シミュレーションと比較し検証したところ、ほぼシミュレーションの結果を予言する事が確かめられた。

 したがって、こうした大スケールにおいては、各天体についてのバイアスモデルの不定性が残るものの、暗黒物質について求められている表式に変更を加えることなく、一般の天体に対してもそのまま利用可能であることが期待される。

 最後に、光円錐効果をも取り入れた二点相関関数、パワースペクトラムの一般的な表式を導出する。さらに、銀河、クエーサーを念頭に置いたバイアスのモデルを用いて、実際の観測によって得られると予想される、銀河、クエーサーの二点相関関数、パワースペクトルの予言を行った。その結果、パワースペクトラムの四重極子を用いて宇宙論パラメータを推定する際、幾何学的効果、光円錐効果を正しく考慮するか否かにより、宇宙諭モデルにより違いがあるものの10%程度の差異が生じうる事が分かった。

 このように、観測に内在する天体の特異速度場、宇宙の幾何学的効果、バイアス、光円錐効果による歪みは、二点関数に対して無視出来ない影響を与える。しかしながら、大スケールにおいては、これらの歪み効果は、既存のモデルによって十分記述可能である事が確かめられた。したがって、この論文で述べたモデルを利用する事により、今後の観測から得られるであろう遠方かつ大スケールの天体分布について、これらの歪み効果の除去が可能となり、真の天体分布に対する多くの知見が得られるであろう。この点については、現時点で利用可能な観測での検証は困難であるが、数年後に利用可能となるSDSS、2dF等のクエーサーカタログに応用する事で検証できると期待する。

審査要旨

 本論文は7章からなり、第1章は序章として宇宙の大規模構造の観測において、観測から得られる天体分布は実際の天体分布から様々な効果で歪められたものであり、観測データから正確に宇宙の構造形成に関する情報を得るためには歪みの原因を特定・除去することの重要性が述べられている。第2章は宇宙の構造形成に関する基本的事項と本論文でよく使われる2点統計量に関する解説が述べられている。第3章では観測した天体分布を歪める原因となる線形特異速度場、非線形特異速度場、幾何学的効果、光円錐効果についてそれぞれ解説がなされている。

 第4章からが論文提出者自身の研究成果に基づいたもので、まず、暗黒物質の分布を再現したシミュレーションを用い、線形特異速度場、非線形特異速度場、幾何学的効果により、天体分布のパワースペクトラムがどのように歪められるかを確認し、各歪み効果のモデルの予言可能性の検証を行っている。さらに、線形・非線形特異速度場、幾何学的効果に対するモデル、非線形重力効果が考慮されたマススペクトラム、特異速度分散のモデルを組み合わせ、新たなモデルの定式化を行い、モデル予言とシミュレーションから得られた結果とを比較し、大スケールにおいては、モデルはシミュレーションを正確に予言しているが示されている。

 第5章ではバイアスについて述べられている。実際に観測される天体の分布は、暗黒物質の分布と全く同一なのではなく、バイアスされていることが観測的に知られている。しかも、バイアスは一般的にスケール依存性を持ち、非線形かつ確率論的である。バイアスがある場合に、前章で用いた特異速度場、幾何学的効果に対するモデルがどのような条件で利用することができるかを調べるため、また、特異速度場によって見かけのバイアスがどのような振る舞いを示すかをも併せて調べるために、N体シミュレーションに対して、典型的なバイアスモデルである、ピークモデル、ダークハローモデルを適用し、各々について、スケール依存性、赤方偏移空間上での振る舞いを検証し、両バイアスモデルで共通に見られる特徴を精査した、その結果、大スケール(>5h-1Mpc)においては、スケール非依存、線形かつ決定論的近似が、バイアスを良く記述しているという結果が得られたことが述べられている。更に、これまで線形理論を用いてなされてきた、実空間上でのバイアスの理論予言に加え、論文提出者が拡張した赤方偏移空間上でのバイアスモデルの予言可能性を、シミュレーションと比較し検証したところ、ほぼシミュレーションの結果を予言する事が示されている。

 第6章では光円錐効果をも取り入れた二点相関関数、パワースペクトラムの一般的な表式を導出し、さらに、銀河、クエーサーを念頭に置いたバイアスのモデルを用いて、実際の観測によって得られると予想される、銀河、クエーサーの二点相関関数、パワースペクトルの予言が行われている。その結果、パワースペクトラムの四重極子を用いて宇宙論パラメータを推定する際、幾何学的効果、光円錐効果を正しく考慮するか否かにより、宇宙論モデルにより違いがあるものの10%程度の差異が生じうることが示されている。

 第7章はそれ以前の章の結論がまとめられている。

 以上、本論文は、観測に内在する天体の特異速度場、宇宙の幾何学的効果、バイアス、光円錐効果による歪みは、二点関数に対して無視出来ない影響を与えが、大スケールにおいては、これらの歪み効果は、既存のモデルによって十分記述可能であることを確かめ、本論文で述べたモデルを利用する事により、今後の観測から得られるであろう遠方かつ大スケールの天体分布について、これらの歪み効果の除去が可能であることを示した点でその宇宙論における意義は高いものである。なお、本論文第4、5、6章は須藤靖氏、景益鵬氏、松原隆彦氏、山本一博氏との共同研究に基づくものであるが、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、この論文で示された幾つかの具体例を通じて論文提出者の研究に関する資質は十分であるものと判断し、博士(理学)の学位を受けるに値するものと考える。

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