学位論文要旨



No 114980
著者(漢字) 松浦,能行
著者(英字) Matsuura,Yoshiyuki
著者(カナ) マツウラ,ヨシユキ
標題(和) 筋収縮制御に影響を及ぼす変異アクチンのX線結晶構造解析
標題(洋) X-ray crystallography of mutant actins which affect calcium regulation of muscle contraction
報告番号 114980
報告番号 甲14980
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3744号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 助教授 広野,雅文
内容要旨 1.

 骨格筋および心筋においては筋収縮は細いフィラメント(アクチン・トロポミオシン・トロポニン複合体)のレベルでカルシウムイオンによって制御されている。弛緩状態の筋肉では細胞内のカルシウム濃度は低く保たれておりアクチン・ミオシン相互作用は制御蛋白質(トロポミオシン・トロポニン)によって阻害されている。カルシウム濃度が高くなるとトロポニンにカルシウムが結合し細いフィラメントに一連の構造変化が起こりアクチン・ミオシンのactiveな相互作用が可能になり、筋肉は収縮する。カルシウム制御の分子機構を理解するには様々な状態での細いフィラメントの構造を明らかにすることが重要である。電子顕微鏡やX線回折による構造解析により、筋肉の収縮・弛緩に伴い制御蛋白質がアクチンフィラメント上で動くらしいことがわかりおおよその結合部位が推測されているが、構造解析の分解能が低いこともありどの残基がどのように相互作用しどのような役割を果たしているかの詳細はまだよくわかっていない。

 蛋白質工学は、蛋白質に部位特異的な変異を導入して個々の残基の役割を検証できる強力な手段である。我々の研究室では細胞性粘菌の発現系を用いて、様々な変異アクチンを作製し筋収縮のカルシウム制御におけるアクチンの各残基の役割を調べる研究を行ってきた。アクチンサブドメイン4にある-helixの5残基(228-232)をテトラヒメナアクチン(これはトロポミオシンに結合できないアクチンである)の配列に置換したキメラアクチン(full chimera:Q228K/T229A/A230Y/A231K/S232E)が細いフィラメントの活性化状態に影響を及ぼし、細胞性粘菌野生型アクチンの場合よりもカルシウムによる細いフィラメントの活性化の度合いが高くなることが見出され(Saeki et al.,1996)、これらの残基がカルシウム制御によって重要であることが示された。この変異アクチンは制御蛋白質非存在下でのミオシンとの相互作用は野生型アクチンと同様であり、カルシウム非存在下での制御蛋白質による阻害も正常にかかる。したがってこの変異アクチンはカルシウム存在下での細いフィラメントの状態にのみ影響を及ぼす変異体であり、細いフィラメントの活性化の本質について示唆を与える興味深い変異体である。その後この5残基のうちN端側の3残基のみを置換した変異アクチン(half chimera-1:Q228K/T229A/A230Y)もfull chimeraと同様に振る舞うことがわかりさらにA230Yのpoint mutationのみでも同じ効果が現れることも明らかとなった(Saeki & Wakabayashi,1999)。しかし、この変異の効果が変異を導入した残基が制御蛋白質と直接相互作用することによるのかあるいは変異によってアクチンの構造が大きく変わり変異が間接的に効いているのかはにわかに明らかでなかった。

 そこで我々はなぜこのアクチンの変異がカルシウム制御に影響するかを理解するためにX線結晶解析で変異アクチン(half chimera-1およびfull chimera)の結晶構造を解いた。コントロールとして細胞性粘菌野生型アクチンの結晶構造も解き、原子レベルで変異がアクチンの構造にどのように影響するかを明らかにした。本論文ではこれらの結晶構造について報告し、アクチンの構造機能相関を原子レベルで議論している。

2.細胞性粘菌野生型アクチンと変異アクチンの結晶構造

 細胞性粘菌野性型アクチンと変異アクチンは全てゲルゾリンセグメント1との複合体として結晶化し、ウサギ骨格筋アクチン・ゲルゾリンセグメント1複合体(McLaughlin et al.,1993)の結晶構造を初期モデルとして分子置換法により構造を解いた。Half chimera-1は2.0Å分解能で、full chimeraと野性型アクチンは2.4Å分解能で、それぞれ構造を解いた。

 細胞性粘菌野性型アクチンはウサギ骨格筋アクチンとほぼ同じ構造をしており(図1)、アクチンの3次元構造が細胞性粘菌のような下等な真核生物からほ乳類に至るまで非常に良く保存されていることがわかる。これは細胞性粘菌野性型アクチンが骨格筋ミオシンと正常に相互作用することや、細胞性粘菌野性型アクチンと骨格筋のトロポミオシン・トロポニンで再構成した細いフィラメントがウサギ骨格筋アクチンを使って再構成した細いフィラメントの場合と同じようにカルシウム制御がかかることと辻褄が合う。

図1 細胞性粘菌野性型アクチン・ゲルゾリンセグメント1複合体の結晶構造。

 変異アクチンの構造は全体としてはどちらも野性型アクチンとほぼ同じであり、どちらのmutantも主鎖はN末からC末までほぼ完全に野生型アクチンに重ね合わせられる。すなわち変異がアクチンの構造を大きく変えることはなかったと言える。側鎖のコンフォメーションの詳細についても変異アクチンは野性型アクチンと大変よく似ており、唯一変異部位近傍においてのみ局所的な構造変化がみられた(図2)。特にA230Y変異によってL236の側鎖が動いた点が注目に値する。野性型アクチンではL236の側鎖はA230・T229・F255で形成される疎水性ポケットに部分的に埋没している。このパッキングは230の側鎖がメチル基一個と小さいために可能になっている。一方変異アクチンでは230がチロシンに変わり、このチロシンのbulkyな側鎖が野性型アクチンでL236の側鎖が占めていた疎水性ポケットにはまり、そのためL236の側鎖が疎水性ポケットから追い出されて完全に溶媒に露出するようになる。Y230の側鎖は少し奥まったところにありL236の側鎖ほどは溶媒に露出していない。しかしY230の側鎖の上に位置してY230へのアクセスを妨げているS233-L236のループはフレキシブルであるので他のタンパク質がY230と直接相互作用することは可能であると思われる。

図2 変異導入部位近傍の拡大図。Half chimera-1における3残基(228-230)の変異およびfull chimeraにおける5残基(228-232)の変異は変異部位近傍の表面に局所的構造変化を誘起しているだけである。
3.変異アクチンにおける構造変化と機能との相関

 A230Yのpoint mutationだけでもhalf chimera-1やfull chimeraにおいてみられた効果と同じ効果が出たという生化学的知見(Saeki & Wakabayashi,1999)と、A230Y変異がhalf chimera-1においてもfull chimeraにおいても同じ局所的構造変化をアクチン表面にもたらしていることから考えて、A230Y変異が細いフィラメントのカルシウムによる活性化の度合いを高める機構として二つの可能性があると思われた:(仮説I)Y230によって追い出されたL236の側鎖がトロポミオシン・トロポニンと相互作用し、その結果細いフィラメントが活性化状態にスイッチしやすくなる;(仮説II)Y230の側鎖が直接トロポミオシン・トロポニンと相互作用することが細いフィラメントの活性化を容易にする。これらの仮説を検証するために我々はhalf chimera-1のL236の側鎖を短くするL236A変異を追加したmutant(Q228K/T229A/A230Y/L236A)をデザインし、その影響を調べた。もし仮説Iが正しければL236の側鎖を短くすることによって活性化の度合いは野生型アクチンの場合と同じくらいまで下がるはずである。一方仮説IIが正しければL236の側鎖をtruncateすると他のタンパク質がY230によりアクセスしやすくなり活性化の度合いはさらに高まることが予想される。実験の結果、half chimera-1にさらにL236A変異を追加することによってhalf chimera-1やfull chimeraよりもさらに高い活性化に至ることがわかった(Saeki et al.,unpublished data)。したがって仮説IIがより妥当である。すなわちL236の側鎖は細いフィラメントの活性化を促進するのではなくむしろ活性化を阻害しており、Y230の側鎖が制御タンパク質と直接相互作用することこそが細いフィラメントの活性化の鍵を握っていると考えられる。

 カルシウム制御に関してこれまでに得られている様々な知見を総合して考えるとA230Y変異の効果はGeevesらが提唱している"three-state model"(McKillop & Geeves,1993〉の範疇の中で解釈可能であるように思われる。このモデルでは細いフィラメントは"blocked-state","closed-state","open-state"の3状態の間を遷移すると考えている。"Blocked-state"ではアクチンへのミオシンの結合が完全に阻害されており"closed-state"ではアクチン・ミオシンのweak bindingは可能だがstrong bindingへの遷移が阻害されている。"Open-state"になって始めてミオシンはアクチンにstrong bindingできるようになり、アクトミオシンのATPase cycleがまわれるようになる。すなわち"blocked-state"と"closed-state"はどちらも機能的にはOFF状態(弛緩状態)であり"open-state"だけがON状態(活性化状態)である。もしY230が"open-state"のpopulationを上げていれば変異アクチンの生化学データは説明がつく。相対的に"open-state"のpopulationを上げるには"open-state"を安定化するかあるいはその他の状態を不安定化すれば良いであろう。"Blocked-state"でのトロポミオシン・トロポニン結合部位はアクチンサブドメイン4からは遠く離れておりA230Y変異が"blocked-state"を不安定化することは考えにくい。アクチンにトロポミオシンのみを結合させた状態は"closed-state"に相当すると言われており、アクチン・トロポミオシンの結合定数にA230Y変異がたいして影響しないことからA230Y変異が"closed-state"を不安定化していることもないように思われる。Y230の近傍はアクチン・トロポミオシン・ミオシン頭部硬直複合体(これは"open-state"に対応する)の電顕像の3次元再構成においてトロポミオシンがその上ないしそのすぐ近くに位置するようにみえている部位であり、"open-state"でここにトロポミオシンが結合することは十分ありうることである。A230Y変異によりアクチン表面のこの位置に対するトロポミオシンの結合が強まり"open-state"が安定化され、他の状態から"open-state"への遷移が起こりやすくなると考えるのが全てのデータを矛盾なく説明する最も自然な解釈であろう。

4.結論

 A230Y変異を含むconstructに共通してみられるカルシウム制御への影響は、A230Y変異がアクチン表面に誘起する局所的構造変化によりアクチン表面でのトロポミオシン・トロポニンとの相互作用が変調され"open-state"に遷移しやすくなることによるものであると考えられる。

参考文献McKillop,D.F.A.& Geeves,M.A.(1993).Biophys.J.65,693-701.McLaughlin,P.J.,Gooch,J.T.,Mannherz,H.G.& Weeds,A.G.(1993).Nature 364,685-692.Saeki,K.,Sutoh,K.& Wakabayashi,T.(1996).Biochemistry 35,14465-14472.Saeki,K.& Wakabayashi,T.(1999).Biochemistry in press.
審査要旨

 本論文は筋収縮制御に影響を及ぼす変異アクチンのX線結晶解析について報告している。実験に用いられた変異アクチンは細胞性粘菌アクチンの一部(228-230あるいは228-232)をテトラヒメナアクチンの配列に改変したキメラアクチンである。この変異アクチンは細いフィラメントの活性化状態に影響を及ぼすもので、細胞性粘菌野生型アクチンの場合よりもカルシウムによる細いフィラメントの活性化の度合いが高くなることが佐伯らにより発見されていた。論文提出者はこの変異の効果を理解する上で必要不可欠な構造情報を得るために、変異アクチンおよび細胞性粘菌野生型アクチンのX線結晶解析を行った。アクチンはゲルゾリンセグメント1との複合体として結晶化されたが、これはアクチン変異の効果がありのまま結晶構造に反映するようにうまくデザインされたものであり、研究目的を達成するための適切な手法がとられたと言える。

 論文提出者はcryo-crystallographyの技術を利用し、シンクロトロン放射光を用いて良質なX線回折データを収集し、高分解能(最も良いもので2.0Å分解能)で精度良く構造を解くことに成功した。これまでに発表されているアクチンの結晶構造は最高でも2.5Å分解能であったので、アクチンの構造研究をより高いレベルに進めた功績も大きい。構造精密化が大変丁寧に行われており、得られた原子モデルの信頼性は極めて高い。現在タンパク質データバンクに入っているほとんどの原子モデルよりも質の高い構造解析であったと思われる。また、今回解かれた細胞性粘菌アクチンの構造は無脊椎動物のアクチンとしては初めての結晶構造であり、アクチンの分子進化の過程に示唆を与えるものでもある。

 本論文の主題は変異による構造変化とその機能との関係の議論である。変異アクチンと野生型アクチンの構造が注意深く比較され、変異がアクチンの構造を全体として大きく変えることはないが変異部位近傍にのみ局所的な構造変化をおこしていることが原子レベルで明確に示されている。この局所的構造変化は3残基ないし5残基の変異のうちA230Y変異、すなわち230番目のアミノ酸アラニンのチロシンへの置換、のみによってひきおこされていた。構造が解かれた二つの変異体でこの点が共通していることと230の点変異(A230Y)のみでもカルシウム制御に同じ効果が出るという佐伯らの生化学実験の結果は見事に対応していて興味深い。これは結晶構造が溶液中の構造と本質的に同じであることを示唆してもいる。この結果に基づき、論文提出者は変異により変異部位近傍に誘起される局所的構造変化がアクチン表面での制御タンパク質との相互作用の変調をもたらし、カルシウムによる活性化の度合いを高めるに至るのではないかと主張している。カルシウム制御についてこれまでに蓄積されてきた数多くの知見とも辻褄のあう考え方であり、妥当な解釈である。とくにY230:導入された変異である230番目のチロシン残基の側鎖が直接トロポミオシンと相互作用することで細いフィラメントがopen-state(ON状態)に遷移しやすくなるのではないかとの具体的な描像が示されている。さらに、この相互作用は単に疎水的というような漠然としたものでなくチロシンに特異的なものである可能性が示唆されており、芳香環を持つアミノ酸残基の電子の重要性など物理学的興味をも呼び起こすものである。

 本論文は原子レベルでのアクチンの構造機能相関の理解を深める重要な仕事であったと評価できる。変異の効果は生化学的データだけでは十分に解釈できるものではなく、構造が原子レベルで解けたことにより具体的かつ詳細な分子メカニズムの描像が示されたことの意義は大きい。論文のまとめ方も優れている。推測の部分が推測でない部分と明確に区別して書かれている点も適切であり、主張されていることには妥当性があり特に問題点は見あたらない。

 なお、本論文は、論文提出者と若林健之(東大・理)・安永卓生(東大・理)・佐伯貴美子(東大・理)・Murray Stewart(MRC-LMB,Cambridge)・河本正秀(SPring-8)・神谷信夫(理研播磨)との共同研究である。タンパク質のX線結晶解析は試料調製からデータ解析まで数多くの段階をふんで行われるものであり、各段階にそれぞれ大変なことがあるのだが、本論文の仕事はタンパク質調製・結晶化から構造解析に至るまで論文提出者が主体となって行われたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54769