学位論文要旨



No 114983
著者(漢字) 山口,誠
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,マコト
標題(和) Eu3+含有結晶における不均一広がりの光-rf二重共鳴による研究
標題(洋)
報告番号 114983
報告番号 甲14983
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3747号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,信方
 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 小谷,章雄
内容要旨

 希土類イオンや色素分子(ゲスト)を結晶やガラスなどの固体(ホスト)中に分散させた系は,蛍光体として広く用いられており固有の光スペクトルを示す.このような固体中のイオンや分子の光スペクトルは,位相緩和時間に関係づけられるような,その電子遷移が本来もっている均一広がりよりもはるかに大きなスペクトル広がり(不均一広がり)をもつ.これはホストが結晶であったとしても,現実の系として避けられないひずみや欠陥による系の静的な不完全性が存在し,それによりイオンや分子のまわりの環境が少しづつ異なるためである.均一広がりもその不完全性の影響を受けるが,通常均一広がりは動的なゆらぎが関係するものと考えられている.

 狭帯域の光源の発展により,スペクトルの不均一広がりからサイトを選択的に励起することが可能となった.これにより,位相緩和過程,スペクトル拡散などの現象を対象に広く研究が行われてきたが,そのような研究において不均一広がりは,それらの情報を隠してしまう「障害物」とみなされ,あまり注目されていなかった.不均一広がりと関連する研究として,フォトンエコーによる位相緩和時間の不均一広がり内での励起周波数依存性の報告がある,これは静的なひずみによるといわれている不均一広がりの中で,動的なゆらぎにも分布があることを示しており,均一広がりの理解とあわせて不均一広がりの起源について理解を深めることが重要であるといえる.そこで本研究は通常看過されがちな不均一広がりに着目し,その起源を探ることを目的として不均一広がり内でのサイトの識別を試みた.

 具体的には,光スペクトルでしばしば観測される多数のサテライトに注目した,通常の不均一広がりを「連続的な」不均一広がりと考えると,このようなサテライト構造もまた,固有ピークからのずれと言う意味で,「離散的な」不均一広がりと考えることができる.この二つの不均一広がりは,「連続的な」不均一広がりが大きく,「離散的な」不均一広がりが小さい(サテライトのメインピークからのシフト量が小さい)ときには重なりあって通常の光スペクトルにはひとつの不均一広がりとして観測されると考えられる.このような起源の異なる不均一広がりの識別を行う.

 この目的のために,不均一広がり内での光-rf二重共鳴法による基底状態のサブレベルの測定を行った.これは不均一な広がりをもつ光遷移において,ある光遷移周波数に附随する微細準位を測定する方法で,光遷移とrf遷移の2つのエネルギー軸でそのサイトを分類できる,つまり通常の光学遷移では区別できない不均一広がり内でのサイトの識別がrf軸をもちいて可能であると考えた.

 上記の目的に適する試料として,Eu3+:YAlO3とEu3+:Y2O3を選んだ.ともに希土類をドープ結晶した系としてはよく研究されており基礎的なデータがあること,またEu3+:YAlO3は「連続的な」不均一広がりが比較的狭いことから,サテライト構造の分離が容易であろうと考えた.Eu3+:Y2O3は種々の不純物イオンをドープした試料の作製が可能であることから選んだ.

 基底状態7F0から励起状態5D0の吸収遷移を励起し5D0-7F2の発光をモニターすることによって発光励起スペクトルを測定した.図1はEu3+(0.1mol%,0.01mol%,0.001mol%):YAlO3の発光励起スペクトルである.ドープしたEu3+はY3+と置換される.結晶学的には同一のサイトであるが,欠陥からの距離や位置関係が異なるためにこのようなサテライト構造が生じると考えられる.濃度の異なる試料においてもほぼ同じサテライト構造がみられることからすべての濃度において摂動の大きさは同じであることがわかる.またメインピークとの強度比がEu3+濃度に依存しないものとほぼ比例関係にある2種類のサテライトがあることがわかる,それぞれのサテライトにおいて遷移強度は同じであると仮定すると.これはそのサテライトを形成しているイオンの割合を反映していると考えられる.強度が濃度に依存しないものは,もともと結晶に含まれていた欠陥や不純物とEu3+との相互作用によるものであり,ほぼ比例関係にあるものはEu3+同士の(またはEu3+をドープすることによって生じた欠陥とEu3+との)相互作用によるものであると考えられる.

 次に,サテライト構造もふくめて不均一広がり全体にわたって光-rf二重共鳴による基底状態の超微細構造分裂の測定を行った.超微細構造は核の四重極モーメントと電場勾配との相互作用によるもので,次のハミルトニアン

 

 で表される.Pは電場勾配に直接比例する変数で,は電場勾配の非対称性をあらわしている,Eu3+の場合基底準位が3つの準位に分裂していることから,2つの共鳴周波数,さらに2種類の同位体元素の存在により合計4つのrf共鳴周波数が観測される,本研究ではEu3+(0.1mol%):YAlO3において151Eu3+のIz±1/2-±2/3の遷移のみについての測定を行い,Eu3+0.1mol%:Y2O3およびそれに不純物イオンをドープした系ではさらにもうひとつのエネルギー軸によるサイトの識別を試みるために151Eu3+のIz±3/2-±5/3の測定も行った.

 はじめに,Eu3+(0.1mol%):YAlO3の結果について説明する.メインピーク,サテライトともにその不均一広がり内でrf共鳴周波数がシフト(+10kHz/GHz)していることが観測された.これは,7F2準位が7F0準位に混じるJ-mixing効果によって定性的に理解される.さらにある光周波数では複数のrf共鳴が得られた(図2).これは,光スペクトルでは重なっていた超微細構造の異なるサイトを分離したことを示している.

 図3(A)はEu3+0.1mol%:Y2O3の2つの基底状態超微細構造について測定を行った結果を濃淡表示したもので,濃い部分がピークに対応している.横軸が光周波数,縦軸がrf周波数である.全体として横方向にのびる2本の濃い部分があるのがわかる.下側のものがIz=±1/2-±2/3の遷移に対応し,上側がIz=±3/2-±5/3の遷移に対応している.それぞれ1,2とよぶことにする.まず,メインピーク周辺の1,2に注目すると1は右上がりの傾向を示しているが,2はほぼ一定であることがわかる.この傾向はサテライトにおいても同様である.また,光周波数と1が同じで2の異なるサイトが存在することがわかる(516070GHz〜516080GHz付近).

 また,図3(B)は不純物イオンとしてSc3+イオンを0.1mol%ドープした試料におけるサイトマップである.図3(A)では観測されない新しいサイトが観測された(図中に丸印で示す).さらにSc3+0.5mol%の試料においてのサイトマップを図3(C)に示す,その結果,「連続的な」不均一広がりが大きくなり,サテライト構造を分離することが光スペクトルからでは困難であるが,このような二次元サイトマップから,明確にサテライト構造(「離散的な」不均一広がり)を識別することができる.

 サイトマップの結果をハミルトニアン変数の電場勾配の大きさを反映するパラメーターPと非対称パラメーターであらわしたものがそれぞれ図4の[A],[B]である.●が不純物イオンをドープしていない試料,□がSc3+をドープしたことによってあらわれたピークによるものである.は同じであるがPは異なるサイト,また反対にPは同じであるがは異なるサイトが存在することがわかる.

図表図1 / 図2 / 図3(A) / 図3(B) / 図3(C) / 図4

 本研究では,光-rf二重共鳴法を用いることによって,通常光スペクトルでは区別することのできない「連続的な」不均一広がりと「離散的な」不均一広がりを分離し,不均一広がり内でのサイトの識別を行った.

審査要旨

 Eu3+を不純物として含むイットリウム酸化物結晶は、非線形光学材料として知られている。本研究はYAlO3やY2O3結晶に含まれるEu3+イオンの7F05D0光学遷移による光吸収線に着目し、そこに見られる不均一拡がりの原因を、単色レーザー光およびrfを使った光-rf二重共鳴分光法を使って解明する実験手法を追及した結果をまとめたものである。

 母体結晶に不純物として含まれているEu3+イオンによる光吸収線の位置や幅は、Eu3+イオンの電子と母体の結晶場との相互作用によって決まるが、実際にはEu3+イオンが母体から平均的に受ける場だけではなく、各々のEu3+イオンの置かれた個別の環境による不均一な場の影響を強く受ける。これらの効果による光吸収線の幅は通常不均一幅と総称されることが多い。論文提出者は、YAlO3やY2O3中のEu3+イオンの5D07F2遷移による発光の励起スペクトルを単色性の良いレーザー光によって観測し、励起スペクトルの構造から7F05D0光吸収線に関する知見を得、これから不均一幅の原因を実験によって解明することを試みた。

 本論文の第1章では、研究の動機が述べられ、第2章では関係する理論的事項がまとめられている。また、第3章では、色々な試料に関する評価の結果が示されている。第4章では、レーザー励起による高分解励起スペクトルの測定の結果が示されている。ここで論文提出者は、殆どのEu3+イオンの示す主な吸収構造(メイン・ピーク)には、連続的な拡がりを示すいわゆる不均一幅が見えるが、試料によってその強さは違うものの、スペクトルのエネルギー位置はほぼ一定した多くの小さな構造(サテライト)があることに特に注目した。そして、メイン・ピークのエネルギー位置から離れたエネルギーに現われるサテライトは、該当するEu3+イオンサイトのごく近傍に存在した欠陥による強い局所的歪の影響であり、比較的近いエネルギー位置に現われるサテライトは遠くに存在するEu3+イオンによる効果であるとの結論を、論文提出者が自ら作成したEu3+イオンの濃度の違った試料による系統的な測定や圧力依存性の観測によって得た。

 論文提出者は各々のサテライトについて光学共鳴に加えて、Eu3+イオンの7F0基底状態の結晶場と核の4重極モーメントとの相互作用による構造を与えるサブ準位間のrf場の共鳴を組み合わせる二重共鳴実験を可能にする測定装置を独自に立ち上げ、このモデルを実験的に検証することを試みた。これは光励起によって基底状態にできる電子の分布の変化を利用し、基底状態のサブ準位間で起きるrf領域での遷移を利用するものである。第5章から第8章にその結果がまとめられている。今、光の波長をある値に固定すると、あるサテライトを与えるEu3+イオンの連続的な不均一幅内の特定のサブ準位から、対応する励起状態への光遷移が起きる。そこでrfの周波数を変化させるとそのサブ準位の係わる複数の共鳴が観測された。結晶場と核の4重極モーメントとの相互作用を考慮する理論では、サブ準位の分離はサテライトを生じる局所的な歪と通常の連続的な歪を合算した効果に依存する。論文提出者は光の波長を連続的に細かく変化させ、その都度rfの共鳴を探すという根気強い測定を繰り返し、光のエネルギーの変化と比例してrf共鳴エネルギーが変化することを、各々のサテライト構造において初めて発見した。これはそのサテライトのもつ連続的な不均一幅に含まれる特定のEu3+イオンの基底状態のエネルギーと、歪による基底状態の分離の大きさが直接相関し、いずれも同じ局所的な歪の効果によることや、このような手法によってEu3+イオンに影響する場の種類を分類できることを初めて示した。また、サブ準位の分裂の歪み依存性をrf共鳴エネルギーの考察から試み、Eu3+イオンの置かれた環境の対称性に関する考察も行っている。

 さらに論文提出者は特定の光の波長においても複数のrfの共鳴が共存することを初めて発見した。これは近傍の欠陥の影響を強く受けたEu3+イオンでの光遷移エネルギーが、遠方のEu3+イオンに影響を受けたEu3+イオンでの対応する遷移エネルギーにたまたま一致した結果であるとの推論を論文提出者は行っている。これらに加えて、さらにSc3+やZr3+イオンを加えた試料による実験を行い、上のモデルを実験的に検証することも試みた。

 第9章では、以上の章で取り扱われたフローティング・ゾーン法による試料ではなく、Laser-Heated Pedestal Growth法によるY2O3中のEu3+イオンについて同様な実験を行い、不均一幅に関する以上の考察では解釈が必ずしも十分でない例があることを指摘している。また、10章では、二重共鳴の実験ではわからないサブ準位間の分布数の変化を可能にするラマンヘテロダイン検出法も試した結果が記されている。これは不均一拡がりの原因となるサイトの同定への道をさらに広げるものである。

 このように本研究は、普通は不均一幅と総称されるスペクトルの幅の原因を光-rf二重共鳴法という手段を使って詳しく調べ、この方法によってEu3+イオンに対する近傍の影響と、遠方の平均的な影響に分けて考察できることを初めて示したものと評価できる。この研究の範囲では、それぞれのEu3+イオンがどのような環境に位置しているかを定量的に同定することはできなかったが、粘り強い研究姿勢によって得られた精度の良い実験方法と結果は、この重要な光学材料の品質の評価や制御にとって極めて有用であることは明らかで、この研究は高く評価できる。

 なお、本論文の主要な部分は小山和子、光永正治および指導教官である末元徹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、結果の分析、考察などを行ったもので、論文提出者の寄与が十分かつ明らかと判定できる。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54771