学位論文要旨



No 114986
著者(漢字) 吉本,芳英
著者(英字)
著者(カナ) ヨシモト,ヨシヒデ
標題(和) Si(001),Ge(001)およびGe/Si(001)表面の温度と被覆度に依存する構造の第一原理計算による研究
標題(洋) First Principles Study of Temperature and Coverage Dependent Structures of Si(001),Ge(001)and Ge/Si(001)Surfaces
報告番号 114986
報告番号 甲14986
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3750号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 教授 藤原,毅夫
内容要旨

 シリコンはハイテク産業にもっとも重要な半導体であると同時に凝縮系物理学での基礎的な物質でもある。ほとんどのVLSIはシリコン上に作られており、シリコン表面の性質を原子スケールから理解していくことはデバイス応用に重要である。またシリコン表面そのものも、温度、吸着物質によって相転移を含む様々かつ特異的な物理的、化学的性質を示すために、表面科学において多くの関心を引き寄せている。この表面については、従来から基礎的研究が積み上げられてきたが、いまだ理論的理解が必要な謎が残されている。特に最近、これまでの理解では解釈できない極低温における新しい相の存在が実験的に示唆されており、これが本研究の動機の一つである。

 また一方、シリコン上にゲルマニウムを導入してナノ構造を作って、よりすぐれた機能をシリコンに作り込もうとする技術的な流れがある。原子スケールで制御されたナノ構造を実現するためには、第一原理計算によってGe原子のSi表面上での振る舞い、特に下地への置換と拡散について原子レベルから理解する必要がある。ゲルマニウムそのものの構造と温度相転移も、シリコンとの対比として興味深い。

 本論文においては、三つの系、Si(001)、Ge(001)、Ge/Si(001)で実験的に見いだされた興味深い性質を、第一原理計算に基づいて理解しようとした。従来の理論研究をさらに前進させるためには、さらに大きな系を計算できるようにする必要があったので、我々は並列アルゴリズムを一つ考案し、さらにそれとKing-SmithのReal space projection法を組み合わせた。そして以下の研究を行った。

 ごく最近いくつかの極低温STM観察によって、Si(001)表面はその再構成構造に関する新しい相を、10K以下で持つことが示唆されている。これらの実験では、極低温でp(2×2)構造とc(4×2)構造間の揺らぎが報告されたり、STM像が室温以上とおなじp(2×1)対称構造に戻ることが報告されたりしている。これまでの理解では、この表面の基底状態はc(4×2)構造であり、室温以上で観察されるp(2×1)対称構造はダイマーの傾角の向きが熱揺らぎで平均化されて出てくるものとされていた。10K以下での観察結果をおなじくダイマーの熱揺らぎで説明しようとすると、理論的に予想されるダイマーの傾角の反転運動の障壁の高さから見積もったその頻度は、実験が行われた温度では宇宙の年齢にくらべても遅いものとなってしまう。つまりそもそもダイマーの傾角の運動が可能なことが問題なのである。そこで我々は量子揺らぎによるダイマーの傾角の反転過程を提案し、その頻度を見積もった。

 表面の揺らぎの主要な基本要素としてはP型欠陥(ダイマーの傾角配置秩序の位相欠陥)が考えられる。P型欠陥は、他の表面欠陥によって固定された、ダイマーの傾角配置秩序の位相間のフラストレーションによって固定的に、またはステップ端から自発的に形成されると考えられる。P型欠陥はダイマー2つでできており、その1つの向きが反転することでダイマー1つ分移動する。そこで我々は、P型欠陥中のダイマーの傾角反転のポテンシャルを求めて、その量子揺らぎの頻度を理論的に予測した。

 ところで、ダイマー運動の自由度は6自由度ある。このため、1自由度のときのように波動関数を直接解く通常の方法で取り扱うのは困難である。しかし、インスタントン法を用いることによって、これら自由度すべてを取り扱ったダイマーの量子揺らぎの研究が可能となった。

 我々はP型欠陥のポテンシャル面を、P型欠陥を1個含んだサイズ9×4までのいろいろなスーパセルを用いて、第一原理計算によって決定した。我々はこのポテンシャル面からインスタントン法を用いて、量子論的なダイマーの傾角反転頻度を1×10-3〜0.1Hzと予想した。この反転頻度は、熱揺らぎによるそれに比べて、顕著に高い(図1)。もし量子論的なダイマーの傾角反転があり得るのであれば、10K以下で量子効果が効き始めることで傾角反転頻度が再び大きくなるために、STM像がp(2×1)対称構造に再び戻って行くと予想される。しかしながら、本研究には温度依存性など種々の課題があり、また実験的にもtip sample effectなどの課題がある。本研究は極低温STM観察結果への一つの可能性の提案であり、さらに詳しい理論的研究のための基礎的なモデルパラメータを提供するとともに、実験的研究を刺激することを意図している。

図1:バリアの高さの関数としてのP型欠陥中のダイマーの傾角の量子論的な反転頻度と熱揺らぎによる反転頻度

 我々はまた、Ge(001)表面の相転移について研究した。これまでにも第一原埋計算に基づく研究があるが、それは基底状態をp(2×2)構造と予測しており、c(4×2)構造を主張する実験と矛盾していた。我々は様々なGe(001)表面の高次再構成構造間の相対的なエネルギー安定性を、これまでの密度汎関数法に基づく第一原理計算にくらべてさらによい条件のもとでの計算によって求めた。我々はc(4×2)構造がもっとも安定であることを見いだしたが、これは実験的事実と一致している。また得られたc(4×2)構造は、実験で得られた構造をかなりよく再現することを見いだした。これらの結果に基づいて、我々はこの表面のイジング模型を導入しそのパラメータを決定した。そして、この模型のモンテカルロシミュレーションで求めたこの表面の相転移温度は実験のそれと矛盾しなかった。

 Si(001)表面へのGeの吸着の初期過程において、いくつかの興味深い実験報告がある。ChenらはX線光電子散乱実験によって、GeのSi(001)への吸着の初期過程において、ダイマーの上側原子を置換しているGeが、原子間結合の普通の長さからは理解できないほど浮き上がった構造をとっていると報告した。以前の第一原理計算はこれを否定していたが、計算条件と実験条件に差が残っていた。そこで我々はずっと実験条件に近い計算条件のもとで、この構造を再検討することを試みた。一方、基板温度600℃でのGeのSi(001)への吸着において、Geの下地シリコンへの浸透が実験的に報告されている。しかし下地への浸透についてのこれまでの二つの第一原理計算の結果は、お互いに矛盾していた。これらは、ある制限の下での結論に過ぎず、不十分なものであることが指摘される。そこで本研究ではこの制限をとりはらった新しい計算と、その分析を行った。

 本研究では、Geの顕著な浮き上がりは、実験と同程度の被覆率の計算を行っても再現されなかった。またGeの被覆率が1MLであるときのGeの下地への浸透度を、基板温度600℃において表面第4層までの熱平衡を仮定して求めたところ、下地3層目,4層目でのGeの存在量は1層目のそれの10%から15%ほどとなり、これは実験が示唆するオーダーとなった。この浸透度を見積もる時に、単にBoltzmann因子で存在確率を評価するのはよくないことがわかった。Ge原子が相互に区別できないことをふまえて、正しくGe原子の配置エントロピーを扱うことが重要であった。本論文における第一原理計算の分析法は、この効果を正しく取り込んでおり、結果論的にフェルミ分布にGe原子が従うことを示した。そしてこの分析法は1MLまでの浸透度の被覆率依存性を、第一原理計算に用いたスーパーセルのサイズとは無関係に連続的に求められる。これは従来方法ではできなかった。(図2)

図2:Geの浸透度の被覆率依存性。実線、破線、一点鎖線は2層目、3層目、4層目におけるGeの存在量の1層目のそれに対する比を表す。

 本研究はまた、表面3,4層目に生成エネルギーが結晶内のそれにくらべて顕著に小さくなる点欠陥の型を複数種見いだした。このことから、GeのSi(001)表面での拡散速度が下地4層目まで著しく増大し、100s間に数原子層に達すると予想した。一方でこの温度でのバルクSi中のGeの拡散速度は極めて遅い。したがって、Geの浸透分布を求めるときに表面4層目まででの熱平衡を考えてよいと判断した。

 またGe-Siの混合ダイマーの生成はGeの吸着初期にみられる吸着されたダイマーや吸着されたダイマーの列を考えても支持された。

審査要旨

 最近の半導体産業では、サブミクロンサイズのシリコン素子作製が日常化し、それをさらに微細なシリコン加工技術へと発展させるためには、シリコン表面の原子スケールの理解が不可欠となっている。そのため、超高真空中でのシリコン表面観察が精力的に行われ、その比較対照のためのゲルマニウム表面の観察も行われている。また、これら2種類の半導体を組み合わせて新しい機能をもつ素子を作製するために、シリコン表面上のゲルマニウム成長も試みられている。このような実験研究の積み重ねにより、これら表面の構造や組成はほぼ明らかになってきた。しかしながら、これらの表面がそのような構造や組成をもつ原因については、まだ十分に理解されていない。本論文で報告されている研究は、第一原理計算にもとずいて、Si(001)、Ge(001)清浄表面およびゲルマニウムを成長させたSi(001)に現われる構造と組成の安定性を議論したものである。

 本論文は、6章から構成されている。第1章は導入で、Si(001)とGe(001)清浄表面に現れる超構造、ゲルマニウムのSi(001)表面上の成長について述べられたのち、本論文の構成が示されている。第2章では、第一原理計算の方法が詳しく述べられ、実際に行った計算プログラム手法の有用性が議論されている。第3章では、極低温の走査トンネル顕微鏡を用いてSi(001)清浄表面で観察されたp(2x1)構造の原因が、量子ゆらぎである可能性を調べている。ここでは、シリコンの表面ダイマーの傾斜角反転運動に関するポテンシャルを求め、そのポテンシャル内での運動に量子ゆらぎ効果が現れるかどうかを議論している。第4章では、室温付近のGe(001)清浄表面に現れるp(2x1)構造からc(4x2)構造への相転移について議論している。第5章では、ゲルマニウムのSi(001)面上の成長の初期段階の構造、どの段階でのゲルマニウムのシリコン表面下への拡散過程、それと密接に関係したシリコン表面下の欠陥の生成が述べられている。第6章はまとめにあてられている。

 以下に本論文において得られた主な成果を記述する。

 (1)Si(001)清浄表面のシリコンダイマーの傾斜角をパラメーターとする有効ポテンシャルを第一原理計算によって求め、その傾斜角反転の量子ゆらぎ頻度を理論的に予想した。その結果、極低温では、熱ゆらぎによる傾斜角反転頻度に比べて量子ゆらぎによる反転頻度が大きく、それによってSTM観察では見かけ上のp(2x1)構造が観測さている可能性を指摘した。

 (2)Ge(001)清浄表面の低温での構造を第一原理計算によって求め、実験と一致するc(4x2)構造が最安定であることを明らかにした。

 (3)Si(001)面上のダイマー原子一個がゲルマニウムに置換した系の最安定構造を信頼できる第一原理計算によって求めた。また、Si(001)表面下にシリコン点欠陥生成エネルギーの低い原子位置があることを第一原理計算によって示し、温度600℃では表面下第4原子層まで熱平衡を仮定できることを明かにした。この熱平衡を仮定して、ゲルマニウムが吸着したSi(001)表面下でのゲルマニウムの分布を定量的に求め、実験結果とのよい一致をみた。

 審査委員会は、これらの研究において、第一原理計算が十分注意深く行なわれ、その解析及び考察が適切な手法でなされていると判断した。このような研究を行うことにより、特に応用上重要なシリコン上のゲルマニウムのヘテロ成長過程おける構造と組成分布を、原子サイズで明らかにしたことの意義は大きい。このように、審査委員全員は、本論文が博士(理学)の学位論文として合格に相当するものと認めた。

 なお、本研究は、塚田捷教授(指導教官)およびその他の研究者との共同研究となる部分を含むが、著者が研究計画から計算及び解析・考察のすべての段階で主導的な役割を果たしており、主体的寄与があったものと認められた。

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