学位論文要旨



No 114989
著者(漢字) 肖,美琴
著者(英字)
著者(カナ) シャオ,メイチン
標題(和) Relativistic Heavy Ion Collider(RHIC)に於ける偏極陽子ビームのスピンダイナミクス
標題(洋) Spin Dynamics of Polarized Proton Beams in Relativistic Heavy Ion Collider(RHIC)
報告番号 114989
報告番号 甲14989
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3753号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横谷,馨
 東京大学 教授 森,義治
 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 助教授 中村,典雄
 東京大学 助教授 志田,嘉次郎
内容要旨

 高エネルギー物理学の研究において、スピンが偏極した陽子相互の衝突実験は極めて重要な意義を持つと認識されている。そこで理化学研究所とBNLとの間で、現在建設中の相対論的重イオン衝突型加速器(Relativistic Heavy Ion Collider-RHIC)を利用して、偏極陽子衝突実験を行うことを目的としたRHIC-spin Projectと呼ばれる共同研究が開始された[1]。目標とするエネルギーは=500GeVでありまたルミノシティーは2×1032/cm2・sである。

 一般に円形加速器で偏極ビームを加速すると、減偏極共鳴と呼ばれる現象が問題となる。これは、加速器中の偏向磁場を中心とする加速粒子のスピンの歳差運動と円形加速器の周期性に起因する振動磁場とが共振を起こすことによって発生するもので、振動磁場の発生源によって、Intrinsic共鳴とImperfection共鳴の2種類に分けられ、それぞれG=n,G=k±という共鳴条件で表される。ここで、Gは磁気構造因子を表し陽子の場合は1.793、は相対論の質量比、nとkは整数、は垂直方向のベータトロンチューンである。これらの共鳴条件を加速粒子が通過する度に、加速ビームの偏極度は減少することになる。これらの共鳴を回避するのが、スネークと呼ばれる装置で、スピンの向きを180度反転させる働きをもち、1978年にDerbenevとKondratenkoによって提案された[2]。そこで、RHICにスネークを導入することが決定され、世界初の高エネルギー偏極陽子ビーム加速実験が行われることになった。RHICで採用されたスネークは、超電導ヘリカルダイポール磁石を4台組み合わせた構成であり、ビーム軌道にほとんど影響を与えることなくスピンのみを180度反転させることができる性能を持つことが要求される。

 従来多くのスピンと軌道のトラッキングが行われてきた[3,4]がそれらはいづれも、主要加速器デバイス及びスネークを理想化したモデルに基づいており、現実のヘリカル磁石のような複雑な磁場形状は考慮されていなかった。RHICでの高エネルギー偏極陽子加速を実現するためには、現実的なデバイスに基づく軌道とスピンの詳細なトラッキングが不可欠である。本研究は、RHIC内におけるスピン及び軌道を精細なトラッキングにより明らかにしたものである。

 RHICで使用されるサイベリアンスネークは、水平方向の回転軸を中心として、スピンを180度回転させるものであり、実際は4台のヘリカルダイポール磁石によって構成されている。理想的なヘリカルダイポール磁石を仮定した場合、軸上磁場は磁石の全長にわたって、方向が完全に360度回転することになる。しかし、実際の磁石では、磁石端部の漏れ磁場が存在し、その影響も考慮する必要がある。このことから、一般に、磁石の発生する磁場を解析的なモデリングのみで表すことは不十分である。

 BNLでは、理研との共同研究により超電導ヘリカル磁石のモデルテストと電磁場解析コードTOSCAによる、3次元磁場計算が行われており、計算予測値と実験測定値が非常に良い精度で一致することが実証された[5]。このことから3次元磁場計算結果を用いて粒子及びスピン運動を評価することが現実的意味を持つようになった。

 RHIC加速器は超電導電磁石を用いているため、入射エネルギー25GeVから最高エネルギー250GeVまで、約1分間かけてて加速しており、従って陽子の周回数は7.5×106にも達する。このような状況を精確にトラッキングを行うための鍵となる研究は、軌道運動についてシンプレクティック性を、またスピン運動についてユニタリー性をいかに保証するかである。実際シンプレクティック性を保証しないトラッキングは、本来保存量であるべき規格化エミッタンスが人工的に増大や減少を起し、トラッキング結果が信用できなくなる。特にRHICではスネークとして超電導ヘリカル電磁石を用いているので、複雑な磁場形状を持つスネーク内の粒子運動に対するマップのシンプレクティック性をいかに保証するかが本論文の核心をなしている。一般にシンプレクティック性を保証するには2つの方法が考えられる。1つは与えられた磁場データをもとに、シンプレクティック積分法を用いるもので、通常これはインプリシト積分となっており、多くの計算時間を必要とする。他の1つは積分法としては通常の積分法(例えばルンゲ・クッタ法)を用いた後、得られた変換行列(マップ)をシンプレクティックになるように調整する方法である。本論文においては後者の方法を採用した。

 本研究においては、3次元磁場計算コードTOSCAにより、スネーク内の磁場データが5mm間隔の格子点に対して与えられるので、それを3次元スプライン内挿法により、スネーク内の端部を含む任意の点での磁場データを求めた。さらに、TPSA法(Truncated Power Series Algebra or Automatic Differentiation)を導入して、粒子軌道及びスピンの軌跡を追及した。この方法によりスネークが満たすべき条件、つまりスピンが180度反転すること、及びスネークの入り口と出口で平衡軌道の歪みがない条件を求めた。このようにして求めたスピン行列のユニタリー性は10-8程度に保証されているが、当然のことながら粒子軌道に対する行列マップは5×10-4程度シンプレクティック性を破っていることが分かった。このシンプレクティック性の破れは、もとより上述したTPSA法によりマップのテイラー展開の有限性にも基づいているが、他方用いている磁場データがマックスウエル方程式を完全には満たしていないことにもよっている。これらのマップのシンプレクティック性を保証するために、本論文では、Lie演算子の対数表示を用いて、2次の次数までのスネークマップのシンプレクティック化を行い、その破れが1×10-8程とすることに成功した。ここで用いたシンプレクティック性保証の方法は極めて汎用性の高い方法であり、こうした粒子軌道のトラッキング法に大きく寄与したものと考える。加速器の他のエレメント(偏向電磁石、4重極電磁石等)についてもCayley法を用いてシンプレクティック化を行った。

 以上の準備を行った上で、偏極陽子ビームの25GeVから250GeVまでの加速時において、様々のビーム条件のもとにトラッキングを実施した。図1には規格化エミッタンスが5、10、15、20mmmradのそれぞれの粒子についてのスピン偏極状態が示されている。この時の平衡軌道の歪み(Closed Orbit Distortion-COD)は0.2mm(rms)となるようにCOD補正を行っている。極めて強い減偏極がG=381.82、及び421.82に確認され、規格化エミッタンスが20mmmradより大きくなると垂直方向のスピン状態は保持されないことが分かる。規格化エミッタンス10mmmrad以内の多粒子(32)のトラッキングを実施したのが図2であり、最終的なスピン偏極度は約73%となっていることが判明した。さらにヘリカル電磁石の特性により、中心軸より外れるとビーム進行方向の磁場が存在し、結果として垂直、水平方向のベータトロン振動の結合が観測され、ベータトロン振動数が特に低エネルギー(25GeV)近辺の初期加速時に設計値より0.04程変化することなども明らかになった。

図表図1.異るエミッタンス(5、10、15、20mmmrad)を持つ粒子のスピントラッキング結果。平衡軌道の歪みは0.2mm(rms値)に補正されている。 / 図2.多粒子(32ヶ)のスピントラッキングの結果。エミッタンス10mm・mradの楕円内部からランダムに抽出した。平衡軌道の歪みは0.2mm(rms値)に補正されている。

 本研究により、RHICにおける偏極陽子のスピン及び軌道運動が極めて現実的にシミュレーションされ、実際の加速器運転に役立つことが期待できる。

参考文献[1]T.Roser at el.,Design Manual,Polarized Proton Collider at RHIC.Brookhaven National Laboratory,July 1998.[2]Ya.S.Derbenev et al.,Part.Accel.Vol.8,115(1978)[3]A.U.Luccio,Numerical Spin Tracking in a Synchrotron Computer Code SPINK-examples(RHIC).BNL Spin Note:AGS/RHIC/SN No.011 September,1995[4]H.Wu,et al.,The Spin Tracking Study in RHIC for Polarized Proton.BNL SPin Note:AGS/RHIC/SN No.026 April,1996[5]M.Okamura,The Hall Probe Measurement and Calculation of the Half Length Helical Dipole Magnet.BNL Spin Note:AGS/RHIC/SN No.60,August 20,1997.
審査要旨

 本論文は5章からなり、第1章はRHIC計画の概観およびスピン力学の基礎、第2章はSiberian Snakeのもとでの軌道及びスピン写像、第3章は軌道写像のシンプレクティック化、第4章はRHICでのスピン追跡について述べ、第5章に結論が述べられている。

 米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)に昨年完成されたRHICにおいて、BNLと理化学研究所の共同で、偏極陽子ビームを加速する計画が進められている。本論文は、25GeVで入射された後、250GeVに加速される間の偏極陽子の減偏極について、主に計算機シミュレーションのよって研究したものである。

 RHICが超伝導リングであるため加速は緩やかで、この加速の間に陽子は約107回リングを周回する。このため微小な計算誤差の集積が避けられないが、特に軌道写像が十分な精度でシンプレクティックになっていない場合、意味のある計算結果は得られない。同様に、スピン写像はユニタリでなければならない。

 通常のリングでは偏極ビームは加速の間に多数の共鳴を通過するために減偏極が避けられない。これを軽減するため、RHICでは、Siberian Snakeと呼ばれる方式を採用する。このためにhelical dipoleと呼ばれる特殊な超伝導磁石を用いる。これは既に完成し磁場測定が行なわれた。結果は磁場計算プログラムTOSCAとよく一致することが確かめられている。本論文ではTOSCAの結果を用いている。

 本論文の眼目は、離散的に与えられた磁場のもとでの軌道およびスピンの写像をシンプレクティック化・ユニタリ化し、かつ十分高速なアルゴリズムを得て、RHICでの減偏極を追跡することにある。

 本論文で用いたシンプレクティック化の手順は次のようなものである。

 1.磁場の各成分のcubic spilne補間を行なう。(厳密にはMaxwell方程式を満たしていない。本論文では10-3の精度であることが確かめられている。)

 2.閉軌道を求める。これにはリングの他の部分の情報が必要。

 3.閉軌道上で、DA(Differential Algebra)を用いてRunge-Kutta法の積分を行ない、閉軌道のまわりのTaylor mapを求める。本論文では2次の項まで求めている。このTaylor mapはTaylor seriesの打切り誤差のみならず、磁場計算誤差、Runge-Kutta積分誤差等による、係数そのもののnon-simplecticityをも含んでいる。

 4.後者の理由によるnon-simplecticityを、次の手順で除く。

 (a)線形部分にはCayleyの行列シンプレクティック化を用いる。

 (b)非線形部分は、一般的なvector field上の微分演算子の形に変換する。

 (c)これを位相空間上の経路積分でPoisson括弧に直す。この積分はもとの写像が正確にシンプレクティックでないため、経路依存であるが、位相空間上の直線を使う。これにより、Taylor展開係数は各次数までシンプレクティックになる。

 5.Taylor seriesの打切りによるnon-simplecticityの回避についてはkick factorization等いくつかの方法が知られている。

 粒子追跡は既存のプログラムSPINKを改良して行なった。主な改良点は、上記のsimplectic mapの導入、そのエネルギー値での補間、加速空胴中での処理のシンプレクティック化等である。

 以上の方法を用いて偏極陽子を追跡した結果、次のような結論を得ている。

 1.入射ビームのemittanceが10mm・mrad以下であれば、intrinsic resonanceによる減偏極は5%以下である。

 2.初期の4極磁石の設置誤差2.5mm、補正後の閉軌道0.2mm(いづれも標準偏差)以下であれば、最終的な偏極度73%が得られる。

 3.なお、Helical magnetのためにbetatron tuneのエネルギー依存性が発生し、変動量はQx〜0.02,Qy〜0.03に達する。このため約70GeV以下でx-y結合共鳴が起るが、スピン運動への影響は小さい。

 減偏極の計算機追跡による研究は多数あり、RHICに限っても既にいくつか行なわれているが、離散的かつ誤差を含む磁場データを用いてシンプレクティックに追跡する手法を与えている点で意義が大きい。これはスピン運動のみならず、軌道追跡についても重要である。

 なお、本論文の一部分は片山武司教授との共同研究によるものであるが、論文提出者が主体となって方法の開発、実際の計算を行なったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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