学位論文要旨



No 114994
著者(漢字) 筒井,芳典
著者(英字)
著者(カナ) ツツイ,ヨシノリ
標題(和) 中間赤方偏移の銀河における分子ガスとCO輝線タリーフィッシャー関係の観測的研究
標題(洋) Observational Study of Molecular Gas in Galaxies at Intermediate Redshift and the CO-Line Tully-Fisher Relation
報告番号 114994
報告番号 甲14994
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3758号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡村,定矩
 東京大学 教授 祖父江,義明
 東京大学 教授 中井,直正
 国立天文台 教授 川辺,良平
 国立天文台 教授 笹尾,哲夫
内容要旨 1.CO輝線タリーフィッシャー関係(Chapter I)

 宇宙のスケールと年齢を決定づけるハッブル定数の測定は、現在の天文学における最も根本的なテーマの一つである。ハッブル定数の測定、すなわち銀河までの距離の測定には、これまでさまざまな方法が考案されてきた。その中でこれまで最も広く適用されてきた方法は、渦巻銀河の回転速度を表す速度幅と光度の間に見られる相関関係(タリーフィッシャー関係)を用いた銀河の距離測定法である。従来、速度幅にはそのほとんどで中性水素(HI)21cm輝線が用いられていた。しかし、HI輝線の観測ではビームサイズが大きいことなどのため後退速度cz〜15,000kms-1が限界であった。より遠方の銀河の距離をタリーフィッシャー関係を用いて測定するため、HI輝線に代わってCO輝線を用いたCO輝線タリーフィッシャー関係が考案された(Dickey & Kazes 1992;Sofue 1992)。COはHIに比べて銀河内で内側に分布しているため、銀河相互作用の影響や、銀河団内物質との相互作用が小さい。そのため、より正確な速度幅を見積もることが可能である。また、CO(J=1-0)輝線の周波数(115.271GHz)は、HI21cm線の周波数(1420.46MHz)に比べて高く、ビームサイズが小さいため、中間赤方偏移(cz〜10,000-50,000kms-1)でも個々の銀河を分解することが可能である。さらに赤方偏移によるHIの観測周波数はcz>19,092kms-1の場合、電波天文の保護バンドを外れるため混信の影響を受けやすくなる。それに対しでCOの場合、低周波ほど雑音温度が低減するため赤方偏移した天体では観測条件が向上する。このようにCOタリーフィッシャー関係は特に中間赤方偏移の距離決定法として好条件を備えている。本研究は中間赤方偏移の距離決定法としてCOタリーフィッシャー関係を確立しハッブル定数を決定することを主目的とし、そのための電波観測、光学観測、および新たなプローブであるCO線幅の評価を行った。

2.CO輝線観測(Chapter II)

 中間赤方偏移の銀河のCO線幅を取得するために野辺山45m電波望遠鏡を用いてCO輝線観測を行った。サンプルの主な選択条件は以下の通りである。(1)赤方偏移:HIタリーフイッシャー関係で到達困難な領域であること(cz=10,000-50,000kms-1)。(2)遠赤外フラツクス:COの検出の目安として遠赤外IRASフラックスが強いこと(S>1Jy)。(3)銀河の形態:光学イメージで相互作用を示さないもの。観測は野辺山45m長期共同利用として1994年から1997年に行われ、中間赤方偏移の計51銀河を観測し、うち17銀河からCO線幅の取得に成功した。このサンプルは相互作用銀河や不規則銀河を除いたものとしては中間赤方偏移で最も深いCO観測のサンプルである。

3.測光観測(Chapter III)

 本研究でのタリーフイッシャー関係に用いる測光データは近赤外バンド(J,H,K’バンド)を採用した。これはタリーフィッシャー関係の分散が近赤外領域で最も小さいのに加え、内部吸収による減光の影響や進化の影響が小さいなど、COの存在量が多い本サンプルでは、近赤外バンドが最も適しているからである。観測は岡山天体物理観測所1.88m望遠鏡他を用いて1997年から1999年に計4回行った。CO線幅を取得した17銀河のうち12銀河について測光データを取得し、銀河の全等級を測定した。

4.CO線幅-HI線幅の関係の導出および検証(Chapter V)

 これまでCOタリーフィッシャー関係においては、CO線幅=HI線幅としてCO線幅を扱ってきたが、線幅はトレーサーとなるガスの分布とその回転速度が反映されるため、厳密にはCO線幅とHI線幅は異なるものになる。そこで近傍銀河219個について、CO線幅とHI線幅を比較し両者の関係式を導出した。それによると回転速度の大きい銀河では、CO線幅>HI線幅であり、一方、回転速度の小さい銀河では、CO線幅<HI線幅であった。このことを説明するため、Persic et al.(1996)による合成回転曲線モデルを用いて議論した。この合成回転曲線モデルは、回転曲線データの統計的な解析から、半径、回転速度の他に光度のパラメータをもつ回転曲線の観測的モデルである。この関係を半径をパラメータとする回転速度と光度の関係、すなわちある半径でのタリーフィッシャー関係に相当するものと考えることで上の関係を説明した。

5.ハッブル定数の決定(Chapter IV)

 CO線幅については傾斜角の補正、およびCO-HI線幅関係式を用いてHI線輻への変換を行った。全等級については、銀河系の吸収、銀河の内部吸収、K補正,銀河進化の効果の補正を行った。これらをタリーフィッシャー関係に適用し、銀河の距離およびハッブル定数を求めた。用いた近赤外タリーフィッシャ一関係は、J、HバンドではWatanabe et al.(1999)によって較正されたものを採用した。このタリーフィッシャー関係の較正には全等級が使われており遠方天体の測光に適している。また参照としてK’バンドではPierini&Tuffs(1999)、Hバンドのタリーフィッシャー関係として代表的なPierce&Tully(1992)、J、Kバンドでは、Malhotra et al.(1996)を用いて、それぞれ導出されたハッブル定数を比較検討した。赤方偏移とハッブル比を図1に示す。より遠方にある銀河でハッブル比がよく揃っている傾向が見られるが、これは観測ビームが完全にCOの分布をカバーしているため正確な回転速度が得られているためであると考えられる。COタリーフィッシャー関係によって決定されたハッブル定数はH0=61±13kms-1Mpc-1である。この結果は図2に見るように、Ia型超新星など他の方法で求められた中間赤方偏移におけるハッブル定数とよく一致しており、COタリーフィッシャー関係が中間赤方偏移での距離決定法として有効であることを実証した。

図表Figure 1:赤方偏移cz-ハッブル比(J,Hバンド)。 / Figure 2:各手法によって導出されたハッブル定数。縦棒は誤差棒、横棒はそれぞれの手法がカバーしている距離範囲。(Okamura 1999にデータを追加。)
6.中間赤方偏移でのCO線幅の検証(Chapter VI,VII,VIII)

 上で見たように、COタリーフィッシャー関係が中間赤方偏移での距離決定に有効であることがわかったが、中間赤方偏移の銀河や遠赤外の光度が高い銀河では、相互作用銀河の比率が上がる。実際のCOの分布と銀河回転の様子を確認するため、サンプル銀河のうちの1つの銀河(cz=29,347kms-1)について野辺山ミリ波干渉計を用いて観測を行った。その結果、COの分布や銀河回転には特異な傾向は見られず、干渉計の観測で得られたラインプロファイルは野辺山45m望遠鏡で得られたラインプロファイルと非常によく一致しており、CO線幅データの質を裏付けることができた。また、近傍の相互作用銀河と孤立銀河の比較から、CO線輻がHI線幅に比べて銀河相互作用に対し安定であることを示した。

 また、本研究で用いたサンプルをCOが検出された他の中間赤方偏移のIRAS銀河のサンプルと比較した。比較したサンプルは、Solomon et al.(1997)、Sanders et al.(1991)、Mirabel et al.(1990)、Lavezzi&Dickey(1998)である。赤方偏移とCO光度について比較したところ、本研究のサンプルは他のサンプルに比べて最も深い観測であることが明らかになった。また、分子ガスとダストの関係について議論した。

7.まとめ

 本研究の目的はCO輝線タリーフィッシャー関係という新しい手法を用いて従来のタリーフィッシャー関係では到達できなかった赤方偏移での銀河の距離を測定しハッブル定数を求めることであった。このような遠方ではカタログ化されたデータは存在しないため、野辺山45m望遠鏡、岡山天体物理観測所1.88m望遠鏡等を用いて観測を行い、線幅(電波)データおよび測光(光学)データを独自にかつ同一のコンセプトで取得し、ハッブル定数(H0=61±13kms-1)を求めた。また、新たなプローブとして用いるCO線幅についての検証、すなわちHI線幅との関係、銀河相互作用の環境、干渉計による直接観測、中間赤方偏移IRAS銀河との比較を行い、COタリーフィッシャー関係が中間赤方偏移の距離決定法として有効であることを示した。

6.参考文献Dickey,J.M.& Kazes,I.1992,ApJ 393,530Lavezzi,T.E.& Dickey,J.M.1998,AJ 116,2672Malhotra,S.,Spergel,D.N.,Rhoads,J.E,et al.1996,ApJ,473,687Mirabel,I.F.,Booth,R.S.,Johansson,L.E.B.et al.1990,A&A,236,327Okamura,S.1999,Milky Way Galaxy and the Universe of Galaxies(University of Tokyo Press)Persic M.,Salucci P.,Stel F.1996,MNRAS 281,27Pierce,M.J.& Tully,R.B.1992,ApJ,387,47Pierini,D.& Tuffs,R.1999,A&A,343,751Sanders,D.B.,Scoville,N.Z.& Soifer,B.T.1991,ApJ,370,158Sofue,Y.1992,PASJ 44,L231Solomon,P.M.,Downes,D.,Radford,S.J.E.et al.1997,ApJ,478,144Watanabe,M.,Yasuda,N.,Itoh,N.1999,submitted to ApJL
審査要旨

 本論文は、cz〜10000-35000kms-1の中間赤方偏移にある渦巻銀河の距離を決定する一つの方法を確立し、実際にその方法を用いて10個の銀河の距離を決定し、そのデータから宇宙の大きさと年齢の決定に重要なハッブル定数を決定した研究をまとめたものである。

 本研究の特色は、水素原子(HI)の出す静止波長21センチの電波輝線の速度幅と可視光での見かけの明るさを使った「タリーフィッシャー関係(以後TF関係と略す)」と呼ばれる従来の銀河の距離決定法を、一酸化炭素(CO)の出す電波輝線の速度幅と近赤外線における見かけの明るさに置き換えて、より遠方の銀河まで届くように改良し、実際にその改良された「CO輝線TF関係」を使って従来のTF関係が届かなかった遠方でハッブル定数を決定したことである。

 HI輝線は波長が長いために電波望遠鏡の分解能(ビーム径)が大きく、また、赤方偏移が大きくなると周波数が下がって電波天文学の保護帯域から外れるため、その観測はcz〜15000kms-1が上限であった。これに対してCO輝線の静止波長はHI輝線の約80分の1の2.6ミリである。国立天文台野辺山宇宙電波観測所の口径45mの望遠鏡でCO輝線を観測するビーム径は約20秒角であり、cz〜10000-35000kms-1の銀河の見かけのサイズに適合している。ちなみに、アレシボにある世界最大の口径305m鏡でもHIで観測するとビーム径はこの12倍にもなる。CO輝線は赤方偏移によって周波数が下がっても上記の保護帯域内にあり、さらに周波数が下がるとかえって大気雑音温度が下がり、より高感度の観測が可能となる。

 論文は二部構成になっており、第一部では今回ハッブル定数を決定するために行った観測とデータ処理、解析の方法及び結果が1-4章にわたって述べられている。1章のイントロダクションに続いて2章ではサンプルの選択とCO輝線の観測が述べられている。今回の観測対象は、遠方でのハッブル定数の決定が目的であるため、後退速度がcz-10000-50000kms-1のものに限定し、さらに赤外線強度の強いもの(IRASの60mと100mのフラックスが1Jy以上)を選んだ。これは赤外線が強いとCO輝線も強いことが期待されるからである。しかし一方、銀河同士が相互作用していたり、中心核で活発な活動が起こっているような銀河を除くため、形態は正常な銀河らしく見えるものに限った(これくらい遠くになると銀河の形態すらそれほどはっきりとはしなくなる)。こうして選んだ51個の銀河に対して1994-1997年に渡り観測を行った結果、このうちの17個からCO輝線を観測する事が出来た。3章ではこの17個に対して、岡山天体物理観測所の1.88m望遠鏡を用いて行った近赤外線観測が述べられている。最終的に12個の銀河について観測が行われた。4章において、CO輝線TF関係を用いてハッブル定数が決定された。最終的にこの解析に用いることが出来た銀河は10個となった。いくつかの較正法が試みられたが、もつとも信頼できる方法からはハッブル定数がH0=61±13kms-1Mpc-1と求められた。

 第二部は、CO輝線をTF関係に使う際に調べておかなければならない基本的な事柄の調査と考察に当てられている。まず5章では、近傍の219銀河についてHI輝線とCO輝線の速度幅を調べ、両者の間に僅かだが系統的なずれがあること、及びそのずれが銀河の回転曲線の形と銀河内でのHIとCOの分布領域の違いから説明できることを半定量的に示した。第一部の解析ではこのずれの影響は補正されている。6章では銀河同士の相互作用がCO輝線幅に与える影響を考察した。7章では、今回のようにビームが銀河全体を覆うような観測から得られる速度幅が、TF関係の基礎となっている最大回転速度の2倍に対応していることを、格段に小さいビームが得られる干渉計を使ってサンプル銀河の一つ(IRAS02185+0642;cz=29000kms-1の)を観測して確認した。9章では、今回のサンプルが他の望遠鏡グループによりCO輝線が観測されているいくつかのサンプルに比べて、もっとも深い(CO輝線の弱い)サンプルであり、銀河同士の相互作用や中心核の活動性にほとんど影響されていないことを確かめた。

 以上のように、本研究は従来のTF関係が届かなかった遠方でハッブル定数を求める方法を実証して、その推定値を得たところに特色がある。CO輝線によるTF関係の可能性を最初に指摘したのは本論文ではなく、下記の共同研究者である。また、最終結果を得るために使われた銀河の数は10個しかない。近赤外線の観測は理論的には理想の選択であるが、技術的には可視光と同じ程度のS/Nを得るには観測時間が長くかかり、両者の得失の比較は十分には検討されていない。このように今後さらに研究が発展する余地は大きく開けているが、新しい視点のもとに遠方銀河の困難な観測を行い、諸種の検討を加えて、CO輝線TF関係を用いて統計的に意味あるハッブル定数の推定値を初めて得るに至った本論文は、銀河の距離決定及び観測的宇宙論に大きく貢献するものと考えられる。

 なお、本論文1章以外の各章の内容は、祖父江義明、本間希樹、若松謙一、市川隆、Iliya Kazes,John M.Dickeyの各氏との共同研究であるが、提出者はいずれの内容にも大きな寄与をし、本論文全体を中心になってまとめたもので、論文提出者の寄与は十分であると判断できる。

 したがって、委員会は全員一致で本論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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