黒潮は東シナ海を大陸斜面に沿って北上し、九州南方のトカラ海峡から北太平洋へと流れ出る(図1)。その流軸の位置は東シナ海では安定して大陸斜面上にあるが、トカラ海峡では南北に変化し、日本の南岸では、黒潮は大蛇行流路と非大蛇行流路を数年から10年の間隔で交互にとる(図2)。東シナ海では、日本の官庁が数測線で年4回の観測を行っている。このうち、気象庁が長年観測を行っている沖永良部島沖のPN線とトカラ海峡のTK線のデータは、東シナ海における黒潮の水塊と力学構造の変動特性を調べるのに特に適している。 図1 PN線とTK線のCTD測点(丸印)および典型的な黒潮流路(矢印)。 東シナ海の表層における海水特性は主に季節変動に関してよく調べられており、中国の揚子江等の河川から流れ出る淡水の影響で海面近くの塩分が水温と共に大きな季節変動を示すことが知られている。これに対し、亜表層における海水特性の細かい変動特性は明らかにされていない。亜表層の水塊分布は150-700db深の主密度躍層、およびその上端と下端に位置する塩分極大と塩分極小によって特徴づけられる。 東シナ海およびトカラ海峡における黒潮の流速、流量は長期平均では夏に最大、秋に最小となる。もっとも年による違いが大きく、ほぼ毎年見られる特徴は9月から12月にかけて流速が小さいということだけである。 過去の多くの研究が、トカラ海峡における黒潮の流量の長期変動と日本南岸での流路変動との関連を調べてきた。観測、数値実験による研究は共に、流量が小さい時に非大蛇行流路をとるという傾向を示している。これに対し、流量が中程度あるいは大きい時には、流量と日本南岸の黒潮流路との間に明確な対応はない。 潮位データを用いた最近の研究は、流量が中程度あるいは大きい時にはトカラ海峡における黒潮の海面流軸の位置との対応が良く、北寄り(南寄り)の時に大蛇行(非大蛇行)流路をとる傾向があることを示した。数値実験による研究も同様の傾向を得ている。観測と数値実験により示されたこれらの傾向は、トカラ海峡の鉛直断面における黒潮の流速構造と日本南岸の黒潮流路との対応を示唆している。また、黒潮が日本南岸に流れと共に持って入るポテンシャル渦度の断面分布も重要であると考えられる。 第2章では、PN線で1988年から1994年に測定された年4回のCTDによる塩分、水温データを解析し、海水特性と密度構造の時間変化を特に亜表層の等密度面深度に注目して調べ、従来より知られている黒潮流速の変動特性との関連を明らかにした。黒潮はPN線の大陸斜面域を流れている。100db以浅の表層では海水特性の時間変化は非常に大きく、顕著な季節変動を示すのに対し、100db以深の亜表層では変動はずっと小さい。亜表層の等圧面上での海水特性の変動は、ほぼ一定の塩分、水温の値を持った等密度面が鉛直方向に変位することによって生じている。亜表層での塩分、水温、および等密度面深度の変動は、主密度躍層の上部と下部、及び黒潮の内部と沖側で異なり、これら4つの領域に見られる4種類の変動に分類される(図3)。各領域の等密度面のグループをそれぞれ、グループ1(黒潮内部の躍層上部)、2(沖側の上部)、3(内部の下部)、4(沖側の下部)とした。グループ1と2(3と4)の平均の等密度面深度の差は、主密度躍層の上部(下部)における黒潮流速の鉛直シアと高い相関を示す。等密度面の鉛直変動は、グループ1、3では1年周期が非常に小さく、特にグループ3では周期1年未満の変動が大きいのに対し、グループ2、4では季節変動が卓越し、密度面は秋に最も浅い。これに伴い、黒潮の流速はほぼ毎年秋に最小になる。ただし、流速が最大となる季節や季節変動の振幅は年によって異なる。等密度面深度の経年変動は、グループ2で大きく、グループ3と4で逆位相という特徴を持っている。このため、グループ1と2、3と4の等密度面深度の差、すなわち主密度躍層の上部と下部における流速シアの変動は同程度の大きさとなる。 第3章では、PN線とTK線で1987年から1997年に測定された年4回のCTDデータとADCP(Acoustic Doppler Current Profiler)による表層流速データを解析し、黒潮の流速とポテンシャル渦度の断面構造、およびそれらと日本南岸の黒潮流路との関連を調べた。PN線での黒潮は安定して大陸斜面上に位置する1本の流速コアによって特徴づけられるのに対し、TK線での黒潮は大多数の観測で2本以上の流速コアを示し、その海面流軸の位置は南北に変位する。TK線での平均流速分布はトカラ海峡の南北2つのギャップの上に2本の流速コアを示す。100db以浅の表層ではポテンシャル渦度の時間変化は非常に大きく、顕著な季節変動がPN線とTK線に共通して見られるのに対し、100db以深の亜表層では変動はずっと小さく、PN線とTK線で異なる特徴が見られる。すなわち、PN線の主密度躍層中央の25と26の等密度面間で鉛直方向に平均したポテンシャル渦度分布は黒潮流軸のすぐ岸側に1つの顕著な極大を示すのに対し、TK線での分布は測線方向(流れにおおよそ直交する方向)の変動の大きさと極大の位置によって4種類に分けられる(図4)。グループ1は値が小さく空間変化の小さい分布であり、グループ2は北側に1つ、グループ4は南側に1つ、グループ3は南北2つの顕著な極大を示す。これらの渦度分布と日本南岸の代表的な黒潮流路、および小蛇行と呼ばれる流路変動との間に、以下のような明瞭な関連のあることが示された。1、黒潮の非大蛇行期には渦度が小さく空間変化の小さい分布が半数を占めるのに対し、大蛇行期にはそのような分布は非常に少なく、北側に1つあるいは南北に2つの顕著な極大を持つ分布が卓越する。2、空間変化の小さい分布の大多数は、九州南東での黒潮小蛇行の発生に対応している。これに対し、顕著な極大を持つ分布の時には小蛇行はほとんど発生しない。3、空間変化の小さい分布が非大蛇行期に多く、大蛇行期に少ないという傾向は、黒潮小蛇行の発生が非大蛇行期に多く、大蛇行期に少ないという事実に合致している。本研客により、トカラ海峡でのポテンシャル渦度分布が日本南岸の黒潮流路に大きく影響していることが明らかとなった。 図表図2(上) 日本南岸の黒潮流路。LMが大蛇行流路、NLMが非大蛇行流路(Kawabe,1995)。 / 図3(左下) PN線の主密度躍層の等密度面の4つのグループ。冬の平均のポテンシャル密度分布の上に示す。24.5と26.7の等密度面間が主密度躍層。 / 図4(右下) TK線の主密度躍層中央(25-26間)で鉛直方向に平均したポテンシャル渦度分布。1987-97年の40回の観測の分布を4つのグループに分けて示す。カッコ内は観測数を示す。左側が北(岸)側、右側が南(沖)側。 |