学位論文要旨



No 115013
著者(漢字) 趙,庚娥
著者(英字)
著者(カナ) チョ,キョンア
標題(和) 有機薄膜成長における成長温度と目的物質のパルス分子ビーム使用の影響
標題(洋) Effect of Temperature and Pulsed Supply of Source on Growth of Organic Thin Films
報告番号 115013
報告番号 甲15013
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3777号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 助教授 岡本,裕巳
内容要旨

 有機薄膜は光学的なあるいは電気的なデバイスの材料として様々な分野において関心の対象になっている。一方、分子線エピタシー(MBE)は薄膜の厚さや結晶性の制御が可能な点で優れた薄膜製作手法で知られているがMBEで製作可能な有機薄膜は限られていた。特に物質設計が容易な低分子量の有機分子の場合にはその高い蒸気圧のため室温ではその薄膜は得にくいものだった。そこで、本研究では薄膜製作に有用な方法であるMBEでより多様な有機薄膜を得るための試みとして、成長温度を下げることによる高い蒸気圧を持つ有機分子の薄膜製作の可能性を調べることにした。また薄膜形成過程を理解し、有機薄膜の制御性を上げるため分子線をパルス化して調べる実験も行った。

有機MBEにおける成長温度の低下の影響

 高い蒸気圧を持つ有機分子のモデルとしてはcoronene(C12H24)を用い、基板物質としてはMoS2,MoTe2,micaそして水素終端化したsilicon(H-Si)を選んだ。これらの基板はvan der waals interactionsによるcoroneneとの相互作用を調べるのに適切だと思われる物質である。成長温度は300Kと115Kで成長した膜の結晶性は反射高速電子線回折法(RHEED)で調べた。H-Si上のcoroneneは成長温度が115K場合のみその吸着が観察され、1層まではepitaxial成長し、多層になるとamorphousに成長するのが分かった。基板がMoTe2の場合には300Kの成長温度においては二つのドメインで三次元的に成長するのが観察されたのに対し、115Kの成長温度においては最初からamorphousになった。またMoS2の基板上には両方の成長温度においてもcoroneneはepitaxial成長したが、低温の成長温度の場合にはそのepitaxial成長は厚さ10MLまで続いた。一方、基板物質がmicaの場合にはどの成長温度においてもcoroneneの吸着は観察されなかった。成長温度の変化と成長様式の変化の関係を理解するためcoroneneが基板に吸着する際の基板の安定化エネルギーをuniversal force filedを用いた分子力学計算で求めた。表1は実験の結果と分子力学計算で求めた安定化エネルギーを示している。実験で現れた基板においてのcoroneneの吸着性の大きさの順と分子力学計算で得られた安定化エネルギーの大きさの順はほぼ一致しているがH-Siとmicaの安定化エネルギーの差は115Kで見られたそれらの基板上のcoroneneの吸着の差を説明するのにはやや小さいと思われる。これは、原子ごとのパラメタを用いた分子力学では基板の物性を考慮しなかったためだと考えられる。基板の物性を考慮するため、分子の誘電率を導入したLifshitz理論によってSiとmicaの表面とcoroneneの表面に働く相互作用を計算してみた結果その差は、分子力学計算で求められた値より少し大きい3.1kcal/moleとなった。すなわち、基板上に起こる吸着には基板の物性も関係していることが明らかになった。

Fig.1 coronene表1 実験の結果と分子力学で得られた安定化エネルギー
パルス化した分子線による有機薄膜の核形成と成長

 有機薄膜形成に関するkineticsを理解し、kineticsに関与する有機薄膜成長の制御parameterを見いだすためパルス化した分子線を用いて薄膜成長を行った。実験はパルスの時間パラメタを変えて一定の分子線を照射し、形成された結晶性の密度を比較した。用いた有機物質はQuinacridone(C20H12N2O2;QA)とTris(8-hydroxyquinolinato)Aluminum(C27H18AlN3O3;Alq3)でこれらの物質は基板上への成長において基板のstepなどに影響を受けない物質なので分子線照射だけが核形成に関与する。基板物質はNaClとKClを用いた。パルス化装置は普通のmolecular beam epitaxy chamberにとりつけK-cellから飛ぶ分子線をchopperを回すことによってパルス化した。以下で、Cycle timeというのはshutterが開ける時間tonと、閉まる時間toffからなり、chopperの回転速度によってそのcycle timeは変わることになる。

Fig.2 QA and Alq3Fig.3 Experimental apparatus and cycle time

 実験の結果で見られる核密度は一定の面積に形成された安定な核の数である。安定な核というのは入射するモノマーがその滞在時間内にモノマーを受け入れ、臨界大きさの核になり、またその臨界大きさの核がモノマーを受け入れることで一番小さい安定な核になる。つまり生成する安定な核の数は存在している臨界大きさの核の数とモノマーの供給と存在によって調節されると言える。核密度は基板からのモノマーの脱離や臨界大きさの核の数の減少によって減ることになる。

 図4は基板温度が110℃のときのcycle timeに対するNaClとKCl上のQAの核密度である。cycle timeが0.6秒から1.5秒の間の場合には基板物質がKClの場合だけQAの核が観察された。この結果は分子線のパルス化による対象物質の完全な基板選択性が実現できることを意味している。NaCl上のQAの核形成が起こらなかったのは、基板上のモノマーの短い寿命のため核に成長するのに必要な臨界大きさの核が形成するまえに基板から脱離したためだと思われる。実験の結果から求められたNaCl上のQAのモノマーの寿命の時間は75ミリ秒で推定される。図5はcycle timeに対するNaCl上のAlq3の核密度である。この場合においても核密度がゼロにはならないものの、減少しているのが分かった。QAと異なってAlq3は核が観察される最高の基板温度においてもtoffの時間が長い場合でも核が形成されたのは、QAより核形成が速やかに起こるのだと考えられる。NaCl上で形成されたAlq3のクラスターの大きさを調べた結果、図6で現したようにcycle timeが長くなるにつれクラスターの大きさは短くなった。また、大きさの分布はcycle timeが最長の8.5秒に形成されたクラスターの場合が最短のcycle timeの130ミリ秒に形成された場合より狭くなった。(図7)Cycle timeとクラスターの大きさの関係はmobileクラスターの存在で説明できる。短いcycle timeの場合には短い照射時間にできたmobileクラスターたちがtoffの間にマイグレーションし、合体することにより、より大きいクラスターになることが可能である。次の照射時間でできたmobileクラスターの会合によりもっと大きいクラスターになりながら、この過程中に大きさの分布にばらつきがでると思われる。一方、cycle timeが長い場合には長い照射時間の間に入射したモノマーたちがすでにimmobileクラスターを作り長いtoffがなってもクラスターのマイグレイションによる会合は起こりにくくなり,不安定な大きさの核は分裂し基板からなくなるのでクラスターの大きさの分布においては短cycle timeの場合よりばらつかないと考えられる。Alq3の薄膜においてはcycle timeが変わることでクラスターの大きさを揃えたり、その長さの制御が可能であることが分かった。

Figure 4.Nucleation density of QA formed on NaCl(●)and KCl(■)at 110℃Figure 5.Nucleation density of Alq3 on NaCl.図表Figure 6.Average length of Alq3 cluster on NaCl / Figure 7.Size distribution on cycle time 8.5s(●)and 130ms(▲)

 本研究での成長温度の低下により有機MBEに応用できる物質の範囲を広げるのが可能になった。また、分子線をパルス化することで有機薄膜の成長制御parameterとしてcycle timeを新たに見いだした。Pulsed molecular beam techniqueは有機薄膜成長制御の向上に寄与することが明らかになった。

審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章では本研究の背景について、第2章では本研究の実験手法ついて、第3章では有機薄膜成長に対する基板温度の依存性について、第4章ではパルス分子線手法により解明した核生成に対するモノマー濃度依存性について、第5章では成長核サイズに及ぼすパルス分子線の影響について、そして第6章では本研究のまとめについて述べられている。

 近年有機薄膜は、光学的なあるいは電気的なデバイスの材料として、様々な分野において関心の対象になっている。分子線エピタシー(MBE)は薄膜の厚さや結晶性の制御が可能な点で優れた薄膜製作手法で知られているがMBEで製作可能な有機薄膜は限られていた。特に低分子量の有機分子の場合には、その高い蒸気圧のため室温ではその薄膜は得にくかったが、本研究では成長温度を下げることにより、MBE成長させることを試みた。

 高い蒸気圧を持つ有機分子としてはコロネン(C12H24)を用い、基板物質にはMoS2,MoTe2,白雲母それに水素終端化したシリコン(H-Si)を用いた。成長温度300Kと115Kで成長した膜の結晶性を、反射高速電子線回折法(RHEED)で調べた結果、H-Si基板上では成長温度が115K場合のみその吸着が観察され、1層まではエピタキシャル成長し、多層になると非晶質に成長するのが分かった。基板がMoTe2の場合には300Kの成長温度においては三次元的に成長するのが観察されたのに対し、115Kの成長温度においては最初から非晶質になった。またMoS2の基板上には両成長温度においてエピタキシャル成長したが、低温の成長温度の場合にはエピタキシャル成長は厚さ10分子層まで続いた。一方、基板物質が白雲母の場合にはどの成長温度においてもコロネンの吸着は観察されなかった。

 成長温度の変化と成長様式の変化の関係を理解するためコロネンが基板に吸着する際の安定化エネルギーをuniversal force filedを用いた分子力学計算で求めた。観測された吸着性の度合いは、分子力学計算で得られた安定化エネルギーの大きさの順にほぼ一致したが、H-Siと白雲母の差を十分には説明できなかった。これは、原子ごとのパラメタを用いた分子力学では基板の物性を考慮しなかったためだと考えられる。基板の物性を考慮するためには、分子の誘電率を導入したLifshitz理論を用いれば、実験結果を説明できることが判明した。

 有機薄膜形成時の動的過程を明らかにし、有機薄膜成長をより高度に制御する道を見いだすために、パルス化した分子線を用いて薄膜成長を行った。実験はパルスの幅、サイクル時間を変えつつ一定の分子線を照射し、原子間力顕微鏡観察により、形成された結晶核の密度を測定した。用いた有機物質はキナクリドン(C20H12N2O2;QA)とAlq3(C27H18AlN3O3)で、基板物質にはNaClとKClを用いた。クヌッセンセルからの分子線は、回転チョッパによりパルス化した。

 観察される核密度は、一定の面積に形成される安定な核の数である。入射するモノマーがその滞在時間内に他のモノマーと会合し、臨界核以上の大きさの核になると、安定な核になる。すなわち生成する安定核の数は、臨界核の大きさとモノマーの供給の程度により調節されることになる。

 パルスのサイクル時間を適切に選ぶと、基板がKClの場合にのみQAの核成長が観察され、NaCl上にはまったく核成長が起こらないことが見い出された。この結果は、分子線のパルス化により、対象物質の完全な基板選択性が実現できることを意味している。NaCl上にQAの核形成が起こらなかったのは、基板上のモノマーの短い寿命のため核に成長するのに必要な臨界核が形成するまえに基板から脱離したためだと思われる。Alq3の場合は、サイクル時間を種々調節しても、NaCl基板上のAlq3の核密度をゼロにすることはできなかった。QAと異なってAlq3の場合toffの時間が長い場合でも核が形成されたのは、QAより核形成が速やかに起こるためだと考えられる。NaCl基板上で形成されたAlq3のクラスターの大きさを調べた結果、サイクル時間が長くなるにつれクラスターの大きさは短くなった。またクラスターの大きさの分布を制御することも可能であることがはっ瞑した。すなわちAlq3の薄膜においてはサイクル時間を変えることにより、クラスターの大きさを揃えたり、その長さを制御することが可能であることが分かった。

 以上述べたように,本論文によって,蒸気圧の高い有機物質についてもMBE法によりエピタキシャル薄膜を作製する道が拓かれた。また、パルス化した分子線を用いることにより、有機薄膜の成長をより高度に制御する可能性が明らかにされた。なお、本論文の第3〜5章は、島田敏宏氏、櫻井正敏氏、および小間篤氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって,博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有すると認める。

UTokyo Repositoryリンク