1.YBa2Cu3Ox研磨面の光電子分光 YBa2Cu3Ox(Y123)表面は室温で約10Åにわたりバルクと異なる状態を持つとされる.この表面状態を調べるため,表面粗さが単位胞(10Å)程度に制御されたY123(001)研磨面を用い実験をおこなった.測定は試料に対する測定角度を変えたX線光電子分光(XPS,Mg-K(hv=1253.6eV))による.この測定では内殻準位のスペクトルからバルク由来と表面由来のピークが分離できる.
研磨後の内殻準位スペクトルには不純物である炭素のピークが存在し,すべての構成元素のスペクトルに表面とバルクを示すピークが併存した,この後,HCl/MeOH処理,酸素熱処理,活性酸素熱処理をおこなうことによって不純物が減少し,一部の構成元素の内殻準位スペクトルでピークが単一化して,表面とバルクの状態が部分的に一致した.この時,処理の手法によりピークが単一になる構成元素は異なった.これはこの物質が層状物質で,処理に対する安定性が層によって異なるためと思われる.
2.の光電子分光 (Hg1201)は最適ドープ(p=0.16)でTc〜97Kの超伝導物質である.酸化物超伝導体ではCuO2面が超伝導を担うとされるが,Hg1201のTcの値は単位胞中CuO2面を一枚持つ物質中最高である.キャリアドープに対するスペクトルの変化を調べるために,酸素量を調節した多結晶試料を測定した.実験はXPSおよび紫外線光電子分光(UPS,(HeI(hv=21.2eV),HeII(hv=40.8eV)))による.バルクと一致した表面を得るため,試料を低温に冷却しin situでやすりがけをおこなった.得られたスペクトルに対し,標準としての金を用いて結合エネルギーを補正し,フェルミ準位近傍のHeIによる測定ではHeI・の影響によるスペクトル変化分を補正した.
図1の価電子帯のHeIスペクトルを見ると9eV付近にピークがある.これは他のHgを含まない酸化物超伝導体では表面特有の(バルクとは異なる)状態を表しているとされる.しかし,Hg5dの光イオン化衝突断面積が大きい他の光源(HeII,Mg-K)による測定では,このピークは強度を増している.このことから,このピークがHg5dによるもので,得られたスペクトルはバルクの状態を表していると考えられる.さらに表面安定性を確認するために,105KでXPSにより内殼準位を測定し,構成元素のスペクトルが単一でかつ不純物がないことを観測した.光電子の脱出深さから考えて最も表面敏感なHeIIスペクトルの形状は,実験をおこなった20-205Kの範囲で変化しなかった.この結果はこの温度範囲で表面状態が安定であることを示唆する.
図1.最適ドープ試料における105Kでの価電子帯スペクトルの光源依存性. 内殼準位スペクトルのキャリア濃度依存性を測定すると,その形状は変化しないが,ピーク位置のシフトが観測された.図2にスペクトルから求めたピーク位置のキャリア濃度依存性を示す.図2より,Cu2pスペクトルでのピーク位置はキャリアの増加に対して高結合エネルギー側にシフトしている.これに対して,Cu2p以外のスペクトルではシフトの向きが逆である.Cu2pでのシフトはキャリアの増加に伴う価電子数の増大に対応していると思われるが,Cu2p以外でのシフトは価電子数の変化から説明できない.一般に内殻準位スペクトルでのシフトは価電子数の変化,ギャップの有無,フェルミ準位(EF)での状態密度の変化などに依存するとされる.Hg5dスペクトルの測定からTcの上下でピーク位置は変わらず,上述の変化はTcに影響されないことがわかった,これから考えると,図2でのCu以外でのシフトはEFでの状態密度の変化に対応していると思われる.図2からCu以外でのシフトのキャリア濃度に対する傾きは低ドープ領域(p<0.16)では緩慢で,高ドープ領域では急峻になっていることがわかる.UPSより得られたEF近傍でのスペクトル強度のキャリア濃度依存性を調べると,その強度は低キャリア濃度試料で抑えられており,上述のシフトと関連があることを示す.
図2.各内殼準位スペクトルでのピーク位置のキャリア濃度依存性.Hg5dは105KでのHeII,その他は105KでのMg-Kを光源としている.ピーク位置は最適ドープ試料を0としている. 図3にEF近傍のUPS(HeI)スペクトルのキャリア濃度依存性を示す.測定は20Kで,このときの分解能は〜30meVである.これらのスペクトルは0.5eVで規格化されている.これより高結合エネルギーではキャリア濃度による相違は見られなかった(図3挿入図).図3より,低キャリア濃度試料ではスペクトルの強度は弱いが,キャリア濃度の増加に伴い,スペクトル強度が増加し,その形状が通常の金属を示すFermi-Dirac分布関数に近づくことが確認される.この結果は他の超伝導体で報告されている結果と一致している.各キャリア濃度試料においてスペクトルの温度依存性を測定すると,それぞれの形状は〜0.1eVより高結合エネルギー領域では大きく変化していない.
図3.20KでのUPS(HeI)によるスペクトルのキャリア濃度依存性.0.5eVで規格化.図中は価電子スペクトルのキャリア濃度依存性. 図4a)に最適ドープ試料における150meVより低結合エネルギーでのスペクトルの温度依存性を示す.スペクトルは150meVで規格化されている.図4a)のスペクトルでは吸収端の中点が通常の金属(図4c))より高結合エネルギー側にシフトしているのが確認される.このスペクトルの形状は通常の金属とは異なるが,Fermi-Dirac分布関数に任意のガウス関数を畳みこませてそのシフト量を見積もるフィッティングをおこなうと(図4a)),その値は温度によらず〜10meVと見積もられた.これはTcの上下で同じ様なギャップがあることを示している.このギャップはTc以下では超伝導ギャップ,Tc以上では擬ギャップに対応していると考えられる.また図4b)に示すように,スペクトルの交点は通常の金属とは異なりフェルミ準位より下にあり,その値は-8meVである.これも同様にギャップの存在を示すと思われる.
超伝導ギャップは波数依存性を持つとされるため,上述の手法により求めたシフトの値はギャップの平均値となる.実際の超伝導ギャップの大きさを見積もるために,図4a)のスペクトルを金のスペクトルで割って,温度因子が除かれた状態密度に対応するスペクトルを求めた.これから求めた超伝導ギャップの大きさは30-40meVとなった.これは他の実験手法から求められた超伝導ギャップの大きさと比較して妥当な値である,他のキャリア濃度試料において20Kで測定したスペクトルに前述のフィッティングをおこなって超伝導ギャップを求めると,ほとんどの試料で最適ドープ試料と同程度のシフトが見積もられたが,最も低キャリア濃度試料(p=0.11)だけはシフト量が0と見積もられた.これは低ドープ領域でEF近傍のスペクトルの強度が弱いため,その形状がFermi-Dirac分布から外れることに起因すると思われる.また図4a)のスペクトルをHg1201と似た結晶構造を持つLa2-xSrxCuO4での報告例と比較するとその形状は類似しており,上述のシフトの値はそれぞれのTcの違いのみで説明できる.
図4a).最適ドープ試料でのEF近傍のUPS(HeI)スペクトルの温度依存性.実線はフィッティング(文中)を表す.b)はそのフィッティングの,c)は金のスペクトルの,温度依存性を示す.150meVで規格化. 以上より,Hg1201は表面が安定で,表面状態はバルクと一致していると考えられる.またCu以外の内殻準位スペクトルでのピーク位置シフトのキャリア濃度に対する傾きは一定でない.これはEF近傍でのスペクトル強度変化に対応していると思われる.さらにEF近傍には温度依存しない10meV程度のシフトがある.これはTcより上で超伝導ギャップと同程度の擬ギャップがあり,かつ両者が連続的につながっていることを示唆する.