学位論文要旨



No 115015
著者(漢字) 内山,裕士
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,ヒロシ
標題(和) 酸化物超伝導体における表面・バルクの光電子分光の研究
標題(洋)
報告番号 115015
報告番号 甲15015
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3779号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 教授 上田,寛
内容要旨

 光電子分光は波数依存性を持った超伝導ギャップ,転移温度(Tc)以上の擬ギャップの観測等,酸化物超伝導体の物性を明らかにする上で大きな役割を果たしている.

 この分光法は表面敏感な手法であり,バルクの物性に関する情報を得るためには表面とバルクの状態が一致する必要がある.本研究では,1)表面が不安定でバルクと異なる状態を持つYBa2Cu3Oxについてバルクに近い表面状態をつくること,2)表面が安定と思われるについてバルクの物性を明らかにすること,を目的として光電子分光による研究をおこなった.

1.YBa2Cu3Ox研磨面の光電子分光

 YBa2Cu3Ox(Y123)表面は室温で約10Åにわたりバルクと異なる状態を持つとされる.この表面状態を調べるため,表面粗さが単位胞(10Å)程度に制御されたY123(001)研磨面を用い実験をおこなった.測定は試料に対する測定角度を変えたX線光電子分光(XPS,Mg-K(hv=1253.6eV))による.この測定では内殻準位のスペクトルからバルク由来と表面由来のピークが分離できる.

 研磨後の内殻準位スペクトルには不純物である炭素のピークが存在し,すべての構成元素のスペクトルに表面とバルクを示すピークが併存した,この後,HCl/MeOH処理,酸素熱処理,活性酸素熱処理をおこなうことによって不純物が減少し,一部の構成元素の内殻準位スペクトルでピークが単一化して,表面とバルクの状態が部分的に一致した.この時,処理の手法によりピークが単一になる構成元素は異なった.これはこの物質が層状物質で,処理に対する安定性が層によって異なるためと思われる.

2.の光電子分光

 (Hg1201)は最適ドープ(p=0.16)でTc〜97Kの超伝導物質である.酸化物超伝導体ではCuO2面が超伝導を担うとされるが,Hg1201のTcの値は単位胞中CuO2面を一枚持つ物質中最高である.キャリアドープに対するスペクトルの変化を調べるために,酸素量を調節した多結晶試料を測定した.実験はXPSおよび紫外線光電子分光(UPS,(HeI(hv=21.2eV),HeII(hv=40.8eV)))による.バルクと一致した表面を得るため,試料を低温に冷却しin situでやすりがけをおこなった.得られたスペクトルに対し,標準としての金を用いて結合エネルギーを補正し,フェルミ準位近傍のHeIによる測定ではHeIの影響によるスペクトル変化分を補正した.

 図1の価電子帯のHeIスペクトルを見ると9eV付近にピークがある.これは他のHgを含まない酸化物超伝導体では表面特有の(バルクとは異なる)状態を表しているとされる.しかし,Hg5dの光イオン化衝突断面積が大きい他の光源(HeII,Mg-K)による測定では,このピークは強度を増している.このことから,このピークがHg5dによるもので,得られたスペクトルはバルクの状態を表していると考えられる.さらに表面安定性を確認するために,105KでXPSにより内殼準位を測定し,構成元素のスペクトルが単一でかつ不純物がないことを観測した.光電子の脱出深さから考えて最も表面敏感なHeIIスペクトルの形状は,実験をおこなった20-205Kの範囲で変化しなかった.この結果はこの温度範囲で表面状態が安定であることを示唆する.

図1.最適ドープ試料における105Kでの価電子帯スペクトルの光源依存性.

 内殼準位スペクトルのキャリア濃度依存性を測定すると,その形状は変化しないが,ピーク位置のシフトが観測された.図2にスペクトルから求めたピーク位置のキャリア濃度依存性を示す.図2より,Cu2pスペクトルでのピーク位置はキャリアの増加に対して高結合エネルギー側にシフトしている.これに対して,Cu2p以外のスペクトルではシフトの向きが逆である.Cu2pでのシフトはキャリアの増加に伴う価電子数の増大に対応していると思われるが,Cu2p以外でのシフトは価電子数の変化から説明できない.一般に内殻準位スペクトルでのシフトは価電子数の変化,ギャップの有無,フェルミ準位(EF)での状態密度の変化などに依存するとされる.Hg5dスペクトルの測定からTcの上下でピーク位置は変わらず,上述の変化はTcに影響されないことがわかった,これから考えると,図2でのCu以外でのシフトはEFでの状態密度の変化に対応していると思われる.図2からCu以外でのシフトのキャリア濃度に対する傾きは低ドープ領域(p<0.16)では緩慢で,高ドープ領域では急峻になっていることがわかる.UPSより得られたEF近傍でのスペクトル強度のキャリア濃度依存性を調べると,その強度は低キャリア濃度試料で抑えられており,上述のシフトと関連があることを示す.

図2.各内殼準位スペクトルでのピーク位置のキャリア濃度依存性.Hg5dは105KでのHeII,その他は105KでのMg-Kを光源としている.ピーク位置は最適ドープ試料を0としている.

 図3にEF近傍のUPS(HeI)スペクトルのキャリア濃度依存性を示す.測定は20Kで,このときの分解能は〜30meVである.これらのスペクトルは0.5eVで規格化されている.これより高結合エネルギーではキャリア濃度による相違は見られなかった(図3挿入図).図3より,低キャリア濃度試料ではスペクトルの強度は弱いが,キャリア濃度の増加に伴い,スペクトル強度が増加し,その形状が通常の金属を示すFermi-Dirac分布関数に近づくことが確認される.この結果は他の超伝導体で報告されている結果と一致している.各キャリア濃度試料においてスペクトルの温度依存性を測定すると,それぞれの形状は〜0.1eVより高結合エネルギー領域では大きく変化していない.

図3.20KでのUPS(HeI)によるスペクトルのキャリア濃度依存性.0.5eVで規格化.図中は価電子スペクトルのキャリア濃度依存性.

 図4a)に最適ドープ試料における150meVより低結合エネルギーでのスペクトルの温度依存性を示す.スペクトルは150meVで規格化されている.図4a)のスペクトルでは吸収端の中点が通常の金属(図4c))より高結合エネルギー側にシフトしているのが確認される.このスペクトルの形状は通常の金属とは異なるが,Fermi-Dirac分布関数に任意のガウス関数を畳みこませてそのシフト量を見積もるフィッティングをおこなうと(図4a)),その値は温度によらず〜10meVと見積もられた.これはTcの上下で同じ様なギャップがあることを示している.このギャップはTc以下では超伝導ギャップ,Tc以上では擬ギャップに対応していると考えられる.また図4b)に示すように,スペクトルの交点は通常の金属とは異なりフェルミ準位より下にあり,その値は-8meVである.これも同様にギャップの存在を示すと思われる.

 超伝導ギャップは波数依存性を持つとされるため,上述の手法により求めたシフトの値はギャップの平均値となる.実際の超伝導ギャップの大きさを見積もるために,図4a)のスペクトルを金のスペクトルで割って,温度因子が除かれた状態密度に対応するスペクトルを求めた.これから求めた超伝導ギャップの大きさは30-40meVとなった.これは他の実験手法から求められた超伝導ギャップの大きさと比較して妥当な値である,他のキャリア濃度試料において20Kで測定したスペクトルに前述のフィッティングをおこなって超伝導ギャップを求めると,ほとんどの試料で最適ドープ試料と同程度のシフトが見積もられたが,最も低キャリア濃度試料(p=0.11)だけはシフト量が0と見積もられた.これは低ドープ領域でEF近傍のスペクトルの強度が弱いため,その形状がFermi-Dirac分布から外れることに起因すると思われる.また図4a)のスペクトルをHg1201と似た結晶構造を持つLa2-xSrxCuO4での報告例と比較するとその形状は類似しており,上述のシフトの値はそれぞれのTcの違いのみで説明できる.

図4a).最適ドープ試料でのEF近傍のUPS(HeI)スペクトルの温度依存性.実線はフィッティング(文中)を表す.b)はそのフィッティングの,c)は金のスペクトルの,温度依存性を示す.150meVで規格化.

 以上より,Hg1201は表面が安定で,表面状態はバルクと一致していると考えられる.またCu以外の内殻準位スペクトルでのピーク位置シフトのキャリア濃度に対する傾きは一定でない.これはEF近傍でのスペクトル強度変化に対応していると思われる.さらにEF近傍には温度依存しない10meV程度のシフトがある.これはTcより上で超伝導ギャップと同程度の擬ギャップがあり,かつ両者が連続的につながっていることを示唆する.

審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章では本研究の背景について、第2章では本研究の測定装置について、第3章では光電子分光スペクトルの数学的処理法と経験則について、第4章ではYBa2Cu3Ox試料表面の清浄化手法ついて、第5章ではの電子状態ついて、そして第6章では本研究のまとめについて述べられている。

 光電子分光は今まで、波数依存性を持った超伝導ギャップ、転移温度(Tc)以上の擬ギャップの観測等、酸化物超伝導体の物性を明らかにする上で大きな役割を果たしてきた。この分光法は表面敏感な手法であり、バルクの物性に関する情報を得るためには、試料表面のごく近傍までバルクに近い物性を有する試料が必要になる。本研究では、1)表面が不安定でバルクと異なる表面状態を持ち易いYBa2Cu3Ox試料について、バルクに近い完全表面を持つ試料を作製する方法を確立すること、2)表面が安定だと思われる試料を用いて、そのバルクの物性に関する知見を得ること、を目的として光電子分光手法による実験的研究を進めた。

 まず実用上も重要なYBa2Cu3Ox(Y123)試料について、できるだけ完全な表面を実現する目的で、表面粗さが単位胞程度に制御された研磨面を有するY123(001)試料を用いて実験をおこなった。研磨後の内殼準位スペクトルには、不純物である炭素のピークが存在し、すべての構成元素のスペクトルに表面とバルクからの寄与を示す2つのピークが観測された。HCl/MeOH処理、酸素熱処理、活性酸素熱処理をおこなうことによって不純物が減少し、一部の構成元素の内殼準位スペクトルのピークが単一化して、表面とバルクの状態が部分的に一致し、かなり完全に近い表面を得ることに成功した。ピークが単一になる構成元素は、処理の手法により異なった。これはY123が層状物質であり、安定な層が処理によって異なるためであると考えられる。

 (Hg1201)は、最適ドープで転移温度がTc〜97Kとなる超伝導物質である。酸化物超伝導体ではCuO2面が超伝導を担うとされるが、Hg1201のTcの値は、単位胞中にCuO2面を一枚のみ持つ物質の中で最高である。キャリアドープに対するスペクトルの変化を調べるために、酸素量を調節した多結晶試料について測定した。実験はX線光電子分光(XPS)および紫外線光電子分光(UPS)によった。できるだけバルクに近い表面を得るため、試料を低温に冷却し超高真空下でやすりがけをおこなった。

 価電子帯のHeIスペクトルには、9eV付近にピークが見られた。このピークははHgを含まない他の酸化物超伝導体では、表面特有の(バルクとは異なる)状態に起因していると言われている。しかし、Hg5dの光イオン化衝突断面積が大きい光源(HeIIないしMg-Ka)による測定では、その強度は増大し、このピークがHg5dに由来することを示しており、得られたスペクトルはほぼバルクの状態を反映していると考えるのが妥当である。さらに表面安定性を確認するために、XPSにより内殻準位を測定し、構成元素のスペクトルが単一でかつ不純物がないことを観測した。また光電子の脱出深さから考えて最も表面敏感なHeIIスペクトルの形状も、実験をおこなった20-205Kの範囲で変化しなかった。この結果はこの温度範囲で表面状態が安定であることを意味している。

 フェルミ面近傍でのUPS(HeI)スペクトルのキャリア濃度依存性を、20Kで、分解能〜30meVで測定した。その結果、高結合エネルギーではキャリア濃度による相違は見られなかった。一方、最適ドープ試料における150meVより低結合エネルギーでのスペクトルの温度依存性を調べた結果、吸収端の中点が通常の金属より高結合エネルギー側にシフトしていることが判明した。スペクトルの形状は通常の金属とは異なるが、フェルミ-ディラック分布関数に任意のガウス関数を畳みこませてそのシフト量を見積もると、その値は温度によらず〜10meVと見積もられた。これはTcの上下でほぼ同一のギャップがあることを示している。このギャップはTc以下では超伝導ギャップ、Tc以上では擬ギャップに対応していると考えられる。またスペクトルの交点は通常の金属とは異なりフェルミ準位より下にあり、その値は〜8meVであった。これも同様にギャップの存在を示すと思われる。

 以上述べたように、本論文によって、応用上も重要なY123試料について、完全表面に近い表面を実現する道が拓かれた。またHg1201試料については、バルクに近い表面が得られて、光電子分光測定からフェルミ面近傍で温度に依存しない10meV程度のシフトを見出した。これはTcより上で超伝導ギャップと同程度の擬ギャップが存在し、かつ両者が連続的につながっていることを示唆している。なお、本論文の第4章および第5章は、胡尉之氏、山本文子氏、田島節子氏、齋木幸一朗氏、小間篤氏、田中延枝氏、座間秀昭氏、森下忠隆氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有すると認める。

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