本論文は6章からなる。第1章は序論であり、本論文の主題である金属電極表面上でのハロゲン吸着構造の研究の意義が述べられている。ハロゲン吸着は水和イオン状態での吸着と異なり、化学結合力によるものとされ、これまでにも様々な構造解析が行われている。しかし、これらは専ら長距離秩序を観ているものであり、化学結合状態を直接調べる上ではX線吸収微細構造(XAFS)分光が優れた手段であることを述べている。また、電極表面と超高真空中での金属表面ハロゲン吸着との類似点、相違点も興味のある課題であり、これについてもXAFSが有効な手段として活用できることを述べている。 第2章は実験に用いたXAFSとSTMについてその測定の原理と得られる情報が述べられている。 第3章では、Ag(100)およびAg(111)面上Br吸着のin situ XAFS研究について、その実験と得られた結果が詳細に記述されている。電極表面in situ XAFS実験のために、S-偏光、p-偏光での全反射XAFS測定可能な実験装置が開発された。この装置では、in situでサイクリックボルタモグラム(CV)の測定も可能にしている。Br/Ag(100)系では-0.6Vより正側で無秩序相からc(2x2)対称性を持つ秩序相への転移が起こる。この秩序相でのBrの局所構造をBr K-XAFSによって解析した。その結果、Brはfourfold hollowサイトに吸着し、Agとの結合距離R(Br-Ag)=2.82Åで、バルク臭化銀の2.89Åより短く、共有結合性が強いことを示している。一方、Br/Ag(111)系ではCVに-0.8Vの幅広いピークと-0.05Vの鋭いピークが現れる。CVの電位に対するBr-K吸収端の高さの変化から表面のBr濃度を見積もると、-0.05VのピークはBrがさらに吸着したのではなく、表面での再構成によるものであることを示唆している。Br K-XAFSを-0.05Vのピークの前後で測定し、それぞれの構造を解析した。その結果、ピークより下では、threefold hollowサイトに吸着した構造をとるが、ピークより上ではAg原子がBr原子の高さまで移動し、表面にAgBrの前駆状態を形成した構造をとることを明らかにした。 第4章では、LEEDと超高真空STMによるBr/Ag(100),Ag(111)の観察について記述している。清浄なAg単結晶表面に臭素ガスを被覆量を制御してドースし、LEED観測によって表面周期構造を調べ、それぞれのLEED構造に対応するSTM像の観察を行っている。Br/Ag(100)飽和吸着はc(2x2)構造を示し、第3章で述べた電極界面上と同じ構造を示すことが分かった。一方、Br/Ag(111)系では、被覆量を増すと(劫3x劫3)R30°構造から(3x3)構造へと相転移を起こす。両者が混在した状態のSTM像では、基板の原子像が見えている部分と(3x3)相の像が観察された。このことは(劫3x劫3)R30°相はSTMでは観測できないほどBrが動きやすいことを示している。一方、(3x3)相は6回対称格子を基本にして、Br原子がその周囲をわずかに揺動している吸着構造であり、従来から提唱されているハニカム構造ではないことを明らかにした。 第5章では、超高真空下、Cl/Ag(100)系で水が共存することで表面局所構造がどのように変わるかをCl K-XAFS測定によって調べた結果を記述している。まず、c(2x2)Cl/Ag(100)のClの局所構造を解析し、これまで報告されているClの吸着構造を再確認した。そして、この上に水を数層吸着させた系でのCl K-XAFS測定から、大きな構造変化が起きていること、これは表面の一部がAgClに変わったためとして解釈できることを示している。そして、このような変化を擬似的な電極界面と考え、塩素吸着によって界面の電極電位が高くなり、吸着した水の相の中に銀がイオン化して溶けだした後、部分的に表面にAgCl相を形成するとして解釈している。 本論文は銀電極上の臭素、塩素が吸着した特異な化学結合状態を、自ら設計製作した電気化学セルを用いてXAFS法によって調べたものであり、電極界面での結合の様子を初めて明らかにしたものとして、電気化学への寄与は大きい。 なお、本論文は太田俊明、横山利彦、近藤寛、木口学、伊藤正時、与名本欣樹等との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |