OHラジカルは対流圏において,あらゆる自然・人為起源の微量成分の酸化・除去過程を開始する。HO2ラジカルはその酸化過程で生成し、NOやO3との反応でOHに戻される一種のOH貯留形態である。こうした過程のなかで、地球温暖化を促すメタンや代替フロン類は除去され、光化学スモッグの主原因物質である対流圏オゾンが生成/消失することなどから、HOx(OH/HO2)はあらゆる地球環境問題と関わりをもつ、大気化学の議論には欠かせない活性化学種であるといえる。このような重要性にも関わらず、それらは非常に低濃度であるため測定は難しく、濃度報告例は近年の数例に限られている。また、それらが実測されたときでも、その濃度レベル・変動は既知の大気化学反応によって十分記述されない場合が多く、挙動は十分把握されていない。そこで本研究では、レーザー誘起蛍光法を用いた対流圏OH/HO2ラジカル測定装置を開発し、その装置を清浄な海洋性大気中に持ち出し、濃度観測を行った。また、同時に観測された他の化学種濃度や太陽光強度データを用い、既知の大気化学反応機構に基づいて、これらのラジカル濃度を推定するモデル計算を行った。この計算結果を実測濃度と比較することにより、現在までの大気化学過程に関する知識が十分であるかどうか検討した。 開発した装置の概要を図1に示す。蛍光測定セルには直径1mmのピンホールを通して実大気が導入され、セル内圧は2.2Torrに保たれる。そこに308nmのパルスレーザー光(1kHz,ダイオード励起Nd:YAGレーザー2倍波励起色素レーザー2倍波、パルス幅10nsec)を照射し、OHラジカルをA-X(0,0)バンドQ1(2)線で励起する。レーザー照射よりやや遅れて発せられる同波長の蛍光(寿命約200nsec)をタイムゲートをかけた光電子増倍管により測定する。大気中HO2ラジカルを測定するため、実大気導入孔の直下にNO導入口を設け、HO2+NO→OH+NO2の反応を利用してOHへ変換後測定できるようにした。検出感度の向上・ノイズとなる背景光の低下という観点から最適化を行った。導入された大気に径の大きい(5mm)レーザービームを一度だけ作用させるシングルパスの採用、セル中央から発せられる蛍光が光電面上に焦点を結ぶような集光レンズ系の利用、光電面での実効的な量子効率の高い、ダイノードスイッチング方式の光電子増倍管の採用が特に大きな成果をあげ、検出下限(積算時間1分)を2x106(radicals cm-3)(0.1pptv)まで低下させることに成功した。 図1 LIF法を用いたOH/HO2ラジカル測定装置の概要。 LIF装置を校正するために、水蒸気の光分解で生成したOHを予めレーザー長光路吸収測定により濃度決定後LIF装置に導入するシステムを用いた。吸収・励起同時スペクトルを測定し決定された感度は、当研究室で開発された酸素・水蒸気同時光分解法に基づく校正法から得られた感度と一致し、より確かな濃度決定が可能となった。 実大気測定に備え、一台のコンピュータで蛍光測定・レーザー強度測定・波長制御・NO流量制御などを行えるよう、装置を自動化した。OH線上に波長を固定してNOの添加/非添加でHO2/OHを測定するモード、波長をOH線から外しレーザー散乱光と太陽散乱光とからなる背景光を測定するモードの3モードを自動的に切り換え(図2)、背景光の寄与を減じて得られた蛍光シグナル量を基にHOx濃度を算出できるようにした。Q1(2)線の精確な波長位置を知るためにもう一つの蛍光測定セル(波長参照セル)を準備した。セル内では水蒸気の熱分解で過剰濃度のOHを生成させておき、レーザー光の一部を通過させて蛍光測定できるようにし、励起スペクトルを随時観測できるようにした。 図2.自動測定生データ例。レーザー波長を掃引しながら参照セルで励起スペクトルを観測(下、網掛)。極大値を記憶し、2度目の掃引中に極大値×0.95以上のシグナルが得られたところで波長をロック(↓)。NOをon/offしてHOx,OHを測定、最後に波長を外して背景光(BG)を測定(上)。この全手順(約10分)を繰り返す。 98年7-8月には島根県隠岐に、99年7-8月には沖縄本島辺戸岬に装置を設置し、清浄海洋性大気中でのHOxラジカル集中観測を行った。期間中には同時に、O3,CO,非メタン炭化水素、NO/NO2,アルデヒド類、酸性ガス、J(NO2),J(O1D)(それぞれ太陽紫外光により大気中NO2が光分解する速度、オゾンが光分解しO(1D)を与える速度)などが測定された。蛍光測定セルは地上約5mの屋外高所に設置し、大気の現場分析を行った。屋内に設置したレーザーから蛍光セルへの励起光伝送に光ファイバーを用いることにより、レーザー照射光軸のドリフトを防ぎ、ラジカル検出感度の安定化に成功した。これらはアジア域では初めてのHOxラジカル測定に相当する。また、豊富な水蒸気・陸上植物起源炭化水素を含む大気中でHOxラジカルの挙動を把握することは全球的にみて重要と考えられるが、これまでに報告例がない。 98年隠岐集中観測の段階での装置の検出下限は0.8ppt(2x107 radicals cm-3)程度であったため、OHは検出不能であったが、12日間に渡り1430点のHO2濃度データ(1点は50秒積算値)を得ることができた。図3に8月6日、8月9-10日に得られたHO2濃度日変化を示す。濃度は日中に約10pptの極大を示し、J(O1D)の変化とよく対応したことから、清浄大気中ではO3光分解経由で主にHOxが生成するというこれまでの理解の妥当性が定性的には示された。しかしながら、同時に測定された化学種濃度と太陽光強度を用い、既知の大気化学反応メカニズムに基づいてOH/HO2定常濃度一時間値を推定するモデル計算を実施し、定量的に実測値と比較したところ、よい一致が見られる日は8月9日のみで、その他の日は特に日中に計算値が2倍程度過剰となった。8月9日はモデルがHO2生成・消失過程をよく記述していると考えられた。その他の日にみられた計算値過剰は、現在の大気化学の知見が十分でなく、未知の重要なHOx消失過程があることを示唆している。モデル計算に仮想的にHO2消失反応を追加し、濃度を実測値まで減少させるのに必要な消失速度を各時間で算出した。その変動は、同時に測定された水蒸気濃度・モデルで計算されたカルボニル化合物濃度(炭化水素の光化学的酸化で生成する)と良く相関した。このことから、共存する水蒸気がエアロゾル表面上での不均一過程や気相均一過程によるHO2消失を加速している可能性や、未知のHO2消失過程に光化学生成物質が関与している可能性が指摘された。特にHO2-H2O錯体の反応やHO2とカルボニル化合物の反応速度を実験室的研究により明らかにする必要性が指摘された。 図3 98年8月6日、8月9-10日に隠岐で観測されたHO2濃度(○)とモデル計算によるHO2濃度(■)の比較。J(O1D)(灰色線)を参照として示した。 一方、8月9-10日の夜間には、約3pptもの高濃度でHO2が観測された。同様のモデル計算によってこのHO2濃度レベルは非常に良く再現された。モデルから算出されたHO2ラジカル生成プロセスを図4に示す。OH+CO/HCHO,オゾン-オレフィン反応,RO2(有機過酸化ラジカル)+NOの3つに大別されるが、このうちラジカルの初期生成過程はオゾン-オレフィン反応のみであり、その重要性が指摘された。また、土壌から発生していると考えられるNO(約10ppt)により、RO2+NOの反応が進みHO2濃度が高く保たれていることも明らかとなった。NO3ラジカルによる酸化過程は、この夜間に関しては相対的重要度が低いと考えられた。オゾン-オレフィン反応によるラジカル生成の重要性が観測から示されたのは初めてである。この過程により夜間にHO2濃度が高く保たれるのは地表付近に限られるが、自然からのNO・オレフィン放出が盛んな亜熱帯・熱帯域ではこのプロセスが重要である可能性が指摘された。 図4 HO2生成過程。(OLT,OLIは炭素鎖終端,内部に二重結合を持つオレフィン.ETHP,OLTPはエタン,OLTから生成する有機過酸化ラジカル) 99年沖縄辺戸岬集中観測中の装置の検出下限は約0.15ppt(4x106 radicals cm-3)であり、より詳細なHO2濃度変動が解析可能となるとともに、一時間積算値からOH濃度レベルを捕らえることに成功した。図5に期間中の平均OH濃度・HO2濃度日変化を示す。HO2の日中極大濃度は約17pptであり、OHは5x106 radicals cm-3以下であった。HO2濃度/OH濃度比は約30-200と推定された。隠岐の場合と同様のモデル計算を行ったところ、早朝および日中に数回みられた高濃度を除いては、HO2濃度は誤差範囲内でよく再現された。OHはやや実測値が高かったが、不確かさの範囲内と考えられた。高いHO2濃度から推察されるように、日中の光化学活性は非常に高いと考えられた。特にオゾンの光化学的生成量は一日で20ppbにものぼると推定された。 辺戸岬においても夜間に1-5pptの濃度でHO2が測定された。8/9-10の夜間に関しては、濃度変動パターンをモデルがほぼ再現したが平均濃度レベルは実測の方がやや高かった。8/7-8の夜間に関しては、NO2濃度と連動するHO2濃度変動がみられたが、この特徴はモデルにより再現できず、HO2とHNO4の交換がモデルでよく記述されていない可能性が示唆された。 図5 99年沖縄辺戸岬で観測された(a)OH,(b)HO2濃度の平均日変化。灰色点:1分値、黒丸:1時間値,白丸:J(O1D)1時間値。 |