学位論文要旨



No 115019
著者(漢字) 長沼,健二
著者(英字)
著者(カナ) ナガヌマ,ケンジ
標題(和) 5配位ケイ素を有する小員環化合物の合成と反応
標題(洋) Syntheses and Reactions of Small-membered Ring Compounds Containing a Pentacoordinate Silicon
報告番号 115019
報告番号 甲15019
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3783号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 市川,淳士
内容要旨

 5配位ケイ素化合物は4配位ケイ素化合物の求核置換反応に代表されるように種々の反応の中間体として考えられている化学種である。これらの反応中間体を置換基を適当に選択することによって安定に合成し、反応性について検討することは反応機構を解明する上で非常に重要である。筆者は修士課程において5配位スピロビ[1,2-オキサシレタニド]1がhomo-Brook転位反応の中間体として挙動することを見出した。一方、すでに我々の研究室では高配位化合物の安定化に有効であるMartinリガンドを用いることによりPeterson反応の中間体である5配位1,2-オキサシレタニド2の合成に成功している。これまでリンイリドを用いた類似の反応であるWittig反応の機構については多くの検討がなされているもののPeterson反応についての検討例は少ない。筆者は博士課程において、この5配位1,2-オキサシレタニドの反応について詳細な検討を行うことによりPeterson反応の機構に関する知見を得、この反応とhomo-Brook転位の関連について検討した。さらに有機ケイ素化合物における基本的な反応であるBrook転位との関連から興味の持たれる、5配位ケイ素と16族元素を含む3員環化合物として5配位チアシリラニドの合成についても検討を行った。

 

1.5配位1,2-オキサシレタニドのPeterson反応およびhomo-Brook転位反応中間体としての挙動

 -ヒドロキシアルキルシランと塩基との反応によりオレフィンを合成するPeterson反応は有用な反応として広く用いられている。一方、同様の反応をプロトン源が共存し得るような条件でおこなった場合には、シリル基の炭素から酸素への1,3-転位が起こり、続くケイ素-酸素結合の加水分解により対応するアルコールが得られる場合があることも報告されており、homo-Brook転位と呼ばれている。これらのいずれの反応も中間体として5配位ケイ素を酸素の隣接位に有する4員環化合物である5配位1,2-オキサシレタニドが考えられていた。Peterson反応に関してはすでに当研究室において5配位1,2-オキサシレタニド2が同反応の中間体としての挙動を示すことが見いだされたが、homo-Brook転位との関連については明らかにされていなかった。そこで本研究では5配位1,2-オキサシレタニドについて、その熱分解反応生成物に対するプロトン源の効果を調べることによりPeterson反応、homo-Brook転位の関連について検討することとした。4員環の3位の置換基がそれぞれCH2-t-Bu、n-Pr、Hである2、3、4について、プロトン源としてトリフルオロエタノール、酢酸共存下での熱分解反応を検討した(Table 1)。

Table 1.Thermolysis of pentacoordinate 1,2-oxasiletanides in the presence of a proton source

 4員環の3位にネオペンチル基をもつ2ではいずれの場合にもアルコール6は全く得られなかったが、プロピル基をもつ3ではより酸性度の高い酢酸の場合にのみ少量の6の生成が認められた。さらに4員環の3位に置換基をもたない4を用いるといずれの場合にもアルコールが主な生成物として得られた。以上の検討からオレフィン生成、アルコール生成の選択性については以下のように考えられる。

 まず十分酸性度の高いプロトン源が存在しない場合にはオレフィン生成反応が進行する。これに対し酸性度の高いプロトン源が存在し、かつ4員環の3位の置換基が嵩高くない場合には、遷移状態において生成する陰電荷を帯びた炭素上へのプロトン化が起こりアルコール生成が主になる。しかしプロトン源が存在しても4員環の3位に嵩高い置換基が存在する場合には、立体障害によりプロトン化が妨げられオレフィン生成が主になると考えられる。

 

 このように5配位1,2-オキサシレタニドはプロトン源の有無、4員環の3位の置換基の嵩高さによってPeterson反応、homo-Brook転位反応のいずれの中間体としての挙動も示し得ることが明らかにできた。

2.5配位1,2-オキサシレタニドからのオレフィン生成反応の活性化パラメータ

 Peterson反応の機構については反応の立体化学、置換基の効果から検討されてきてはいるが、速度論的な検討は全く行われていない。そこで同反応の中間体である5配位1,2-オキサシレタニド2,3および4を用い、オレフィン生成反応の活性化パラメータを求め、その機構についての知見を得ようと考えた(Table 2)。

Table 2.Activation Parameters of Olefin Formation Reaction

 ここで置換基がプロピル基である3は2種のジアステレオマー3a、3bの混合物として得られ分離が困難であったため、混合物として反応に用いた。興味深いことに3の熱分解反応の過程で3a、3bの間の相互変換が観測された。この結果は2において他のジアステレオマーへの異性化が全く見られなかったことと対照的である。この3a、3b間の異性化反応の活性化エントロピーは負の値を示したことから結合の開裂を含まない擬回転(pseudorotation)機構で進行していると考えられる。

 オレフィン生成反応の活性化エンタルピーは4員環の3位の置換基が嵩高くなるにつれて減少している。これは原系における置換基の立体反発の効果を反映していると考えられる。すなわち、嵩高いアルキル基は原系を不安定化し、オレフィン生成の障壁を下げることがわかった。また活性化エントロピーについて考えるとオレフィン生成反応は1分子から2分子が生成する反応であるので正の値をとるものと予想された。しかし5配位1,2-オキサシレタニドの熱分解反応においては置換基により活性化エントロピーが負の値をとるものが存在した。この結果と3a、3bの間に異性化がみられたことを併せて考えると、オレフィン生成の過程には擬回転による位置異性化の過程が関与していることが強く示唆される。

 以上、Peterson反応の速度論的な検討を行った結果、そのオレフィン生成反応に擬回転の過程が関与していることを示すことができた。

3.5配位チアシリラニドの合成と構造

 Brook転位は-ヒドロキシアルキルシランにおける塩基存在下でのシリル基の炭素から酸素上への1,2-転位であり、この反応の中間体あるいは遷移状態として5配位オキサシリラニドが考えられてきた。このBrook転位との関連から、5配位ケイ素と16族元素を含む3員環化合物はその構造・反応性に興味がもたれるが、これまで安定な合成例は全く報告されておらず、ただ一例、5配位オキサシリラニドについての気相中での気相中での存在の可能性が報告されているのみである。そこで本研究においては、16族元素として、導入が容易であると考えられる硫黄を含む3員環化合物である5配位チアシリラニドの合成を検討することとした。ここで安定化のためのリガンドとしては、5配位1,2-オキサシレタニドの場合にも有効であったMartinリガンドを用いることとした。

 Martinリガンドを有する-メルカプトアルキルシラン7の2種のジアステレオマーの混合物に対して18-c-6存在下、水素化カリウムを作用させ、反応溶液を29Si NMRにより観測したところ5配位ケイ素化合物に特徴的な高磁場領域に新たなシグナルが観測された。このことからこの反応の生成物は5配位チアシリラニド8であると考えられたが最終的にはX線結晶構造解析によりその構造を決定した。8のSi-S間距離は2.57Åと比較的長いもののSi-C-Sの角度は87°と正四面体角から大きくずれており、十分なケイ素-硫黄間の相互作用が認められた。またケイ素周りの角度も正四面体構造から5配位の三方両錐構造に近づいており、この化合物は結晶中、溶液中のいずれにおいても5配位構造を保っていることが分かった。

 

 以上、5配位1,2-オキサシレタニドの反応性について検討を行いPeterson反応の機構に関する知見を得るとともに、この反応とhomo-Brook転位の関連について明らかにした。また、5配位ケイ素を含む3員環化合物である5配位チアシリラニドを初めて合成することに成功した。

審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章は序論、第2章は種々の置換基を有する5配位1,2-オキサシレタニドの合成と構造、第3章は5配位1,2-オキサシレタニドのPeterson反応、homo-Brook転位反応中間体としての挙動、第4章はPeterson反応の機構についての速度論的検討、第5章は5配位オキサシリラニドの合成の試み、第6章は5配位チアシリラニドの合成と反応について述べられている。

5配位1,2-オキサシレタニドのPeterson反応およびhomo-Brook転位反応中間体としての挙動

 -ヒドロキシアルキルシランと塩基との反応にはオレフィン生成(Peterson反応)、アルコール生成(homo-Brook転位)の2種の反応経路が存在する。両反応の中間体としてはいずれも5配位1,2-オキサシレタニドが考えられていた。筆者は修士課程において1がhomo-Brook転位反応の中間体として挙動することを見出した。一方、すでに筆者の研究室ではPeterson反応の中間体である5配位1,2-オキサシレタニド2の合成に成功しているが、homo-Brook転位との関連については明らかにされていなかった。そこで筆者は2-4の熱分解反応経路に対するプロトン源の効果を調べることにより両反応の関連について検討した(Table 1)。

 115019f04.gif

Table 1.Thermolysis of pentacoordinate 1,2-oxasiletanides in the presence of a proton source

 結果として4員環の3位の置換基が小さくなるにつれて、また共存するプロトン源の酸性度が高くなるにつれてアルコール生成反応が起こりやすくなっており、反応経路の選択性は下図のように考えられる。

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 以上5配位1,2-オキサシレタニドは条件によってPeterson反応、homo-Brook転位反応のいずれの中間体としての挙動も示し得ることを明らかにできた。

Peterson反応の機構についての速度論的検討

 Peterson反応の機構についてはこれまで速度論的検討は全く行われていない。そこで同反応の中間体である2-4を用い、オレフィン生成反応の活性化パラメータを求め、機構についての知見を得ようと考えた(Table 2)。

Table 2.Activation Parameters of Olefin Formation Reaction

 3は分離困難な2種の異性体3a、3bの混合物として得られたため、混合物として反応に用いた。3の熱分解反応の過程で3a、3bの間の相互変換が観測された。これは2において他のジアステレオマーへの異性化が見られなかったことと対照的である。この異性化反応はSが負の値をもつことから擬回転機構で進行していると考えられる。

 オレフィン生成反応のHは4員環の3位の置換基が嵩高くなるにつれて減少している。これは原系における置換基の立体反発の効果であると考えられる。またこの反応のSには置換基により負の値をとるものが存在した。この結果と3a、3bの間に観測された異性化を併せて考えると、オレフィン生成の過程には擬回転による位置異性化の過程が関与していることが強く示唆される。

 以上、Peterson反応の速度論的検討を行った結果、そのオレフィン生成反応に5配位中間体の擬回転の過程が関与していることを示すことができた。

5配位チアシリラニドの合成と構造

 Brook転位は-ヒドロキシアルキルシランにおける塩基存在下でのシリル基の炭素から酸素上への1,2-転位であり、中間体あるいは遷移状態として5配位オキサシリラニドが考えられてきた。この反応との関連から5配位ケイ素と16族元素を含む3員環化合物は興味がもたれるが、安定に合成された例は報告されていない。そこで筆者は、16族元素として硫黄を含む3員環化合物である5配位チアシリラニドの合成を検討することとした。

 7の2種のジアステレオマーの混合物に対して18-c-6存在下、水素化カリウムを作用させ、反応溶液を29Si NMRにより観測したところ5配位ケイ素化合物に特徴的な高磁場領域に新たなシグナルが観測された。この生成物についてはX線解析に成功し、5配位チアシリラニド8であることを明らかにできた。

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 以上、5配位1,2-オキサシレタニドの反応性について検討を行いPeterson反応の機構に関する知見を得るとともに、この反応とhomo-Brook転位の関連について明らかにした。また、5配位ケイ素を含む3員環化合物である5配位チアシリラニドを初めて合成することに成功した。

 なお、本論文第2章から4章は東京大学理学系研究科化学専攻・川島隆幸教授、日本女子大学理学部物質生物科学科・岡崎廉治教授との共同研究、また本論文第5、6章は東京大学理学系研究科化学専攻・川島隆幸教授との共同研究であるが論文提出者が主体となって、実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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