本論文は、観測スペクトルが与える振動エネルギー構造から振動波動関数を抽出し、多原子分子のもつ多様な振動形態、特に高振動励起状態における振動ダイナミクスを明らかにしている。特に代数アプローチと呼ばれる新しい数学的手法を用いて、分子高振動励起状態における複雑な振動準位構造が少ない基底関数で記述できることを見いだした。これにより、従来困難であった高振動励起状態における分子の複雑なふるまいについての理解を可能にした。 本論文は全5章から構成されており、2章ではSO2状態の振動構造を従来の振動力場展開法を用いて解明している。振動力場展開法は、基準振動という独立調和振動子を出発点とし、振動子間の相互作用を基準振動座標を用いた展開項によって表現する。状態は複雑な振動エネルギー構造を持つために基準振動による帰属が難しく、これまで適切な振動量子数の帰属が行われていなかった。振動力場展開を用いて振動エネルギー準位のフィットし、得られた振動波動関数の形状に基づいた、一般化した量子数の帰属が導入されている。状態における前期解離過程(SO2(1B2)→SO(3-)+(3P)は、その速度が振電準位によって大きく揺らぐことが知られている。得られた波動関数の節構造を調べることによってこの解離速度の揺らぎは、状態における振動波動関数と解離座標に沿った基底状態における散乱波動関数の重なり積分の大きさによって支配されていることが示された。 振動力場展開法は調和振動子を基底関数として用いるため、ハミルトニアン行列の構造が簡潔である反面、高振動励起状態を扱う場合には非常に多くの基底関数を必要とする問題点がある。Iachelloらによって導入された代数アプローチと呼ばれるハミルトニアン展開法は、非調和振動子を基底関数として用いるため、高振動励起状態を少ない基底関数を用いて表現できると期待される。第3章では、この手法をSO2電子基底状態に応用し、振動力場展開法と比較して少ない基底関数で高振動励起状態を記述できることが示されている。 この代数アプローチは、共鳴を記述するMajorana演算子の選択則によって多重項量子数(vm=va+vc)が保存する理論形式をもつために、多重項量子数を破る相互作用は表現できないという問題点がある。この問題を克服するために、第4章および第5章では代数的振動力場展開と呼ぶ新しいハミルトニアン展開法が導入されている。この手法においては、ポテンシャルおよび座標系に応じて、適切な非調和性を非調和振動子に作用する生成・消滅演算子に導入し、これを用いてハミルトニアンを展開する。このため、零次ハミルトニアンの非調和性が零の極限(調和極限)でこのハミルトニアンは、従来の振動力場展開におけるハミルトニアンに一致する。この方法を用いることによって、従来の振動力場展開法および代数アプローチの問題点を克服し、双方の利点を継承できることが示された。第4章ではこの代数的振動力場展開法をSO2電子基底状態に応用し、実測の振動エネルギー準位から高振動励起状態におけるSO2の振る舞いを明らかにした。また第5章では、この手法を直線分子に応用し、CO2基底状態の振動準位構造の記述を行った。 第6章では、この代数的振動力場展開法により得られたハミルトニアンに基づいて、SO2電子基底状態の高振動励起状態における振動波動関数の形状を調べた。特に、対称伸縮振動が励起した振動系列(v1,0,0)について系統的に節構造を調べたところv1=20付近において波動関数はローカルモードに特徴的な共鳴構造を持ち、(v1-1,0,1)の振動状態とローカルモード二重項を形成することが見出された。さらに系列(v1-2,0,2)の節構造を調べたところ、v1=20付近において一度対称伸縮振動状態を形成し、その後ローカルモードを形成することが初めて明らかとなった。 以上、論文提出者による多原子分子の高振動励起状態に関する新たな理論研究は、独創性が高いものと認められる。なお、本論文第2章は、菱川明栄、山内薫、片桐秀樹、矢崎武巳、恩田健、吉野耕一との共同研究、第3章は山内薫との共同研究、第4章および第6章は、山内薫、Francesco Iachelloとの共同研究であるが、いずれの場合にも論文提出者が主体となって理論研究を進めたものであり、その寄与は大きい。したがって、審査委員会は、論文提出者 佐甲徳栄に博士(理学)を授与できると認める。 |