学位申請者松山晃久は、分裂酵母で接合および減数分裂に関わる遺伝子ste7を解析し、この遺伝子が減数分裂に対しては促進と抑制の二面の機能を発揮するという、予期せぬ結論を得た。本学位論文はste7遺伝子産物の生理的役割の詳細な解析を中心に述べたものである。 分裂酵母の有性生殖過程は多くの遺伝子が関与する複雑な過程であり、それらの因子の機能が適切に統合されて細胞は接合・減数分裂をおこなうことができる。この過程にはRas-MAPKカスケードや三量体Gタンパク質、Aキナーゼなど、高等真核生物に広く保存されている因子が関与しており、分裂酵母の有性生殖の研究は高等真核生物のさまざまな制御機構の研究の優れたモデル系となっている。分裂酵母では有性生殖過程に欠損を生じるste変異体がこれまでに数多く単離され、それらの解析を通じて、有性生殖過程で機能している制御機構が徐々に明らかにされてきた。しかしその有性生殖のメカニズムには依然として未解明の点が多く残されている。 学位申請者は本研究において、分裂酵母のste変異株のうちこれまで未解析のまま残されていたste7変異株について、その原因遺伝子(ste7)の性格付けと産物(Ste7)の機能の解析を行った。ste7変異株は元来、接合・胞子形成の両過程に欠損を示す変異株として単離されたものであるが、これらの有性生殖過程が不能となる原因を究明したところ、ste7変異株では接合・胞子形成に必要とされる接合フェロモンのシグナルが伝達されていないことが明らかになった。この結果はSte7が接合フェロモンのシグナル伝達経路において機能していることを示すものであるが、さらに解析を進めた結果、Ste7はこの機能以外に有性生殖過程において興味深いもう一つの役割を果たしていることが見出された。すなわち、Ste7は減数分裂に不可欠な機能を果たすいっぽうで、野生株においてste7+を過剰発現させると減数分裂への移行が阻害されることが知られた。また逆にste7遺伝子を破壊すると、突然変異を利用して接合と減数分裂を誘導する実験系において、ste7が野生型である場合に比べて減数分裂の著しい昴進が観察された。転写解析および蛍光標識したSte7を用いた解析から、ste7遺伝子は有性生殖が誘導される栄養源飢餓時にのみ発現され、その遺伝子産物Ste7は細胞が接合を行おうとしている間は細胞内にほぼ均一に存在するものの、相手型細胞と細胞質が融合した後に徐々に消失しはじめ、減数分裂前DNA合成の開始時には細胞内からほぼ完全に消失することがわかった。本研究で明らかになった減数分裂に対するSte7の負の機能と考え合わせると、Ste7はまず相手型細胞との接合を促進するように働き、続いて、正しく接合過程が完了して減数分裂を開始する態勢が整うまで減数分裂過程が開始されないように、細胞の活動を調節していることが強く示唆された。 学位申請者はまた、遺伝学的な解析および2-ハイブリッドシステムを用いた解析から、ste7遺伝子産物が、分裂解母の接合および減数分裂を負に制御するセリン・スレオニンキナーゼであるpat1遺伝子産物と相互作用することを明らかにした。さらに、Ste7とPat1とのタンパク質レベルにおける機能相関を調べたところ、分裂酵母より精製したSte7タンパク質の添加により、Pat1のキナーゼ活性が部分的に抑えられることが見出された。pat1温度感受性変異株を用いた解析から、Pat1は接合時に部分的に不活化され、減数分裂開始時に完全に不活化される可能性が提唱されている。減数分裂開始の際に働くPat1キナーゼ阻害タンパク質はすでに同定されているが、接合時にPat1を不活化する機構の実体あるいはその存否は未解明であり、本研究で得られたSte7の解析結果は、栄養源枯渇時にSte7がPat1キナーゼを部分的に不活化することによって接合を促進している可能性を提起するものである。 以上、松山晃久は分裂酵母ste7遺伝子を解析し、その産物が、接合の完了時まで減数分裂開始を抑制するという、興味深い生理的役割を果たしていることを明らかにした。この成果は、有性生殖の分子機構の理解に対して重要な知見をもたらしており、学位申請者の業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいものであると審査員全員が判定した。なお本論文は矢花直幸、渡辺嘉典、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、松山晃久に博士(理学)の学位を授与できると認める。 |