学位論文要旨



No 115030
著者(漢字) 松山,晃久
著者(英字)
著者(カナ) マツヤマ,アキヒサ
標題(和) 分裂酵母の接合および減数分裂に関わるste7遺伝子の解析
標題(洋)
報告番号 115030
報告番号 甲15030
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3794号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 教授 東江,昭夫
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 教授 山本,正幸
内容要旨

 分裂酵母の有性生殖には多数の遺伝子が関与し、それらの協調的な働きを通じて細胞は接合・減数分裂をおこなう。この過程にはRas-MAPKカスケードや、三量体Gタンパク質、Aキナーゼなど、高等真核生物に広く保存されている因子が関与しており、分裂酵母の有性生殖の研究が高等真核生物のさまざま機構の研究に適したすぐれたモデルであることを示唆している。この有性生殖に欠損を生じる変異体として分裂酵母ではste変異体が初期の研究により多く単離され、その解析を通じてこの複雑な分化の機構が徐々に明らかにされてきた。しかし、今日ではその全体像がイメージされるようになってきたものの、やはりその詳細な分子機構には未解明の点が無数に残されている。

 本研究では、ste変異株のうちの一つでこれまでに解明されていないste7変異株について、その原因遺伝子の性格付けとその産物の機能についての解析を行い、分裂酵母の有性生殖におけるその役割について考察した。

結果と考察

 ste7変異株は接合・胞子形成ともに不能であることから、その産物はこの両過程に必要であると予想されていた。しかしながら、ste7+を野生型一倍体株に導入して過剰発現させると確かに接合を促進したが、野生型二倍体株に導入して減数分裂に対する影響を調べたところ、その株では減数分裂が部分的に抑圧されていた。また、pat1-114変異株を用いた解析から、ste7破壊株はste7+株に比べてむしろ減数分裂過程に移行しやすくなっていることが明らかとなった。

 ste7の発現パターンをNorthem解析により調べたところ、その発現は有性生殖が誘導される栄養源飢餓時のみに起こっていた。さらにGFP融合タンパク質を用いた観察から、Ste7タンパク質産物は接合時には細胞内に存在するものの、接合過程が完了した接合体においては消失していることがわかった。さらに詳しく時間経過を追って調べたところ、Ste7pは、接合した細胞どうしの細胞質が融合してから二つの核が融合するまでの間に消失することが明らかとなった。また、二倍体において減数分裂開始までのSte7GFPの挙動を調べたところ、やはり減数分裂前DNA合成時にはすでに消失していることが明らかとなった。また、どちらの場合も、まず核内のSte7pが先に消失しているようであった。これらの結果は,ste7遺伝子産物が接合過程を促進しつつ、正しく接合過程が完了するまでは減数分裂過程に入らないように、細胞の活性を調節している可能性を示唆している。また、二倍体においても減数分裂前DNA合成の前に発現され、その機能が発揮されなければならないことを示唆しており、ste7変異株において減数分裂に欠損が現れるのはこの時にste7+が機能しないからであると考えられる。しかしながら、上述したようにste7+の機能として、減数分裂の開始を抑制する機能が示唆されたため、二倍体ste7変異株が減数分裂を開始できない原因をさらに詳しく調べた。その結果、ste7変異株では接合フェロモンへの応答がまったく起こらないことがわかった。分裂酵母は二倍体でも減数分裂過程に入る前には接合フェロモンのシグナルを必要とする。ste7変異株はこの接合フェロモンのシグナルが伝達されないために、減数分裂を開始できないのだと考えられる。これを支持する実験結果として、接合フェロモンのシグナル伝達系において下流で機能するMAPKKKのホモログbyr2などを過剰発現すると、ste7変異株の減数分裂不能の表現型は抑圧された。

 上記のようなste7+の機能がどのような因子との相互作用によってなされているのかを、活性の低下したste7のアリルste7-111を用いて遺伝学的に解析した結果、ste7-111変異株の接合率低下の表現型はpat1-114温度感受性変異によって抑圧されることがわかった。さらに、この抑圧活性にはmei2+の活性を必要とすることもわかった。また、2-ハイブリッドシステムを用いた解析からも、ste7+がpat1+およびmei2+と相互作用することが示唆され、ste7+がこれらの因子との相互作用を介して接合・減数分裂の両過程をコーディネートしている可能性が考えられた。これまでの研究からpat1+は分裂酵母の接合・減数分裂を負に制御していることが明らかにされている。分裂酵母の有性生殖においては、栄養源の枯渇と接合因子のシグナルが必要とされるが、pat1-114温度感受性変異株はそれらの条件を無視し、制限温度ではいきなり減数分裂を開始し、また、それよりもやや低い温度においては接合を開始する。この現象から、pat1+は接合時には部分的に不活化され、減数分裂開始時に完全に不活化されるという仮説が提唱されていた。減数分裂の際にはMei3タンパク質によってPat1キナーゼ活性が完全に抑えられることが明らかになっているが、接合の際にPat1キナーゼを部分的に不活化するという微妙な制御が実際に存在するのかについてはまったくわかっていなかった。本研究で解析したste7+の結果は、この部分的な不活化を担う因子としてste7+が有力な候補になり得ることを示唆している。そこで、Ste7タンパク質を用いてPat1キナーゼの活性に及ぼす影響を調べた。Ste7タンパク質は大腸菌ではうまく産生できなかったため、分裂酵母にSte7GST融合タンパク質を過剰発現し、精製して用いた。Pat1キナーゼの基質としてMei2タンパク質を用いたところ、Mei2pのリン酸化はste7タンパク質を加えた場合、対照としてGSTのみを加えた場合と比べて減少した。また、このリン酸化はSte7タンパク質の量を増やしても完全には抑えられなかった。これらの結果から、栄養源飢餓時には細胞内でSte7タンパク質が発現誘導されてPat1キナーゼを部分的に不活化し、それが細胞に接合の活性を与えている可能性が示唆された。また、接合時にはPat1キナーゼが完全に不活化されると減数分裂がいきなり開始されてしまうため、ste7+はPat1キナーゼの活性を低下させるものの、ある程度の活性を維持できるように調節する機能も有している可能性が考えられる。また、Ste7pは細胞内で高度にリン酸化されており、このリン酸化はpat1非存在下でも見られることなどから、Ste7pは未知のキナーゼによるリン酸化の制御を受け、上記のような有性生殖の制御に関わっているのではないかと考えられる。

考察と展望

 本研究において解析したste7遺伝子は、分裂酵母の有性生殖の過程において正・負両方に機能することが示唆された。このような制御はpat1+およびmei2+との相互作用を介しておこなわれていることが示唆されたが、少なくともその表現型から考えて、ste7+はこれらの因子以外とも相互作用している可能性が高い。例えば、mei2遺伝子破壊株は接合にある程度の欠損は見られるものの、ste7変異株のように完全な接合不能とはならない。Pat1キナーゼの標的タンパク質はMei2p以外にも複数存在することが予想されており、それらが接合過程には必要なのかもしれない。今後、そのような因子を同定し、ste7+との関わりを調べることで、ste7+による有性生殖の制御がより明らかになることを期待する。また、GFPを用いた観察結果などからもわかるように、Ste7のタンパク自体にも厳密な制御がなされていると思われる。その転写レベルの制御はマスター転写因子Ste11pによりなされていることが明らかにされているが、タンパク質レベルの制御に関してはそのアミノ酸配列などから有力な手がかりは得られていない。Ste7タンパク質は少なくともリン酸化および分解による制御を受けているようであるため、今後はこれら二つの制御の関係やそれらの生理的意義に関する研究を通じて、複雑な有性生殖の機構の解明にブレイクスルーが得られることを期待したい。

審査要旨

 学位申請者松山晃久は、分裂酵母で接合および減数分裂に関わる遺伝子ste7を解析し、この遺伝子が減数分裂に対しては促進と抑制の二面の機能を発揮するという、予期せぬ結論を得た。本学位論文はste7遺伝子産物の生理的役割の詳細な解析を中心に述べたものである。

 分裂酵母の有性生殖過程は多くの遺伝子が関与する複雑な過程であり、それらの因子の機能が適切に統合されて細胞は接合・減数分裂をおこなうことができる。この過程にはRas-MAPKカスケードや三量体Gタンパク質、Aキナーゼなど、高等真核生物に広く保存されている因子が関与しており、分裂酵母の有性生殖の研究は高等真核生物のさまざまな制御機構の研究の優れたモデル系となっている。分裂酵母では有性生殖過程に欠損を生じるste変異体がこれまでに数多く単離され、それらの解析を通じて、有性生殖過程で機能している制御機構が徐々に明らかにされてきた。しかしその有性生殖のメカニズムには依然として未解明の点が多く残されている。

 学位申請者は本研究において、分裂酵母のste変異株のうちこれまで未解析のまま残されていたste7変異株について、その原因遺伝子(ste7)の性格付けと産物(Ste7)の機能の解析を行った。ste7変異株は元来、接合・胞子形成の両過程に欠損を示す変異株として単離されたものであるが、これらの有性生殖過程が不能となる原因を究明したところ、ste7変異株では接合・胞子形成に必要とされる接合フェロモンのシグナルが伝達されていないことが明らかになった。この結果はSte7が接合フェロモンのシグナル伝達経路において機能していることを示すものであるが、さらに解析を進めた結果、Ste7はこの機能以外に有性生殖過程において興味深いもう一つの役割を果たしていることが見出された。すなわち、Ste7は減数分裂に不可欠な機能を果たすいっぽうで、野生株においてste7+を過剰発現させると減数分裂への移行が阻害されることが知られた。また逆にste7遺伝子を破壊すると、突然変異を利用して接合と減数分裂を誘導する実験系において、ste7が野生型である場合に比べて減数分裂の著しい昴進が観察された。転写解析および蛍光標識したSte7を用いた解析から、ste7遺伝子は有性生殖が誘導される栄養源飢餓時にのみ発現され、その遺伝子産物Ste7は細胞が接合を行おうとしている間は細胞内にほぼ均一に存在するものの、相手型細胞と細胞質が融合した後に徐々に消失しはじめ、減数分裂前DNA合成の開始時には細胞内からほぼ完全に消失することがわかった。本研究で明らかになった減数分裂に対するSte7の負の機能と考え合わせると、Ste7はまず相手型細胞との接合を促進するように働き、続いて、正しく接合過程が完了して減数分裂を開始する態勢が整うまで減数分裂過程が開始されないように、細胞の活動を調節していることが強く示唆された。

 学位申請者はまた、遺伝学的な解析および2-ハイブリッドシステムを用いた解析から、ste7遺伝子産物が、分裂解母の接合および減数分裂を負に制御するセリン・スレオニンキナーゼであるpat1遺伝子産物と相互作用することを明らかにした。さらに、Ste7とPat1とのタンパク質レベルにおける機能相関を調べたところ、分裂酵母より精製したSte7タンパク質の添加により、Pat1のキナーゼ活性が部分的に抑えられることが見出された。pat1温度感受性変異株を用いた解析から、Pat1は接合時に部分的に不活化され、減数分裂開始時に完全に不活化される可能性が提唱されている。減数分裂開始の際に働くPat1キナーゼ阻害タンパク質はすでに同定されているが、接合時にPat1を不活化する機構の実体あるいはその存否は未解明であり、本研究で得られたSte7の解析結果は、栄養源枯渇時にSte7がPat1キナーゼを部分的に不活化することによって接合を促進している可能性を提起するものである。

 以上、松山晃久は分裂酵母ste7遺伝子を解析し、その産物が、接合の完了時まで減数分裂開始を抑制するという、興味深い生理的役割を果たしていることを明らかにした。この成果は、有性生殖の分子機構の理解に対して重要な知見をもたらしており、学位申請者の業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいものであると審査員全員が判定した。なお本論文は矢花直幸、渡辺嘉典、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、松山晃久に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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