学位論文要旨



No 115036
著者(漢字) 辛島,健
著者(英字)
著者(カナ) カラシマ,タケシ
標題(和) 線虫C.elegansの卵形成時の減数分裂に必須なdaz-1遺伝子の解析
標題(洋)
報告番号 115036
報告番号 甲15036
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3800号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 助教授 中村,義一
 東京大学 助教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 山本,正幸
内容要旨

 配偶子形成が分子レベルで進化的に保存されかどうかはあまり明らかでないが、その数少ない証拠の一つに、DAZ(Deleted in Azoospermia)遺伝子ファミリーがある。DAZファミリータンパク質は、リボヌクレオタンパク質(RNP)型のRNA詔識モチーフ(RRM)およびDAZモチーフという2つの保存されたドメインを有し、複数の脊椎動物および無脊椎動物において発見されている。ヒトにおいては、Y染色体上の小領域に多数のDAZ遺伝子がクラスターとして存在し、このクラスターの欠失が無精子症(azoospermia)および精子過少症を引き起こすことが知られている。Y染色体上のクラスター以外に、ヒト3番染色体上のDAZ様の遺伝子であるDAZLA/DAZHが発見されている。マウスにおいては、常染色体上のDAZLA/DAZHの相同遺伝子(Dazla)は存在するが、性染色体上のDAZクラスターは存在せず、Dazlaのノックアウトにより、雄および雌において配偶子形成が完全に阻害される。一方、DrosophilaのDAZ相同遺伝子bouleは精子形成の間の減数分裂の進行にのみ必須であり、卵形成には必要でないことが判明している。現在までに調べられたこれらのDAZファミリー遺伝子の発現は、一様に生殖腺に特異的であった。ヒトDAZおよびDrosophilaのbouleは雄の生殖腺のみで転写されており,ヒトDAZLA/DAZHとそのマウスおよびXenopusの相同遺伝子は両性の生殖腺で発現されている。

 配偶子形成においてDAZファミリー遺伝子が重要であることは明らかであるが、各々の機能喪失が配偶子形成に影響を及ぼす時期および性別は生物種により異なっており、その実際の作用過程には未だ不明な点が多い。DAZファミリーのさらなる解析は配偶子形成の分子機構を理解する重要な手がかりとなり得ると考えられるため、本研究では、線虫Caenorhabditis elegansを材料として、細胞レベルおよび個体レベルでのDAZファミリー遺伝子の機能解析を行った。C.elegansは、遺伝学的取り扱いが簡便で、逆遺伝学に有効なゲノム計画が完了しており、生殖腺が顕微鏡観察に適していることから、配偶子形成の過程を研究するために好ましい多細胞生物だと考えられそ。

結果

 C.elegansのゲノム計画により判明していたゲノム配列中に,DAZファミリー遺伝子が一つ存在していた。この遺伝子をdaz-1と名付けた。daz-1がコードするタンパク質は499アミノ酸からなると予測され、RNP型の一つのRNA認識モチーフ(RRM)およびその後に存在するDAZモチーフと呼ばれる短いモチーフにおいて、他種のDAZファミリー産物と高い相同性を示す。DAZモチーフはヒトのDAZにおいては7つ存在するが、他の相同遺伝子産物においては1つしか存在しない。先ずdaz-1の機能喪失型変異体を単離し解析した。配偶子形成におはるdaz-1の役割を明らかにするため、daz-1を欠損した変異体を2アリル、UV/TMP法によって単離し、表現型を観察した。その結果、daz-1変異体の雄は交配によって子孫を生じるが、雌雄同体は不稔であった。このdaz-1変異体の雌雄同体においては卵形成が減数分裂前期の太糸期で停止してしまっていたが、精子は正常に形成されていた。精子を取り出して形態を観察したが、変異体の雌雄同体および雄由来の精子はともに正常であり、モネンシンによって野生型の精子と同様に活性化された。また、RNAi(RNA干渉法)によってdaz-1の発現を阻害した場合にも同様の表現型が観察された。

 daz-1の卵形成における減数分裂異常の起きる時期をさらに細かく決定するために、太糸期に機能する遺伝子であるgld-1とdaz-1の働く時期の順序を決定した。gld-1変異体の雌雄同体においては、生殖細胞が減数第一分裂の太糸期に進入してから減数分裂を脱出し、体細胞分裂に復帰して増殖を続けるために生殖腺が腫瘍的になる。daz-1;gld-1変異体はgld-1と同じ表現型を示したため、gld-1はdaz-1に対してepistaticであり、gld-1よりもdaz-1の機能時期が遅いと考えられた。また、雌性生殖細胞の太糸期後期に起きるプログラム細胞死がdaz-1変異体においても見られたため、daz-1変異体の生殖細胞は太糸期後期まで進行していると考えられた。従ってdaz-1は太糸期の後期に重要な役割を果たしていると考えられる。

 一方、このように雌雄同体において精子形成のみが起きるという表現型は、すでに複数のmog(masculinization of germline)変異体で観察されていた。これらの変異は,生殖細胞の性決定カスケードに関与している。mog変異と対立する変異としてfem(feminization of germline)変異が存在する。この変異は雄と雌雄同体の生殖腺を雌化するため,精子形成を阻害して卵子のみを強制的に形成させる。fem変異によって生殖細胞があらかじめ雌化された場合のdaz-1の表現型を親察したが、daz-1の単独変異の場合と同様に減数分裂は太糸期で停止した。このため、daz-1はmog遺伝子とは異なり、生殖細胞の性決定カスケードに関与するのではなく、雌に性決定された生殖細胞の減数分裂の進行に関与するものだと考えられる。

 最後にdaz-1の発現をin situハイブリダイゼーションで観察した。daz-1の転写は雌雄同体の生殖細胞でのみ見られ、雄での発現は検出できなかった。この雌雄同体における発現はL1幼虫では検出できなかったが、L2幼虫から弱い発現が始まり、L3を過ぎてL4幼虫になると強くなり、成虫の減数分裂期の生殖細胞で最も強い発現があった。L2・L3幼虫では減数分裂がまだ開始していない。この結果は、daz-1が卵形成に必須だという結果と一致する。

 本研究により、C.elegansのdaz-1は配偶子形成の性特異的な制御因子であり、その性特異性は、ヒト、マウスおよびDrosophilaの相同遺伝子とは相違していることが明らかになった。

考察と展望

 DAZファミリー遺伝子は、線虫から哺乳類まで異なる生物種間で広範に保存されている。しかし、現在までに単細胞生物ではDAZ相同遺伝子は発見されていない。これらの単細胞生物には出芽酵母や分裂酵母のような減数分裂を行う種も含まれているため、進化の過程でDAZ遺伝子が出現したことは、多細胞生物の減数分裂の制御機構が複雑性の度を増したことと関連していると思われる。

 現在までに解析されているDAZファミリー遺伝子は生殖腺特異的に発現しているが、それらの性特異性は一様でない。DrosophilaおよびC.elegansのDAZファミリー遺伝子は、一方の性の配偶子形成にのみ必要である。Drosophilaのbouleは精子形成に、C.elegansのdaz-1は卵形成に必要とされる。マウスのDazlaは卵形成および精子形成の両者に必須であるが、二つの性で異なる役割を有すると考えられる。Dazla欠損マウスでは、卵形成は早期の太糸期までは正常であるように見えるが、雄性生殖細胞の数は減数分裂進入前にすでに減少している。ヒトにおいては、マウスDazlaの相同遺伝子(DAZLA/DAZH)が配偶子形成に働いているかどうかは明らかではない。ヒトY染色体上のDAZクラスターの欠失によって起きる精子形成の欠損の度合いは、生殖細胞が全く無いものから、軽度の欠陥により少数の精子細胞を生ずるものまで様々である。この多様性は、Y染色体上のDAZと常染色体上のDAZLA/DAZHの機能の重複、およびそれらの機能の多様性を反映しているのかもしれない。

 DAZファミリーの性特異性に関するこのような差異が進化の間に生じた一つの可能性として、以下の説明が考えられる。酵母においては、減数分裂の様式は一種類である。即ち、二倍体細胞が減数分裂して四つの胞子になる。高等真核生物では、性別によって非対称的な配偶子が産成される。各々に特異的なプログラムに従って精子形成および卵形成を制御するために、高等生物は二つの減数分裂様式を必要とする。これらの様式は、関与する制御因子の少なくとも一部については共有していないと考えられる。即ち、多細胞生物の減数分裂制御のために発達した二つの型の機構のうち、一方ではDAZファミリー遺伝子が使用され、他方では不必要だという可能性がある。また性決定の戦略は種間で著しく異なり,例えばC.elegans、Drosophilaおよび哺乳類の性決定系路の分子機構は保存されていないと考えられている。以上から、原始多細胞生物からの進化の間に、ある種の生物は卵形成についてはDAZに依存した減数分裂を、精子形成についてはDAZに依存しない減数分裂を行うようになり、他の種はその逆の過程を辿ったと考えられる。

 DAZファミリー遺伝子はRNA結合タンパク質をコードするが、その標的となるRNA分子は不明である。Xenopusの相同遺伝子がDrosophilaのboule遺伝子を機能相補することから、このファミリーの機能自体も種間で不変であることが示唆されている。Drosophilaにおいては減数分裂特異的な脱リン酸化酵素Cdc25の翻訳効率を制御しているという結果が既に発表されているが、この制御が直接的な相互作用によるかどうかは依然不明である。今後は線虫のDAZ-1がどのようなRNAと相互作用して減数分裂前期の進行を制御するかを探ると同時に、DAZ-1と相互作用するタンパク質因子の検索、daz1変異の抑圧変異体の単離などを行うことにより、その分子機能が明らかになることを期待する。

審査要旨

 学位申請者辛島健は、ヒトの無精子症の原因遺伝子DAZ(Deleted in Azoospermia)の線虫C.elegansにおける相同遺伝子daz-1を解析し、その機能が減数分裂の太糸期に特異的に必要とされることを示した、またこれまでに調べられた他の生物と異なり、線虫daz-1は卵形成に不可欠であるが精子形成には不必要であるという興味深い結論を得た。本学位論文はdaz-1遺伝子の構造と機能について詳細な解析を行ったものである。

 ヒトDAZ遺伝子はY染色体上に存在し、RNA認識モチーフおよびDAZモチーフと呼ばれる保存された領域を持つタンパク質をコードする。ヒトにはまたDAZ遺伝子と非常に近縁な相同遺伝子(DAZLA/DAZH)が常染色体上に存在する。マウスのDAZ相同遺伝子Dazlaは常染色体上にあり、雄および雌で生殖細胞の発生および分化に必要である。Drosophilaの相同遺伝子bouleは雄の減数分裂にのみ必須であり、卵形成には必要でないと判明している。Xenopusの相同遺伝子は精子形成に加えて始原生殖細胞の分化にも必要である。このように配偶子形成におけるDAZファミリー遺伝子の重要性は明らかであるが、その作用機構には未だ不明な点が多い。そのため、学位申請者は、遺伝学的取り扱いが簡便で、逆遺伝学に有効なゲノム計画が完了しており、さらに生殖腺の構造が配偶子形成過程を顕微鏡観察するのに適しているC.elegansを材料として、DAZファミリー遺伝子の細胞および個体レベルでの機能解析を行った。

 C.elegansのゲノム計画により判明した、ゲノム配列中に唯一存在するDAZファミリー遺伝子をdaz-1と名付けた。daz-1がコードするタンパク質は499アミノ酸からなり、RNA認識モチーフおよびDAZモチーフにおいて他種のDAZファミリー産物と高い相同性を示す。申請者はdaz-1遺伝子を欠損した変異体を二株、UV/TMP法によって単離した。それらの表現型を観察した結果、daz-1変異体の雄は精子を正常に形成し、交配によって子孫を生じたが、雌雄同体は卵形成が減数分裂前期の太糸期で停止し、不稔であった。減数分裂の太糸期のマーカーを用いて雌雄同体でdaz-1が機能する時期をさらに細かく決定したところ、卵形成における太糸期の前期の進行に関わるgld-1よりも後の過程でdaz-1は機能しており、またプログラム細胞死が起きる太糸期の後期よりもさらに後で機能しているという結果が得られた。

 一方、線虫の性決定カスケードに関与する遺伝子の変異とdaz-1を組み合わせた実験から、daz-1は性決定カスケードに影響するのではなく、雌に性決定された生殖細胞の減数分裂の進行に直接関与することが結論された。daz-1遺伝子の発現は生殖腺特異的で、雌雄同体の生殖腺では早い段階の幼虫から発現し、成虫で最も強く発現していたが、雄の生殖腺ではほとんど発現が見られなかった。この結果は、daz-1が卵形成にのみ必須だという結果と一致する。これまでに解析されているDAZファミリー遺伝子も生殖腺特異的に発現しているが、それらの性特異性は一様でない。Drosophilaのbouleは精子形成のみに必要である。マウスのDazlaを欠損した個体では、卵形成は早期の太糸期までは正常でそこで停止するが、雄性生殖細胞の数は減数分裂進入前にすでに減少している。卵形成のみに必要なことが示されたのはC.elegansのdaz-1が初めてである。

 これらの知見を説明するために、申請者は次のような考えを提唱している。高等真核生物では性別によって非対称的な配偶子が産生されるが、精子形成および卵形成に特異的なプログラムを制御するために、高等生物は二種類の減数分裂の制御機構を必要とする。いっぽう性決定の戦略は種間で著しく異なり、C.elegans、Drosophilaおよび哺乳類の間では性決定経路は分子レベルで保存されていないと考えられている。したがって、一つのパターンの減数分裂しか行わない真核単細胞生物から高等多細胞生物への進化の間に、ある種の生物は卵形成についてはDAZに依存した減数分裂を、精子形成についてはDAZに依存しない減数分裂を行うようになり、他の種はその逆の過程を辿った可能性がある。

 以上、辛島健は線虫におけるdaz-1遺伝子を解析し、その構造、発現、機能を明らかにした。またその成果は、生殖細胞の形成の分子機構とその進化に対して重要な知見をもたらしており、これらの業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいものであると審査員全員が判定した。なお本論文は杉本亜砂子、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、辛島健に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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