学位申請者辛島健は、ヒトの無精子症の原因遺伝子DAZ(Deleted in Azoospermia)の線虫C.elegansにおける相同遺伝子daz-1を解析し、その機能が減数分裂の太糸期に特異的に必要とされることを示した、またこれまでに調べられた他の生物と異なり、線虫daz-1は卵形成に不可欠であるが精子形成には不必要であるという興味深い結論を得た。本学位論文はdaz-1遺伝子の構造と機能について詳細な解析を行ったものである。 ヒトDAZ遺伝子はY染色体上に存在し、RNA認識モチーフおよびDAZモチーフと呼ばれる保存された領域を持つタンパク質をコードする。ヒトにはまたDAZ遺伝子と非常に近縁な相同遺伝子(DAZLA/DAZH)が常染色体上に存在する。マウスのDAZ相同遺伝子Dazlaは常染色体上にあり、雄および雌で生殖細胞の発生および分化に必要である。Drosophilaの相同遺伝子bouleは雄の減数分裂にのみ必須であり、卵形成には必要でないと判明している。Xenopusの相同遺伝子は精子形成に加えて始原生殖細胞の分化にも必要である。このように配偶子形成におけるDAZファミリー遺伝子の重要性は明らかであるが、その作用機構には未だ不明な点が多い。そのため、学位申請者は、遺伝学的取り扱いが簡便で、逆遺伝学に有効なゲノム計画が完了しており、さらに生殖腺の構造が配偶子形成過程を顕微鏡観察するのに適しているC.elegansを材料として、DAZファミリー遺伝子の細胞および個体レベルでの機能解析を行った。 C.elegansのゲノム計画により判明した、ゲノム配列中に唯一存在するDAZファミリー遺伝子をdaz-1と名付けた。daz-1がコードするタンパク質は499アミノ酸からなり、RNA認識モチーフおよびDAZモチーフにおいて他種のDAZファミリー産物と高い相同性を示す。申請者はdaz-1遺伝子を欠損した変異体を二株、UV/TMP法によって単離した。それらの表現型を観察した結果、daz-1変異体の雄は精子を正常に形成し、交配によって子孫を生じたが、雌雄同体は卵形成が減数分裂前期の太糸期で停止し、不稔であった。減数分裂の太糸期のマーカーを用いて雌雄同体でdaz-1が機能する時期をさらに細かく決定したところ、卵形成における太糸期の前期の進行に関わるgld-1よりも後の過程でdaz-1は機能しており、またプログラム細胞死が起きる太糸期の後期よりもさらに後で機能しているという結果が得られた。 一方、線虫の性決定カスケードに関与する遺伝子の変異とdaz-1を組み合わせた実験から、daz-1は性決定カスケードに影響するのではなく、雌に性決定された生殖細胞の減数分裂の進行に直接関与することが結論された。daz-1遺伝子の発現は生殖腺特異的で、雌雄同体の生殖腺では早い段階の幼虫から発現し、成虫で最も強く発現していたが、雄の生殖腺ではほとんど発現が見られなかった。この結果は、daz-1が卵形成にのみ必須だという結果と一致する。これまでに解析されているDAZファミリー遺伝子も生殖腺特異的に発現しているが、それらの性特異性は一様でない。Drosophilaのbouleは精子形成のみに必要である。マウスのDazlaを欠損した個体では、卵形成は早期の太糸期までは正常でそこで停止するが、雄性生殖細胞の数は減数分裂進入前にすでに減少している。卵形成のみに必要なことが示されたのはC.elegansのdaz-1が初めてである。 これらの知見を説明するために、申請者は次のような考えを提唱している。高等真核生物では性別によって非対称的な配偶子が産生されるが、精子形成および卵形成に特異的なプログラムを制御するために、高等生物は二種類の減数分裂の制御機構を必要とする。いっぽう性決定の戦略は種間で著しく異なり、C.elegans、Drosophilaおよび哺乳類の間では性決定経路は分子レベルで保存されていないと考えられている。したがって、一つのパターンの減数分裂しか行わない真核単細胞生物から高等多細胞生物への進化の間に、ある種の生物は卵形成についてはDAZに依存した減数分裂を、精子形成についてはDAZに依存しない減数分裂を行うようになり、他の種はその逆の過程を辿った可能性がある。 以上、辛島健は線虫におけるdaz-1遺伝子を解析し、その構造、発現、機能を明らかにした。またその成果は、生殖細胞の形成の分子機構とその進化に対して重要な知見をもたらしており、これらの業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいものであると審査員全員が判定した。なお本論文は杉本亜砂子、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、辛島健に博士(理学)の学位を授与できると認める。 |