学位論文要旨



No 115037
著者(漢字) 金,仁実
著者(英字)
著者(カナ) キム,インシル
標題(和) ショウジョウバエのSex-lethalタンパク質と一本鎖RNAの複合体のNMR解析
標題(洋) NMR analyses of single-stranded RNAs complexed with the Drosophila Sex-lethal protein
報告番号 115037
報告番号 甲15037
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3801号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 中村,義一
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨

 真核生物の核内で合成された多くのpre-mRNAは、RNA結合タンパク質との相互作用により様々な転写後制御をうける。その結果、多くの遺伝子発現が調節されることから、RNAとRNA結合タンパク質の構造と機能の解析は、認識機構の知見が得られる興味深い分野である。RNAのスプライシング、輸送、寿命、翻訳などの制御に関与している多くのRNA結合タンパク質で、もっとも多く存在するモチーフが、RNA binding domain(RBD)もしくはRNA recognition motif(RRM)と呼ばれるRNA結合モチーフであり(図1)、その多くが一本鎖RNAと特異的に結合していることが報告されているが、その認識に関してはあまり知られていないのが現状である。

図1 RBP(RNA-binding domain)の立体構造。約90残基のアミノ酸をもち、の構造を持つ。中央の1と3に保存配列であるRNP2とRNP1をもつ。Sxl RBD2のNMR構造(Inoue et al.,1997)

 本研究では、ショウジョウバエの性決定因子であるSex-lethal(Sxl)RBD1-RBD2タンパク質と、その標的RNA(一本鎖RNA)との複合体の高次構造解析を核磁気共鳴法(NMR)を用いておこなった。Sxlタンパク質は少なくとも2種類の標的RNAを認識しているが、その認識機構に関しては知られていない。したがって、本研究では複数の標的RNAとの相互作用を検証するのにもっとも適しているNMR法をもちいて、その認識の詳細を調べることを目的としている。しかし、NMR法でのRNAの解析には主にbase pairによる2次構造情報をもとにしてシグナルの帰属をおこなっているため、一本鎖RNAはその解析が困難であった。しかも,Sxlタンパク質の標的RNA[-(G/A)U8-]はpolyuridine tractをもつため、帰属がもっともむずかしい系である。そこで、本研究では、RNAの様々な残基選択的安定同位体標識法を開発し、一本鎖RNAの帰属法を確立することから始めた。図2に本研究で使用したRNAの残基選択的安定同位体標識を示した。本研究では、RNAの残基選択的標識で得られた帰属をもとに、Sxlタンパク質の複数の標的RNAの認識を調べ、その結合配列を決定し、複合体の構造解析を行うことによって、Sxlタンパク質の標的RNAの認識に関する知見を得ることを目的としている。

図2 本研究で用いたRNAの残基選択的標識法[3-15N]uridine phosphoramiditeを用いた残基選択的標識法

 Sxlタンパク質はtra pre-mRNA由来の10merのRNA(GU8C)と結合していることが報告されている。また、Sxl・GU8Cの複合体では、RNAのimino proton由来のシグナルが観測されたので、その認識に水素結合が関与していることが示唆された。そこで、polyuridine配列中のどの残基が水素結合に関与しているかを調べるため、8個のuridineを順番に[3-15N]uridineに置換した一連のRNAを合成した。残基選択的に標識された各RNAとSxlタンパク質との複合体で、imino protonのシグナルが[3-15N]uridine置換による1H-15Nのcouplingの観測により、Sxlタンパク質と水素結合している残基を明らかにした(図3)。この帰属をもとにSxlの3種類のRNA配列(GU8C,AU8C,U8C)をためした結果、その結合が(AU8C>GU8C>U8C)順に強いことが示唆された。

図3 [3-15N]uridine(左上)と[3-15N]uridine phosphoramiditeをもちいた一連の標識RNAを合成した(左下)。標識したuridineは大きい文字に右上に星印でしめした。標識した一連のRNAをもちいて、Sxl RBD1-RBD2との複合体でのimino proton領域を示した(右)。 観測された核酸のimino proton由来のシグナルが、残基選択的に15N標識されたRNAで、protonとnitrogenの1H-15N couplingでdoubletになることを観測することにり、タンパク質と水素結合しているuridineがU1、U2、U5、U6であることが明らかになった。
[5-2H]uridine phosphoramiditeを用いた残基選択的標識法

 複合体の非交換性protonの帰属のために、各uridineを一つだけのこして、残りの全てを[5-2H]uridineに置換した一連のRNA(GU8C)を合成した。[5-2H]uridine置換によりuridineのH5-H6間の強い相関peakが消失し、残基選択的に残された[5-1H]uridine由来のH5-H6間の強い相関peakを観測することができた(図4)。図4にU2のみをのこし、残りのすべてを[5-2H]uridineで置換したRNAとタンパク質との複合体のTOCSY spectrumのaromatic領域を示した。標識していない3’-cytidine由来のクロスピークと、タンパク質との相互作用が弱いため他にくらべ強度の強いU8以外に、一つのクロスピークが観測され、このクロスピークをU2のH5-H6由来のものであることを確実に帰属することができた(図4)。同様に、他の残基選択的に2H標識されたRNAでも同様のスペクトルが得られ、その結果、すべてのH5/H6を確実に帰属した(図4)。また、この帰属をもとにSxlの4種類のRNA配列(GU8C,GU2GU8,AU8,UAU8)をためした結果、その結合にA/Gの5’側のuridineが結合の安定に寄与していることが示唆された。また、imino protonの結果と同様にGよりもAがもっと強く認識されていることが示唆された。

図4 [5-2H]uridine(左上)と[5-2H]]uridine phosphoramiditeをもちいて一連の標識RNAを合成した (左下)。2H標識したuridineは袋文字で示した。U2のみを残して残りのすべてを重水素標識したRNAとSxl RBD1-RBD2との複合体のTOCSY spectrum の aromatic regionを示した(中央)。一連の標識RNAをもちいて得られた帰属を同じ領域のTOCSY spectrum上に示した(右)。
Sxl RBD1-RBD2とUAU8の高次構造解析

 Sxl RBD1-RBD2・UAU8の複合体の高次構造解析には13C/15N標識したRNAと2H/13C/15N標識したタンパク質をもちいた多核の実験を行った。また、その帰属を確実にするために、タンパク質側は15N標識したアミノ酸を使ってアミノ酸タイプ別選択的に標識をおこない、RNAの方は分子整形技術をもちいて、その帰属を明らかにした。得られた情報をもとに計算した結果得られた構造を図5に示した。

図5 Sxl RBD1-RBD2・UAU8のNMR構造 左側にRBD2が右側にRBD1が位置している。RNAは左下から右上へと5’から3’になっている。

 二つのRBDは一本鎖RNAを挟むような形で認識し、RBD2は5’のUAUを、RBD1はU2からU8までを主に認識し、また、U5とU6の認識にはRBD1とRBD2がともに認識に関与していた。もっとも興味深いことはpurineの認識である。Sxlタンパク質とtra由来のRNA(GU2GU8)の結晶構造解析では、guanosineの2-amino protonがAla168の主鎖のcarbonyl groupによって認識されていた(図6)。しかし、今回得られたUAU8とSxlタンパク質との複合体のNMR構造ではAla168はその向きを変え、Tyr93の側鎖とともにmethyl groupによるhydrophobic pocketをつくり、adenosineの2-protonを認識していることが示唆された。

図6 Sxl RBD1-RBD2の二つの異なる標的RNA配列(GU2GU8とUAU8)の中のguanosine(左)とadenosine(右)の認識を示した。左はGU2GU8とSxl RBD1-RBD2複合体の結晶構造(Handa et al.,1999)で、右は本研究で得られたUAU8とSxl RBD1-RBD2複合体のNMR構造から示している。
審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章は、序論、第2章は、残基選択的[3-15N]uridine置換による標的RNAとSex-lethal(Sxl)タンパク質との複合体のNMR解析、第3章は、残基選択的[5-2H]uridine置換による標的RNAとSxlタンパク質との複合体のNMR解析、第4章は、分子整形技術による残基選択的[13C/15N]標識RNAの調整、第5章は、短いRNAにおいての[13C/15N]ラベルの効率的方法の開発、第6章は、Sxlタンパク質と自分自身のmRNA前駆体の結合部位との複合体のNMR構造について述べられている。

 本論文では,ショウジョウバエの性決定因子であるSxlタンパク質の2つのRNA binding domain(RBD)であるRBD1-RBD2と、その標的RNA(一本鎖RNA)との複合体の高次構造解析を核磁気共鳴法(NMR)を用いておこなっている。Sxl RBD1-RBD2は少なくとも2種類の標的RNAを認識しているが、その認識機構に関しては知られていない。したがって、本研究では複数の標的RNAとの相互作用を検証するのにもっとも適しているNMR法をもちいて、その認識の詳細を調べることを目的としている。しかし、NMR法でのRNAの解析には主にbase pairによる2次構造情報をもとにしてシグナルの帰属をおこなっているため、一本鎖RNAはその解析が困難であった。しかも、Sxl RBD1-RBD2の標的RNA[-(G/A)U8-]はpolyuridine tractをもつため、帰属がもっともむずかしい系である。そこで、本研究では、RNAの様々な残基選択的安定同位体標識法を開発し、一本鎖RNAの帰属法を確立することから始めている。第2章では、Sxl RBD1-RBD2と水素結合を形成しているuridine残基の帰属をおこなうために、[3-15N]uridine phosphoramiditeを用いた残基選択的標識法を取り入れている。8個のuridineを順番に[3-15N]uridineに置換した一連のRNAを合成した。残基選択的に標識された各RNAとSxl RBD1-RBD2との複合体で、imino protonのシグナルが[3-15N]uridine置換によりあらわれる1H-15Nのcouplingの観測することによって、Sxl RBD1-RBD2と水素結合している残基を明らかにした。この帰属をもとにSxlの3種類のRNA配列(GU8C,AU8C,U8C)をためした結果、その結合が(AU8C>GU8C>U81C)順に強いことが示唆された。第3章では、[5-2H]uridine phosphoramiditeを用いた残基選択的標識法をとりいれ、非交換性protonの帰属を行っている。RNAのサンプルとしては、各uridineを一つだけのこして、残りの全てを[5-2H]uridineに置換した一連のRNA(GU8C)を合成している。[5-2H]uridine置換によりuridineのH5-H6間の強い相関peakが消失し、残基選択的に残された[5-1H]uridine由来のH5-H6間の強い相関peakを観測することができた。その結果、すべてのH5/H6を確実に帰属した。また、この帰属をもとにSxlの4種類のRNA配列(GU8C,GU2GU8,AU8,UAU8)をためした結果、その結合にA/Gの5’側のuridineが結合の安定に寄与していることが示唆された。また、imino protonの結果と同様にGよりもAがもっと強く認識されていることが示唆された。第4章では、分子整形技術を利用して、13C/15N選択的標識を取り入れている。このサンプルをもちいることにより、水素結合に関与している残基のsugarの部分までの確実な帰属をおこなっている。第5章では、短いRNAでも、効率良くフルラベルのRNAを得るための方法を開発し、構造解析に必要なdataを得ることに成功している。第6章では、この研究から得られたdataをもとにSxl RBD1-RBD2とUAU8の高次構造を決定している。2つのRBDは一本鎖RNAを挟むような形で認識し、RBD2は5’のUAUを、RBD1はU2からU8までを主に認識し、また、U5とU6の認識にはRBD1とRBD2がともに認識に関与していた。もっとも興味深いことはpurineの認識である。Sxl RBD1-RBD2とtra由来のRNA(GU2GU8)の結晶構造解析では、guanosineの2-amino protonがAla168の主鎖のcarbonyl groupによって認識されていた。しかし、今回得られたUAU8とSxl RBD1-RBD2との複合体のNMR構造ではAla168はその向きを変え、Tyr93の側鎖とともにmethyl groupによるhydrophobic pocketをつくり、adenosineの2-protonを認識していることが明らかになった。

 以上の研究において,すべて論文提出者が主体となって行ったものである.なお,本論文の第2章は,東京大学の横山茂之教授,武藤裕講師,井上真博士、渡部暁博士、北村彩氏、千葉工業大学の細野和美氏、高久洋教授、東京都立大学の小野晶助教授、甲斐荘正恒教授、神戸大学の坂本博助教授、生物工学研究所の志村令郎所長との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,審査委員会は,本論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める.

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