学位論文要旨



No 115038
著者(漢字) 小柴,生造
著者(英字)
著者(カナ) コシバ,セイゾウ
標題(和) 細胞内情報伝達を制御する機能ドメインのNMR構造解析
標題(洋)
報告番号 115038
報告番号 甲15038
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3802号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 中迫,雅由
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨

 細胞内情報伝達系は,細胞外からの刺激に応答して様々な機能の制御を行っている.この系で中心的な役割を果たしているのが様々な機能を持つタンパク質で,基本的に複数の機能ドメインから構成されており,各ドメインはそれぞれ特定の基質を認識する.またタンパク質の種類によって機能ドメインの構成が異なり,また同種の機能ドメインであってもタンパク質の種類によって基質選択性が変化することで,各タンパク質の機能とその制御を多様に変化させている.つまり情報伝達系の正確かつ適切な制御は,これら各機能ドメインが基質とそれぞれ特異的な分子間相互作用を行うことによって実行されている.そしてこれら分子間相互作用の特異性は各機能ドメインの立体構造上の差異に起因するため,各機能ドメインの立体構造を解明しその基質認識の特異性を高次構造レベルで明らかにすることが,情報伝達系の本質を理解する上で重要である.本研究では,細胞内情報伝達系の中でも,特に受容体から低分子量Gタンパク質Rasを経由して細胞骨格系やエンドサイトーシスを制御すると考えられている伝達系に注目し,この経路に関わる3種類の機能ドメインについてNMR法を用いて立体構造及び分子間相互作用を解析した.

 Sos(Son of sevenless)タンパク質は,RasのGDP/GTP交換因子であり,活性化されたレセプター型チロシンキナーゼからの情報を,Rasを経由して下流の情報伝達系に伝える重要な因子である.このSosに存在するPH(pleckstrin homology)ドメインは約110アミノ酸残基からなるドメインで,細胞内情報伝達や細胞骨格に関わる多くのタンパク質に存在し,Rasが関わる情報伝達系で重要な役割を果たすと考えられた.そこで本研究ではmouse Sos1のPHドメインの立体構造を解析した.最初にmSos1のPHドメインの大量発現系を構築し,安定同位体標識を行って各種多次元NMRスペクトルを測定,解析し,立体構造を決定した.その結果mSos1のPHドメインの立体構造は,7つのストランド(1-7)と2つのヘリックス(1-2)から構成されていることを明らかにした(図1).N端側の4つのストランド(1-4)は最初の逆平行シートを形成し,残りの3つのストランド(5-7)は第二の逆平行シートを形成している.2つのシートは重なり合ってサンドウィッチ構造を形成しおり,C末端のヘリックス(2)がその構造の端をふさぐように位置して,中心部に疎水性のコアが存在する.この基本構造は報告された他のPHドメインの立体構造と似ている.これに対して,N末端側のヘリックス(1)は,SosのPHドメインに特徴的なもので,そのC端側半分は最初のシートと疎水的な結合をしており,この領域がmSos1のPHドメインの立体構造の安定に必要であることが判明した.またSosのPHドメインのもう1つの特徴である3と4の間の長いループは特定の構造をとっていないことが判明した.次にPtdIns(4,5)P2との結合を遠心法により同定し,その可溶性部位であるIns(1,4,5)P3との相互作用部位をNMRを用いて決定した.その結果,Ins(1,4,5)P3はmSos1のPHドメインの,主に1/2間と,3/4間のループに結合することが明らかになった.これらの領域は正に荷電しており,この結合は主にイオン性の相互作用であると考えられる.この結合部位はpleckstrinやPLC1等のPHドメインの結合部位と類似しているが,相互作用に関わる残基はそれぞれ異なっていることが判明した.つまり同じ基質を結合してもその認識機構は各PHドメインによって異なっていることが明らかになった.

mSos1のPHドメインの立体構造

 このSosタンパク質により活性化したRasは,RalGDS(RGL)を介してRalを経由する情報伝達系を活性化する.この情報伝達系路の末端で働くタンパク質としてPOB1が同定された.このPOB1には,EHドメインと呼ばれる新規のドメインが存在することが明らかになり,情報をさらに下流に伝える重要な機能を持つと考えられた.EH(Eps15 homology)ドメインは主にエンドサイトーシスに関係するタンパク質に存在し,Asn-Pro-Phe(NPF)配列と相互作用することが報告された.このドメインはアミノ酸約100残基からなり,カルシウム結合ドメインであるEFハンドと一次配列上の相同性が一部存在するが,高次構造上の関係及びカルシウム結合能はこれまで調べられていなかった.そこで本研究ではPOB1のEHドメインの立体構造を解析し,カルシウムイオンの結合能を調べた.まずPOB1 EHドメインの大量発現及び精製の条件を検討し,安定同位体標識を行って各種多次元NMRスペクトルを測定,解析し,立体構造を決定した.その結果POB1のEHドメインは4本のヘリックスが,EFハンド構造に特徴的な1対のヘリックスループヘリックス(HLH)構造を形成し,隣り合った2つのHLH構造のループ間が短いシートを構成する.N端側のHLHはC端側のそれに比較してヘリックス間の角度が開いており,1番目のへリックスは残りの3本のへリックスに比較して直角に近い向きにある.2番目と4番目のへリックスは平行に近い向きを取り,3番目のへリックスはそれに対してやや傾いた向きで結合し,中心に疎水性のコアを形成するヘリックスバンドル構造を取っている.EHドメインの構造を他のEFハンドドメインと比較すると,カルシウム依存的に構造が変化するカルモジュリン等より,カルビンディンにより類似しているが,カルビンディンに比べて,4番目のへリックスが2,3番目のへリックスにより近接している.一方EDTAの添加に伴うEHドメインの15N-HSQCスペクトルにおける主鎖アミドプロトンの化学シフトの変化を調べたところ,ほとんどのピークが消滅した.このことはPOB1のEHドメインがカルシウムイオンを強固に結合し,他のEFハンドタンパク質とは異なりカルシウムイオンが構造上の安定性に必要であることを示唆している.1次配列の比較から2番目のEFハンドにカルシウムイオンの結合に必要な残基が保存されていることが分かっており,このことからEHドメインは2番目のEFハンドで1個のカルシウムイオンを結合していると考えられる.またPOB1のEHドメインに結合するタンパク質として同定されたepsin(EBIN)のC末端領域に存在する,3種類のAsn-Pro-Phe(NPF)配列を含むペプチドの結合領域を,EHドメインの2D1H-15N HSQCスペクトルの化学シフト変化を観測することにより明らかにした.その結果,POB1のEHドメインにおけるペプチドの結合部位は,2番目と3番目のへリックスに存在するK45,F48,T49,L58,S59,W62が構成している分子表面に結合することが明らかになった.この分子表面の中央は保存性の高い3つの疎水性残基(F48,L58,W62)から構成されており,ペプチドと疎水性の相互作用により結合すると考えられる.この結果は他の2つのEHドメインでの解析結果とよく一致しているが,他のEFハンドタンパク質の基質認識部位とは全く異なっている.以上の結果はEFハンドタンパク質ファミリーの中でのEHドメインの独自性を示している.

図2 POB1のEHドメインの立体構造

 このPOB1のEHドメインに結合するタンパク質として同定されたepsinタンパク質は,EHドメインに結合するNPF配列を含む領域の他に,N末端にENTHドメインと命名された機能不明の新規ドメインが存在する.このドメインは生物種の間で保存性が高く,epsinタンパク質がENTHドメインを介してエンドサイトーシスにおいて何らかの機能を果たしていると考えられた.そこで本研究では,このepsinのENTHドメインの立体構造の解析をNMRを用いて行った.EHドメインの時と同様に,大量発現及び精製の条件を検討し,安定同位体標識を行って各種多次元NMRスペクトルを測定,解析し,二次構造を明らかにした(図3).その結果,ENTHドメインは6本のヘリックス(1-6)から構成されており,各ヘリックスの長さは2-5ターンと一定ではない.一方,ヘリックス間のループの長さは,1と2の間及び5と6の間のループが相対的に長いのに対し,残りの3つのループ(2と3,3と4,4と5の間)は短い.N末端の約20残基とC末端の10残基は二次構造に特徴的なNOEは観測されず,long rangeのNOEもほとんど観測されないため,特定の構造を形成していないと考えられる.ENTHドメインの間で保存性が極めて高い残基をENTHドメインの2次構造上にマッピングすると,4つのループ及び隣接するヘリックスの末端領域に主に集中している.このことは,これらのループ(特に3と4の間のループ)がENTHドメインの機能に関与している可能性を示唆している.

図3 epsinのENTHドメインの2次構造.2次構造に特徴的なNOEを示す.

 情報伝達系の機能ドメインには,基本構造を保持しながら様々な基質認識システムを獲得してきたと考えられるものが多い.本研究における一連の立体構造及び分子認識機構の解析は,各機能ドメインの機能構造上の普遍性と個別性の解明に重要な知見を与えるもので,情報伝達系における分子認識機構の多様性に対する理解を深めるものである.

審査要旨

 細胞内情報伝達系に関わるタンパク質は,基本的に複数の機能ドメインから構成されており,これら各機能ドメインが基質とそれぞれ特異的な分子間相互作用を行うことにより情報伝達系を制御している.このため各機能ドメインの立体構造を解明し,その基質認識の特異性を高次構造レベルで明らかにすることが必要である.

 本論文では,細胞内情報伝達系の中でも,特に受容体から低分子量Gタンパク質Rasを経由して細胞骨格系やエンドサイトーシスを制御すると考えられている伝達系に注目し,この経路に関わる3種類の新規機能ドメインについて,NMR法を用いて立体構造及び基質認識機構を解析している.

 第2章では,RasのGDP/GTP交換因子Sos(Son of sevenless)に存在するpleckstrin homology(PH)と呼ばれる,情報伝達系に広く存在するドメインの立体構造を明らかにした.mouse Sos1のPHドメインは,7つのストランドから構成される2つの逆平行シートとC末端のヘリックスからなるPHドメインに特徴的な立体構造を形成しているが,さらにN末端側にSosのPHドメインに特徴的なヘリックスが存在し,最初のシートに結合して構造を安定化していることを初めて明らかにした.またホスホイノシチド(PtdIns(4,5)P2)との結合を同定し,その可溶性部位であるIns(1,4,5)P3との相互作用をNMRを用いて解析した.そしてIns(1,4,5)P3がmSos1のPHドメインの,1/2間と3/4間の2つのループで構成される,正に帯電した分子表面に結合することを初めて明らかにした.この結合部位は他のPHドメインの場合と類似しているが,相互作用に関わる残基はそれぞれ異なり,多様な基質認識が存在すると推察している.

 第3章では,Ras情報伝達系路の末端で働くPOB1タンパク質に存在する,Eps15homology(EH)と呼ばれるエンドサイトーシスに関与する多くのタンパク質に存在するドメインの立体構造を解析し,4本のヘリックスが,EFハンド構造に特徴的な1対のヘリックスループヘリックス(HLH)構造を形成し,隣り合った2つのHLH構造のループ間が短いシートを構成していることを初めて明らかにした.このEHドメインの構造を他のEFハンドドメインと比較すると,カルビンディンに類似していることが示された.一方EDTAの添加に伴うPOB1のEHドメインの主鎖の化学シフトの変化を調べ,このドメインがカルシウムイオンを強固に結合していることを明らかにした.このことからPOB1のEHドメインにおけるカルシウムイオンが,他のEFハンドタンパク質とは異なり,構造上の安定性に必要であることが示唆された.さらに,基質であるepsinのC末端領域に存在するAsn-Pro-Phe(NPF)配列を含むペプチドが,EHドメインの2番目と3番目のヘリックスが構成する分子表面に結合することを明らかにした.この分子表面の中央は保存性の高い3つの疎水性残基(F48,L58,W62)から構成されており,ペプチドと疎水性の相互作用により結合すると考察している.この結果は他の2つのEHドメインでの解析結果とよく一致しているが,他のEFハンドタンパク質の基質認識部位とは全く異なっており,EFハンドタンパク質ファミリーの中でのEHドメインの独自性が示された.

 第4章では,このPOB1のEHドメインに結合するepsinタンパク質のN末端に存在し,エンドサイトーシスで重要な役割を果たすENTHドメインの構造解析を行い,このドメインが6本のヘリックス(1-6)から構成されることを初めて明らかにした.そしてドメイン間で保存性が極めて高い残基が4つのループ及び隣接するヘリックスの末端領域に主に集中しており,これらのループ(特に3と4の間のループ)がENTHドメインの機能に関与している可能性が示唆された.

 なお,本論文の第2章は,東京大学の横山茂之教授,理化学研究所の木川隆則博士,金載勲博士,白水美香子博士,Peter MacCallum Cancer InstituteのDavid Bowtell博士との共同研究であり,第3章は,東京大学の横山茂之教授,理化学研究所の木川隆則博士,岩原淳二博士,広島大学医学部の菊池章教授との共同研究であるが,いずれも論文提出者が主体となって研究を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.従って,審査委員会は,本論文提出者が博士(理学)の学位を受ける資格あるものと判定した.

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