No | 115047 | |
著者(漢字) | 野澤,彰 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ノサワ,アキラ | |
標題(和) | 緑葉におけるアスパラギンとグルタミンの合成に関与する遺伝子の発現とその生理学的意義 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 115047 | |
報告番号 | 甲15047 | |
学位授与日 | 2000.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第3811号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 植物は移動能力をもたないために、栄養素を根の届く範囲の限られた土壌中からしか取り入れることができない。そのため、老化し枯れ落ちていく葉の中に含まれているものさえも植物にとっては貴重な資源である。緑葉は老化の最終段階にその内容物を分解し、その構成要素である窒素やリンは発達中の器官や貯蔵器官に転流され再利用される。このとき、窒素は主にアミノ酸の形で転流されると考えられている。その中でアミドアミノ酸である、アスパラギン(Asn)とグルタミン(Gln)はいくつかの植物では導管液、篩管液中に多量に存在することや、1分子中に2原子の窒素をもつことからこれらが主な老化葉からの窒素の転流形態であると考えられてきた。AsnとGlnはそれぞれ、アスパラギン合成酵素(AS)とグルタミン合成酵素(GS1)によって合成される(図1)。実際にAsnとGlnが窒素の輸送形態として働いているとすると、緑葉では老化の進行に伴い、ASやGS1遺伝子の発現を上昇させ、それぞれの酵素タンパク質の量を増大させることによってAsnやGlnの合成速度を上げて窒素の転流を促進していると考えられる。しかし、AS及びGS1遺伝子の発現はさまざまな植物で調べられているものの、緑葉の老化過程での発現解析はあまり進んでいない。GS1遺伝子の老化葉での発現はいくつかの植物で報告されているが、人為的に老化を誘導する処理として知られる暗処理を行った場合、シロイヌナズナでは発現が上昇するという報告と、減少するという相反する報告がなされている。また、AS遺伝子は暗処理で発現が上昇することは様々な植物で確認されているが、老化葉での発現については研究例がない。 そこで本研究では、ハツカダイコンにおいてASとGS1が共に緑葉の老化過程における窒素転流に関与しているのかどうか、もしそうでなかったらどのような生理的な役割が考えられるのか、またその遺伝子の発現はどのような機構で調節されているのか、といった点について検討した。 まずこれらの酵素が実際に窒素の転流に関与しているのかどうかを検証することにした。残念ながらいくつかの理由でこれらの遺伝子産物の活性を直接測定することも、特異性の高い抗体も得ることもできないので、ハツカダイコン子葉の老化過程において、それぞれの遺伝子の転写産物の蓄積量と酵素の反応産物であるAsnとGlnの子葉内及び篩管液中の量的変化を解析した。葉齢の進行に伴いGS1遺伝子の転写産物の蓄積量は上昇するのに対し、AS遺伝子の転写産物の蓄積は確認されなかった(図2)。またこのとき篩管液中のアミノ酸組成を調べると、子葉の老化にともないGln濃度は上昇し全アミノ酸の50%にまで達していたのに対しAsnの濃度は低レベルのままであった(表1)。 次に暗処理による人為的な老化過程での解析を行った。その結果、ASおよびGS1遺伝子の発現が、暗所におかれた葉の齢により変化することが明らかになった(図3)。7日目の若い子葉ではGS1遺伝子の転写産物の蓄積量は暗処理を施すことにより減少したが、20日目の古い子葉では上昇した。またこれとは逆にAS遺伝子の転写産物の蓄積量は7日目の若い子葉では上昇したが、20日目の古い子葉では上昇しなかった。またアミノ酸組成の変化を調べた結果、7日目の若い子葉では暗処理により篩管液中よりも子葉内においてAsnの濃度が上昇していることが示された。 これらの結果より、老化子葉からの窒素転流においてGS1は極めて重要な役割を演じているが、ASの関与は低いことが示唆された。また、Asnは窒素の転流よりはむしろ貯蔵に関与している可能性が示唆された。 暗所でのASの生理的役割を推察するために、7日目のハツカダイコンに長期間の暗処理を施したときの遺伝子発現と子葉内の生理的変化を比較した。暗処理を施すことにより、子葉内の糖濃度は速やかに減少し、AS遺伝子の発現が上昇し始めることが確認された。AS遺伝子の発現の上昇とともに、子葉内のタンパク質量が低下しAsn量が増加することが確認された。この結果から、ASは暗所下で糖を消費しつくした細胞が、タンパク質を呼吸基質として用い、そのときに発生するアンモニアをAsnに再同化することに関与しているのではないかと考えられる(図4)。 次に、7日目の植物体に1、3、5日間の暗処理を施したあと明所に戻したときのAS遺伝子の発現と子葉内の生理的変化を解析した。その結果暗所下ではショ糖濃度が減少し、AS遺伝子の転写産物の蓄積量は増加しており、明所に戻すとショ糖濃度は上昇し、AS遺伝子の転写産物の蓄積量は検出限界以下まで低下していた(図4)。また、光を再照射することによりAsnおよび全遊離アミノ酸の含量は減少し、タンパク質の含量は上昇していた。このとき光再照射により減少したAsnに含まれる窒素量を求めると、増加したタンパク質に含まれる窒素量の平均して約30%に相当していた(図4)。この結果は、暗所で合成されるAsnは単に解毒のためだけではなく、光再照射時に子葉内で合成されるタンパク質の窒素源として活用されている可能性を示している。 ハツカダイコンにおいてGS1遺伝子の発現は、当研究室の渡辺らにより細胞内のGln/Glu比の低下により誘導されることが示されているが、AS遺伝子の発現制御に関しては調べられていない。ASの生理的役割を推察するうえで、AS遺伝子の発現が何によって調節されているのかを明らかにすることも重要である。シロイヌナズナの葉やトウモロコシの根においてAS遺伝子の発現が糖により抑制されることが報告されている。そこで、ハツカダイコン子葉においても同様の制御機構が働いているのかどうかについて解析した。7日目のハツカダイコン子葉を切り葉にして3%ショ糖を含む培地に浮かべたところ暗所下でもAS遺伝子の転写産物の蓄積は検出されなかった。また光合成阻害剤であるDCMUを含む培地に浮かべると明所下でも転写産物の蓄積が観察された(図5)。一方、GS1遺伝子の転写産物の蓄積様式はAS遺伝子のものとは異なっており、糖による発現の抑制は観察されなかった。以上の結果より、ハッカダイコンにおいてもAS遺伝子の発現は、子葉内の糖濃度の低下により誘導されていることと、ASとGS1はそれらの遺伝子の発現制御においても全く異なる機構が働いていることが示唆された。 AS遺伝子の発現は暗処理や糖飢餓によって誘導されることが示されたが、これらは極めて人工的な条件である。自然環境下でははたしてASが発現するような状況が生じるのであろうか。糖濃度の低下とAS遺伝子の発現に相関が示されたことより、自然条件下でも光強度が補償点以下に低下すれば子葉内糖濃度が低下し、AS遺伝子の発現が誘導されるのではないかと考えた。7日目のハツカダイコン子葉において光補償点を測定したところ、ほぼ12〜18mol m-2 s-1であった。自然界における光の強さを測定すると、雨の日や曇りの日でも木陰などでは光の強さは10mol m-2 s-1以下に低下していた。そこで、7日目のハツカダイコンを補償点以下の光条件下に移した。24時間後には子葉内のデンプン、ショ糖の含量は低下し、AS遺伝子の発現は上昇していた(図6)。これより、自然条件下においても天候の悪化により十分に光合成が行えないような状況においてAS遺伝子が発現しうることが示された。 これまでASとGS1はともに窒素転流に関与していると考えられてきたが、本研究により老化葉からの窒素転流におけるGS1の重要性が篩管液中のGln濃度の上昇から裏付けられた一方、ASは窒素の転流よりは,むしろアミノ酸の炭素鎖をエネルギー源として使用するために余剰となる窒素の一時的貯蔵に関与している可能性が示唆された。 緑葉でのASとGS1の遺伝子発現の光条件への応答が葉齢により変化することから、植物は光環境が悪化すると古い葉では老化を促進して、GS1の働きにより窒素転流を加速するのに対し、若い葉ではASなどの働きにより一時的に窒素を貯蔵することにより、その葉を維持しようとしているのではないかと考えられる。これは個体内における窒素の分配を状況に応じて調節するという、高等植物が限られた窒素を有効に利用するための機構の一つであろうと推察される(図7)。 | |
審査要旨 | 本論文は三つの章からなり、高等植物の窒素利用におけるアスパラギン合成酵素(AS)と細胞質局在型グルタミン合成酵素(GS1)の生理的役割について、それぞれをコードする遺伝子の緑葉における発現、それに伴う様々な生理的変化の解析を通じて考察している。 窒素は主にアミノ酸の形で転流されるが、その中でもアミドアミノ酸である、アスパラギン(Asn)とグルタミン(Gln)が主な窒素の転流形態であると考えられてきた。アスパラギンとグルタミンはそれぞれ、ASとGS1によって合成されることから、ASとGS1は窒素転流において中心的な役割を担っていると考えられているが、これまでに行われた研究では必ずしもこの仮説を支持しない結果も得られていた。そこで本論文では、ハツカダイコン子葉を用い、とくに緑葉の老化過程と暗所という光合成が行えない一種のストレス条件下でのASとGS1の働きについて解析を行っている。それらが共に緑葉からの窒素転流に関与しているのかどうか、もしそうでなかったらどのような生理的な役割が考えられるのか、またその遺伝子の発現はどのような機構で調節されているのか、といった点について検討している。 最初の章ではこれらの酵素が実際に窒素の転流に関与しているのかどうかを検証している。ハツカダイコン子葉の自然老化と暗処理による人為的な老化の過程において、ASおよびGS1遺伝子の転写産物の蓄積量とそれらの酵素の反応産物であるAsnとGlnの子葉内及び篩管液中の量的変化を解析した。その結果、GS1遺伝子の発現は若い子葉では見られないものの、齢が進むと明所においても徐々に高まり、暗処理はその発現を著しく促進し、Glnが篩管液中に増加すること、AS遺伝子は若い子葉でのみ暗条件に応答して発現し、Asnは転流されずに子葉内に留まることを示し、GS1は老化子葉からの窒素転流に極めて重要な役割を担っていること、ASは窒素の転流への関与は低いものの、暗所というストレス条件下での窒素の貯蔵に関与している可能性を示している。 次の章では暗所におけるASの生理的役割について推察している。ハツカダイコンに長期間の暗処理を施したときの遺伝子発現の変化と子葉内の生理的変化を比較した結果は、暗所下で糖を消費しつくした子葉の細胞が、タンパク質を分解し、遊離するアミノ酸を呼吸へまわすときに発生するアンモニアをAsnに再同化する役割をASが担っていることを示唆している。また、暗処理を施した植物に光を再照射したときのAS遺伝子の発現と子葉内の生理的変化の解析結果より、暗所で合成され、転流されずに子葉細胞内に留まることを示すことによってAsnは単に解毒のためだけではなく、光再照射時に子葉内で合成されるタンパク質の窒素源として活用されていると考察している。 最後の章では、AS遺伝子の発現に対する糖及び、窒素化合物の影響について解析し、ハツカダイコン子葉においてAS遺伝子の転写産物の蓄積は、子葉細胞内の糖濃度の低下や窒素化合物の増加により誘導されることを明らかにしている。この結果より、AS遺伝子の発現は子葉内の炭素/窒素比の低下によって誘導されるのではないかと考察している。またこの章では、自然条件下ではどのような状況においてASが働いているのかについて検討している。ハツカダイコン子葉においてAS遺伝子の転写産物の蓄積は通常の明暗周期では起こらないものの、補償点以下の弱い光条件下では24時間後に増加することから、自然条件下では天候の悪化などにより十分に光合成が行えないような状況において機能しているのではないかと述べている。 これまでASとGS1はともに窒素転流に関与していると考えられてきたが、本研究の結果より少なくともハツカダイコンにおいては老化葉からの窒素転流におけるGS1の重要性が篩管液中のGln濃度の上昇から裏付けられた一方、ASは窒素の転流よりは、むしろアミノ酸の炭素鎖をエネルギー源として使用するために余剰となる窒素の一時的貯蔵に関与していると推察される。また、緑葉でのASとGS1の遺伝子発現の光条件への応答が葉齢により変化するのは、植物は光環境が悪化したときに古い葉では老化を促進して、GS1の働きにより窒素転流を加速するのに対し、若い葉ではASなどの働きにより一時的に窒素を貯蔵することにより、その葉を維持しようとするためではないかと考察している。以上の結果は、AS及びGS1は、それぞれ役割は異なるものの、共に植物個体内における窒素分配の最適化に寄与しており、高等植物における窒素の有効利用において重要な役割を担っていることを改めて示唆するものである。 本論文は、渡邊昭、林浩昭、伊藤正樹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/54129 |