内容要旨 | | サルオガセ属はウメノキゴケ科に所属する大形の樹枝状地衣で,極地から熱帯まで広く分布しており世界で約600種が知られている。地衣体は円柱形で外側より皮層,髄層,中軸等に分化している。本属では有性生殖器官である子嚢果や粉子器を付けることが稀で,約半数の種では全く知られていない。しかし,世界に広く分布していることや無性生殖器官が多様であることを考え合わせると,本属は無性生殖によって分布域を拡大し多様化してきた一群であると言える。 最初のワールドモノグラフはMotyka(1936-38)によって作成され,日本及び台湾産の種18種を含む451種が報告された。日本,台湾及びその周辺地域におけるサルオガセ属はAsahina(1950-73)の網羅的な研究などにより,現在2亜属55種23亜種8変種17品種が知られている。朝比奈は本属の分類形質に地衣体の分枝法,皮層・髄層・軸の割合の数量化,地衣成分などの形質を重視して分類学的研究を行い,本属の研究で大きな成果を上げた。 しかし,サルオガセ属の地衣体に生じる粉芽,裂芽状突起,パピラ,二次枝や地衣成分の種内変異などについては未だに十分な分類学的検討がなされていない点が多い。 本研究では,日本及び台湾産サルオガセ属の種の実態を明らかにし,モノグラフの作成を行うことを目的とする。本属は有性生殖器官をつけにくい反面,様々な様式で無性生殖器官を発達させて適応放散してきたと考えられるので,これらの諸形質の検討には特に留意した。また,地衣体の分類形質として重視されながら本属では研究がなされていない皮層組繊にも着目して検討した。地衣成分の存在様式については微量成分を含めて詳細に検討し,成分の種特異性と種内化学変異について検討した。 材料 本研究では国立科学博物館(TNS)所蔵のサルオガセ属に所属する標本約1800点(エキシカータ標本及び大村採集品約300点を含む)を用いた。 関連種のタイプ標本は次のハーバリウムより借用して検討した:BG,BM,FH,G,H,LINN,M,PC,S,TNS,TUR,UPS,W。 方法 形態観察には実体顕微鏡,明視野顕微鏡,ノマルスキー型微分干渉顕微鏡,走査型電子顕微鏡を用いた。地衣体及び生殖器官の観察は凍結ミクロトームを用いて10mの厚さにスライスしGAWで封入したものを用いた。 地衣成分は,呈色反応法,顕微結晶法(MCT),薄層クロマトグラフ法(TLC),高速液体クロマトグラフ法(HPLC)を用いて検出し,標準サンプルと比較して成分を決定した。 分子系統樹は,2年以内に採集された試料からDNAを抽出し,菌類に特異的なプライマーを用いてrDNA ITS領域を増幅し,得られた塩基配列をClustalWによってアライメントし,NJ法によって作成した。 結果および考察1.形態に関する分類形質 地衣体には,樹形,分枝型,枝の断面の形態,軸構造,皮層・髄層・軸の割合,粉芽や裂芽状突起,パピラの有無、ソラリアの形態,皮層の脱落や環状の割れ目,皮層菌糸組織,有性生殖器官などが分類形質として認められた。これらのうち本研究では,無性生殖器官であるソラリアの形態が発生様式の違いと関連していることや,地衣体に生じる割れ目や皮層の脱落が組織的に違うことを明らかにした。さらに,従来均一だと考えられていた皮層菌糸素組織が4タイプに識別できることも分かった。 無性生殖器官であるソラリアは,(1)発生場所の違い,(2)パピラのタイプの違い,(3)粉芽あるいは裂芽状突起ができるかどうかという3つの要因によって形が決まることが分かった(図1)。このようなソラリアの発生様式の違いと形を関連させて考えることにより,ソラリアに中間的な形が生じた場合にも種が識別できることを明らかにした。ソラリアがパピラの先端から生じる場合には、それらは融合せずに点状の形のままであるか,あるいはとなり合うソラリアと融合して不規則な形になる。一方,側枝の脱落痕にソラリアが発逹する場合,形は全て点状であり,それが融合しあうことはなかった。割れ目にソラリアが生じた場合には,割れ目に沿った形となるために,一定した形は見られなかった。皮層下部から直接ソラリアが生じる場合には,形は円形または融合して不定形で柄が反り返る。パピラにはhemispherical,verrucose,cylindricalの3つのタイプがあることが知られている。これらのうち,verrucoseまたはcylindricalタイプのパピラから生じたソラリアは有柄となることが分かった。ソラリアに裂芽状突起が生じる場合には成長すると頂点が凸状に盛り上がってくるが,顆粒状粉芽が生じた場合には頂点が凹状にへこむ。これは粉芽がソラリアから分離した結果によるものと考えられる。さらに,裂芽状突起はパピラの浸食,脱落痕,割れ目の3つの起源から生じることがあるが,顆粒状粉芽は,パピラの浸食または皮層下部からのみ生じることが分かった。 サルオガセ属の地衣体には環状の割れ目を生じるものが多数ある。本研究によりこれらの割れ目には擬盃点として認識すべきものと単なる割れ目の2型があることが明らかになった(図2)。前者はU.longissimaやU.diffractaに見られ,環状部が隆起し,そこが薄い皮層で被われることで,単なる割れ目から区別される。増殖した髄層菌糸によって皮層に亀裂が生じることや機能的にこの部分がガス交換の場所となっていることから,前者を擬盃点と考え,"環状擬盃点(annular-pseudocyphella)"として新たに用語を定義した。 皮層菌糸組織は従来均一なものとされており,これまでに十分な検討は行われてこなかった。本研究ではまず皮層菌糸の壁と内腔が,髄層菌糸と比べてどのように肥厚するかに着目することよって薄壁菌糸と厚壁菌糸の2つを識別した。さらに,厚壁菌糸組織には菌糸の膠着の程度や菌糸の走り方の違いによって3つのタイプの組織が識別され,それぞれをmerrilii-type,ceratina-type,baileyi-typeとした(図3)。Merrillii-typeは菌糸間が分離し,髄層菌糸と比べて内腔は肥厚せずに細胞壁のみが肥厚するタイプである。Ceratina-typeは菌糸間が強く膠着し,菌糸内腔も細胞壁も肥厚するタイプである。Baileyi-typeは菌糸が緩く膠着し,肥厚はほとんどせずに菌糸が不規則に走るタイプである。薄壁菌糸組織はsect.Usneaにのみ観察され,Baileyi-type厚壁菌糸組織はsect.Eumitriaにのみ観察された。Merrillii-typeまたはCeratina-type厚壁菌糸組織はサルオガセ属内で広く観察されたが,どちらのタイプの組識かは種によって決まっていた。このように皮層菌糸組織は種または種群ごとに安定しており分類形質として有効であることが明らかになった。また地衣体の皮層が脱落する種や環状の割れ目が生じる種はMerrillii-type厚壁菌糸組織であった。これらは菌糸細胞間が分離していることに基づく同質の現象と捉えることができる。 2.地衣成分 今回の研究では,36種類の成分(未同定物質5種類を含む)が検出された。形態的に識別された種には,量的な変動は認められるものの,一定の成分の組合せがあることが認められた(表1)。種に化学変異が認められなかったものにはU.aciculiferaなど24種,化学変異が認められたものには18種あることが分かった。さらに化学変異があるものにはメチル化や酸化などの生合成反応によって説明できる派生成分が化学変異として生じる場合(U.pygmoideaなど9種)と,それらの生合成反応だけでは説明できない化学変異(U.longissimaなど9種)があることが認められた。本研究では最終産物の違いだけによってタクサを区別するのではなく,生合成的に関連のある成分のグループを分類形質として用い,このグループ内のいくつかの成分が欠如あるいは付加しても,質的には変わらないものとして,変動する成分をアクセサリー成分として扱った。これによって,これまでに種内分類群として区別されていたタクサを母種のシノニムとした。なお,現在知られている生合成反応で説明できない成分グループが同一の形態の種内に出現した場合,本研究では化学変異株が同一種に所属するかどうかの評価を分子系統学的手法によって行った。問題となる全ての種については試料の採集が困難であるために,今回材料には,亜高山帯で普通に見られるU.longissimaおよびU.wasmuthiiを用いた。U.longissimaは生合成過程が異なると考えられているオルチン系デプシド,-オルチン系デプシドを化学変異株に持つ。U.wasmuthiiは-オルチン系デプシドンおよび-オルチン系デブシドを化学変異株に持つ。解析を行ったところ,分子系統樹上ではこれらは同一のクレードを形成したことから,同一種内の化学変異株であることが示唆された(図4)。 結論 ・形態形質および地衣成分の違いによって日本及び台湾産サルオガセ属として42種を認めた(新産種6種)(表2)。 ・環状擬盃点の有無,分枝型,軸のヨウ素反応,子嚢下層の厚さの違いをもとにサルオガセ属にDolichousnea亜属を新亜属として提唱した。また,本亜属の単系統性は分子系統樹によっても示唆された(図4)。 ・Usnea亜属の中に皮層菌糸組織の特徴などによって3節を認めた(表2)。 図表表1.主要地衣成分の種内での存在様式と出現頻度(%).Usn=usnic acid,Nor=norstictic acid,Sal=salazinic acid,PrC=protocetraric acid,CSt=constictic acid,Sti=stictic acid,Men=menegazziaic acid,ScP=succinprotocetraric acid,Fum=fumarprotocetraric acid,Gal=galbinic acid,CPs=2’-O-demethylpsoromic acid,Pso=psoromic acid,Lob=lobaric acid,Thm=thamnolic acid,Squ=squamatic acid,Bae=baeomycesic acid,Dif=diffractaic acid,Bar=barbatic acid,dBr=4-O-demethlbarbatic acid,Eve=evernic acid,Lec=lecanoric acid,E-B=eumitrin B,EA1=eumitrin A1,EA2=eumitrin A2,Zeo=zeorin,n=number,ST=chemical strain / 表2.日本及び台湾産サルオガセ属として認められた種および分類ランクのリスト.太字は新産種図表図1.ソラリアの発生起源と形態.起源:A.パピラ先端.B.側枝の脱落痕.C.割れ目.D.皮層下部.形(平面):a.円形.b.不定形.c.点状.d.不定形.e.不定形.形(立面):a-d.凸(裂芽状突起あり).e.凹(顆粒状粉芽あり) / 図2.環状擬盃点(A-C)と環状の割れ目(D-F).A-C.Usnea diffracta(SK67126).D-F.U.pangiana(TNS-L-22728).A,D=全形.B,E=断面図.C,F=模式図. / 図3.皮層菌系組織.A,E=薄壁菌糸組織[Usnea glabrescens(YO3824b)].B,F=Merillii-type厚壁菌糸組織[U.pangiana(TNS-L-22582)].C,G=Ceratina-type厚壁菌糸組織[U.intumescens(holotype)]. D,H=Baileyi-type厚壁菌糸組織[U.baileyi(C=SKexl47,G=YA-F-281b)].A-D:scales=10m。 / 図4.分子系統樹と属内分類群.地衣菌rDNAのITS領域および5.8SrDNAの欠失・挿入を除く439塩基に基づく近隣結合樹.距離はKimura2-parameterを用いた.枝上の数字は1000回試行時のブートストラップ確率(%). |
審査要旨 | | 本論文は6章からなり,第1章は,序文,第2章は,地衣体の形態学的および解剖学的特徴と分類形質としての評価,第3章は,地衣成分の種類と種内化学変異,第4章は,分子系統解析,第5章は種の分類学的検討,第6章は考察結果について述べられている。 本研究は主として国立科学博物館に所蔵されている1800点を超える膨大な資料に基づいて行われたもので,比較検討に必要な基準標本や文献についても世界各地の研究所から借用の上精細に検討されている。論文は,第1章でサルオガセ属を分類学的に考察する根拠を明確に示した後,第2章では,これまでに分類学的に混乱をもたらしてきた,地衣体の分枝,無性生殖器官,地衣体皮層の形態学的及び解剖学的所見について,分類形質としての再評価を行い個々の形質の有効性と利用できない形質を明確にした。特に,皮層の解剖学的特徴からサルオガセ属には分類群によって固有の形状を示す4型が存在することを発見し,これが本属の系統を示す重要な形質となることを発見した。また,本属特有の散布体であるソラリアの形態がその発生起源の違いによって異なることを明らかにし,近縁種もこの特徴用いて明瞭に区別できることを示した。二次代謝産物については,TLC,HPLC法を用いて微量成分を含む全含有成分を明らかにし,種によって種内化学変異を持つものと持たないものがあることを明らかにすると共に,地衣体に現れる形態の違いと二次代謝産物の特徴を種の判定に用いる論拠を示した。また,これらの形質を用いて認識される種について,rDNA ITS領域を用いて分子系統解析を行い,本研究で得られた種の系統が2大別されることを示唆した。これらの,研究結果からこれまでに報告されていた55種23亜種8変種17品種のタクサを分類学的に整理し新産種6種を含む42種が認められると結論づけた。また,本属に特有の環状偽盃点の存在を発見し,分子系統解析の結果をも踏まえてDolichousnea亜属を提唱している。 本研究により,最も分類が困難とされているサルオガセ属の種の認識法が明確に示され,その手法は地球全域に生育する本属の研究に応用が可能であり,地衣類の分類と系統を考察する上で重要な役割を果たすものと確信する。したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。 |