海洋には大気中の二酸化炭素量を上回る、700ギガトンもの有機炭素が孔径1m程度のフィルターを通過する溶存有機物(DOM)として存在するが、その多くは数千年スケールの回転時間を有する生物学的に不活性な画分である。一方、遊離アミノ酸などの一部のDOMは従属栄養の細菌群集により迅速に消費されるため海水中に殆ど蓄積しないことが知られている。また、近年、数ヶ月程度かけて分解されるDOMの存在が指摘され、この画分は生成、蓄積、代謝を通じてDOMの鉛直輸送や生物活動に密接に関与していると考えられる。このように海洋のDOMはその構成成分によって回転時間に大きな輻を持ち、またその回転時間により物質循環における意義が異なるため、海洋における有機物分解の制御機構の理解が重要である。中でもタンパク質は細菌にとって重要な基質であるため分解速度は比較的速いと従来考えられてきたが、近年、複数の海域で細菌起源の特定のタンパク質が検出されるなど、その分解の制御因子に関しては不明な点が多い。そこで本研究は、タンパク質に着目して、海洋における有機物の微生物分解特性をその存在状態と細菌群集の分解活性の両面から解析することを目的として行った。 海洋細菌はDOMの主要な分解者であると共に,その生物量と増殖速度の速さからDOMの起源としても重要であると考えられる。特に培養された細菌ではタンパク質が菌体炭素量の約60%を占めることから、海洋でも細菌が溶存タンパク質の重要な起源の一つであることが推測されるが、これまで現場海洋細菌群集の化学組成を直接測定した例はない。そこで、海水中から細菌群集をろ過により選択的に大量濃縮し、そのタンパク量とアミノ酸組成を測定した。現場海洋細菌のアミノ酸組成は培養細菌のものと類似していたが、そのタンパク量は炭素に対して31±11%(n=8)と培養細菌の場合に比べて低く、C/N比が5.0-7.7と培養細菌の約4に比べて高いことと一致した(表1)。また、外洋域と沿岸域の細菌群集では、アミノ酸組成や菌体炭素量に対するタンパク質の寄与に有意な違いは見られなかった。 (表1)現場海洋細菌群集の炭素(C)、窒素(N)およびタンパク質含量 細菌によるアミノ酸の生合成は基質のアミノ酸組成と密接に関係しているため、細菌群集とDOMでアミノ酸組成を比較することは細菌によるタンパク質の分解を考える上で重要である。これまでの報告例からDOMが分子量により特有のC/N比と微生物分解特性を持つことが推測されているが、起源の生体構成成分により近いと考えられる分子量1万以上の画分については組成や分解性に関する知見が乏しい。そこで0.1mでろ過した沿岸水から分子量1万以上の画分(HMW-DOM)とそれ以下の画分(LMW-DOM)を限外ろ過により分離し、アミノ酸量を測定した。アミノ酸組成の傾向はHMW-DOMとLMW-DOMで極めて類似し、現場海洋細菌とDOMのアミノ酸組成についてもタンパク質を構成するアミノ酸について傾向が一致した(図1)。この結果から、HMW-DOMとLMW-DOM中のタンパク態有機物が細菌群集に分解される過程においてアミノ酸に対する選択性が働いていないことが示唆された。 図1:現場海洋細菌群集(Bacteria)と、HMW-DOMおよびLMW-DOMにおけるアミノ酸組成の比較。エラーバーは1 SDを意味し、タンパク質を構成するアミノ酸については残基の性質に基づいて分類してある。各画分の試料数は次の通り。Bacteria(南大洋2、太平洋赤道域1、太平洋移行域1、東京湾2、大槌湾2)、HMW-DOM(大槌湾2、伊豆諸島近隣1、伊豆諸島沖1)、LMW-DOM(大槌湾2、相模湾1)。 細菌が死滅し、菌体を構成していたタンパク質がDOMプールに移行する過程を考えると、その存在状態はかなり複雑であることが予想される。そこで、タンパク質の存在状態が微生物分解性に与える影響を調べるために海洋細菌を基質に用いた分解実験を行った。海産の従属栄養細菌Vibrioalginolyticusと籃色細菌Synechococcus sp.のタンパク質を3Hまたは14Cで標識した後、超音波処理と超遠心分離により菌体を可溶性画分と膜画分に分離した。次に、両画分を標識元素が異なるようにろ過海水に添加して暗所、室温にて2日から2週間程度静置し、海水中の従属栄養の微生物群集により分解させた。その結果7回の実験中6回で、タンパク質の分解速度定数は可溶性画分で膜画分の1.7-5.9倍大きな値を示し、可溶性タンパク質が膜タンパク質に比べて速やかに分解されることが明らかになった(図2A)。次に、膜画分から界面活性剤や有機溶媒でタンパク質を抽出した標品を作成し、未抽出の膜タンパク質と分解速度を比較したところ、5回中4回の実験で、抽出標品が未抽出標品の分解速度定数を1.7-2.8倍上回った(図 2B)。さらに、抽出標品を未抽出の膜画分と再構成させて同様に分解させたところ、分解速度が未抽出の膜画分とほぼ等しくなることが示された(図2B)。これらの結果は、タンパク質が他の成分と会合することで細菌群集のプロテアーゼによる分解から守られて分解速度が低下することを示唆している。近年、海水中に細菌起源の膜タンパク質が存在することが報告されており、以上の結果はこの報告を支持した。 図2:Synechococcus sp.の膜画分(Mem)と可溶性画分(Sol)に含まれるタンパク質の海水中における微生物分解性の比較(A)。(B)は同膜画分(Mem)と、これをクロロホルム-メタノールで抽出して得られたタンパク質(Extracted)、ならびに抽出したタンパク質を再び膜画分と再構成させた標品(Reconstituted)の間で微生物分解性を比較したもの。縱軸は系内の標識元素の総量に対して、二酸化炭素または水の画分で検出された標識元素の量の割合を示す。 次に、海水中のDOMについて会合化による微生物分解性の影響を調べるために、HMW-DOMとLMW-DOMの各画分に少量のろ過海水を添加して暗所、室温にて静置し、海水中の微生物群集によるDOMの分解過程を調べた。大槌湾における実験では、細菌数の増加と有機炭素量の減少はLMW-DOMで明らかに高く(表2)、HMW-DOMに比べてLMW-DOMに細菌群集が利用しやすい有機物が多く含まれることが考えられた。アミノ酸の全量は分解初期に増加する傾向がHMW-DOMで見られたが、これは実験中に増殖した細菌を除去しないでアミノ酸の定量を行ったことに起因し、細菌が各画分中の有機物をタンパク質に作り替えたことを意味している。また、LMW-DOMではアミノ酸が減少する傾向が多く見られたのに対し、HMW-DOMではむしろ増加する傾向が見られ(表2)、HMW-DOMに元来含まれるタンパク質に対する細菌の利用が進んでいないことが示唆された。この現象は分解試料中のロイシンアミノペプチダーゼ(LAPase)の変化とも一致し、細菌1菌体あたりのLAPaseの比活性はHMW-DOMに比べてLMW-DOMで高くなった(表2)。以上の結果から、タンパク質が他の有機物と会合して見かけの分子サイズが大きくなっている場合に、微生物分解を受けにくいことがDOMにおいても確認された。 (表2)DOMの分解実験における細菌数、有機炭素(C)、アミノ酸の変化量とLAPaseの比活性 海洋細菌が高分子有機物を分解する第一の段階は、細胞外加水分解酵素による断片化である。従って、海水中の加水分解酵素の活性が空間的にどのくらい変動し、また、その変動がどのような環境因子に影響されているか解析することは、タンパク質分解の制御機構を考える上で重要である。これまで、海水中の細胞外加水分解酵素の測定にはアミノ酸や単糖に蛍光プローブが結合した疑似基質が主に用いられてきたが、それらの低分子の疑似基質で真の高分子分解活性が測定されるのか不明な点が多い。そこで、岩手県大槌湾で1996年11月と1997年4月に実験を行い、環境水中のペプチダーゼの測定に非常によく用いられるLeu-MCAと蛍光カゼイン、および3Hで標識した牛血清アルブミン(BSA)を基質に用いて、酵素活性を比較した。各基質を飽和濃度になるよう添加して測定した酵素の最大活性は互いに有意な相関を示し[r=0.93(Leu-MCA対カゼイン);r=0.75(Leu-MCA対BSA),n=28,P<0.0001]、Leu-MCAで測定されるLAPaseがプロテアーゼ活性に対する指標として有用であることが示された。 そこで、海洋内部におけるプロテアーゼ活性の相対的な変動パターンを解析するために、LAPaseと-グルコシダーゼ(BGase)の最大活性を鉛直方向に比較する実験を北部太平洋亜寒帯域で1997年の夏に行った。LAPaseとBGaseの活性は細菌の数やプロダクションと同様、表層で高く深度と共に減少する傾向にあったがLAPase:BGase比の鉛直分布を水深0-200mで東西方向に調べたところ、深度に対する比の傾きは東経161度から西経139度において東に向かって連続的に増加することが明らかになり[r=0.88,n=9,P<0.01;(図3)]、有機物の分解特性がこの海域内で三次元的に大きく変動している可能性が示された。この変動が主にLAPaseの変化に起因していたことから、海水中のLAPaseの90%以上がメタロエンザイムであるという過去の報告例を踏まえて、海水中の微量金属濃度とLAPaseの相関を調べたところ、LAPaseと溶存の亜鉛の間に有意な相関(r=0.85,n=6,<0.05)が見られた(図4)。 図3:KH97-2航海にて観測された、北太平洋亜寒帯域における加水分解酵素の最大活性の比(LAPase:BGase ratio)の鉛直分布。深度に対するLAPase:BGase ratioの回帰直線を実線で示し、勾配が有意でないものについて破線で平均値を示した。また、括弧内に経度による相対的な位置を記した。図4:KH97-2航海にて観測された、水深0-100mにおける亜鉛(Zn)の積算値と、LAPaseおよびBGaseの比活性の比較。ndは未定量を意味し、測点は経度方向に並べてある。酵素の値はQ10=2.2を仮定し、15℃の値になるよう温度補正をしてある。酵素の比活性と亜鉛の積算値の相関は以下の通り。LAPase:r=0.92,P=0.01,n=6;BGase:r=0.64,P>0.1,n=6 本研究の結果、海洋におけるタンパク質の微生物分解性は他の高分子との相互作用や、それに伴う見かけの分子サイズの大型化により低下することが明らかになった。その要因として会合化によりタンパク質と酵素の接触頻度が低下するほか、タンパク質に対する細菌の認識やそれに伴う酵素の誘導が抑制されることも一因として考えられる。また、ペプチダーゼの抑制が亜鉛の不足で生じる可能性が本研究により初めて示唆された。これらの機構は、タンパク質が迅速な徴生物分解を免れてより広範囲に輸送されることを促す点で、海洋の微生物食物連鎖の活性化に重要な役割を果たしていると考えられる。 |