学位論文要旨



No 115056
著者(漢字) 泉,寛子
著者(英字)
著者(カナ) イズミ,ヒロコ
標題(和) カタユウレイボヤ・ユウレイボヤ精子運動活性化を制御するイオンチャンネルの研究
標題(洋) Studies on Ion Channels Regulating the Activation of Sperm Motility in the Ascidians,Ciona intestinalis and C.savignyi
報告番号 115056
報告番号 甲15056
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3820号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森沢,正昭
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 上村,慎治
 東京大学 助教授 岡,良隆
内容要旨 序論

 体外受精を行う動物の精子の多くは運動能を精巣中および輸精管内で既に備えており、魚類では放精にともなうイオン環境の変化で直ちに運動を開始することが知られている。例えば、サケ科魚類では細胞外K+濃度の減少、コイ科淡水魚と多くの海産魚では浸透圧の変化が鞭毛運動を引き起こす。これらの細胞外環境の変化は細胞内Ca2+の上昇及びcAMP濃度の上昇を起こすことが明らかにされている。一方ニシンやウニでは、卵外皮由来のタンパク質性精子活性化物質が運動開始した精子を更に活発にすることが明らかにされている。

 最近吉田ら(1994)によってカタユウレイボヤとユウレイボヤでも互いの卵由来精子活性化誘引物質(sperm-activation and-attracting factor:SAAF)によって運動が活性化され、また走化性が誘起されることが明らかにされた。この精子の運動活性化、走化性においてion channelが深く関わっていることは溶液の組成やion channelの阻害剤が運動を左右することから示唆されるが、その細胞膜における細胞情報伝達の機構については明らかにされていない。本研究ではSAAFによって精子運動活性化を引き起こす事が出来る利点を利用し、カタユウレイボヤ・ユウレイボヤ精子の運動活性化を制御するion channelsについて研究を行った。

結果と考察Part I「カタユウレイボヤ・ユウレイボヤ精子運動活性化にはK+チャネルの活性化及び膜の過分極が必須である」

 原索動物カタユウレイボヤCiona intestinalisとユウレイボヤC.savignyiの精子は海水中でほぼ運動を停止しており、未受精卵からの海水中に放出されるSAAFにより、細胞外Ca2+の存在下で細胞内cAMPが上昇し、運動が活性化されることが知られている(Yoshida et al.,1994)。

 Part Iでは、K+ionophoreであるvalinomycinがSAAFと同様に精子運動を活性化すること(図1-1)、細胞外K+濃度を上昇させると活性化が抑制されることを示した。これは、細胞膜のカリウム透過性が精子運動活性化に重要である事を示している。そこで、K+透過性を強く反映する膜電位変化を蛍光指示薬DisC3(5)を用いて測定したところ、運動を停止している精子ではK+透過性が低く、SAAF添加後はK+透過性が急激に上昇することが明らかになった(図1-2)。静止膜電位は-50mVと算出され,SAAF添加後は大きく過分極して-100mVとなった。SAAFはvalinomycinと同様な膜の過分極を引き起こした。またK+蛍光指示薬により細胞内K+濃度がSAAF添加後減少することから精子運動活性化時に細胞内K+が流出すると考えられた。更に膜の過分極がK+チャネル阻害剤MCD-peptideで抑制されること、イオン選択性はK+≧Rb+≫Cs+〉Li+≧Na+であることから、SAAFはK+チャネルを活性化し、K+流出による膜の過分極を通して精子運動活性化を引き起こすことが明らかとなった。

図1.カタユウレイボヤ精子のK+ionophore、valinomycinによる運動開始(1-1)と膜電位変化(1-2)。(1-1)1 nM valinomycinは精子運動を活性化する。(1-2)(A)control;K+透過性が低いため、KClの添加により脱分極しない。(B,C);valinomycin(B)とSAAF(C)により膜の過分極及びK+透過性の上昇が見られる。
Part II「カタユウレイボヤ・ユウレイボヤ精子において細胞膜の過分極がadenylylcyclaseを活性化する」

 カタユウレイボヤ精子では、cAMPの上昇がprotein kinaseの活性化を通してdynein軽鎖を含むいくつかのタンパク質をリン酸化し鞭毛運動を引き起こすこと、Ca2+の精子内への流入がcAMP濃度上昇に必要であることが私たちの研究室で明らかにされている。

 Part IIでは、Part Iの知見に基づき、膜電位変化(過分極)とcAMP合成について調べた。その結果、valinomycinは単独で精子のcAMPを上昇させた(図2)。またこの反応は細胞外Ca2+に依存しないことが明らかになった。次に2mM IBMX処理した精子にSAAFとvalinomycinを加えたところ、2mM IBMXのみでcAMP濃度を上昇させ精子の運動を引き起こすこと、更なるSAAFまたはvalinomycinの添加はcAMP濃度を更に上昇させることが明らかになった。この結果は、運動を停止している精子ではphosphodiesterase活性が高いためcAMP濃度が低いこと、膜の過分極はadenylyl cyclase活性を上昇させcAMP濃度を上昇させることを示唆している。K+チャネル阻害剤MCD-peptideはSAAFによるcAMP上昇を抑えるが、valinomycinによるcAMP上昇は阻害せず、この考えを支持している。

図2.膜の過分極によるcAMP濃度の上昇。(A)SAAF(●)、valinomycin(▲)によりcAMPが上昇するが、両物質を含まないControl(○)では上昇しない。(B)cAMP濃度は200M IBMX(□)では上昇しないが2mM IBMX(■)により上昇する。2mM IBMX処理した精子にSAAF(●)またはvalinomycin(▲)を作用させると、更にcAMP濃度が上昇する。

 細胞内Ca2+濃度上昇と運動活性化との関係についてCa2+イオノフォアionomycinを用いて調べたところ、細胞外Ca2+と200M IBMXの存在下でionomycin処理をすると精子運動が活性化された。IBMX非存在下では運動活性化率が低いことから、細胞内Ca2+によるadenylyl cyclase活性化作用は弱いことが予想される。

 以上より、カタユウレイボヤ・ユウレイボヤ精子ではSAAFの作用で細胞膜が過分極しそれがadenylyl cyclaseを直接活性化しcAMP濃度を上昇させ,精子を活性化することが明らかになった。またCa2+はこの酵素の活性化には直接関与しないと考えられる。

Part III「カタユウレイボヤ・ユウレイボヤ精子のion channelの解析」

 カタユウレイボヤ・ユウレイボヤ精子では頭部とミトコンドリアとの間に細胞内ベシクルが存在し、Ca2+ストアとして細胞質のCa2+濃度を上昇させミトコンドリアの変形及び鞭毛に沿った滑り運動を引き起こすこと(sperm reaction)が報告されている。

 Part IIIでは精子鞭毛運動について研究を進めるにあたり、精子膜を窒素キャビテーション法で単離し精子膜ベシクルを作成し、細胞内ストアの関与しない系で鞭毛運動に関与するion channelの解析を行った。まず精子膜ベシクルを用いてその膜電位変化を蛍光指示薬DisC3(5)で測定した。次に膜ベシクルを人工脂質二重膜に融合させ個々のion channel活動を電気生理学的に解析した。前者では、ベシクル内液のK+濃度を外液の40倍高くし、SAAFを作用させたところベシクル膜のK+透過性が上昇し膜を過分極すること、鞭毛より単離した膜ベシクルはSAAFに反応するが頭部由来の膜ベシクルは反応しないことが明らかとなった(図3)。また外液のCa2+はSAAFにょるK+透過性上昇を増大させるが、ベシクル内のCa2+濃度をionomycinで上昇させてもK+透過性上昇は見られなかった。以上の結果よりSAAF依存性のK+チャネルは精子鞭毛に局在すること、細胞外Ca2+はSAAFによるK+チャネルの活性化を増大させることが示唆された。後者ではSAAFの非存在下で活動する陽イオン選択性のion channelが観察された。また人工脂質二重膜に融合した精子ion channelの幾つかが、SAAFにより活性化されることも明かとなった。

図3.精子膜ベシクルの膜電位変化。(A)頭部精子膜ベシクルは外液へのSAAF、CaCl2(5mM)、KCl(+1,2,4mM)の添加に反応しない。(B)鞭毛精子膜ベシクルはSAAFとCaCl2の存在下でK+透過性を上昇させ、膜を過分極させる。K+透過性が上昇しているため、KClを添加すると脱分極する。実験開始時のK+濃度はベシクル内液40mM、外液1mM。
まとめ

 本研究、Part I、II、IIIより、カタユウレイボヤ・ユウレイボヤ精子膜において、卵由来精子活性化誘引物質SAAFは鞭毛に局在するK+チャネルを活性化し、K+流出による膜の過分極を引き起こす。この膜電位変化が直接adenylyl cyclaseを活性化し、その結果合成されたcAMPが鞭毛運動を活性化することが明らかになった。細胞外Ca2+がSAAFによるK+チャネルの活性化を増大させている可能性、細胞内Ca2+はadenylyl cyclaseの活性化に重要な役割を果たしていない可能性が示唆された。

審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章は、原索動物ホヤの精子運動活性化にK+チャネルの活性化及び細胞膜の過分極が必須であること、第2章は、ホヤ精子において細胞膜の過分極がadenylyl cyclaseを活性化し、その結果合成されるcAMPが精子運動活性化の引金を引くこと、第3章は、ホヤ精子細胞膜のion channelsの解析について述べられている。

 カタユウレイボヤCiona intestinalisとユウレイボヤC.savignyiの精子は海水中で運動を停止しており、卵由来精子活性化誘引物質(sperm-activation and-attracting factor:SAAF)の作用により精子内のcAMPを合成し、それが精子の運動を活性化することが明らかにされていた。しかし、SAAFの細胞膜における細胞情報伝達の機構については不明であった。第1章ではK+ionophore、valinomycin(Val)がSAAFと同様精子運動を活性化すること、細胞外K+濃度の上昇が精子運動活性化を抑制することを示し、細胞膜のK+透過性が精子運動活性化に重要である事を示した。更に、K+透過性を強く反映する膜電位変化を蛍光指示薬DisC3(5)を用いて測定し、運動停止精子ではK+透過性が低く静止膜電位は-50mVであり、SAAFの添加によりK+透過性が急激に上昇し、細胞内K+濃度が減少すると共に細胞膜は大きく過分極して-100mVとなることが明らかになった。更に膜の過分極がK+チャネル阻害剤MCD-peptideで抑制されること、イオン選択性はK+≧Rb+≫Cs+>Li+≧Na+であることから、SAAFはK+チャネルを活性化し、K+流出による膜の過分極を引き起こし精子運動を活性化することが明らかにされた。

 第2章では、第1章の知見に基づき、膜の過分極とcAMP合成について調べた。その結果、Valは単独でSAAFと同様精子のcAMPを上昇させた。この反応は細胞外Ca2+に依存しない。次に2mM IBMX処理で人為的に細胞内cAMPを増加させた精子にSAAF又はValを加えたところ、更にcAMP濃度の上昇が見られたことから、運動を停止している精子ではphosphodiesterase活性が高いためcAMP濃度が低いこと、SAAFは膜の過分極を引き起こしadenylyl cyclase活性を上昇させcAMP濃度を上昇させると考えられる。また、K+チャネル阻害剤MCD-peptideはSAAFによるcAMP上昇を抑えるが、ValによるcAMP上昇は阻害しないことから、SAAFによるcAMP合成はK+チャネルの活性化に依存していることも示された。精子のadenylyl cyclase活性にCa2+依存性が見られない。したがって、ホヤ精子ではSAAFの作用で細胞膜が過分極し、それが直接adenylyl cyclaseを直接活性化しcAMP濃度を上昇させ、精子を活性化すること、Ca2+はこの酵素の活性化に関与しないことが明らかになった。

 第3章では、精子細胞膜を窒素キャビテーション法で単離し精子膜ベシクルを作成し、細胞膜以外の細胞構成成分が関与しない系で精子運動活性化に関与するion channelの解析を行った。まず精子膜ベシクルを用いてその膜電位変化を蛍光指示薬DisC3(5)で測定したところ、ベシクル内液のK+濃度を外液の40倍高くし、SAAFを作用させるとベシクル膜のK+透過性が上昇し膜を過分極すること、鞭毛より単離した膜ベシクルはSAAFに反応するが頭部由来の膜ベシクルは反応しないことが明らかとなった。また外液のCa2+はSAAFによるK+透過性上昇を増大させた。以上の結果よりSAAF依存性のK+チャネルは精子鞭毛に局在すること、細胞外Ca2+はSAAFによるK+チャネルの活性化を増大させることが示唆された。次に膜ベシクルを人工脂質二重膜に融合させ、個々のion channel活動を解析した。その結果SAAF非存在下で活動し、K+を透過する陽イオンチャネルが観察された。また人工脂質二重膜に融合した精子ion channelの幾つかが、SAAFにより活性化されることも明らかとなった。

 以上、第1章、第2章、第3章より、ホヤの精子細胞膜において、卵由来精子活性化誘引物質SAAFは鞭毛に局在するK+チャネルを活性化し、K+流出による膜の過分極を引き起こす。この膜電位変化が直接adenylyl cyclaseを活性化し、その結果合成されたcAMPが鞭毛運動を活性化することが明らかになった。また細胞外Ca2+がSAAFによるK+チャネルの活性化を増大させている可能性、細胞内Ca2+はadenylyl cyclaseの活性化に重要な役割を果たしていない可能性が明らかとなった。

 なお、本論文の1章と第2章はMarian、稲葉、岡、森沢、第3章は岡、森沢との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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