学位論文要旨



No 115057
著者(漢字) 稲田,のりこ
著者(英字)
著者(カナ) イナダ,ノリコ
標題(和) イネ葉に於ける老化プログラムの開始と進行の機構に関する三次元的解析
標題(洋) Three-dimensional analysis of the initiation and progression of the senescence program in rice(Oryza sativa L.)leaves
報告番号 115057
報告番号 甲15057
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3821号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 教授 福田,裕穂
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
内容要旨

 高等植物の葉の老化は、発生の最終段階として、予め細胞内にプログラムされているものと考えられているが、その機構は全く明らかになっていない(Smart 1994)。老化の機構を解明する為、本研究では先ず、老化時に起こる諸現象を組織・細胞学的に詳細に解析し、その後各現象の機構について解析を進めた。材料として主に用いているイネの子葉鞘は、発芽から枯死に至るまでの期間が短く(図1)、維管束が二つの単純な構造であり、また葉緑体核が一つから三つにまとまっていてその挙動を追うのが容易である、等の本研究を行うのに適した特徴を持っている。修士論文で子葉鞘の組織・細胞レベルでの老化の進行を形態的に解析し、各現象の起こる時期・速度は異なるものの、全ての緑化する葉肉細胞内で、葉緑体DNAの分解に始まり、老化後期の細胞核の凝縮を特徴とする一連の過程を経て、老化が進行することを明らかにした( Inada et al.1998a,b)。

 博士課程では,修士論文の結果を発展させ、先ず現象の一般性を検証する為、子葉鞘の緑化しない内層の細胞、及び普通葉である第二葉について形態学的解析を行った。その結果、子葉硝には細胞核の凝縮を示さないもう一つの老化形態があること、第二葉には細胞核の凝縮を示すタイプの老化が保存されていることが明らかになった。次に、高感度に改変したフィルム基質法を用いてヌクレースの解析を行い、老化細胞特異的にCa2+/Mg2+依存性のヌクレース活性が上昇していることを明らかにした。更にフィルム基質法の結果から立てた仮説を検証する為、Ca2+指示蛍光色素を用いた解析を行い、子葉鞘の中で最初に死に至る細胞の位置を突き止め、老化の伝播様式を明らかにした。

I.子葉鞘の緑化しない葉肉細胞に於ける老化進行

 子葉鞘の外表皮近くの2-3細胞層では播種後3日目に葉緑体が発達し、緑化する。一方、内側の3-7細胞層には2日目に多量のデンプンが蓄積し、3日目には完全に分解される(図2)。これら細胞分化の起こる時期、及び緑化しない内層の細胞の老化過程を調べる為、子葉鞘の先端から1/3の部分の横断切片について、テクノピット切片染色法により、発生から老化に至る形態変化を経時的に観察した。1日目までは、切片内の全葉肉細胞は同様の未成熟な形態を示している。2日目に細胞は完全に分化し、その後4日目に内表皮から3-4層目の細胞で急激な細胞死が進行する。この細胞死は両表皮に向かって進行し、6日目には内層は完全に枯死して細胞壁が激しく変形する(図3)。内層の、最も早く老化する内表皮から3層目の細胞と、最も老化の遅れる1層目の細胞内の、細胞核・プラスチド・ミトコンドリアの挙動をそれぞれ示した(図4)。内層の全ての細胞で、細胞核は2日目以降拡散する。プラスチドは1日目から2日目にかけてアミロプラストへと分化し、その後DNA(ptDNA)とデンプンが急激に分解される。ミトコンドリアDNA(mtDNA)は2日目以降大きく減少する。3層目の葉肉細胞では、4日目に細胞内構造が完全に分解される。一方、1層目の細胞では4日目にミトコンドリアサイズの膜構造が一旦見られなくなる。5日目にはプラスチドは完全に分解され、凝縮した細胞核とミトコンドリアが残り、6日目には全ての構造が分解される。顕微測光装置を用いてpt・mtDNAを定量した結果(図5)、ptDNAは1日目、mtDNAは2日目をピークに、それぞれ減少してゆくことがわかった。更に電子顕微鏡観察の結果、内表皮に隣接する細胞内のミトコンドリアが、4日目に著しく大きくなっていることがわかった(図6)。以上の結果から、子葉鞘の全ての葉肉細胞で、pt・mtDNAの分解等老化のごく初期に於ける現象は保存されているが、老化後期に細胞核の凝縮を示す細胞と示さない細胞の、2つの種類があることが示唆された。

II.第二葉葉身に於ける老化進行

 次に普通葉である第二葉を用いて解析を行った。第二葉は播種後3日目以降急速に成長し、葉身は4日目にはほぼ完全に伸長を終えるが、その後葉鞘が伸長し、第二葉全体としては7日目まで伸長を続ける(図7)。葉身は、6日目に完全展開し、8日目には先端部から老化が始まる。老化は基部に向かって進行し、11日目には先端から1/3の部分が枯死する(図8A)。葉身を先端部・中央部・基部に分け、各部分の可溶タンパク質量・クロロフィル量を測定した結果、両方とも先端部は他の領域より早く増加・減少することがわかった(図8B)。葉身の先端部・基部について、テクノビット切片による解析を行った(図9)。先端部では、細胞核は8日目に著しく凝縮し、その後分解されたDNA断片が細胞内に拡散した。葉緑体DNAは4日目に増加し、その後急激に減少した。7日目以降内膜系の分解が進行し、著しく劣化した葉緑体がオレンジ色の自家蛍光を発するのが見られた。基部では、最初細胞は未成熟な形態を示し、4日目から5日目にかけて急速に分化する。細胞核は先端部よりも早い時期から徐々に凝縮していった。葉緑体DNAは著しい増加を見せずにそのまま減少し、内膜の分解は8日目以降進行した。これらの結果は、葉緑体DNAの分解に始まり、細胞核の凝縮を伴う子葉鞘の一つの老化パターンが、第二葉にも共通に存在することを示しており(Inada et al.1999)(図10)、これらの過程がイネ葉に共通の老化プログラムとして保存されている可能性を強く示唆した。

図表図1 子葉鞘の発芽と老化 イネの種子を一晩吸水させて30度の連続光照射下で育てると、子葉鞘は播種後2日目に現れ、3日目には成長し、その後老化して一週間で完全に枯死する。 / 図2 子葉鞘内のテンプンの蓄積 播種後2日目(a、c、e)、3日目(b、d、f)の子葉鞘の横断切片(a、b)、そのヨウ素染色像(c、d)と維管束間領域の高倍像(e、f)。1L、第一葉;2L、第二葉。矢頭は維管束を示す。星印の部分にデンプンが蓄積する。バーはそれぞれ0.5mm(a-d)、0.1mm(e、f)。 / 図3 テクノビット7100切片による子葉鞘の経時的観察 テクノビット7100切片をDAPI染色して経時的に観察した。写真はそれぞれ播種後0(a)、2(b)、3(c)、4(d)、5(e)、6(f)日目。OE、外表皮;IE、内表皮;1L、第一葉。 バーは50m / 図4 テクノビット7100切片によるオルガネラの経時的変化の観察 切片をDAPI、DiOC7で二重染色し、DNAと膜系の変化を調べた。内表皮から3層目の細胞(A)、1層目の細胞(B)の於ける細胞核(a)、プラスチドDNA(b)、ミトコンドリアDNA(b内部)、プラスチド膜(c)、ミトコンドリア膜(c内部)。写真左上の数字はそれぞれ播種後の日数を表す。バーは5m。 / 図5 子葉鞘葉肉細胞に於けるオルガネラDNAの発生に伴う変化 DAPI染色したテクノビット切片上でのプラスチドDNA、ミトコンドリアDNAをそれぞれVIMPCSで測定し、各オルガネラ一個当たりのDNA量を算出した。 / 図6 子葉鞘内部葉肉細胞のオルガネラの電子顕徴鏡観察 播種後0(a)、1(b)、2(c)、3(d)、4(e)、5(f)日目の内表皮近くの葉肉細胞に於けるプラスチド(P)とミトコンドリア(M)の経時的変化。CW、細胞壁;ER、小胞体;G、ゴルジ体;N、細胞核;OD、油状体;PB、プロテインボディ;PG、プラストグロブリ;S、デンプン;V、液胞。バーは1m。 / 図7 第二葉の成長曲線 / 図8 第二葉身の老化の進行 葉身の先端から基部にかけての老化の勾配を写真(A)と生化学的解析(B)により示した。写真は播種後それぞれ6(a)、8(b)、9(c)、11(d)日目。バーは0.5cm。可溶タンパク質量(a)、クロロフィル量(b)は、葉身を先端・中央部・基部の3つの領域に分け、それぞれについて経時的に定量した。 / 図9 テクノビット7100切片による老化に伴うオルガネラの変化の観察 第二葉葉身の先端(A)及び基部(B)に於けるテクノビット切片をDAPI及びDiOC7で二重染色した。細胞核(a)、プラスチドDNA(b)、プラスチド膜(c)。写真左上の数字はそれぞれ播種後の日数を表す。バーは2m。 / 図10 子葉鞘・及び第二葉の細胞に共通に保存される老化プログラム
III.老化時に働くヌクレースの解析

 以上に述べた老化プログラムには、オルガネラDNAの分解にそれぞれ特異的に働いているヌクレースが、重要な役割を果たしていると考えられる。子葉鞘内の場所の違いによる老化時期の違いを反映した解析を行う為に、フィルム基質法(Daoust and Amano 1957)を高感度に改変し、組織内のヌクレース活性を検出することに成功した(図11)。子葉鞘の横断切片に様々な金属イオン溶液を与えて処理したところ、Ca2+とMg2+の混合液を与えた場合のみ強いヌクレース反応が得られた。この反応は、3日目の若い子葉鞘では殆ど検出されず、老化に伴って上昇した(図11)。反応時の金属イオンの液量を調節し、子葉鞘横断切片内のCa2+/Mg2+要求性ヌクレース活性の局所性を調べた(図12)。4日目には内層の細胞で、5日目には外層で強い活性が見られた。6、7日目にはこのような強い活性は検出されなかった。このヌクレース活性が上昇する時期は、細胞核が著しく凝縮し分解される時期と一致した。また、水のみを与えた場合には、Ca2+/Mg2+と同じパターンの、弱いヌクレース反応が見られた。このヌクレース分子の同定を試みる為にゲル内アッセイを行い、Mg2+、Ca2+/Mg2+、Mn2+を与えて反応させた場合に、それぞれ非常に老化した子葉鞘で特異的に低分子のバンドが現れ、他にも幾つかのヌクレース分子をバンドとして検出した(図13)。

IV.細胞内カルシウムの可視化による子葉鞘内で最初に死に至る細胞の同定と細胞死の伝播様式の解析

 IIIで述べたフィルム基質法によるヌクレース反応は、切片を水のみで処理した場合にも検出されることから、Ca2+/Mg2+要求性のヌクレース上昇を示す細胞内で、これらの金属イオン濃度が上昇しているのではないかとの仮説を立てた。これを検証するため、子葉鞘の横断切片をCa2+指示蛍光色素で染色したところ、3日目の若い子葉鞘では全く反応が認められなかったが、4日目には内層で著しい染色が見られた(図14)。老化した外層の細胞ではこのような染色は見られなかった。Ca2+指示薬による染色が認められた部分は、通気組織が形成される場所と一致することから、通気組織形成に至るまでの過程をCa2+指示試薬を用いて更に詳細に観察した。その結果、最初にCa2+の染色を示す細胞を維管束の近くに同定した(図15)。このCa2+反応はその後葉の中央部へ向かって一細胞層で伝播してゆき(図16)、更に両側表皮に向かって伝播する、共焦点レーザー顕微鏡を用いた解析により、これらの細胞は細胞内全体がCa2+反応を示すことが明らかになった(図17)。また、アンチモン酸を用いて固定した試料を電子顕微鏡で観察した結果、これらの細胞では特異的なアンチモン酸カルシウムの顆粒の沈着が観察された。電子顕微鏡でこれらの細胞の構造を詳しく観察したところ、液胞膜の崩壊に伴い、細胞内構造が著しく膨潤し、死に至っていることがわかった(図18)。更に同一個体の先端部と基部からそれぞれ切片を作り、Ca2+指示蛍光試薬で染色して観察した結果、この細胞死が先端部から基部へ向かって伝播していることが明らかになった(図19)。

 以上の結果から、子葉鞘の葉肉細胞の老化は、主に二つの形態を取ることが明らかになった。即ち、組織的には維管束に向かって進行してゆき、徐々に進行するオルガネラの分解と細胞核の凝縮を特徴とする自然老化と、維管束近辺の一細胞から始まって葉の中央部に向かって伝播してゆき、液胞の崩壊に伴う急激な細胞内構造の分解を特徴とする細胞死型の老化である(図20)。老化のごく初期に於けるpt・mtDNAの分解及び最終段階としての液胞の崩壊は、両方の過程で同様に見られることから、基本的なプログラムは全細胞に共通に保存されており、現象の起こる時期が細胞の位置する場所により異なっている、と考えられる。ここに明らかにされた老化進行の順番に基づき、更に解析を行うことにより、老化の開始と進行の機構が明らかになることが期待される。

図表図11 フィルム基質法の概要とその反応写真 フィルム基質法の手順と、それによって実際に得られる像を示した。播種後3日目(a、c)と5日目(b、d)の切片の明視野像(a、b)とその切片によるフィルムの反応(c、d)。 / 図12 フィルム基質法による子葉鞘横断切片内のヌクレース活性の経時的解析 播種後4日目(a、e、i)、5日目(b、f、j)、6日目(c、g、k)、7日目(d、h、i)の切片にCa/Mg混合液を与えて反応させると、4・5日目の子葉鞘内で局所的なヌクレース活性の上昇が認められた。図の中の黒く抜けている部分がヌクレース活性の高い部分を示している。低倍像(a-d)とその高倍像(e-h)、及びVIMPCSによる解析(i-l)。 / 図13 ゲル内アッツセイによるヌクレースの解析 すり潰した子葉鞘をSDS緩衝液に直接溶かし、その上清を用いてゲル内アッセイを行った。Et-Brで染まっていないバンドがヌクレース活性を持つ。 / 図14 子葉鞘内の局所的なカルシウム濃度の上昇 播種後3日目(a、c)、4日目(b、d)の子葉鞘の明視野像(a、b)及びカルシウム指示蛍光試薬による染色像(c、d)。バーは0.5mm。 / 図15 量初に死に至る細胞の同定 子葉鞘横断切片低倍像(a、c)及び矢印で示した箇所の高倍像(b、d)。c、dはそれぞれa、bからクロロフィルの赤い自家蛍光を取り除き、カルシウムの緑色の蛍光のみを示した。矢頭は維管束を示す。バーはそれぞれ0.5mm(a、c)、0.1mm。 / 図16 子葉鞘横断切片に於けるカルシウム上昇の伝播 子葉鞘横断切片のカルシウム指示薬による染色(a-c、g-i)及びそれからクロロフィルの自家蛍光を除きカルシウムの緑色の蛍光のみを示した像(d-f、j-l)。バーは0.5mm。 / 図17 共焦点レーザー顕微鏡による観察 カルシウム指示薬で染色されている細胞内部を共焦点レーザー顕微鏡で観察した。矢印で示されている細胞がカルシウム濃度の上昇を示している。 / 図18 電子顕微鏡による観察 カルシウム濃度の上昇が認められる細胞と同位置にある細胞を電子顕微鏡により観察した。星印の細胞で、著しい細胞内構造の膨潤が認められる。バーは5m。 / 図19 カルシウム指示薬による子葉鞘の3次元的解析 子葉鞘の先端部(a-f)と基部(g-l)で切片を作り、3次元的にカルシウム上昇細胞の伝播様式を解析した。d-f、j-lはそれぞれa-c、g-iからクロロフィルの赤い自家蛍光を取り除き、カルシウムの緑色の蛍光のみを示した像。バーは0.5mm。 / 図20 老化による緩やかな細胞死と液胞の崩壊に伴う急激な細胞死のそれぞれの進行過程
審査要旨

 本論文は4章からなり、第1章は、イネの子葉鞘の中の緑化しない細胞に於ける老化進行の解析、第2章はイネの第二葉葉身に於ける老化進行の解析、第3章は子葉鞘の老化に関わるヌクレースの解析、及び第4章はカルシウム指示蛍光試薬を用いた、子葉鞘内の老化の伝播様式の解析について述べられている。

 高等植物の葉の老化は、発生の最終段階として、予め細胞内にプログラムされているものと考えられている(Smart 1994)。しかし、その機構については未だ全く明らかになっていない。老化の機構を解明するためには、先ず、老化に際して起こる事柄を総合的且つ詳細に把握することか必要である。この考えに基づき、本論文ではイネの子葉鞘を主な材料として用い、その老化進行について形態学的な視点から解析を行った。材料として主に用いている子葉鞘は、生活環か短く、構造が単純である、などの本研究を行うのに適した特徴を持っている。論文提出者は、修士課程において、子葉鞘の緑化した細胞について組織・細胞レベルでの老化の進行を蛍光顕微鏡・電子顕微鏡を用いて解析し、各現象の起こる時期・速度は異なるものの、全ての緑化する葉肉細胞内で(1)葉緑体DNAの減少、(2)細胞核の凝縮、葉緑体内膜の分解、(3)葉緑体の分解、細胞核の分解、(4)細胞内構造の崩壊、細胞壁の変形、と言った一連の過程を経て、老化か進行することを明らかにした(Inada et al.1998a,b)。本論文では、修士論文の結果を発展させ、最初に上記の現象の一般牲についての検証を行い、次に老化の機構に関する解析を進めた。最終的には、子葉鞘の中の最初に老化する始源細胞を突き止め、子葉鞘内の組織レベル・細胞レベルでの老化の順番を明らかにした。

 第1章は、子葉鞘の緑化しない葉肉細胞の老化進行について述べられている。子葉鞘の外表皮近くの2-3層の細胞では播種後3日目に葉緑体が発達し、緑化する。一方、内側の3-7層の葉肉細胞では2日目に多量のデンプンが蓄積するが、その後一日で完全に分解される。テクノビット7100切片を用いた蛍光顕微鏡観察の結果、これらの外層と内層の細胞分化は1日目から2日目にかけて急速に進行し、その後3日目から4日目の間に内表皮から3-4層目の細胞で急激な細胞死が進行することがわかった。この細胞死はその後両表皮に向かって進行し、6日目には内層は完全に枯死して細胞壁が激しく変形する。内層の中の老化の早い内表皮から3層目の細胞と、老化の遅れる内表皮から1層目の細胞のオルガネラの変化を観察した結果、全ての細胞で、老化のごく初期にプラスチドDNAの減少、ミトコンドリアDNAの減少が起こり、1層目の細胞では老化の後期に著しい細胞核の凝縮が見られた。一方、3層目の細胞に於いては、細胞核の凝縮が見られず、4日目に急激に全ての細胞内構造が崩壊することがわかった。この結果より、子葉鞘の内層の細胞では、2つの種類の老化があることが示唆された。

 第2章では、更に普通葉である第二葉を用いて現象の一般性について解析を行っている。第二葉は播種後3日目以降急速に成長し、葉身は4日目にはほぼ完全に伸長を終えるが、その後葉鞘が伸長し、第二葉全体としては7日目まで伸長を続ける。葉身は、6日目に完全展開し、8日目には先端部から老化が始まる。老化は基部に向かって進行し、11日目には先端から1/3の部分が枯死する。この先端から基部への老化の勾配は、生化学的解析によっても示された。葉身の先端部・基部についての蛍光顕微鏡解析の結果、老化の初期に於ける葉緑体DNAの減少、それに続く細胞核の凝縮が見られ、子葉鞘で観察された老化の一形態が、第二葉に於いても保存されていることが明らかになった。老化に於ける各現象の起こる時期・速度は、子葉鞘と第二葉、第二葉の先端と基部で違いが見られ、この老化の進行が、細胞の位置する場所、環境に依存して変化することが強く示唆された。

 第1章、第2章に述べたイネ葉の老化の進行には、オルガネラDNAの分解にそれぞれ特異的に働くヌクレースが、重要な役割を果たしていると考えられる。そこで第3章では、子葉鞘の老化に関わるヌクレースについて解析を行った。組織内の老化時期の違いを反映した解析を行う為、フィルム基質法(Daoust and Amano 1957)を、フィルムDNAの濃度・染色法を変えて高感度に改変し、子葉鞘切片内のヌクレース活性を検出することに成功した。解析の結果、細胞核が著しく凝縮し分解される時期の細胞で、特異的にCa2+/Mg2+要求性のヌクレース活性が上昇していることが明らかになった。更に生化学的手法によるこのヌクレース分子の同定を試み、幾つかのヌクレース分子を同定した。

 第3章で述べたフィルム基質法による解析の結果から、Ca2+/Mg2+要求性のヌクレース上昇を示す細胞内で、これらの金属イオン濃度が上昇しているのではないかとの仮説を立てた。これを検証するため、カルシウム指示蛍光試薬を用いた解析を第4章で行った。蛍光試薬による反応は、4日目にヌクレース活性が見られた内層の部分で特異的に検出され、若い時期の子葉鞘及び老化した外層の細胞では検出されなかった。この指示薬による染色が認められた部分は、通気組織が形成される場所と一致することから、通気組織形成に至るまでの過程を更に詳細に観察し、その結果、最初にCa2+の染色を示す細胞を維管束の近くに同定した。このCa2+反応はその後葉の中央部へ向かって一細胞層で伝播してゆき、更に両側表皮に向かって伝播する。更にこの細胞の構造を電子顕微鏡により詳しく観察したところ、液胞膜の崩壊に伴い、細胞内構造が著しく膨潤し、細胞死に至っていることがわかった。また、同一個体の先端部と基部から調整した切片を、カルシウム指示蛍光試薬で染色し、これらの細胞死が先端部から基部へ向かって伝播してゆくことを明らかにした。

 以上の結果から、子葉鞘の葉肉細胞の老化は、主に二つの形態を取ることが明らかになった。即ち、組織的には維管束に向かって進行してゆき、徐々に進行するオルガネラの分解を特徴とする自然老化と、維管束近辺の一細胞から始まって葉の中央部に向かって伝播してゆき、液胞の崩壊に伴う急激な細胞内構造の分解を特徴とする細胞死型の老化である。老化のごく初期に於けるプラスチドDNA・ミトコンドリアDNAの分解は、両方の老化で同様に見られることから、基本的な老化開始のプログラムは全細胞に共通に保存されており、老化後期の過程が細胞の位置する場所により異なっている、と考えられる。

 以上のように、本論文は、イネの子葉鞘という材料を用いてその老化の開始と進行順序について詳細に解析し、今後老化の機構へと研究を進めてゆく上での重要な基礎を築いた。この研究を基に更に解析を進めることにより、老化の開始と進行の機構が明らかになってゆくことが期待される。

 尚、本論文第2章は、酒井敦、黒岩晴子、黒岩常祥の共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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